「――シバ。あんた、八将のリーダーなんでしょ? こんなところで油売っている場合じゃないんじゃ?」
「何を言う。それに、今はシバでもないのでな」
ぺらり、と差し出されたのは「転校届」であった。名前欄には「志麻涼子」の文字がある。
「……分かりやすい偽名……」
「というわけで、貴様のクラスに転入させてもらう。あとの手筈は任せているぞ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいってば! あんた……分かってるの? 私のクラスには赤緒がいるのよ?」
「それも込みで、だ。分かっているとも。それに……学校と言う場所は興味深い。こうして、一定年齢の者たちがすし詰めのようにされて生活している。そこに、戦士や強者、弱者の区別なく。ある意味では平等で、そして無差別だな」
冷徹に評するシバにジュリは嘆息をつく。
「……学校のルールは守りなさいよ。私だって守ってるんだからね」
「心配はするな。私はこれでも器用でな。うまく溶け込んでみせよう」
その言葉振りにジュリは頭を振る。
「分かってないわね、あんた。学校って特殊な場なのよ。十代後半の多感な時期の子供たちが一同に会して、それで協調性を学んだり、人間性を学んだりするの」
「意外だな。説教は垂れるクチだったか」
「そう言われても結構。いずれにしたって、あんたみたいな戦闘狂じゃ、こういう平穏ってのには慣れないでしょ」
ジュリの声音にシバはフッと笑みを浮かべる。
「なに、加減はするさ。私とて敵を作りに来たのではない。むしろ……逆だな。味方を作りに来たと言うべきか」
「キョムへの勧誘はなしにしてよね。教え子がゾールに成るのなんて寝覚めが悪いったら」
シバならばあり得る。キョムの戦闘兵、ゾールへの改造を施された教え子など見たくはない。彼女はその可能性も棄却した。
「どこまでも不安のようだな。ならば、一つ言っておこう。私は赤緒に会いに来たんだ。あれがこれから先、どう芽吹くのかを知るためにな」
「赤緒に……。それこそ、厄介ごとなんじゃ……」
「いや、楽しみにしておくがいい、ジュリ。きっと、忘れられない一日になるだろう」
「――志麻涼子です。よろしくお願いします」
黒板に名前を書きつけた相手に、赤緒は覚えず立ち上がっていた。
「なっ……なっ……」
わなわなと言葉をなくしていると、ジュリが空いている席を顎でしゃくる。
「じゃあ、志麻はあそこの席に座って。赤緒、何やってんの。早く席について」
「ジュリ先生! これってどういうことなんですか! だって、彼女は……」
口にしようとして、それは藪蛇だと呑み込んだ。ここで八将陣のことを口走って、クラスメイトたちを危険に晒すわけにはいかない。
ジュリも心得ているのか、どこか目線で納得を促す。
「……いえ、すいませんでした……」
座り込んだ赤緒に後ろの席のマキが肩を叩く。
「どうしたの? 赤緒。何か……知り合い?」
「知り合いと言うか……ちょっと会ったことのある人で……」
「ふぅん。赤緒の知り合いって美人が多いんだねー。アンヘルの人たちも美少女ばっかりだったし……あの子も、描き甲斐がある顔してるし。おっと……これは筆がはかどるかなー」
「マキちゃんってば、赤緒さんの友達に興味津々なのですね」
泉はいつも通りに落ち着き払っているが、赤緒からしてみれば胸中は穏やかではない。
ジュリだけではなく、この学校に八将陣が二名。それもどちらも手練れだとと分かっていれば迂闊なことはできない。
しかし、それは相手も同じのはず。
赤緒が視線を流すと、志麻涼子は微笑んで軽く手を振っていた。
休み時間になると志麻涼子の周りには人だかりができており、他のクラスからも数人の生徒が物珍しい転校生を見に来ていた。
どこから来たのか、どういう趣味なのか、という当たり障りのない会話から、恋人がいるのかまで様々な質問をされるが志麻涼子は全ての質問に応じにこやかに返答する。
「遠いところから来たから、この辺りのことはよく分からなくって」
「趣味は……人間観察かもしれない。色んな人間を観察するのは好きだよ」
「恋人か。いたこともある、と言っておこうかな」
どれもこれもことごとくかわしていく様に、赤緒は内心ひやひやしつつ、それを仔細に注視する。
「赤緒、気になんのなら行けばいいじゃん」
マキの言葉に赤緒は曖昧に微笑む。
「いや、私なんかが行ったら迷惑だし……」
「さっきの反応、なんだったの? 本当に知り合いなだけ?」
こういう時、マキは少しばかり目聡い。自分の反応が平時のものではないのだと悟ったのだろう。赤緒は誤魔化して頷いていた。
「うん、まぁ……。すれ違った程度と言えばその通りなんだけれど……」
「何か煮え切らない感じだよね。そんな気になるなら聞いて来れば?」
