「……どいつもこいつも張り合いがねぇ。殺して回るにしちゃ、もっと抵抗してくんねぇとなぁ。殺し甲斐がないってもんだ!」
先陣を切って街を蹂躙するのは、濃紺に塗装された《バーゴイル》の改修機であった。名を《バーゴイルシザー》。カリスの愛機である人機は腕を半回転させ、鎌の武装を引き出す。
降下するなり、一閃が放たれビルを断ち切っていた。
哄笑が漏れ聞こえる。
「破壊! 破壊だ! オレ達八将陣に立ち向かおうなんざ、百年早ぇって話なんだよ!」
防衛部隊が動き出し、戦車大隊が人機へとおっとり刀で照準する。しかし、その全てが遅い。
砲撃を《バーゴイルシザー》は踊るように回避した。
「地べた這いずり回るしかできない、ンなもんで! オレの《バーゴイルシザー》が墜とせるわけねぇだろ!」
悪鬼の如く赤い眼光を滾らせ、《バーゴイルシザー》が戦車を踏みしだいていく。刃が下段より振るわれ、兵隊を薙ぎ払った。
どこまでも邪悪、どこまでも凶悪に。
その暴力の歯止めは利かない。
カリスが高笑いを上げながら《バーゴイルシザー》で突撃する。敵の銃撃網が突き刺さるが、それさえも恐れるまでもない。
自分は何もかもから解き放たれたのだ。
ならば、壊す以外に何があろう。刃を軋らせ、《バーゴイルシザー》が破壊の剣閃を見舞おうとした、その時である。
――カリス。どうして泣いているんだい?
突如として脳内を掠めたフラッシュバックに、カリスは同期させた腕を振るい損ねていた。
「……何だ、今のは……」
硬直した愛機へと間断のない砲撃が浴びせられる。今が好機と判断したのだろう。敵陣営が勢いを増したのが窺えた。
だがそのような小手先、と刃を振るいかけて、逡巡が胸を占める。
――泣き虫のカリス。お母さんがついているから、大丈夫よ。
言葉が脳裏を結び、カリスは呻き声を上げた。何かが自分の中で開きかけている。それを抑える術を持たなかった。
『……敵の《バーゴイル》部隊の動きが鈍った! 今だ!』
どこに覆い隠されていたのか。第三国の輸入した、《アサルトハシャ》が起動する。
恐らくは敵の唯一の切り札。だが空を舞う《バーゴイル》部隊に任せれば、あのようなローテクの塊であるマニュアル型人機など、恐れるまでもないはず。
しかし、今の自分は違っていた。
どうしてだか身体が動かない。何が起こったのかもまるで分からないが、凍りついたかのように思考も反射も動きを止めている。
「……おい、動けよ。オレ……。何があったって言うんだ、殺すだけだろうが!」
《バーゴイルシザー》は応えてくれない。唯一の寄る辺である愛機はこの時、カリスの心の迷いを引き移したように鈍く成り果てていた。
《アサルトハシャ》が銃撃を見舞いつつ、応戦の構えに打って出る。隊長機である自分が墜とされれば、《バーゴイル》編隊に乱れが生じるのは必定。
「生意気なんだよ……。ンな、型落ちィッ!」
《バーゴイルシザー》が無理やりにでも機動し、敵の片腕を落とす。しかし、すぐさま持ち替えられたコマンドナイフが《バーゴイルシザー》の血塊炉付近を引き裂いた。
それそのものは大した負傷ではない。だが、今のカリスにとっては違った。
額を押さえ、カリスは歯噛みする。
「オレに……傷を負わせたな……。テメェッ!」
《バーゴイルシザー》が鎌を奔らせ《アサルトハシャ》の首を刈る。それだけではない。血塊炉を砕き、その胴体を生き別れにさせた。
敵の実働部隊は恐慌に駆られたが如く急速撤退を始める。カリスは吼えていた。
「逃げんなよ……。逃げんなよォォッ!」
