「休み明けからも、ずっと学校をお休みされていますし、心配ですよね……。それに、ジュリ先生から呼び出されていたみたいですし……」
「女王バチはいいの! 私たち、中学の時から赤緒の親友じゃん。だって言うのに、何だか寂しいよ……」
マキが前髪をいじる。困惑した時の彼女の癖であった。どうしようもないのだと二人とも分かっているのだが、それでもやはり赤緒が遠くに行ってしまったような気がするのは否めない。
「でも、どうしましょう? 赤緒さん、今日もすぐに帰って行きましたし……」
頭を悩ませた泉は直後、ハッと机を叩いたマキの挙動にびくついていた。
「そうだ! いいこと思いついちゃったー!」
マキの言う「いいこと」が大抵ロクでもないことなのは、友人としての経験則で分かっている。
「何でしょう……? 危ないことは……」
「赤緒の行動範囲は分かっているんだから! さ。ちょっと尾行しちゃおうよ!」
その言動に泉は覚えず、額に手をやっていた。
「さすがにそれは……まずいんじゃ……」
「まずくないない! だって、赤緒だって秘密主義が過ぎるんだもん! 前だって金髪のカッコイイパイロットを紹介してくれるって言っていたのに、帰らされたし。これくらい、何でもないでしょ!」
マキは決めるとすぐに行動に移したがる。
さっそく、と言った様子で外出の用意がされるのを泉は不安げに眺めていた。
「大丈夫なのでしょうか……?」
「よし! マスクは買った。サングラスもオーケー! これで目立たないでしょ」
「あの……マキちゃん……。ちょっと恥ずかしいんですけれど……」
泉はこういうことに慣れていないためかマスクをずらして声をかける。マキは手を払っていた。
「大丈夫だって! 赤緒が鈍くさいのは知っているでしょ? この距離でもばれないばれない!」
「マキちゃん、声が大きいですって」
「あー、ごめんごめん! でも、何やってるのかなぁ……」
周囲は商店街である。赤緒は巫女服に着替えて練り歩いていた。
「買い物……ですかねぇ……」
「赤緒って何だかんだで面倒見がいいからねー。柊神社にいる……同居人だっけ? あの人たちのご飯まで面倒見ているのかなぁ」
観察していると、赤緒へと一人の少女が歩み寄ってきていた。
ショートカットで割烹着に身を包んだ、どこか気弱そうな少女は赤緒へと笑顔を振り向ける。
「あの子……中学生ですかね。何だか親しそうですけれど」
「どうやら買い物を分担しているみたいだねー。うぅーん、怪しい!」
マキは手元の手帳に少女の特徴を書き連ね、似顔絵を描いている。さすがと言うべきか特徴を捉え、その相貌を克明に描写していた。
「気弱そうなこの子も……あのロボットのパイロットなのかなぁ……。私が作者だったら、この子がヒロインかも。守ってあげたい枠だよね!」
マキは漫画家志望のため人物を何かに当てはめるのが得意である。書き付けた「病弱系守ってあげたいヒロイン」というメモがそれを物語っていた。
「あの子のほうが商店街から抜けて行きますね。先に帰るんでしょうか?」
「どういう関係……あっ!」
その時、ショートカットの少女へと一人の麗しいかんばせの少女が飛びかかっていた。銀髪でとてもではないがそこいらに転がっているようには見えない相貌である。
「綺麗な子ですね……。確か、前に柊神社にお邪魔した時にいたような……」
「むむっ! これは私の創作センサーが反応したよ! ズバリ! あの子はメインヒロインだね! ミステリアス系美少女だ!」
「マキちゃん、抑えて抑えて……」
マキの創作エネルギーがメモ帳へと注がれていく。描かれていく絵のそこいらに矢印が書き込まれた。
「カニバサミの髪留め、エメラルドの瞳、ヒロイン力高し!」など、完全に創作モードに入っている。
「あっ、あの子とショートカットの子が離れていきますね……。仲がいいんでしょうか?」
「ほほう……。幸薄系、守ってあげたいヒロインと、それとコンビを組む気の強そうな美少女、か……。これは捗る!」
「マキちゃん……。肝心の赤緒さんの尾行は?」