指差すマキに赤緒はどうすればいいのか困惑する。ある意味ではシバと対等に話せるチャンスではあるのだ。だが、何を聞くと言うのか。
八将陣――キョムの幹部であるシバに対して、アンヘルではない身分で口にできることは一つもない。今まで立ち向かうべき敵、アンヘルの一員としてしか、シバとは向き合ってこなかった。
だからなのか、こうして相手が制服を纏い、自分と同じ身分になって会話をすることになるなんて思いも寄らない。ただの当惑と、そして聞くべき本当のことを見過ごしてばかりだ。
「……私は、何が聞きたいんだろ……」
シバに問い質すべきことは星の数ほど多いはずなのに、どれも的を射た質問ではないような気がして、赤緒はただ持て余す。
――どうして八将陣なんかにいるのか。この国をロストライフ化すると言ってのけたのは事実なのか。幾度となく立ちはだかり、その度に自分に問いかけてきた戦う意味は何なのか。そもそも本当に……彼女は敵なのか。
問うべきである質問はどれも手の中を滑り落ちていく。
「迷ってるなら、まずは行動!」
マキが背中を押して志麻涼子へと駆け寄っていた。
「赤緒から質問があるんだって!」
「ちょ、ちょっと、マキちゃん……」
「柊さんから? 何?」
「えっと……」
こうしてお互いにかしこまって、しかも他人行儀なのは何か違う気がする。それでも、よくよく考えれば相手が一方的に自分のことを知っているだけで自分はシバのことを一ミリも知らないも同然なのだ。
だから、聞くべきことは多いのに、どれもこれも決定打にならないような気がして……。
「お見合いじゃないんだからさ。何か聞けば?」
マキの促す声に赤緒はまごついてしまう。
「えっと、その……シバさ……志麻さんは……その……」
「ゴメンね? 赤緒ってば口下手だからさ。転校生……志麻さんって絵になるよね。後で似顔絵描いていい?」
マキはこういう時に積極的だ。志麻涼子はにこやかに応じる。
「喜んで。柊さん、後で、ね?」
ひらひらと手を振る志麻涼子は自分のよく知っている八将陣のシバとはまるで別人のようであった。
しかし、赤緒はどこか差すような怖気を感じ取る。
笑顔の裏に隠れた――本物の狂気を。
きっと、シバは何かを企んでいるはずなのだ。それなのに、自分はアンヘルの一員として何もできないのだろうか。
ともすれば、シバはキョムの支配の一環としてこうして学校にまで出向いてきた可能性もある。
ならば誰かを呼ぶべきだろうか。こういう時に、誰が……と視線を彷徨わせていた赤緒は教室のドアに佇んでいたジュリと目が合う。
顎でしゃくった彼女に赤緒は自然とついて行っていた。
「あっ、あの……。ジュリ先生……っ!」
「話したいことは分かるわ、赤緒。もちろん、聞きたいこともね」
「そっ、それはそうと! 何でまた、こんなところでーっ!」
風が吹き抜ける。スカートを押さえた赤緒は体育館の屋上に佇む羽目になった自分を顧みていた。
ジュリのペースに乗せられ、結局またここで話すことになったのは自分の落ち度だ。
しかし彼女からしてみればゆっくりと話せるのはここだけなのだろう。八将陣のジュリとしての会話は他の生徒に聞かれるわけにはいかないからだ。
「うっさいわねー。私だって困っているのよ。急に転校生だって言ったって、納得できるわけないし」
「……やっぱりあれ、シバさんなんですよね?」
「赤緒には別人に見える?」
「それは……えっと……」
言葉を揺らめかせる。他の生徒と話すシバと自分と対面した時のみに見せるシバの表情はまるで違う。本当に、違う人間であるかのように。
だが、そうではないのはジュリの反応からしてみても明らかだ。
「……八将陣のリーダーって言う自覚があるんだかないんだか。どっちにしたって、ゲームを申し込んでいるのがこっちな以上、こういうのはルール違反だとは思うんだけれどねー」
ゲーム――この国のロストライフ化を巡って争い合う、アンヘルとキョムの生存競争。
それを申し出たのはシバ自身。彼女が不可侵であるはずのこの学校に押し入った時点で、それは瓦解しているのではないか。
こちらの疑念ももっともだと言うように、ジュリは頷いて見せた。
「言いたいことは、まぁ何となく。あの子がどういうつもりなのかって話よね」
「分かっているんなら……っ! 学校を人質になんて……!」
「誤解しないで欲しいのは、何も結託してあんたたちを追い込もうとかそういう類のことは考えていないっていう前提よ。今回は本当に、あの子の独断専行」
「だったら余計に……! 止めるべきなんじゃ!」
「それもねー、考えてはいたんだけれど、転校そのものは真っ当な書類の上で受理されたものだし、そこから跳ね除けるのは無理って判断したの」
ジュリもお手上げのようだ。肩を竦めて、こちらに言いやる。
「じゃあ……どうしろって……」
「どうもこうも、一日か数日か分からないけれど、クラスメイトとして過ごすしかないんじゃない?」