《バーゴイルシザー》が命を刈り取るべく挙動するが、その速度は常時に比べれば随分と隙が多い。敵の突き刺すような火線にさえ、苛立ってしまう。
本来、クリアに統合されているはずの脳内で何かが干渉しているのが自分でも分かっていた。
強化人間の思考は常に破壊と狂気に染められているはず。だというのに、その漆黒の思考回路に、白濁のバグが宿る。
「あり得ねぇんだよ。テメェらみたいなクズが! オレに手傷を負わせるなんてなぁァッ! そうだろ! 《バーゴイルシザー》!」
踏み込んだ《バーゴイルシザー》の足元で爆雷が弾けた。ワイヤートラップが起動し、人機の足元が爆ぜる。姿勢を崩した《バーゴイルシザー》のコックピットへと、敵が狙いを定めた。
『カリス! 何をやっているのですか!』
割って入ったのはハマドの操る《K・マ》である。リバウンドシールドを両腕に有する機体が敵の銃撃の運動エネルギーを表層で奪い取り、直後には反射していた。
敵が一気に劣勢に立たされる。ハマドの《K・マ》がその立方体の頭部より、慮る視線を寄越していた。
『いつものあなたらしくないですよ。何があったです?』
「黙れ、黙れよ……」
カリスの脳内に閃くのは、殺意の原動力であった。赤く染まった闇が蠢動し、己の中で脈打つ。
呻いた直後には《バーゴイルシザー》の鎌が《K・マ》を刈らんと奔っていた。《K・マ》がギリギリで回避するが、その盾には傷跡が宿る。
『カリス……、一体どうしたのです! 味方ですよ!』
「うるせぇよ……。何もかもうるせぇ……。壊れちまえ!」
《バーゴイルシザー》が《K・マ》に向けて飛びかかる。跳躍した《バーゴイルシザー》を《K・マ》は盾で受け止めた。即座に反転し、浴びせ蹴りでよろめかせる。《K・マ》を操るハマドが声を張り上げていた。
『カリス! ロストライフ現象を担う我々が、仲違いなんてしている場合では……!』
平時ならばまだ聞く気のあるハマドの声でさえも、今は全てが――喧しい。
硝煙と血潮のにおいがひりつく戦場において、何も信じられず、そして何もかもが胡散臭い。
胡乱と虚飾に成り下がったこの舞台で、己の内奥から最も忌むべき臭気がする。
それを消し去りたくって、カリスはのた打ち回った。
「オレの邪魔をするんじゃねぇよ……。ぶっ殺してやる!」
『カリス! 落ち着いてください! 何があって……』
「何があっただと……。テメェに、分かるわけねぇだろ!」
自分の身の上に何が起こったのかなど。自分がどうして、ここにいるのかなど。誰にも分かるはずがない。誰にも理解されようとも思っていない。
《バーゴイルシザー》が赤い眼窩をぎらつかせ、《K・マ》を打ち崩さんと凶刃を軋らせた。
恐れを抱いた《K・マ》へとその刃がかかるかに思われた、刹那。
『……馬鹿者が』
直上よりの熱源反応にカリスが面を上げた瞬間には、《O・ジャオーガ》のメイン武装であるオートタービンの鋭い一撃が、《バーゴイルシザー》の背筋に入っていた。
人機の内部骨格の中枢を叩かれ、《バーゴイルシザー》がその勢いを死なせたのと、カリスの意識が閉じたのは同時であった。
「チク、ショウが……」
純粋強化の強化人間はそれ相応の対価を下に製造されている。
そう語る造物主にマージャは淡白な返答をしていた。
「わたしも、というわけですか」
「いや、キミは違うさ。マージャ。キミは人形だからね。強化人間とも、血続とも微妙に異なる。だからこそ、どこまでも限界を突き詰められる可能性があるんだが……」
濁したその面持ちには培養液の中で記憶を整理されるカリスの姿があった。
