三十度越えの夏日に加え、まだ完全に湿気が過ぎ去ったわけでもない。少し前まで作っていたフィギュアの台座パーツや、作りかけの新作が山積している。
「どうにもこう……、気が削がれると言うか……」
作木は腕を組んで考え込む。片手には駅前でもらった大型家電店の広告うちわ、もう片手にはアイスキャンディである。
着ているものもTシャツを引っかけたラフな格好。
暑いのと湿っぽいのが同時に到来するこの季節ばかりは堪らないな、と嘆息をついていた。
「日本の四季って言うのは、いつからこんな不規則になったんだろう……」
「創主様? シキ、とは? まさか、新たなる敵の名前ですか? 強そう……」
驚愕するレイカルに作木は説こうとして、ラクレスが割って入っていた。
「そんなのも知らないのなんて、レイカルってば、本当にこの国のオリハルコン? 疑わしいわぁ……」
ラクレスの挑発にレイカルは毎度のことながら律儀に乗る。
「あっ! お前だって、この国に来たのは最近だろ! 馬鹿にするな! 要はシキって奴を吹っ飛ばせばいいんだろ? 創主様はそいつに困らせられているんだから」
「いや、その、レイカル? 四季は吹っ飛ばすものじゃなくって……」
困惑している間にも、ラクレスは嘘情報をレイカルに仕込む。
「あらぁ……。なら、この湿っぽくって、蒸し暑い季節を吹っ飛ばしてみなさいな」
「よぉーし……見てろ。おぉーい! 太陽! 暑いって創主様が困っているぞぉー!」
窓を開けて大声を出すレイカルに作木は思わずその襟首を掴んで引っ込める。
「駄目だって! レイカル! ……ご近所トラブルになっちゃうよ……」
ため息を漏らした作木にレイカルは心配そうに瞳を潤ませる。
「創主様……。私、創主様が心配で……だって元気ないじゃないですか。暑い暑いって、寝ながら仰っているのを見ていると、不安で……」
そういえば電気代をケチって夜は冷房なしで寝ていた。その無意識の声がレイカルに要らぬ心労をかけているのは、創主である自分の責任だ。
「いや、ゴメン、レイカル。……そういえば、二人は汗一つ掻かないね? オリハルコンには、暑さ寒さを感じる機能は……いや、あったな。なのに、どうして?」
過去を思い返すと、レイカルは暑さ寒さを感じていた。その疑問にラクレスは応じる。
「ハウルを纏う術を心がけていれば、ある程度の暑さ寒さは軽減できるのです。我々、オリハルコンは古来より、戦局を塗り替える道具としての意味合いが強かったですから。気温の落差に変動されないようにするのはまず対策されて当たり前でした」
そういえば、以前削里からあり得ない角度で撮影された写真も、オリハルコンの仕業だと判定されたことがある。過酷な環境や、人間では不可能な領域を可能にするのがオリハルコンの持つ本来の力――作られた目的なのだろう。
だが、現代においてオリハルコンの頑強さ、堅牢さは過ぎたる力だ。
これだけの性能を持つ二人が揃っているだけでも、他の創主からしてみれば脅威に違いない。
「じゃあ、暑い寒いってのは……」
「創主の技量次第で変動はするでしょうね。レイカルは……まぁ、作木様の制作したオリハルコンです。それなりにハウルも扱えてきた様子。自然と身体を保護しているのでは?」
「バリアーみたいなのが、勝手に張られているって?」
うちわで扇ぎながら尋ねると、ラクレスは首肯する。
「レイカルのは本当に、無意識でしょうねぇ……。私は気候や寒暖の差を、身に纏ったハウルでコントロールしています。たとえば、この蒸し暑さも、体感することは可能でしょうが」
その提案に作木は手を払う。
「……やめておくといいよ。だってラクレスは外国での生活だったんだろう? 日本の四季は、そうでなくとも身に堪えるんだから」
「……創主の望みがそうならば」
