カリスたちが拍子抜けしたのはそれもある。
安穏とした時間が過ぎる都市圏。キョムが人機で攻め立て、アンヘルが対抗していると大っぴらに発表してもこの日和見。正直なところ、逆に不気味なほどだ。
「……南米じゃ、こうもいかなかった」
呟いたカリスにハマドは笑みを吊り上げる。
「ええ。南米ではコーヒーをすすっている間に、人血が流れる。あれはあれで……とても心地よい戦争戯曲でしたね」
感じ入ったようなハマドの声音にカリスは仏頂面でコーヒーを口に含んだ。
そう、戦争。自分たちは世界を相手に戦争を吹っかけたようなものだ。
キョムの人機が支配し、この世を黒に染め上げる。少なくとも黒将の思想通りならばそのはずだ。
南米での戦乱を思い浮かべればこうして都市の一角で甘ったるいコーヒーを飲んでいるのもまた、どこかで遊離している。
カリスはケッと毒づいていた。
「気に食わねぇのはそれもある。南米の都市圏なんざ、何回壊したか数えるのも馬鹿くさいって言うのに、この街は壊し甲斐があり過ぎるってもんだ。こうものうのうと過ごせるものなのか? 人間ってのは棲む土地が違うだけで」
「それは、最早人間の範疇であるのをやめたあなたが言うと、より道化めいている」
ハマドは血を見るのが何よりも好きな先天的な破壊者だ。彼の人生を語る上で鮮血は決して外して語れないだろう。
ハマド自身もそれを誇りにしている節もある。それは自分とて同じ穴のムジナ――。戦闘になれば誰よりも昂揚し、そして血と硝煙に塗れた戦地に意味を見出す人でなし。
八将陣は誰もがそのような集りだと思っていた。思い込んでいた部分が大きい。ゆえにこそ、バルクスの離反は呑めなかった。
「……どうして、バルクスのオッサンがやめるのを、誰も止めなかった」
「それは八将陣が決して仲間意識なんかでは成り立っていないからでは? 我々は互いを利用することはあれど、譲り合うなんて馬鹿馬鹿しいでしょうに」
「それもその通りだが、上に話を通したのはシバだろ? あのアマぁ、どこで何を油売って……」
「――呼んだか?」
不意に喫茶店のガラス越しに現れたシバにカリスは絶句する。見極めたかのように現れたタイミングもそうならば、驚愕したのはその姿であった。
「……何だ、てめぇ。そのカッコ……」
「おかしいか? しかし、木を隠すなら森の中、と言うだろう?」
サングラスを下げてみせたシバは完全にこの日本という国家の――少女に区分される者たちが纏っている服飾を身に纏っていた。
普段の野暮ったいコート姿とは雲泥の差である。
ワインレッドの服飾にタイトスカート。ネクタイを巻いて凛と佇んだその威容にハマドが、ほうと笑みを形作る。
「それは……我々を悦ばせてくれる趣向で?」
「勘違いをするな、ハマド。それにカリス。貴様ら、浮いているぞ? このトーキョーを支配するのならば、それなりの格好に身を包め。敵はどこから来るのか分からない。その恐怖を味わわせるのに、あまりにも……」
ぷくく、と含み笑いを漏らすシバにカリスは立ち上がって抗議していた。
「なに、笑ってんだ! てめぇ!」
「お、お客様? どうなさいましたか?」
「うっせぇぞ! 女ァっ!」
鎌を取り出したカリスに店内が一触即発の空気に包まれる。腰を抜かしたウェイターにカリスは鎌を首筋に突きつけていた。
「ここで、ぶち犯しても――!」
「だからそれが、可笑しいのだと言っているんだ、貴様ら。アンヘルの女共を壊すのは賛成だが、いたずらに我々の活動を露見させてどうする? キョムが陣取っていることを奴らに気取られてはならない。少なくとも、鎌を振り回す奇怪な男が出回っている、などと知られればあの男……小河原両兵が黙っていないだろうな」
その因縁の名前にカリスは渋面を造っていた。何度も辛酸を嘗めさせられた。川本さつきを捕らえようとした時などは腹を掻っ捌いたはずなのに生きていた、こちらの道理の通用しない相手だ。
