「それはお二人が完全なユニゾンを物にされればいつでも構いませんが」
眼下で友次がタオルを差し出す。人機の手をルイは蹴ってそのタオルを引っ手繰った。さつきはおっかなびっくりにその手からようやく降りる。
「しかし、八将陣との戦闘を経たとは言え、お二方の同調率は上がっています。これなら、もっと最前線に送れるかもしれませんね」
友次の評にさつきは素直に頭を下げる。
「ありがとうございます……。あの、お兄ちゃんは……」
「小河原さんならまた橋の下かと思いますが……。用なら言伝ますよ」
「いえっ! 個人的なものなので……」
「さつき。いつまでそいつに関わっているの。早く」
「あっ、待ってくださいよ。ルイさーん」
柊神社の軒先でルイは憮然と座る。人機搭乗後はいつの間にかお茶を用意してくつろぐようになったのが自分達二人の習慣であった。
元々、完全な二機による連携を確約された機体。二人一緒の時間を過ごすほうがいいだろうというのが、責任者である南の見立てでもある。
「あっ、二人ともー。こっちにお茶とお団子あるわよ」
ルイが早速団子を頬張る。さつきはお茶の用意にかかろうとして、五郎がすっと差し出してくれたのを目にしていた。
「さつきさんも疲れたでしょう? お二人と南さんはゆっくり休憩なさってください」
「でも、私……夕飯の準備もしないと」
「赤緒さんに頼んでおきましたよ」
五郎はやはり上手だ。旅館である程度のもてなしや、配慮はできるようになったつもりであったが、年上で自分よりも経験のある人間は違う。
「……赤緒さんに悪いことしちゃったかも……」
「なに、ぼうっとしているのよ。お茶を飲んで、それでまったりするのも仕事でしょ」
ルイの論調にさつきはたじろいでしまう。二人一緒の時間を、と南からも言い渡されているので、従うしかない。
「あの……その、ルイさん……。人機の操縦、お上手なんですね」
「私は南米で南とずっと戦っていたから。それでも《ナナツーマイルド》は軽量過ぎてちょっと乗りにくいほどよ」
「そうなんですか? ……私は《ナナツーライト》、好きです。怖くないし、ちょっと可愛くって……」
「いいことなんじゃない? 自分の愛機を怖がっていたら世話はないわ」
ずずっとルイが茶をすする。さつきは共通の話題を探ろうとして、ルイが先に口を開いた。
「そういえば、日本にはあるのかしら。クリスマスというものは」
不意に出た言葉にさつきはきょとんとしてしまう。
「えっ……クリスマス……ですか? ありますよ。でも、何でそんな……」
「南米式と日本式は違うの?」
以前、ルイに南米式の交友の深め方でからかわれたばかりである。今回ばかりは自分が優位を取らねば、とさつきは知っている限りのクリスマスの知識を総動員する。
「サンタさんがクリスマスプレゼントをくれるんですよね。私は……いつも手芸の道具を頼んでいました。旅館の皆さんも……よくしてくださって」
思い出すと微笑みが漏れてくる。その様子にルイは小首を傾げた。
「……何でサンタさんと旅館が関係あるの?」
「えっ……だってもらってばっかりじゃ、悪いじゃないですか」
「サンタさんに悪いなんて気にする必要ないじゃない。だって勝手にやってきて、勝手にプレゼントくれるんだもの」
お互いに顔を見合わせる。何か行き違いがあるようであった。
「……失礼ですけれど、ルイさん。サンタさんを……まさか信じているんですか?」
「……分かんないこと言うのね。サンタさんがいるのは一般常識でしょ? 極東の島国には来ないのかしら?」
ルイの認識にさつきは硬直する。まさか、人一倍現実を見ていると思っていたルイがサンタを信じているなど思いも寄らない。
「えっと、その……あ、ああ! 日本にもサンタさんは来ますよ! き、来ます……」
尻すぼみになってしまったのは、やはりその瞳に隠し切るのは限度があると感じたからか。
「なーに、話してるの? ルイ」
南がせんべいの詰め合わせを持って軒先にやってくる。ルイは別に、とぷいと視線を逸らした。
「反抗期ねぇ……。ん? どうしたの、さつきちゃん」
さつきは南の肩を掴み、問い質していた。
「あの……ルイさんってサンタさんのことを……」
「ああ、信じているわよ。純粋な子供っていいわよねー」
ぽりぽりとせんべいを頬張る南に、さつきは指折り数えていた。
「えっ……でももう確か……ルイさんも十四ですよね? さすがに分かっているんじゃ……」
その問いかけに南はにんまりと笑っていた。さつきの肩を掴んで引き寄せる。