ハッとようやく妄想から抜け出したマキが改めて赤緒を追うと、今度は長身の金髪美女と行き会っていた。
その佇まいにマキが絶句する。
「モデルさんみたいな方ですね……。あれが、赤緒さんの言っていた金髪のイギリス人のパイロットなのでしょうか?」
「あ、赤緒が会わせない理由が分かったよ……。私の創作エネルギーが噴火の勢いにまで高まる! あんな記号の塊みたいな人、ロボットに乗っていないほうがどうかしているよね!」
メモ帳に似顔絵が描き出され、マキのごり押しポイントである「サングラス美女! 金髪! スタイル抜群でなおよし!」というメモに泉は息をついていた。
「ちょっと言葉を交わす程度のようですね。あまりがっつりと喋らないタイプなのでしょうか?」
「うぅー! 是非個人的に取材したい! でもでも……っ、今は赤緒を尾行しなくっちゃ!」
赤緒は最後に肉屋に寄ってから買い物を終えたのか、その歩みがどこか浮き足立っている。
「……何か、楽しみなことがあるんでしょうか? ちょっとウキウキしてますよね」
「赤緒ってば、分かりやすいからねー。しかし、これだけ個性の強いヒロイン枠と毎日出会っておきながら、私たちにはずっと隠していたのか……っ! と、いうことは、これから先にもっとアクの強いヒロインが待っている可能性も?」
鼻息を荒くするマキに泉はどうどう、と手綱を握る。
「マキちゃん、抑えて抑えて……。でも、赤緒さん、ちょっと変わりましたよね。会ったばかりの頃は、何ていうか……」
中学の頃の赤緒を思い返す。マキも同じことを考えていたらしい。
「だね。何だか悲壮感が漂っていたって言うか……、簡単に触れちゃいけない感じだったもん」
「赤緒さん、何もかもに慣れていらっしゃらない感じでしたし、何をするにしてもおどおどしていて……見ていて不安でしたね」
赤緒がどこかで誰かと線を引いているかのような感覚は今もずっと続いている。しかし、最近、それが少しだけマシになったかのような気がするのだ。
彼女の周囲で変化があったとすれば、それはあのロボットとアンヘルという組織だろう。
マキは前髪をいじりながら思案を浮かべていた。
「赤緒が変われた何か、か。友達としては、喜んでいいのかもね」
「ええ。赤緒さんが変われるきっかけが出会いにあったというのなら」
それは友人として誉れ高いものだろう。そう感じつつ、赤緒の道筋を辿っていくと、どうやら橋の下を目指しているようであった。
「……柊神社と反対の方向だよね?」
「ですね。どうしてなのでしょう?」
気にしている間に赤緒は橋の下で寝転ぶ男性へと声をかけていた。
さすがのマキと泉もここで止めにかかろうとする。
「危ない! 何やってんの、赤緒ってば!」
「ホームレスの方なのでしょうか。いずれにせよ、見過ごせは……」
出て行きかけた二人に男性が起き上がり、不機嫌そうな声を搾っていた。
「ンだよ、柊か。何しに来たんだ?」
「あれ? 知り合い……?」
「と言うか、赤緒さんはあの方に会うために、まさかここまで?」
勘繰っている間にも、赤緒は腰に手を当てて憮然と言いやる。
「小河原さんっ! 南さんが心配されていましたよ。最近、まともなものを食べている様子がないって!」
「放っとけ。黄坂も何だかんだで人の世話に手ぇ焼いている暇ねぇだろ。オレは後回しにしとけって」
「そうもいきませんっ! ……お肉屋さんで安かったから買ったんですけれど、これでもどうぞ」
赤緒が袋を差し出すと、男性はそれを手に取り、へぇ、と頷いていた。
「焼き鳥たぁ、少しは味なもんを差し入れてくれるじゃんか。仲間呼んで酒盛りでもすっか。悪いな、柊」
「もうっ! お酒を飲ませるために買ったわけじゃないんですよ。日頃から三食きっちり食べないと駄目ですからねっ」
めっ、と叱る赤緒の顔は自分たちの窺い知らぬものであった。
呆然とするマキはメモを取るのも忘れている。
「へいへい、肝に銘じておきますよ、っと」
「じゃあ私は帰りますので。バランスのいい食事を心がけてくださいねっ!」