しかし、ラクレスは以前、ベイルハルコンとして日本のベイル化を画策したはず。その時期に、日本の辛さは嫌と言うほどに痛感したのではないだろうか。
レイカルは相変わらず、扇風機の前で大口を開けて、声の変動を楽しんでいる。
「小夜さんたちはどうしているのかなぁ……。大学も夏休みに入っちゃったし……」
「なちゅやすみとは何ですか?」
舌っ足らずのレイカルの言葉を、作木は訂正する。
「夏休み、ね。日本にはあるんだよ。……外国にもあるのかな? この時期に大きな休みを取るんだ。みんながみんな、海に行ったり、山に登ったり、めいめいに楽しめる期間かな」
案外、小夜たちも夏休みを満喫しているのかもしれない。そうだとすれば、ダウンオリハルコン退治の連絡を寄越さないのも頷ける。
「なちゅやすみ……。創主様! 私もその、なちゅやすみとやらを楽しんでみたいです!」
「レイカルは毎日、夏休みみたいなものじゃ……」
思わず笑いながら口にして、レイカルは心外な、と唇をすぼめていた。
「私は休暇のつもりはありません! いつだって、創主様と共に戦いたいと思っております!」
胸を張ったレイカルの宣言には心強さがあったが、ラクレスがにやぁ、と笑う。
――ああ、これはいつもの展開になるぞ、と作木が危惧したのも一瞬、ラクレスは提案していた。
「それなら、レイカル、これは知ってる? 夏休みは取れば取るほどに強くなれるのよ?」
「なに! それは本当か! そうなんですか、創主様!」
「いや……ある意味では間違っていないとも……。でも、まぁ……」
濁しているとレイカルは飛び出していった。
「ヒヒイロに教わってきます! なちゅやすみを、私が一つでも多く取るために!」
飛び立っていったレイカルの背中が遠ざかってから、ラクレスに尋ねる。
「……もしかして、レイカルは夏休みを、取れば取るほどに強くなる、ゲームの景品みたいなものだと思ってない?」
ラクレスは肩を竦めた。
「ばれましたか。ですが、いいんじゃないですか。レイカルが居ると、暑苦しいんですもの」
「あれ? さっき暑さ寒さは感じないって……」
「心の問題です」
すぱっと言い放ったラクレスに作木は、ははっ、と笑っていた。ラクレスは腰に手をやって憮然とする。
「……何が可笑しいので?」
「いや、何だかんだってラクレスも……レイカルと仲良くしてくれているなぁって。そう思うと、ちょっとだけこの蒸し暑さにも感謝かな」
作木の言葉にラクレスは栗色の長髪を払う。
「……何ですか、それ。私があのレイカルと? ……確かに、いじり甲斐のあるおもちゃだとは思っていますけれど」
それもどこか気恥ずかしいながらに言っているに違いない、と作木は直感していた。
少しずつではあるが、ラクレスも馴染んでくれている。それだけでも嬉しい。
嬉しいのだが――。
「……気持ちの問題で暑さは解決してはくれない、か」
扇風機の風量を「強」に設定し、作木は木造の天井を仰いでいた。
「――と! 言うわけなんだ! ヒヒイロ、なちゅやすみをくれ!」
ある程度の察しはついていたとは言え、ヒヒイロは額に手をやって、やれやれと嘆く。
「……お主、話を聞いておったのか?」
「もちろんだ! なちゅやすみの間に楽しいことがあって、取れば取るほどに強くなるんだろ?」
「夏休み、ね。一回間違うと聞かないから、そんななのよ」
小ばかにしたカリクムに、レイカルは、何をーと食ってかかる。
「なちゅやすみさえ、取れればお前なんてこうだ!」
拳をくしゃくしゃにする真似をするレイカルに、カリクムは呆れ返った。
「……根本で間違えているのね、あんた。なぁー、小夜ー。何か言ってやれよ。こいつ、夏休みを取れば取るほどに強くなるって本気で思って……、小夜?」
小夜はずっとノートパソコンを凝視してカリクムには一瞥もくれない。それを不審がったカリクムが覗き込むと、水着の女性たちが海辺で戯れている画像が大写しになっていた。