「ま、色々あったのよ。ついでだから聞いていく? 南米でのサンタ事情」
ウインクする南にさつきは頷いていた。
「さぁーて。今年もこの時期が来たわけだが……」
親方が渋面をつき合わせる。整備班の男衆達が汗臭い作業着のまま、角の会議室に押し込まれていた。
暗幕が下りた部屋に充満する酸っぱい臭いに南は辟易しつつも、議題を進める。
壁の一角に投影されたのは今年十歳になる愛娘であり――ヘブンズのもう一人の構成員、黄坂ルイ。
振り返ったところを撮影した面持ちにはやはりと言うべきか、日毎に増す麗しいかんばせが窺える。
「ルイちゃんも今年で十歳か。ならばより……ことは慎重に進めなければならないだろう」
「そうだな。何よりもこのアンヘルの秩序のため……今次作戦だけは失敗は許されんのだ。毎年多くのリスクと戦いながら、この作戦は無事遂行されてきたのだから」
重々しく降り立った声音を打ち破ったのは遅れてきた両兵と現太であった。
「うわっ! てめぇら何やってんだ……。男共がこんな汗臭い部屋で深刻そうな顔しやがって、気持ち悪ぃ……」
「来たか、両兵。お前も今年で十五だったか」
「あン? 何だよ、人の歳を急に気にしやがって。なんかくれんのか?」
「お前も今年から加わってもらうぞ。我々の組織に……な」
「そうだとも。両兵だけ知らないのはずるいからね……」
川本が眼鏡を反射させる。平時とはまるで異なるその読めない面持ちに、両兵は唾を飲み下した。
「……ヤバそうなのは理解出来たぜ。で? 誰を殺る話し合いだ、こりゃ」
その問いかけに南が声を張り上げる。
「急に危ない話しないでよ! そんな物騒なこと言うわけないでしょうが!」
「そうだよ! 両兵、僕らのことを誤解してる!」
「いや……お前ら全員、すげぇ緊張感の顔してるからよ。てっきり、そういう話だと思い込んじまった……」
現太が笑いながら議題の中心を口にする。
「そうか。もうすぐクリスマスだったね」
「クリスマスだぁ?」
素っ頓狂な声を上げた両兵に、南が首肯する。
「さすがは現太さん! 話が分かる! 両、あんたサンタさんは信じて……ないわよね。その顔だと」
「当たり前だろうが。いつまでもガキ扱いすんな」
「しかし、このアンヘルには夢を守らなければいけない子供がいる……。分かるな?」
「……ンだよ。親方まで真剣な顔で何言ってるんだ? モリビトどうにかしてくれるわけじゃなさそうだが」
「ルイちゃんへのプレゼント、か。そういえば私も考えていなかったな」
両兵は現太の言葉にうろたえてしまう。
「プレゼント? ンなもん、適当でいいだろうが。そこいらで買った土産物でも枕元に置いとけ」
「そうはいかないのよ! 両! あんたみたいな粗忽者はいいかもしれないけれどね、ルイは女の子なの! 夢があるのよ、夢が」
「誰が粗忽者だ! ガキの夢なんて引きずったっていい思いなんてしねぇだろ。マセガキももう十歳だったか? 十一? どっちでもいいや。そろそろサンタなんていないって分かる頃合だろ」
「分かっていないな、両兵。僕らはルイちゃんの夢を守るために、どれほどの苦労をこの時期に注いできたのかを。毎年、そう、毎年だ。サンタ衣装はバッチリに用意して、そして彼女の好みを先んじて調査。古代人機が来ようが槍が降ろうが、僕らは遂行しなければならない。アンヘル子供の夢守り隊の僕達はね」
「アンヘル子供の夢守り隊……? てめぇら、まさか毎年こんな馬鹿げたことやっていたのか?」
全員が重く首肯する。両兵は舌打ちを漏らして足を机に乗せた。
「おいおい、そんなことでオレらを呼んだのかよ。古代人機だってヤバイって時期なのに、マセガキ一人の夢のために、何やれって言うんだ?」
「両兵、お前に頼むことはたった一つだ」
親方を含め、整備班全員が立ち上がる。その様相があまりに常とは離れた殺気を醸し出していたため、両兵は後ずさっていた。
「な、何だ? 何、急に……」
「――サンタになってもらうぞ。両兵」
その言葉と共に、アンヘルの男衆が一斉に飛びかかっていた。
まさかそんな裏事情があったとは露知らず、さつきは閉口する。南が面白がってその時のことを思い返していた。
「そうそう! 両もいつまでも子供じゃないんだから、参加してもらわないと、ってことで、その年のサンタに抜擢されたのよ」
「……それで、ルイさんはサンタを信じて?」
南は、でも、と渋い顔をする。
