JINKI 12 災厄の華

 どこかその姿形に、他の何者かを幻視せずにはいられなかったが、カリスはその像を振り切っていた。

「何者だ、テメェ……」

「何者だ、とはご挨拶だな。カリス・ノウマン。お前たち八将陣を、今日より統率すると、そう言ったのだ。聞こえなかったか? それとも、耳までは強化が回っていないのか?」

 鎌を突きつける。黒の女は笑みさえも浮かべていた。その余裕が余計に苛立ちを募らせる。

「ナマ言ってンのはテメェのほうだろうが、女。ヤられてぇのか」

 剥き出しの殺意に女は雅にさえも映る笑みを浮かべたまま言い放つ。

「カリス・ノウマン。キョムの誇る技術の粋を集めた強化人間。データは頭に入っている。搭乗する人機は《バーゴイルシザー》。近接空中格闘戦特化型人機か」

 そこまで網羅されていてカリスは息を呑んでいた。自分のデータを細部に至るまで知る人間は組織でも数少ない。

「……マジに何者だ? テメェ」

「私の名前はシバ。黒将より賜った言葉を実行する、八将陣の頭目だ。そしてこうも言ってやろう。黒将を継ぐ者、とも」

 カリスの鎌がシバの首を刈らんと奔る。それをシバは身をかわし様、抜刀していた。刀と鎌がぶつかり合い、火花を散らせる。

「いきなり現れて頭目だァ? 湧いてるのか、テメェ。オレたちは誰にも縛られねぇ! そんなことも分からずにノコノコやってきやがって! マジにムカつくぜ、女ァ!」

 振るい落とした一撃をシバはしかし、軽くステップを踏んだのみで受け止めてみせる。カリスは覚えず瞠目した。

 純粋に強化された自分の膂力を女の力で凌駕できるはずがないというのに。

「テメェ……」

「ケダモノだな。弾けろ」

 シバが掌に仕込んでいたアルファーに淡い輝きを宿らせる。直後には自分の身体が吹き飛んでいた。

 地面を無様に転がったカリスへとハマドが声を投げる。

「カリス! おのれ、よくも……!」

 手刀に殺意を滾らせたハマドへと神速の居合いが肉迫していた。その首筋へと刀身が添えられている。

 唾を飲み下したハマドは、シバに囁きかけられていた。

「ここで死ぬか? 八将陣が二人、消えるのも止むなしとするのならば」

 絶句したハマドへと、怒声がかけられていた。

「やめろ! ハマド、それにカリスもな。ここで潰し合ったところで利はない」

 バルクスの言葉にハマドはようやく緊張を解く。シバがその刀を鞘に収めていた。

「話の分かる人間もいたようだ。バルクス・ウォーゲイル、だったか。中東の戦地で黒将によって見出された武人。その志、生半可なものではないと聞く」

「光栄と、言うべきなのか。いや、それよりも貴様、先の言葉は事実か」

「黒将を継ぐ者、と名乗ったが、何か問題でも?」

 小首を傾げたシバにバルクスが声を張り上げる。

「貴様……我ら八将陣の誇りを侮辱するか。あの方の名を! 軽々しく口にするな!」

「……驚いた。信奉者なのだな。貴様は」

「それに関しちゃ、私も同感」

 テーブルの上でヤオと将棋を打っているのは赤い服に身を包んだジュリであった。

 パチン、と駒が鳴る。

「いきなり現れてどういう了見? 黒将の名前なんて軽々しく名乗れるわけがないってのは、キョムに所属するのなら共通認識だと思ったけれど?」

「なに、面白い逸材はどのような時代でも居るものよ」

 この場で最も落ち着き払っているヤオへとジュリが疑う眼差しを注ぐ。

「あんた……黒将に一番近いんじゃなかったっけ? あんなの許せるの?」

「許す、許さないではなかろうて。ほれ、王手じゃ」

「あっ、ずるい!」

 この場で殺意に駆られていない二人を他所に、バルクスはシバへと歩み寄っていた。

 シバはその巨体に全く臆する様子もない。丸太のような腕から放たれる力など、彼女はまるで意に介していないようであった。

