レイカル 10 九月「レイカルのお月見」

「そ、創主様。隠れないといけないんです。秋の夜長には……出るので……」

「出るって……」

 作木もその迫真の声音に息を呑む。まさか、幽霊でも、と警戒した作木にレイカルは窓の外を指差す。

「ホラ! もう夜になっちゃいます! 出てくるんですよぉ……!」

「えっと……何が出てくるの? ダウンオリハルコンなら追い払えば……」

「違います! ダウンオリハルコンなんて目じゃない相手なんです。ヒヒイロから聞きました……。奴はとても遠いところから、地上を見張っていると」

 そんな敵がいるのか。作木はフライパンを片手にラクレスへと指示を寄越そうとして、彼女は呆れ返っていた。

「レイカルってば、相変わらずお馬鹿さぁん……。怖いって言っているのは、あれなんですよ、作木様」

 ラクレスが指差した先には、薄っすらと空に浮かび上がる月があった。

「……月?」

「そう、月です。ヒヒイロから教えられてきたのですよ。今日は中秋の名月。人間たちには縁のある日程のようですが、私たちオリハルコンにはピンと来ないので、ヒヒイロが説明した結果が、これです」

 肩を竦めるラクレスに作木は問い返す。

「月が怖いって……?」

「そう。でも、ねぇ……レイカル。今日は人間たちがこぞって月夜を仰いで、そしてまん丸のお団子を食べるのよぉ……」

 不安を煽るラクレスの言葉繰りにレイカルは毛布を被って抗議していた。

「お前は何で平気なんだ? あんなの、卑怯じゃないか!」

 しかし当の作木には先ほどから、何をそんなに月を恐れるのか分からない。別段、月夜に戦いに赴くのが珍しいわけでもなければ、今まで一度としてレイカルは月を恐れたことなどなかった。それが急に反応が変わったとなれば作木も困惑するしかない。

「あの……何が怖いんだい? レイカル。ただの月じゃ……」

「だって……創主様、怖くないのですか! あの月にはとんでもない大きさのウサギが棲んでいて、そして餅をついているのですよ!」

 その発言に作木はぽかんとしてしまう。ラクレスは含み笑いを抑えるので必死のようであった。

 なるほど、ヒヒイロから聞いたのは中秋の名月の文化か、とようやく納得する。

「今までは月なんて怖いとも思いませんでしたが、人間はあんな巨大なウサギを見て団子を食べるなんて信じられません! きっと大きな陰謀が働いているのでしょう……」

 どうやらレイカルの恐怖の対象は月そのものではなく、月の逸話だ。しかし、と作木は思案を浮かべる。

「あれがウサギに見えるのも、日本人だけだとか、聞いたことあるなぁ。外国だと女性の横顔だったり、蟹に見えたりするんだっけ?」

「ええ、その通り。ウサギに見えるのもごく少数。そして、中秋の名月を楽しむ文化も、日本では特に、かもしれませんね」

「……何なんだ。巨大な女の横顔になるのか? あれが……」

 震え出すレイカルにどう説明すべきか、と迷っている間にインターフォンが鳴っていた。窺うと小夜が買い物袋を片手に扉をノックする。

「入るわよー。……あっ、やっぱりこうなってたか……」

 後頭部を掻いた小夜はレイカルの様子を見やるなり、額に手をやる。どうやら一枚噛んでいるらしい。

「レイカル怖がっちゃって……。出て来てくれないんですよ」

「ねぇ、レイカルってば! お月見は怖いものじゃないのよ? 月を見上げて、それでこの涼しさの中で憩う人間の文化なの! ……確かに月にウサギが住んでいるって言われれば、ちょっとはビビるかもね。私も小学生までは信じてたなぁ……」

 遠い目をする小夜に後から追従してきたのはナナ子とカリクムであった。

「あーあ、やっぱりじゃない。ヒヒイロの話に尾ひれを付けたのは小夜なんだからね。ちょっとは反省して、この事態を収拾しないと」

 ナナ子の言葉に作木は問い返していた。

「小夜さんが?」

「小夜ってば、月にウサギが住んでいるって言う文化を逆手にとってレイカルをおどかそうとしたのよ。ウサギが攻めてくるとか、宇宙人襲来とか言って。そうしたら、レイカルはすっかりびくついちゃってこの有り様ってわけ」

