レイカル 3 「レイカルのひな祭り」

 うららかな陽射しの差し込む午後の商店街に、ベイルハルコンやダウンオリハルコンが現れればただでは済まないだろう。今すぐにアーマーハウルを指示するべきか、作木は決断を迫られていた。

「この視線、そしてこの凍てつくようなハウルの感覚は……。そこかっ!」

 デザインナイフを手にレイカルが飛び出す。まさか、そこまで敵の接近を許していたのか、と作木は慌ててハウルを練ろうとしてレイカルの飛びかかった先にあったガラスケースに面食らった。

 レイカルにはガラスケースは見えていないのか、額をぶつけて悔しそうに呻る。

「何だこいつ! じっと見てないで戦え! 卑怯だぞ!」

 レイカルがデザインナイフの刃をケースに突き立てようとするのを作木はその首根っこを掴んで制していた。

 未だに臨戦状態にあるレイカルへと落ち着くように声をかける。

「敵じゃないよ、レイカル。あれは、雛人形って言うんだ」

 そう、視線の先にあったのはこの季節にはどの家にだってある雛壇であった。

 見渡せば、そこいらには簡素なものや、立派なものも含めれば相当数の雛人形が存在する。レイカルはそれらの視線を関知したのだろう。

 きょとんとしたレイカルに作木は言いやる。

「ひなにんぎょう……、何ですか? それは。こんな冷たいハウルの持ち主……ただの敵じゃないな!」

 そうか。レイカルには雛人形のような年中行事はあまり縁のない代物だろう。

 作木は説明する前に、とレイカルからデザインナイフを取り払う。

「ひとまず、これは没収」

「あーっ! 私の武器が……」

 項垂れるレイカルに作木はあはは、と微笑ましく笑った。

「だから、敵じゃないんだってば……。雛人形って言うのは――」

「雛祭り……まぁ桃の節句とも呼ぶのう。それはこの日本に根付いた文化じゃ。江戸時代にはその原型はあったなど、まぁ諸説はあるが……」

 その時、テレビに映った雛人形にレイカルが犬のように威嚇する。

「あーっ! ヒヒイロ! 危ないぞ! あいつら、冷たいハウルを放つんだ!」

 その額へとヒヒイロが手で小突く。

「テレビの雛人形にまで敵意を向けるでない。やれやれ……こやつにはそこいらの人形とは少し違うように見えておる様子ですな。作木殿」

 面目ない、と作木は謝罪する。

「どうにも……僕じゃ説得できなくって。ヒヒイロに説得してもらうのが一番かなぁ、って思ってさ」

「人形に関わる行事は日本には多いですからね。その度にこれでは話になりません」

「なにっ! まだあるのか? こんな冷たいハウルの奴らが町中に出てくるのが……?」

「じゃから、お主の感じておる冷たいハウルとやらは人形特有の視線じゃとて」

「居るわよぉ。まだまだ。日本に来て一番にびっくりしたのは、そういうのと人間が折り合いをつけているところだもの」

 余裕しゃくしゃくのラクレスにレイカルは糾弾していた。

「お前だって、ビビッてたんだろ!」

「まさか。こんなものにびくついているなんて、レイカルったらお馬鹿さぁん……」

「わ、私だけじゃないはずだ! そうだ! お前もだろ! カリクム!」

 その言葉に机の端でカリクムが肩を竦める。

「一緒にしないでよ。私は純日本製のオリハルコンだし。こういうのは馴染みもあるのよ。あんたらと違ってね」

「なにぃ……。じゃあ、“ひなにんぎょう”を怖がっているのは……」

「お主だけ、ということになるのう……」

 ヒヒイロの下した結論にレイカルが目を潤ませた。

「創主様ぁー! あいつら私をのけ者にして、絶対にあの“ひなにんぎょう”ってヤツをどうにかしようとしているんです! そうに違いないんです! だって……あんな冷たいハウルなんて、今まで感じたこともないのにぃー!」

 泣きついたレイカルに作木は苦笑する。ヒヒイロは嘆かわしそうに額に手をやっていた。ラクレスは嘲笑し、カリクムは困惑している。

「……あの、レイカルって何でそんなに雛人形が怖いの? だってホラ、みんな同じようなものじゃないか。フィギュアだし……」

「違いますっ! 私とあれは違いますーっ! あんな冷たいハウルは、絶対に敵なんです!」

 号泣しつつ譲らないレイカルに作木は他の人々に視線を配る。ナナ子がやれやれ、と呆れ果てていた。

「まぁ、女の子からすればあれも一種の敵よねぇ。ね? 小夜」

 振られた小夜は明らかに視線を逸らす。その行動理由に作木は首を傾げた。

「あれ? 小夜さんも雛人形が苦手……?」

 紡ぎかけた言葉に小夜が慌てて弁明を浮かべた。

「いや、苦手とかじゃないのよ? 苦手とかじゃ……。ただ、その……。一人娘の家庭からしてみれば、思うところもあるっていうか……」

「小夜のお父さん、あんたのこと溺愛しているもんね。雛人形は仕舞わないといけないのは、作木君も知っているでしょ?」

「あ……はい。確か、仕舞わないとその女の子は婚期を逃すとか、何だとか……」

 いくら自分の家庭には女っ気がなくとも、それくらいは一般常識だ。何かを言い当てられたのか、小夜がどぎまぎする。

「……まぁ、その迷信? の通り、小夜のお父さんってばいつまでも小夜にはお嫁さんに行って欲しくないわけ。ここまで言えば、分かるでしょ?」

 あっ、と察した作木に今度は小夜が泣きついた。

「だって! いつまでもあの雛壇が一年中あるのよ? 子供心にトラウマだってば! で、理由を聞いたら、“小夜にはいつか素敵な人ができるまでお父さんがきっちり面倒をみてあげるから”だとか父親に抜かされるのよ? そんなの、嫌いになってトーゼン!」