「そう、一筋縄じゃいかなかったのよ。……あいつがもうちょい、乙女心を分かっていたらねー」
半数以上を殴り倒し、半数以上に揉まれてから、両兵は赤いサンタ衣装を着させられていた。
「犠牲は覚悟の上さ……。だが、両兵。サンタはやってもらうよ……」
川本の必死の声に両兵はサンタ服を無理やり脱ごうとする。
「無理よ。一度着たら嫌でもやってもらうんだから。はい、これ」
メモが差し出され両兵は疑問符を挟む。
「……何だこれ」
「ルイが好きそうなものを既に調査しておいたわ。あんたはそれを買って、クリスマスのその夜! サンタになるのよ!」
ずびし、と指差され両兵はうろたえる。
「ジョーダンじゃねぇ! ンな男になるみたいな言い草でこんな役頼まれて堪るかよ!」
「まぁまぁ。両兵、何もお前だって無関係じゃないんだ」
取り成す現太に両兵は胡乱そうな目を向ける。
「何がだよ。サンタなんて、オレには無関係――」
「子供の頃、一応はクリスマスプレゼントをもらっていただろう? あれは誰が、どうやって自分の欲しいものを知っていたのか、気になったことはないか?」
「……そういや、ちょうどピンポイントに好きなものが手に入った記憶があるな。特にアンヘルに来てからは、実用品ばっかりで……って、まさか!」
整備班の男衆と南が邪悪に微笑む。
「それをやったのは、誰なのか。分からないとは言わせないわよ?」
なんてことだ。既にこのサンタ会には自分も足を浸けていたことになるのか。両兵はげんなりとした表情でサンタ帽を被り直した。
「ああ……クソッ。わぁったよ! やりゃ、いいんだろ? ガキの枕元にプレゼント置くだけだ。やってやる!」
「その答えを待っていたわよ。でも、ルイの枕元に辿り着くのは、そう容易いかしらねぇ……」
試すような笑みを浮かべる南に両兵はげっと声を詰まらせる。
「……何かあるのか?」
「密林育ち舐めないで、って話よ」
ふふふ、と南は意味深に笑うのだった。
「……それで、お兄ちゃ……小河原さんはサンタをこなせたんですか?」
「うーん、それがねー。まぁプレゼントは買えたのよ。で、その当日。私はルイに、今年もサンタさんが来たらいいわよねー、って、お膳立ては整えたわ。でもねぇ……」
緑茶をすすった南はどこか得心がいかない様子であった。今の話を聞く限り、アンヘルのサンタ事情は相当込み入っている様子だ。
「……何か失敗でも?」
「うーん……、その年のサンタ以外、本当のところは分からないわ。そういう風に出来ている行事だったのよ。でも……あの年からかしらね。何だか、ルイ、前までよりもサンタが来るのを、楽しみにしているみたいになったのは」
「サンタが来るのを、楽しみに……?」
軒先のルイを目線で窺う。彼女は団子を頬張りながら鼻歌を口ずさんでいた。
「あれは……夜。寝静まってからだったわ」
両兵は宿舎に泊まるのだと聞いていたルイの部屋の前まで到達していた。
とは言っても、馬鹿正直にドアから入るわけではない。それは「夢を壊す」と注意されていた。
「アンヘルのサンタ鉄則、その一」を両兵は実行する。
まずは布に包んだ石で窓を叩き、鍵の部分のみを音もなく壊した。
「……なーにが、サンタの鉄則だよ。ドロボーの技術じゃねぇか」
整備班は人機という最重要機密を預かる手前、宿舎の死角は完全に掌握している。どの場所から行けばどの部屋に忍び込めるのか、彼らは理解しているのだ。
「おー、怖ぇ。女の部屋になんて容易に忍び込めねぇな、こりゃ」
足音を殺し、両兵は寝息を立てているルイを視認する。目標までの距離は三メートル以内。これならば、と急く気持ちが先行した。
「……さっさとずらかるか。このガキも妙に勘が鋭いからな。黄坂の娘だってことはあるぜ」
プレゼントを枕元の赤い長靴下に入れた、その瞬間であった。
不意に手を靴下の中にいた生物に齧られる。
両兵は声にならない叫びを上げ、後ろによろめいた途端、発動した罠が両兵の足をワイヤーで括り上げ、そのまま逆さ吊りに仕立て上げた。
次いで鳴ったアラームがルイへと目覚めを誘発させる。
「……まさか、ブービートラップを心得ているガキなんて誰が想像できるよ……」
しかし、参った、と両兵はぶらんと吊られた身体を見やる。的確に足首を狙ったワイヤーはそう簡単に切れる代物ではない。
靴下の中に潜んでいたアルマジロがルイを起こそうとした。それを両兵が、しーっと制する。
「バカ! そいつを起こしてどうするんだよ!」
しかし、ルイは欠伸を噛み殺しながらぱちりと目を醒ましていた。