「オフクロじゃねーんだから、お前にそこまで言われたってしゃーねーだろ。メシくらい、好きなものを食わせろよ」
「駄目ですっ! 小河原さんはただでさえご飯が偏っているんですから! ラーメンばっかり食べていると、病気になりますよ!」
「……うっせぇなぁ。ラーメン、うめぇんだもん。しょうがねぇだろ」
「子供じゃないんですから。偏食しないで、きっちり食べてくださいね」
言い置いて赤緒は立ち去る。その背中へと男性は言葉を投げていた。
「柊! 明日もツマミ、頼むわ。仲間で宴会すっからよ」
「だから、お酒を飲ませるために買ったんじゃないんですってば……」
呆れ返った赤緒が額に手をやってやれやれと首を横に振る。
マキと泉は電柱の陰からその様子を見守っていた。
「……えっと、どういうこと?」
完全に脳の処理が遅れているマキに泉が助け舟を出す。
「……つまり、赤緒さんはあの殿方に会うためにわざわざ神社とは正反対の方向に行って……」
「ご飯をあげている……。って! それって通い妻じゃん!」
驚愕の事実に二人して息を呑む。そんな二人へと声が投げられていた。
「おい、てめぇら。何で柊の後をつけてやがる。さっきから気配丸出しで……まさか、八将陣か?」
男性の押し殺したような声に、ぎくりと圧倒されていた。眼光の鋭さがより言葉の凄味を引き出している。
「あ、あの! 私たち、怪しいものじゃないんで!」
「そ、そうです! す、すぐに帰りますから!」
逃げるように走り去ると、男性は後頭部を掻いて困惑しているようであった。
「……何だってんだ、一体」
充分に距離を稼いでから、マキが声を差し挟む。
「……ヤバイ人だよね、あれ」
「……同意です。赤緒さん、いつの間にあのような方と……」
落ち着いたのかマキがメモに先ほどの男性の似顔絵を描いていた。特記事項に「ヤバイ目つき! 絶対に危ない人!」と書かれている。
「明日、赤緒さん、学校に来るでしょうか?」
浮かべた不安にマキは頭を振っていた。
「分かんない。……でもでもっ! 今日だけで赤緒の知らない面を、知ったのは確かだよね」
「色んな方と交友されているんですね、赤緒さん」
「……親友だと思っていたのになぁ。何でも知っていると高を括っていたのは、私たちのほうかも……。何だかちょっとがっくり来ちゃった……」
どれだけ赤緒が遠くに行ったように思えるとは言え、ここまでだとは思いも寄らない。
泉は肩を落とすマキに言いやっていた。
「でももしかしたら、それがいい出会いなのかもしれませんね。赤緒さん、さっきの殿方にあんなに強く言えるなんて」
「だねぇー……。見たことのない赤緒だった。……ちょっとお母さんみたいだったよね」
微笑んだマキに泉も笑みを返す。
「私たちの知らない赤緒さんも、決して悪くはないのかもしれませんね」
「うんっ! よぉーし、学校に来たら質問攻めにするんだからっ! それで今度の漫画のアイデアに、絶対落とし込むんだ! 赤緒には手伝ってもらわないとね!」
夢を真っ直ぐに追うマキに泉は微笑んでいた。
「ええ。赤緒さんに今度会ったら……。って、赤緒さん?」
「えっ?」
赤緒は買い忘れでもあったのか、またしても商店街に訪れていた。
マキは泉と視線を交わし合い、ははっと笑う。
「やっぱり、赤緒は赤緒だなぁ」
「ええ。私たちのよく知る、ですわね」
声を投げて駆け寄る。赤緒は仰天してこちらを見やっていた。
「マキちゃんに、泉ちゃん? どうしたの、こんなところで」
「赤緒こそ、買い物にしてはちょっと遅いじゃん。何やってたの……」
「えっと……、ちょっと神社のお手伝いを……」
目が泳いでいる。嘘をつくのが下手なのも、自分たちのよく知る彼女であった。
マキは赤緒へと抱きつく。それを泉は微笑ましく眺めていた。
「うわっ! どうしたの? マキちゃん」
「えへへー、何でもないっ! 行こっ、赤緒!」
「もうっ。変なマキちゃん」
――黄昏時の空の下、ともすればこれは一時の平穏でしかないのかもしれない。
それでも、三人とも、間違いようもなく親友であることだけは確かであった。