投影された記憶にはほとんど鍵がかかっており、平常時は戦闘本能以外の全ての記憶はシャットアウトされるように「設計」されている。
「……悲しいかな。彼は、純粋血続でもある。まぁ、血続を造る方法なんて物は大抵分析済みでね。生殖によって血続反応のある女性から、稀に男性側へと血続の因子が移される場合はある」
「では、カリス・ノウマンは」
その赴く先のおぞましさを、造物主は当たり前のように語るのだった。
「――ああ。男性でありながら血続ということは、そういうことだろうさ。彼の母親に血続の反応があった、というレポートがベネズエラ軍部に残されている。そして彼が虐待を受けていた記録も。女性を極端に恐れていた、という話も。さもありなんじゃないか。彼は、戦災孤児として引き取られたと聞く。その時には既に血に塗れた手だったとも。ご覧、マージャ」
カリスの脳内記憶の一つに、血濡れの自分自身の姿があった。拳銃を握ったまま、放心している少年の横顔には涙が流れている。
「カリス・ノウマンは、先天的な血続特性の持ち主ではなかった」
主はただただ、能面を貫くのみであった。
「僕らが強化し、過去の記憶を改ざんし、そして部分的にはその恐怖でさえも克服させたのは……それは黒将の手腕も大きいのだけれど、彼には素質があった。破壊者としての素質が」
マージャは人形の面持ちのまま、カリスのデータを閲覧する。
――強化人間、カリス・ノウマン。キョムの造り上げた強化人間の中でも「まだ」正気を保っている部類の人間。今回の暴走事件は、彼の潜在記憶がまだ適切な処置を受けていなかったことによる、予期できないエラーの一つ。
「黒将は彼に何と言ったのだろうね。それだけはデータにはないんだ。何もかもを恐れていたカリスの背中を押した、あの人の言葉だけは、まだカリスだけのものだ。……苦々しいが、この欠陥を完全に埋めるのは難しいだろう。その代わりに彼の破壊衝動をさらに強めるとしよう。自分の道を阻むものは何であろうと叩き潰す。そういう、性分に仕立て上げればそれでいい。彼は最悪の破壊者であり、そして道徳を蔑み、ヒトの愛を嗤い、情念のままに生きる殺戮者。生まれついての最悪の存在。そう思い込ませるのは難しい話ではない。ただ、彼がどういった形でこの場所にいるのかだけは、黒将と彼にしか分からない。……まぁ、人間なんて、所詮は電気信号と肉体の反射で出来上がっている。カリスには、もっと強い欲望と、そして尽きない渇きを与えるだけでいい。祝福してくれよ、マージャ。彼はもっと強くなる」
キーを叩く造物主は、禁忌の術を用いてカリスをあるべき姿に統合させる。
それがどれほどに悪徳の道であっても、最早転がり始めた石だ。
カリス・ノウマンは、そうなるしか自らを救う術を知らないのだ。
自ら深淵に足を踏み入れ、そして穢し、犯し、陵辱する。
ケダモノの生き方だ。だがそれを規定されなければ、カリスの人格は破綻してしまう。
理由があるから崇高なのではない。ましてや、理由があるから最低を行くのでもない。
彼は生き永らえるために「最悪」であり、そして「最低」であった。
だがそのようなこと、彼に殺され、犯されてきた弱き者たちに関係があるものか。
弱いから死ぬ。強ければ生き残る。
きっと彼からしてみればそのような二元論こそが、堕ちていく世界において唯一の寄る辺であろう。
漂っている。堕ちている、という感覚に身を浸していた。
手を伸ばす。青く漂う水面の向こう側にある光へ。しかしそれは、自分が蔑み、怒りを捧げてきた背徳の場所に他ならない。
――カリス。どうして泣いているんだい?