「……白けた。野郎の名前なんて出すんじゃねぇ。釣りは要らねぇ。ただし、ここでの騒ぎを他言したら、てめぇら全員をぶち殺す」
凄味を利かせた声音と眼差しに誰もが知らぬ存ぜぬを決め込んだ。こういうところも南米と違って癪に障る。
究極の個人主義のくせに、いざとなれば妙に立ち回るのが自分たちにとっては羽虫の抵抗のようで苛立つのだ。
鎌を担いで出たカリスをシバが手招いた。
「来い。見合った服装というものがある。それを教えてやろう」
「見合ったも何も我々は世界を相手取った組織ですよ。そんな浮かれたような芝居をして何になるというのです?」
ハマドの抗弁にシバは指を振っていた。
「分かっていないな、ハマド。だから仕損じた。それだけに留まらない。貴様らは人機を失った。《バーゴイルシザー》に、《K・マ》。決して安い代償ではないぞ」
それを突きつけられれば二人とも黙るしかない。人機を失った自分たちは、以前までの苛烈なる八将陣の掟ならば排除されても不思議ではないのだ。
それが緩和されたのはバルクスの離反があったからこそ。
八将陣で最も武人であり、なおかつ己の力への求心力の強かったバルクスの離脱は、八将陣そのものの個人主義の徹底を招いていた。
黒将直属の幹部、マージャなどがその顕著なもの。独自権限を持つあの道化師は《ダークシュナイガー》なる専用機を操り、アンヘルの一角である《シュナイガートウジャ》と相打ってみせた。
功績はともかくとして真っ当に戦った、という点で言えば自分たちよりも上であろう。
また、ヤオの行動が完全に自分たちは把握できていない。元々、妖怪のようにのらりくらりと立ち回る老人であったが、それでも意図が全く掴めないのは混迷を招く。
「八将陣、と言っても一枚岩ではない。それをあなたは、気に食わない、と言うのですか?」
「無論だ。八将陣を統率する者としては、それなりに連携は気にしたいのが本音だろう。だが、貴様らは敵に人機を晒したばかりか、二度の敗走……。カリス、貴様からは全権を排除してもいいと、スポンサー連は口にしていると小耳に挟んだ」
カリスは殺気立つ。そのようなことをされれば、自分の思うように戦うこともできない。鎌をすっと突きつけ、首筋に当てるがシバは慄く様子もない。
「言い返せないから暴力、か。貴様はある意味では分かりやすいが、そこにつけ込まれる。だから、小河原両兵に勝てない」
「うっせぇぞ、シバ。てめぇ……」
「だがチャンスは与えよう。それが八将陣を統率する者の務めだ」
「何か条件でも?」
問い返したハマドにシバはフッと笑いかける。
「もちろんだとも。貴様らには、ちょっとばかし生まれ変わってもらおう」
「あらぁー! よーくお似合いよー、お客さぁーん!」
カリスは今の今まで纏ったことのない服飾に呆然とする。
赤を基調にしたもこもこした服装に、オーバーオール。さらに帽子が被せられる。
「あらヤダ! 完全にこれってあのゲームのキャラクターじゃない?」
「お兄さん、ガタイいいから似合うわぁー!」
めいめいに黄色い歓声を飛ばし合うアクの強い店員にカリスは閉口していた。
言葉にならない憤りにシバが含み笑いを漏らす。
「よくお似合いだな。カリス・ノウマン」
「てめぇ! 何だ、この浮かれた格好は!」
「形から入れ、と言っているのさ。この日本の流儀なら、その格好は決して恥じ入るものではないらしいぞ?」
「形から、だと……?」
だがどこからどう見ても、形から入っているようには見えない。むしろ、どこか……こちらのほうが浮世離れしているように思えてしまう。
「あら! お連れの方もスレンダーだからよくお似合いッ!」
「いや、これは似合っていないのではないのかと……」
ハマドの服装を目にした途端、カリスは吹き出してしまった。
「お、お前! 何だそのカッコ! マンガか?」