「なぁ、小夜ー。今回ばっかりは小夜が悪いんだからさー、素直に謝れよ」

 カリクムの後押しもある。どうやら小夜がレイカルへとそのような恐怖を植え付けたのは決定的らしい。

 だが、そんな理由が思い浮かばない。どうしてそんなことを言う必要があったのだろう。そうでなくとも、別段小夜はレイカルを茶化すような性格でもないはずだ。

「あの……小夜さん、何があったのか、聞かせてもらってもいいですか?」

「……レイカルがいると話しづらいのよ。ちょっとね」

 小首を傾げているとカリクムがレイカルの毛布を引っ張った。

「レイカル! あんな小夜の与太話なんて放っとけばいいじゃんか。月にウサギはいないし、それに襲ってきたりなんてするわけがないんだから」

「騙されないぞ、カリクム! お前、創主が割佐美雷だからって肩を持っているだろ?」

「何で小夜の肩なんて。私は、そんな調子じゃ、いざという時に何もできないぞって言っているだけで」

「何よ……カリクムまで。……って言うか役名で呼ぶな」

 どこか不貞腐れた様子の小夜には何かしら思うところがありそうである。作木はナナ子へと耳打ちしていた。

「……何か、事情がありそうですけれど……」

「ああ、小夜ってね。ちょっとお月見に一家言あるみたい。何でなのか、私にも言わないんだけれど……」

「一家言、ですか……」

 言葉を彷徨わせた作木に、小夜はこほんと咳払いする。

「とにかく! 月にウサギなんて居やしないんだから、とっとと持ち直しなさいよ! 以上!」

 どこか強引に立ち去った小夜の背中を呼び止めようとして、作木は躊躇っていた。

 何か、今日の小夜には窺い知れないものがある。それを自分が解する術を持たぬ気がして、作木は気が引けたのだ。

「……小夜さん、大丈夫かな……」

「気になるなら後を追えば? 作木君は小夜にとっては王子様なんだから」

「王子様って……ガラじゃないですよ……」

 当惑した作木はしかし、毛布を被ったままのレイカルに、小夜のおかしな言動と引っかかるものがあるのを感じていた。何か、二つを結びつけるものがあっただろうか。

 呻ったが、答えは出ず仕舞い。

 その間にナナ子がせっせと支度を始める。

「何をやっているんですか?」

「何ってお月見の準備じゃない。特に、月明りだけで映し出されるプロポーション! ラクレス! それにカリクムも! 今日は一年に一度の絶好の月夜なんだから、ブラジャーからミサイルまでありったけを持ってきたわよ! さっさと着替えなさい!」

 アタッシュケースから溢れんばかりの着替えを差し出したナナ子に、作木は圧倒されつつ、自ずと部屋を出ていた。

「あっ……僕がいると着替えられないよね……。ちょっと出てくるよ」

「作木様」

 ラクレスの声がかかる。振り向くと、彼女はそっと忠言していた。

「人の心は迷宮……とは言え、誰も彼もがその迷宮に囚われてばかりではいけません。作木様にしかできないことがあるはずです」

 ラクレスなりの助言だろう。自分一人で、小夜を呼び止めに行くのはそういえば初めてか。

「……うん。ありがとう、ラクレス」

「いえ。あの創主がいやに不機嫌では、連日のダウンオリハルコン退治に支障が出ますので」

 本当に、それ以外はないとでも言うような声音に苦笑しつつ、作木は扉を閉め、そして暮れかけた空を仰ぐ。

 薄らいだ月が黄昏空に浮かび上がっていた。

 夏を超え、少しだけ夜が近くなった気がする。

 当てはないが、それでも追おうと、作木は歩み出していた。

(いいんですか? あんな風に言っちゃって。本当は作木さんたちと、お月見したかったんですよね?)

 現れた幻影に小夜は嘆息をつく。

「……カグヤ。あんたってば本当、図太いって言うか、人がいいって言うか……」

 自分にしか見えていない手前、これも独り言のように周囲からは思われるのだろう。

 だがハッキリ見えるのは仕方ないのだ。これは自分のハウルの適性が対エルゴナ戦で跳ね上がったのにも由来するのだろう。

 ハウルシフトを経て、次なる段階へ。

 まさかハウルが既にこの世にはいない魂まで再現するとは思いも寄らない。それが仮初めの現象だとしても、カグヤの存在は小夜からしてみれば別格であった。

 自分にしか見えない存在であり、そしてカリクムの以前の創主――。

 因縁云々では割り切れない関係に、小夜は声にする。

「あんたは……いいって言うの? 私にしか見えないままでも」

(私、小夜さんのことはよく知ってますから。これでも、普段の小夜さんの努力は見ているんですよ? トリガーイエロー役、Vシネ第二弾も決定しましたし、躍進ですねっ!)