ああ、頭の奥深くで、女の声が響く。女の嬌声が、いやに鮮明に鳴り響いている。
荒い吐息、乱れた衣服。肉と肉が擦れ合う、粘膜の音。
――分からないよ、ママ。何も分からないんだ。だから、やめて。僕にこんなことをさせないで。……僕の心をこれ以上、犯さないで。
破裂しそうなほどの激痛を伴う頭を押さえる。こんなのは嫌だ。こんな記憶は「要らない」。「欲しくない」。
だから、壊してしまえ。
だから、壊れてしまえ。
――ならば、壊れられるか?
不意に嬌声の世界に響いた落ち着き払った声に、面を上げていた。
漆黒の仮面。赤い双眸が射る光を灯している。
世界の全てを憎み、世界の全てから爪弾きにされた男が、自分へと手を伸ばしていた。
その血濡れの手を、最初こそは拒んだ。
「どうして拒む。カリス・ノウマン。お前は、俺と同じだ」
嫌だ、と目を逸らした自分を、原初の悪である男は無理やり覗き込んだ。
「そうか、お前、女が怖いのか」
言い当てられた不実よりも、その赤い眼差しから視線を外せないことのほうが恐怖の対象であった。
黒の男は禍々しい鎌を自分へと差し出す。暴力そのものの具現。ヒトの命を、啄ばむことだけに特化した武器。
「あそこに、女がいる」
黒将の示した先には自分のメンタルケアを行っていた女性仕官が横たわっていた。
黒将の手によって足の腱を潰され、歩けない彼女は這いずり回っている。
「カリス。己の弱さを飼い慣らすのには、悪に成り果てることが必要だ。闇だけがお前の安息となる。人間にとって忌むべき部分こそが、お前の親だ。お前を育んできた、憎悪そのものだ。嫌悪を生かし、憎悪に身を焼き、そして地獄に堕ちることさえも恍惚と知れ。お前は望んで地獄の審判に駆り出されろ。そして閻魔の前で、唾を吐いてやれ。地獄の獄卒でさえも、お前のやってきた所業の前では目を覆い、顔を背けるほどの悪を、お前には与える。渇望と怒り、そして信じるべき悪徳の道。カリス・ノウマン。今日は実に良い日だ。お前が生まれる、本物の誕生日なんだ」
黒将は女性仕官を指差す。
何をしろ、と言われたのか分かった。そして何をすべきなのかを。
鎌を手に、カリスは立ち上がる。
魂を黒く染め、闇に生きることを至極の喜びとする。
そのためならば、自分は――。
握り締めた鎌を女性の首へとあてがう。不思議と昂揚していた。今までにない、極上の興奮が自分を染め上げる。
――ああ、魂の根幹が黒く染まる。
安息の場所へと手を伸ばし、周囲を満たす光の檻を、カリスは赤い血の色の鎌で砕いていた。
白濁の思考回路に、純正の恍惚が滴る。女の場所を砕いた暴力に、ただこれこそが、という感覚が満ち足りて、溢れていた。
それを目にして黒将は嗤っていた。
「おめでとう、カリス・ノウマン。生まれ変わった気分はどうだ?」
カリスは犬歯を軋らせ、夢の喉と現実の喉を同時に震わせていた。
「――ああ。最高だ」
ハッと目を醒ましたその時には、掴みかねていたビジョンは霧散している。
しかし、脳内は今までにないほどクリアであった。
やるべきことは分かっている。自分がどういう立場なのかも。
廊下ですれ違ったハマドが声をかける。
「……カリス。もう大丈夫なのですか?」
不安げな面持ちに最高の返答をしてやる。
「ハマド。マヌケ面晒してんじゃねぇよ。潰すぞ。オレらの流儀でな」
その答えに彼は満足したようである。口元に笑みを浮かべ、ええ、と首肯する。
「いつものあなたで安心しましたよ。カリス・ノウマン。最悪の男よ」
「ああ、そうだろうさ」
最悪でも構わない。
地獄に堕ちるのに、まだこの身は生易しいだけの話だ。