 腕を組んで憮然と言い放った小夜にナナ子が、ね? と目配せする。

「こーんな調子だから、レイカルのことを笑えないのよね? 小夜は」

「だって、そもそも顔がのっぺりしていて怖いじゃない! あんなの無理よ! 無理!」

「お、おーっ、お前と話が合うなんて……。そんな日はこの世が終わってもないと思っていたぞ!」

 感動したレイカルの眼差しに小夜は呆れ返る。

「いや……あんたとは多分、話している次元が違うとは思うんだけれど……。とはいえ! 私たち女にとってのあれは仇敵よ、仇敵!」

「わ、分かってくれたかー! そうだよな! あんな冷たいハウルの人形なんて、ないほうがいいに決まっているよな!」

 妙なところで意見が合致した二人へとヒヒイロが水を差す。

「ちなみに、雛人形は幸せな結婚式の様子を表したともされておるのだが……。それを侮辱すれば、どのような祟りに遭うか……」

 そこで小夜の喜びが硬直する。すぐさま、彼女は先ほどまでの言葉とは正反対の言葉を連ねた。

「……い、いやぁ、やっぱり雛人形は敵に回せないわよ。だって女の子の健やかな成長のためなんだもの!」

「な、何ぃー! お前、せっかく分かり合えたのに……!」

「だって、結婚できないのは嫌なんだもん! それに祟りとか……ホラーはずるいわよ! ヒヒイロ!」

 ずびし、と指差されたヒヒイロはどこ吹く風とでも言うようにそれを聞き流す。

「はて、ホラーなぞ言った覚えはないのですが。レイカル。お主も一応は、女子なのじゃし、そこまで邪険にするものでもないと思うが……」

「ヒヒイロまで……。ああ、終わりだぁ……。この世はあの邪悪な人形に支配されるんだぁ……」

 まるで全てから見離されたかのようなレイカルの沈みように作木は削里へと囁きかける。

「あの……削里さん。こういうのは不躾だとは思うんですが……」

「ん? 何だい? 面白そうだからずっと様子を見ていたが、何か思うところでも?」

「いえ、その……。レイカルも女の子ですし、あまり雛祭りを嫌悪して欲しくないんです……」

 作木の言葉に削里は何やら悟ったのか、訳知り顔で肘打ちする。

「……君も人の親の気持ちになった、ってことかな? それとも、レイカルに何かを嫌いになって欲しくない、のどっちかか。いずれにせよ、俺にしかやれないのなら、任されてもいいよ」

「本当ですか? じゃあ、その……」

「うぅ……朝だ。朝が来てしまった……。また、あの冷たいハウルの人形の待っている商店街を通過しなければいけないのかと思うと……」

 頭から布団を被っていたレイカルが恐怖に身体を震わせる。その背中へと作木は言いやっていた。

「あの、レイカル……。これを見て欲しいんだ」

 ちょんちょん、と指差した方向には布がかけられた代物があった。

「な、何ですか? 創主様。まさか……“ひなにんぎょう”……?」

 青ざめたレイカルに作木は笑いかける。

「いや、レイカルが怖がるものじゃないよ。ホラ」

 布を取り払うと、そこには雛壇に飾られた――アルマジロをモチーフにした雛人形が飾られていた。

 丸っこい瞳にレイカルは惹きつけられたかのように歩み寄る。

「これは……」

「削里さんに無理を言ってね。仏師だったって言うし、もしかしたらって思って。最近じゃ、パンダとかの雛人形もあるから、怖そうにないものを、ってチョイスしたんだ。木造だけれど、気に入ってくれた?」

 木目作りのアルマジロ雛人形にレイカルはぱぁっと表情を輝かせる。

「すごい! すごいです、創主様! こいつらなら怖くありません! むしろ、誇らしいくらいです! 私だけの……ひなにんぎょうなんですね……!」

 感じ入ったようなレイカルの言葉に、そういえば、と作木は思い返した。レイカルに直接、プレゼントを手渡すのはともすればナイトイーグルを含めればまだ二度目か。きっと初めての自分だけの雛人形に心が躍っているに違いない。

 あらゆる角度からアルマジロ雛壇を仔細に見やるレイカルに、作木は携帯を翳していた。

「みんなに自慢しに行くかい?」

 レイカルは逡巡も挟まずに大きく頷く。

「はい! 私だけのひなにんぎょうですからっ!」

 ――自分だけの特別なもの。

 その響きをレイカルはいたく気に入ったらしい。

 どうやら来年からは、レイカルは雛人形を怖がることはなさそうだ、と作木は微笑むのであった。

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