 Vの字を作って笑うカグヤに小夜は心底呆れ返っていた。

「あんたさぁ……私にしか見えないんだから、もうちょっとなんていうか……悲壮感とまではいかなくとも幽霊らしくしなさいよ」

(えーっ、だってもう夏は過ぎちゃったじゃないですか。今さらうらめしやーなんてできませんよ)

「いや、そうじゃなくって……。あんたはヒヒイロの言葉を借りるに、ハウルの集合体で、なおかつ私自身のハウルと、カリクムの無意識のハウルが練り上げられて想像された、いわば私たちのハウルの結晶なんでしょ?」

 カグヤは考え込む仕草をした後、にかっと笑っていた。

(そうですねぇ……。私としてみればこのスタンスはおいしいですよ? 皆さんが楽しいと私も楽しいですし! 小夜さんが喜んでくださるのなら、私も、ですっ)

「いや、妙にポジティブなのはいいんだけれどさー……。要するに、あんたは私たちのハウルを媒介にした、想像力の具現そのものなわけで……。幽霊とも少し違って……私とカリクムをずっと見守ってくれているのは分かっているわ。それはもちろん。でも、あんたがこうしてハッキリと、それでいて明瞭に話してくれればくれるほど、ちょっと込み入ってくると言うか……」

(何でです? お仕事の邪魔はしませんよ? あっ、作木さんとの恋の行方も! 私は応援していますからっ! ファイト、です!)

 どうにも締まりがないと言うか、このハウル集合体であるカグヤ相手にはのれんに腕押しと言うか……。

 小夜は後頭部を掻いて困惑を露にする。

「いやー、そんな風に言われても私だって言っていいことと悪いことの区別はつくわけなのよね。あんたの言動をそうそう他人に話すのも気が引けるし、かといってこうやってあんたが具現化し続けると、それはそれでと言うか……」

 街は既に薄暗がりになっている。もうすぐ、中秋の名月の夜だ。

 本当ならば、削里やヒヒイロも巻き込んでお月見としゃれ込むつもりであったのだが、どうにもカグヤの存在にそれをただ単に楽しいイベントとして己の中で消費していいのかを悩んだ部分がある。

「……かぐや姫は月に帰ったのよね。昔々の話で……」

(はい? それと何の関係が?)

 どこかわざとらしい言動に、小夜は目ざとく反応する。

「……分かっているはずよ。カグヤ、あんたは私たちのハウルの具現、つまりは考えていること自体は私と同じはずなんだから」

 その言葉にカグヤは難しい顔で腕を組む。

(……小夜さん、そんなに気を利かせてくれなくっても大丈夫ですよ? 確かに私はカグヤで……月の話題になると私のことをカリクムが思い出しちゃうからって言うのは分かります。オリハルコンの悲しい顔を見るのは、創主としては嫌ですもんね……。でもだからって、小夜さんだけが悪者になる必要はないじゃないですか。レイカルだって怖がらせないで、お月見を楽しませてもらえば――)

「駄目なのよ、カグヤ。あんたが見えてると、どうしても、ね。能天気にお月見って気分でもなくって、それでレイカルに意地悪しちゃった。そんな自分が嫌で、自己嫌悪……」

 我ながら損な性格である。無知なレイカルに当たったところで仕方ないことなのに。

(小夜さん……)

 その時、不意にカグヤが掻き消えていた。何が、と思って首を巡らせると、追いかけてきた作木の視線とかち合う。

 お互いに痛い沈黙が流れた後に、彼は手を差し出していた。

「……戻りましょう、小夜さん。レイカルには僕が言っておきます。何が原因かまでは分からないんですけれど、小夜さんがそこまで気を張ることはないですよ」

「気を……張っているように見えるのよね。作木君でも」

「あっ、いや……」

 相変わらず不器用だ。だが不器用ながらに追いかけてくれた。それだけで今は感謝すべきなのだろう。

 しかしカグヤのことは、個人的には話せない。これもきっと、カリクムの創主を継いだ宿命のはずだからだ。

 だから、これは一人の問題でいい。誰かに言うでもない、一人の……。

 そこまで思い詰めたところで、作木は空を仰いでいた。

「……そろそろ暮れますね」

「あ、うん……。中秋の名月、か。何で日本人って、月にウサギなんているって思ったんだろ」

「分かりませんけれど……それってきっと、ロマンのあることだったんだと、思います」

「ロマン? でも月って、ちょっと……寂しいかな、私は。だってかぐや姫は月に帰っちゃう。月って、お別れの暗示みたいで、私は……」

(……小夜さん)