「……頭目を名乗りたければ我々に納得させてみせよ」

「納得だァ? おい、バルクスのオッサン! 何言ってんだ! 犯して、殺しちまおうぜ。こんなクソアマ……」

「クソアマ、か。貴様らしい言葉だな、カリス。最底辺を彷徨うしかできない、ただの力の奴隷が」

 その言葉はカリスの怒りを一定以上にさせるのには充分であった。立ち上がったカリスは鎌を握り締める。

「……テメェ。取り消せよ、その減らず口」

「取り消させたければ私に勝つことだ。分かりやすくしてやろう。貴様ら、何人でチームを組んでも構わんぞ? 私を屈服させられれば、この身体をお前らの好きにしていい」

 カリスはシバの肢体を凝視する。豊かな双丘に、柔く赤い唇。その余裕の笑みが屈辱と恥辱に塗れ、白濁に穢れる瞬間を想起しただけで達しそうになる。

 覚えず笑みが漏れていた。これを好きにできるのならば、相手の意見の一つくらいは呑んでもいいと思える上玉だ。

「……ンなら、オレたちは組ませてもらうぜ。なぁ、ハマド」

「ええ。その顔が恐怖に染まるのを、是非、見てみたいのですよ。私もね」

 ハマドが下卑た笑みを隠そうともしない。バルクスはジュリとヤオへと視線を送っていた。

「そちらの二人は」

「私はパス。気に入らないのは確かだけれど、寄ってたかってってのは好きじゃないし」

「ワシもでは、やめさせてもらおうかの。三人で戦えばよく分かるじゃろうて」

 その言葉振りにカリスはケッと毒づく。

「ヤオの化け物ジジィとジュリのババァはそれでいいだろうさ。だがな、オレらは納得させるのは難しいぜ? 人機でヤり合うのなら特にな」

「よかろう。三人同時に来い。下で待っている」

 シバはそう言い置いて八将陣の集う場所から立ち去った。その横暴な振る舞いに、カリスは苛立ちを近くのオブジェに向ける。

 払った蹴りの一撃で合金の像が砕け散った。

「八つ当たりしないでよ。ガキねぇ」

「うっせぇぞ、ジュリ。腰抜けが、八将陣をコケにされて悔しくねぇのか」

「まぁ、八人揃っていないけれどねー」

「……マージャの野郎はどこ行った?」

「彼はどうせまた別働部隊でしょう。権限持ちですからね」

「黒将直々、か。……気に入らねぇな。あの他人をコケにしたみたいな人形ッ面もよ」

「後にしろ、カリス。《O・ジャオーガ》で出る。貴様は《バーゴイルシザー》で準備しておけ」

 歩み出たバルクスにカリスは声を振っていた。

「……しかし、あんたが熱くなるとは思わなかったぜ。ジュリはまだ予想していたが、あんたは一番、八将陣の中じゃマトモだと思ってたんだがな」

「……なに、案外、私も大人げないというだけの話だ。昨日今日で八将陣を分かった風になられたのでは堪ったものではない」

 庭園から消えたバルクスにカリスは皮肉の言葉を口にしていた。

「……そいつはまぁ、人情があるこって」

 シャンデリアには上下逆さ吊りの街が広がっている。コロニーだ、と研究者には言われていたがよく分かったためしはない。

 古風な街並みが広がるシャンデリアの一角に今、オートタービンを携えた重量級の人機が立ち現れていた。

 その名を《O・ジャオーガ》。八将陣の要となることを許された機体。

 空中展開するのは無数の《バーゴイル》を従えたカリスであった。

《バーゴイルシザー》のコックピットの中で彼は自動操縦の《バーゴイル》編隊を操る。

「気に食わねぇとは言ったが、まさか《バーゴイル》部隊を出すことまで許すとはな。あのバルクスのオッサンも酔狂なところがあるぜ」

『カリス。こちらは準備が整いました』

 ハマドは《K・マ》で森林地帯に潜んでいる。まずは初手で自分を含む《バーゴイル》部隊が敵を誘い込み、《O・ジャオーガ》の必殺技「地竜陣」で足場を崩す。そこに飛び散った砂礫を散弾として《K・マ》が射出、反射。最終的に相手を潰し切る計算となっていた。