ハマドは全身赤タイツに身を包んでいた。青いラインが入っており、蜘蛛の巣状の模様が入っている。
「いや、あの……。これはどういうことなのか……」
「そっくりよね! そっくり!」
「そうそう! お二人ともそっくりよォー!」
何にそっくりなのか。不明なまま、カリスとハマドはお互いの格好を見返していた。
シバは妖艶に微笑み、その様子を満足気に頷いてはカメラに収めている。
「私の言った通りだろう? 形から入って正解だったな」
「て、てめぇだけずるいじゃねぇか! どう考えてもオレらと違うだろうが!」
「そうです! 少なくともわたしにはまだ、正統派の格好が似合うはずで……」
「ハマド! 自分だけ逃れようってのか! てめぇ!」
「誤解ですって! ただ、この格好は気恥ずかしいと言うか……」
「気恥ずかしいくらいが、初心でいいではないか。日本の文化に馴染むのならばそれくらいはしたほうがいい」
「……だ、だがこの格好で出歩くのは……」
「ええ、カリス。考えていることは同じのようですね」
こちらの否定的なスタンスにシバは声に鋭さを伴わせる。
「何を言っている? これからアンヘルに仕掛けるのだろう? 無論、その格好で」
口にされたおぞましさに、二人して総毛立つ。
「う、嘘こけ! こんなもん! 連中に見られたら……」
「さすがに沽券に関わりますとも……。わたしは辞退させていただいて……」
「辞退? 可笑しなことを言うのだな、貴様ら。負けた身で、戻れると思うなよ」
シバが手にしたボタンを押し込む。瞬間、風圧が店先を吹き飛ばした。
「アタシ達の店がぁー!」
絶叫する店員を他所に殺到したのは《バーゴイル》編隊である。
「何、呼んでんだ! てめぇ!」
「別段、問題なかろう。《バーゴイル》にはしっかりと援護させるようにインプットしてある。好きなだけ戦え」
「な……なっ……」
言葉が出ない。状況を整理し切れない二人が次に目にしたのはトーキョーアンヘルの人機であった。
《モリビト2号》が先導し、アンヘルの人機がこちらを駆逐せんと迫り来る。
平時ならばまともに取り合う頭を持っていた二人であったが、この時ばかりは逃げおおせようとした。
その進路を《バーゴイル》が塞ぐ。
「分かっていないようだな。ゲームの敗者にはきっちりと罰を与えるのが、私の流儀だ。人機を失い、あまつさえこちらの手を明かした。この程度で済んで幸運だと、思うことだ」
『許さないっ……! キョムの《バーゴイル》!』
拡張されたアンヘルの操主の声にカリスとハマドはびくつく。
大写しになった《モリビト2号》の眼光がこちらを睨むなり、呆然としたのが伝わった。
『……何やってんだ、あいつら。マンガのカッコしやがって……』
『こ、こちらを油断させる手かもしれません! 小河原さん!』
『いや、どこからどう見てもあのゲームのキャラに、あのヒーローのコスプレじゃねぇか。どこで仕入れたんだ、あんなもん……』
『と、とにかく! 油断は禁物のはずです! 先手を打てば……!』
その言葉が弾ける前にカリスもハマドも赤面して逃げ出していた。《バーゴイル》の無人コックピットを叩き、何度も命じる。
「早く出せって! 覚えていろ! アンヘルにシバの野郎!」
三流もいいところの捨て台詞を吐いて、カリスは浮き上がった《バーゴイル》に必死に縋りつく。
打って出たはずの《バーゴイル》部隊がすごすごと撤退していく。
それを《モリビト2号》とアンヘルの面々は毒気を抜かれたかのように眺めていた。
『何だったんだ、あいつら……』
呆れ調子の声音にシバは満足気に頷いていた。
「ゲームの敗者には罰を。……まぁ、手緩い罰ゲームだったがな。だが、赤緒。お前はこの程度では済ますつもりはない。いつかは見せてやろう。その存在が何のためにあるのかをな」
それを思い知った時の絶望を描き、シバは街頭へと消えていった。