 自分にしか聞こえないハウルの声で、カグヤはこちらを窺っているようであった。

 作木は空を仰いでぽつりとこぼしていた。

「でも、月がないと、人は迷ってしまうと思うんです。長い歴史……オリハルコンのお陰でそう思えているのもあるんですけれど、人間は長い間、月明りを頼りにして、生き続けてきた。ここまで命を繋いでくれた。それってきっと、意味があることなんじゃないでしょうか。……月はお別れだけじゃなくって多分、もう一回会えるって言う約束の光でもあるような気がするんです」

「もう一回……会える……」

 カグヤと、こんな形ではなくもう一回会える日が来るかもしれない、という希望的観測が脳裏を掠める。

 今までオリハルコンは幾度となく奇跡を起こしてきた。ならば、故人との再会くらい――。

 そこまで考えて、なんて傲慢、と己を叱責したい気分に駆られた。

 死んだはずのカグヤが見えるのも自分だけ。そのカグヤが何の未練もなく、自分にカリクムを託してくれたのを知っているのもまた、自分だけなのだ。

 知っているからこそ、守らなければならない誓いがある。分かっているからこそ、黙っておかなければならない繋がりも。

「命を……繋ぐ、か。何だか詩的になったわね、作木君。初めて会った時は、背ばっかり高いもやしだと思っていたのに」

「えっ……そうですかね。今も背だけ高いもやしですけれど……」

「ううん。あなたはきっと、私の在り方も変えてくれた。それもきっと、月の巡り会わせなのかもね」

 頬を掻いた作木が苦笑する。自分も、くよくよ悩んでいたところで自分らしくはないのだろう。こんな時、思い切れるのがきっと、自分の良さなのだ。

「……ゴメン。レイカルには私からきっちり謝るわ。怖がるようなものはないって。きっと月は、夜空を明るくして、みんなが出会いやすいようにしてくれたんだって」

「ああ、そう話してあげるとレイカルも喜んでくれると思います。そっか……出会いやすく、してくれたんだ。夜に迷わないように」

 今さらに気づいた、と言うような口調に小夜は覚えず笑いを漏らす。自分できっかけになることを言っておいて気づかないのが作木らしいと言えばらしい。

「戻りましょ。あ、それと削里さんとヒヒイロも呼んで。お月見としゃれ込むわよ」

「いいですけれど……僕の部屋、狭いですよ?」

「いいの、いいの。……ううん、このみんなだから、いいのかな」

 ぽつりと呟き、小夜は作木の手を引いていた。よろめいた作木が、あっ、と声を出す。

 いつの間にか、見事な満月が、中天に昇っていた。

「――月が綺麗ですね」

 そう口にした作木にカグヤが過剰反応する。

(えっ? えっ? それってやっぱり……そういう意味なんですか? 作木さん!)

「黙っててって! ムードが台無しじゃない!」

 大きな独り言に作木が首を傾げる。小夜は慌てて誤魔化した。

「何でもないの。何でも……。うん、でも、何でもなくはないか。作木君。そういう意味だって、捉えていいの? 今の言葉」

 笑みを浮かべて挑発的に口にする。これもいつもの自分だ。いつもの、作木を翻弄する、ちょっと厄介な女としての自分――。

 その段になって自分の言葉の意味に気づいたらしい。あわあわと作木は取り繕おうとする。

「あの、その……そういう直接的な意味じゃなくって……」

 慌てふためくのもどこか可笑しい。彼はいつだって、指針になる言葉をくれるのに、こういう時の頼りなさは庇護欲をそそる。

「分かってるって! 私はでも、そういうところも含めて、作木君のこと、王子様だって思ってるから!」

 まごつく作木を他所に小夜は前を向く。

 レイカルにきっちり謝って、そして――みんなでお月見をしよう。

 そうすればきっと、自分の気持ちにもケリがつけられそうである。

 今宵の月は見事な満月だ。宵闇を照らし出す黄金の月明りに、小夜は目を細める。

「それにしても本当に……憎々しいくらいに綺麗な月」

 自分たちを導いて、出会いやすくしてくれた道標に、今は感謝をして言葉を紡ぐ。

「ええ、月が綺麗ね、作木君」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です