「……小夜。さーよぉー!」
「うっさいわねぇ……。何?」
煩わしげに小夜が手を払う。それでも反応らしいものはどうにも薄い。
「……ようやく反応した。何なんだよ、さっきからずーっと眺めて」
「小夜ってば、作木君を悩殺する水着選びに熱心なのよ」
扇風機の前で座り込んだナナ子の言葉に、カリクムは胡乱そうにする。
「水着ぃー? そんなの、何だっていいだろ」
その反応にナナ子は、フッと笑みを浮かべる。
「……あんたらってやっぱり基本、脳筋なのねー。人間はそういう、見栄えを気にするものなの。特に季節は夏! 夏と言えば、そう! 戦闘服は水着、水着と言えば戦闘服と言っても、過言ではない季節なのよ!」
ナナ子の自信満々な言葉振りにカリクムは呆れ返る。
「布面積が少なければいいんだろ? 何だって柄とか、そんなのを……」
「気にするかって? ナンセンスね、カリクム。あーあ! ラクレスでもいれば最高の被写体になってくれたんだろうになぁ……」
よくは分からないがナナ子もどうやら自分を馬鹿にしていることだけは分かった。
「よく分かんないな、人間って。なぁ、キャンサー。……キャンサー?」
カリクムはキャンサーと顔を見合わせようとして、その存在が忽然と消えているのを認識する。
「ああ、キャンサーなら森へと行ったぞ。どうにも、今年こそは彼女を作るだのなんだの息巻いておったのう」
自分の周りが夏一色に塗り固められて、カリクムは唖然とする。この中で、夏の魔力に魅入られていないのは、ヒヒイロと削里だけなものだ。
毎度のことながらこの二人には俗世間に染まると言うのがないらしい。
今日はポーカーをやっていたが、よくよく考えればそれはヒヒイロに有利過ぎるのではないだろうか。
「……みんなして夏休み、夏休みって……。そんなに夏が好きなの?」
その問いかけにナナ子がヒッヒッと怪しく笑う。
「カリクムや……。ちょっとこっちに来て、この水着を着てみてくれない? そうすればあんたにも分かるわよ。夏の魔力が」
ひょいひょいと手招くナナ子にカリクムは怖気が走っていたが、レイカルはそれになんと乗ってしまっていた。
「おおっ! それを着ればなちゅやすみを取れるのか?」
「そうそう。おいで……おいで……」
飛び込もうとするレイカルを、カリクムは満身で止めていた。
「やーめなーさい! あれは絶対にヤバい眼よ!」
「カリクム! さては私がなちゅやすみを得て、強くなるのが怖いんだな!」
「んなわけ、ないでしょうが……。小夜ー、水着ばっか観てないで手伝ってくれよー!」
「うっさいわねぇ……気が散る……。これでもない、あれでもない……。あー、もうっ! どうすれば作木君の好みが分かるっての?」
机を叩いた小夜にカリクムはハウルを顔面へとぶつける。衝撃に煽られて卓上にあったジュースが飛び散っていた。
小夜は頭からそれを被った形だ。
「ヤベ……」
硬直するカリクムへと、小夜が鬼の形相で飛びかかる。
レイカルはナナ子の用意した衣装を手に取っていた。
「これ着れば、なちゅやすみを取れるのか? そうなんだな?」
騒々しくなって、ヒヒイロが頭を抱えた瞬間、削里が札を差し出す。
「ツーペア」
今回ばかりは勝った、と削里は確信するが、それをヒヒイロは涼しげに返す。
「残念ながら。ストレートフラッシュです」
いつもの展開に、削里は渋い顔をして頭を下げる。
「……参りました。にしても、騒がしいなぁ」
「まったくです。これ、お主ら。ここはこんななりでも店じゃ。騒がしくするでない」
「こんななりでも、ね……。でもま、一番に夏休みを満喫する方法、俺は知ってるけれど」
不意に発せられた言葉にヒヒイロを除く全員が注視する。
「本当か?」
「本当なの?」