 どのような人機で来るとしても、この構えだけは崩せないはず。そう確信したカリスは敵人機が腕を組んで仁王立ちしているのを目にする。

 漆黒の装甲に、黄色の眼窩。武装のほとんどをあえて廃したシンプルなシルエットに、カリスは息を呑む。

「……《ブラックロンド》だと……」

『どうした? まさか《ブラックロンド》程度も、御せないとでも言うのか?』

 それは最も自分たちを侮辱する代物であった。八将陣ならばある程度の人機の性能知識はある。

 その中でも《ブラックロンド》など……。

「……《ブラックロンド》には特殊武装なんてねぇ。あんなもん、何もついてねぇのと同じだ。テメェ……八将陣を嘗め尽くすのが、どうやら似合っているらしいな!」

 カリスが手を払う。それと同期して《バーゴイルシザー》が命じていた。

 磁石のように一斉に、《バーゴイル》の群れよりプレッシャーの銃撃が《ブラックロンド》へと殺到する。

 その勢いに通常の人機に搭乗していても身が竦むはずだ。ましてや《ブラックロンド》など、下策中の下策のはず。

 だからなのか、《ブラックロンド》が次の瞬間、掻き消えたのを誰も意識できなかった。

《ブラックロンド》の像が瞬時に空間を飛び越え、《バーゴイルシザー》の眼前へと立ち塞がる。

「何だ、まさか、ファントム――」

『――遅い』

 断じられた声と共に刀が閃き、《バーゴイルシザー》の頭部と血塊炉を粉砕していた。生き別れになった形の《バーゴイルシザー》が地面へと墜落する。

『まずは一機』

 その声音に背筋が震えたのは習い性の戦闘経験値か。あるいは、生物としての根源か。

《K・マ》を操るハマドは待機を命じられていたにも関わらず、森林より飛び出していた。空中に位置する敵影へと彼は照準する。

「よくもカリスを……。慄きなさい! リバウンド……」

《K・マ》が地面の土を引っ掴み、リバウンドの盾の前で払った。直後、反重力の性能を帯びた無数の散弾が空域を掻っ切る。

「フォール!」

『ほう。リバウンドフォールによる散弾攻撃か。着眼点は確かに面白い。……が』

《ブラックロンド》が機体を軋ませ、空中を駆け抜ける。その速度、性能共に既存の人機とは一線を画していた。

「まさか! リバウンドの散弾を避ける?」

『……直線的だ。あまりにも、な。防御にも主眼を置け。そうでなければこうして――読み負ける』

《K・マ》が首筋にかけられた刃を認識したその時には、立方体で構築された装甲が砕かれていた。

《ブラックロンド》が爆風を背面に帯びて面を上げる。一瞬にして八将陣のうち、二人がやられたのだ。

 それを看過するほどの神経でもないのだろう。

 オートタービンの鋭い一撃が頭部のあった空間を打ち抜いていた。

《O・ジャオーガ》の奇襲を、《ブラックロンド》はまるで想定内とでも言うように後退する。

「……貴様。何者なのだ。如何に二人がまだ操主としては未熟とは言え、勝てるようにはできていないはず」

『さぁ? 言わせてみればいい。私に、参りました、とでも』

「……バルクス・ウォーゲイル。《O・ジャオーガ》。討つぞ!」

《O・ジャオーガ》が地面を蹴りつけ、一瞬にして《ブラックロンド》へと肉迫する。その加速度は通常の人機のそれを遥かに凌駕していた。

『ファントムか。だが、その程度の速度で!』

《O・ジャオーガ》が加速からの一撃を確約していた一振りを、《ブラックロンド》は刀で受ける。そのまま、勢いを受け流し、刃がオートタービンの表層を抜けた。