「……サンタさん?」
うっ、と両兵は息を呑んだ。このままでは自分のせいで、と糾弾されるのは目に見えている。
恐らくはこの十年間、続いてきたであろう行事。自分の失態でお取り潰しになれば後々禍根が残るに違いない。
「……や、やぁ、ルイちゃん……。サンタさんだよー……って」
自分でもこの状況で出たとは思えない猫なで声と引きつった笑みであった。ルイはまだ眠いのか、目を擦って確認する。
「生け捕りトラップ……今年はかかったんだ。サンタさん……教えて欲しいことがあるの」
「な、何かなー。出来れは、トラップを解除してもらえると嬉しいんだけれど……」
「……私の、本当の親のこと。サンタさんなら、分かるはずよね」
その言葉に両兵はハッとした。これはいつもの澄ました顔の「黄坂ルイ」としての問いかけではなく、純粋に「まだ十歳の子供としての疑問」だろう。
「……ンなもん、知ってどうするんだ? 今の親の……黄坂のこと、信じられねぇのか?」
「信じてる。もちろん、南のことは、誰よりも……。でも、時々怖くなるの、サンタさん。南だって、本当の親じゃない。いつか、私を……置いてっちゃうんじゃないかって……。どこか遠くに行っちゃいそうで……怖いの」
誰にも本音を打ち明けない、少女の悩みであろう。ルイはそうでなくともアンヘルメンバーとの繋がりが薄い。どこか本音でぶつかり合えていない部分を感じ取っているに違いなかった。
「……分かんねぇよ。オレだって、気がついたら親父しかいなかったからな。でも、それでもよ、てめぇの親のことを信じるのに、理由ってたくさん必要なのか?」
「……だって、本当の親子じゃない」
「みんな同じさ。本当の親子だとか、理想の親子だとか、そういう幻想って吐いて捨てるほどある。オレは……親父が何か、隠して生きていることも分かっている。それでもよ! 信じるのが、絆ってもんじゃねぇのか? うまくは言える気はしないけれどよ、信じてやった分だけ、黄坂だって笑える。お前も、その笑顔が恋しいから、一緒にいるんじゃねぇのかよ」
もうサンタとしての身分などどうでもいい。目の前の崩れ落ちそうなルイを、放っておけなかっただけの、男の言い草だ。
ルイはその答えに目を見開いている。自分がどう映っているのかは分からない。それでも、その眼差しから逃げなかった。
「……サンタさんも、そんな風に言ってくれるんだ。叱ってくれる人なのね……」
ルイは顔を伏せたまま、ワイヤートラップの大元を解除する。頭からずり落ちた両兵は慌てて調子を取り戻した。
だが、もうサンタを取り繕うのも馬鹿馬鹿しい。両兵はただの「小河原両兵」として返答する。
「メリークリスマス! じゃあな! また来年会おうぜ!」
そのまま窓から飛び降りた。足に電撃のような激痛が走ったが構うものかと走り去る。
どれほど無様に見えたかは分からないが、それでも目的は達成したつもりだった。
「……連中には言えねぇな。ま、プレゼント置けたから、いいだろ」
「両のヤツ、分かりやすいんだから。何かあったには違いないんだけれどねー。でも、その年からかな。あの子、サンタだけは疑わなくなったの。他の何もかもには疑り深いのに、サンタだけは正直なのよね。どうしてなのか、私にも分からないんだけれど」
てへ、と南は舌を出す。さつきは話を聞いていて、どこか自分の境遇とも符合すると感じていた。
きっと両兵が何かを変えたのだ。自分と同じように、ルイに抗う力を与えたのかもしれない。
さつきがルイを窺うと、ちょうど目線がかち合った。
「……何、コソコソ話しているの。南もさつきも、日向ぼっこにはちょうどいい暖かさよ」「そうねー。日本も悪くない!」
伸びをした南に、さつきはルイへと視線を流す。真っ直ぐな瞳、麗しの相貌へと、声を投げていた。
「ルイさんっ。サンタさん、今年も来るといいですね」
「……何を馬鹿なことを言っているの? サンタさんは毎年来るに決まっているじゃない。……約束、したんだから」
「ルイさん?」
最後の言葉が聞き取れず、さつきが聞き返すと、ルイは立ち上がっていた。
「行きましょう、さつき。サンタさんにいいところ、見せるんだから」
歩み始めたルイにさつきは慌てて駆け寄り、その肩を並べる。
――いつかその真実が分かっても、そのような話を笑って語れるような、そんな仲になれたら……。
今はまだ描くしかない理想も、いずれは現実になる。してみせる。そう、さつきは二機のナナツータイプへと誓うのだった。