「いや! もうこいつらどうでもいい! 問題解決できるのか?」
「……落ち着けよ、暑苦しいなぁ……。まぁ、夏休みと言えば、っていう俺なりの意見だけれど」
「何でもいいっ! 早くこいつら収めてくれ!」
カリクムの悲鳴じみた声に、削里はこほんとわざとらしく咳払いした。
「……真次郎殿」
「いいじゃないか。これは作木君にも、少しはいい影響を及ぼすかもしれないし」
インターフォンが鳴って、作木はへこたれていた身体を起こす。
それなりに見える身なりを上から引っかけ、外を覗いたその瞬間、後ずさっていた。
玄関の前には、小夜にナナ子が揃ってこちらを睨んでいたからだ。
「……どうしたんです?」
「削里さんに追い出されたの」
「小夜ってば素直じゃないんだから。その案に乗ったくせに」
遠慮なく部屋に押し入ってくる二人と共に、白水着姿のレイカルがカリクムを追いかけた。
カリクムも黒いビキニである。
「……何で水着?」
「なちゅやすみを取るためです! 創主様!」
「……私のは、そのとばっちり」
ナナ子がキャリーケースから取り出したのは、テレビゲームである。
「と、いうわけで、みんなでパーティゲーム!」
「……何でです?」
困惑気味に笑うとナナ子は真剣そのものの面持ちで応じていた。
「……削里さんが、あまりにも夏休みっぽくないって二人を焚きつけたのよ。あ、二人ってのはレイカルと小夜ね。この二人ってば、夏休みを勘違いしているわ、他所様の家で大騒ぎするわで大変で」
「何であんたが他人事なのよ」
小夜はずいっと座り込み、テレビにゲームを装着する。自分の意思はまるで問題ないとでも言うように。
声をかけようとすると、ナナ子が耳打ちする。
「駄目だって。あれで無茶しているんだから。……ま、夏休みと言えばよく友達の家に入り浸ったなぁっていう、削里さんの入れ知恵なんだけれどね?」
「友達……」
遊離したような言葉に唖然としていると、小夜が声を飛ばす。
「どのゲームにするの? あんた持って来過ぎよ」
「あー、これなんてどう? 全キャラ出てるし」
ゲームを選び始めた二人の背中に、作木は幼少期の自分を重ねていた。そういえば、器用なのは手先ばかりで、他人との距離の取り方は不器用であったな、と。
ははっ、と作木は笑っていた。ラクレスが嘆息を漏らす。
「やられましたね。ヒヒイロの思うつぼで……。作木様?」
「ああ、ごめん。でも……たまにはいいのかもね。後先考えず、友達と……遊ぶってのもまた、夏休みらしい」
「……理解できかねます」
「そうでもない……そうじゃないかい?」
ラクレスの真意を先回りした言葉に彼女はぷいとそっぽを向いた。
「……せっかく作木様を独占できると思ったのに」
「作木君! コントローラー」
投げられたコントローラーを、作木は受け取る。レイカルが水着姿で飛び回り、こちらに問いかけていた。
「創主様! なちゅやすみは、取れそうですか? 強くなれそうですか?」
その問いかけに作木は応じる。
「――ああ。最高の夏休みに、なりそうだ」
――二時間後。
「いや、作木君、強過ぎ……」
小夜がへこたれる。ナナ子も、あー! と喚いていた。
「いいところまで行ったのに、また負けたー!」
「……何で、地味めだったのにゲーム強いのよ……」
「YOU WIN」の輝きが回転し、作木のキャラを彩る。作木は愛想笑いでその疑問をいなした。
「いやぁ、手先だけは昔から器用だったんで。よく友達の家でゲームはして……、そういえば、毎回作木はこれ以上、そのキャラ禁止な、って言われたっけ。あれは……何だったんだろう? 最終的にどのキャラも禁止食らったっけ」
昔話に微笑む作木に反して、ナナ子と小夜は顔を見合わせて青ざめる。
「これはもしかして……」
「とんでもない強者を相手にしているのかも……」
がくっと二人は肩を落としていた。