 破、と声にしてバルクスは《O・ジャオーガ》を急速後退させる。頭部装甲板、薄皮を敵の刃が裂いていた。

「……貴様は」

『嘗めないほうがいい。お互いに、な』

《ブラックロンド》の片腕が直後、根元から打ち砕かれていた。《O・ジャオーガ》が武装より走らせた地脈を駆け抜ける一撃が機体を伝い、脆い部分を分解させたのである。

「その力、黒将の。ならば先ほどの言葉は……」

『読み切る前に。……舌を噛む! 行くぞ、ファントム!』

《ブラックロンド》が掻き消える。その直後に《O・ジャオーガ》も身を沈ませていた。

「……ファントム」

 互いに不可視の領域で剣閃を打ち込む。火花が空間を繋ぎ、《O・ジャオーガ》の巨躯と《ブラックロンド》の痩躯がそれぞれ跳躍して現れていた。

《ブラックロンド》が片腕を失いながらも刃を軋らせる。《O・ジャオーガ》が応戦の武装を弾けさせ、オートタービンが最高潮の昂りを見せた。

 その刹那、である。

『はい。そこまで、ね』

 赤い痩身の機体が《ブラックロンド》と《O・ジャオーガ》の攻撃を制していた。

「……ジュリの《CO・シャパール》か。何故阻む」

『分かっているでしょう。これ以上やったらどっちかは死ぬって。まぁ、どっちかは言わないけれど。そうよね? シバ』

《ブラックロンド》が刃を繰り、鞘へと収める。片腕を失っていてもその佇まいにはいささかの衰えもない。

『どちらかは、問い質すまでもないだろう』

『そうね。それに、ここまでやってのけたんだし。実力くらいは認めれば? バルちゃん』

 バルクスは《O・ジャオーガ》のステータスを見やる。機体が注意色に塗り固められていた。これ以上の戦いはどちらに利もない。

「……黒将を継ぐ者、というのは認めがたい。しかし、その実力は本物だと、言わせてもらおう」

『お褒めに預かり、光栄と言うべきなのかな。それとも……弱過ぎて話にならないとでも?』

「諫言痛み入る。二人は……鍛え直す必要があるだろうな」

 破壊された《K・マ》と《バーゴイルシザー》をちらりと盗み見る。二人とも生きているようであった。

『それも任せてもらいたい。私は八将陣の、リーダーなのだから』

 コックピットを開け、シバが歩み出る。Rスーツに身を包んだその少女の姿から先ほどまでの苛烈なる戦闘を想起するのは難しかったが、それでも理解できるのは一つ。

「嘗めてかかっていたのはお互い様、か。よかろう。しかし、これだけは問いたい。――貴様、何を望む?」

「何を? バルクス、つまらないことを聞くな。全て、だ」

 シバは手を掲げ、拳を握り締めてみせる。

「全ては、キョムの理想世界のため。……黒将の夢見た暗黒世界を実現するためにある」

 その解答にバルクスはフッと笑みを浮かべていた。

 あまりにも理想的――否、思惑以上の言葉振りに。

「いいだろう。この命、貴様に預けるとしよう」

 武人たる自分はそれ以上の言葉を持たない。シバは静かに言いやっていた。

「武士の命だ。重く受けよう。……他の者もな。貴様ら八将陣はこれより、このシバの傘下となる。私が一であり、そして全だ。それを忘れるな」

 それが、シバの支配の始まり。そして、一と全を繋ぐ黒将の器が、動き出した証明でもあった。

 紫色の瞳孔が射る光を灯す。その眼光に黒将の赤い瞳を想起していたのは、この場にいた誰もが皆であったであろう。

 ――今、駒は揃い踏み、そして物語はエクステンドへと紡がれる。

 災厄の黒い絶華を、その頂に抱いて。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です