そんな、と赤緒は絶句する。
「納得できません! ……シバさんはキョムの……八将陣で……」
「人機に乗ってくるのなら墜とせた?」
その質問に赤緒は胸の奥をぎゅっと締め付けられたのを感じ取った。人機に乗ってくるのなら戦える。それならば勝つ気はある、と言うのは身勝手な論法だ。相手が敵だと、分かりやすい形でなければ敵対さえもできないなんて。
そうだとすれば、眼前のジュリだって充分に敵の要素は含んでいるはずなのに。それでも敵対する気にはなれない。彼女の人となりがそう思わせているのかもしれないが、それ以外にも赤緒はできれば戦いたくないと思っていた。
「……そういう質問は、ずるいです」
「分かってる。赤緒はそういう性格じゃないもんね」
ははっ、と笑ってみせたジュリに赤緒は頭を振っていた。
「……どうしろって……。だって、シバさんは……」
「ま、その辺の答えは自分で見出しなさい。あの子がどういうつもりで、学校に通うって選択肢を取ったのかは、ね。それこそ、彼女じゃないと分からないかもしれないけれど、案外、答えは身近にあるかもよ?」
ジュリの姿が掻き消える。取り残された赤緒は拳をぎゅっと握り締めていた。
「シバさんじゃないと、分からないこと……」
その黒髪を一本に結んで、体操着に身を包んだ志麻涼子は少しだけ近寄りがたい空気さえも漂わせていた。
「次、赤緒ー」
ホイッスルが鳴り、赤緒が駆け出す。しかし、やはりと言うべきか、五段の跳び箱すらも飛べずにへたり込んでしまった。
「赤緒、運動神経悪いなー」
「ほ、放っておいてくださいよぉ……」
跳び箱は大の苦手だ。敗走する赤緒に対し、志麻涼子はフッと微笑んでいた。
――笑った?
それを確認する前に志麻涼子の番になる。彼女は駆け出したかと思うと、跳躍し様に身をひねり、その疾駆でバック宙を決め、十段の跳び箱を軽く超えていた。
軽業に拍手が湧くがジュリはそれを諌める。
「こら。跳び箱に手をついてないから今のは失格よ?」
「ああ、そういう類のものだったのか。失敗したな」
全員分の歓声を一手に受け、志麻涼子は帰っていく。途端に女子たちの注目の的になった。
遠くで離れて見ている男子連中の目にも留まったらしい。ざわめく彼らに志麻涼子はウインクする。
どこまでも読めない、と考えていた赤緒はマキに肩を突かれていた。
「……気になるんなら聞けばいいのに。私、似顔絵描かせてもらっちゃった!」
マキが取り出したのは、どうにも抽象画としか言いようのない絵である。そこに志麻涼子の要素を見出すのは難しかったが、赤緒は呆然と言いやる。
「……人気……なんだよね。志麻さん」
「うん? そりゃ、スタイル抜群、そんでいて性格もよくって運動神経もあるってなら、人気にもなるでしょ。女子にも男子にもモテモテ。いいよねー、損がなさそうで」
「マキちゃんも……そう思うの?」
「ま、私は赤緒の友達やってるから、人気者はいいかな」
マキが抱きついてくる。それを泉が諌めていた。
「マキちゃんってば。でも、本当にすごいですわね、志麻さん。何だか、頼れるリーダーって感じで」
「頼れる……リーダー……」
――だからあなたは八将陣にいるの?
そんな質問が口からついて出ようとして、赤緒は志麻涼子を見つめるのみであった。
「赤緒ー、一緒に帰ろうよー」
学校から喧噪が消え、放課後になってから帰路につきかけて、赤緒はううん、と首を振っていた。
「ちょっと用事があって……」
「転校生の? 無理しないでよ。何かあったら赤緒の友達代表である私たちの沽券に関わるんだから」
「マキちゃん……。大丈夫。何もないよ」
軽い嘘。だが問い質さなければならないはずだ。赤緒は帰り支度を始めた志麻涼子へと歩み寄っていた。
「……ちょっといい? 志麻さん」
「柊さん? どうしたの?」
「ここは、ちょっと……」
「ああ、そうね。人目があっちゃ、いけないものね」
志麻涼子はまるで昔から見知ったかのように放課後の屋上へと赴いていた。普段なら進入禁止になっているはずの屋上の鍵を彼女は持ち合わせており、そのまま後ろ手に鍵を閉める。
吹きつける夕映えの風に、赤緒は問い質していた。
対峙する、赤と黒――。交わるはずのない、二つの色彩。
「志麻……いいえ、シバさん。どういうつもりなんですか」
「どういう? 別に、一日だけ赤緒の景色を知りたかっただけだよ。お前は私と同じだからな」
やはり、勘違いではなかった。彼女は間違いなく、八将陣、シバだ。
だが、ならば何故と言う疑念が突き立つ。どうして、彼女はクラスメイトになってみせるという回りくどい真似に出たと言うのか。
「……私たちを倒したいのなら、クラスメイトに溶け込む必要性なんてなかったはずでしょう?」
「そうだな。アンヘルを全滅させたいのなら――いっそここでお前を殺してもいい」
ぞくり、と総毛立つ。よくよく考えてみれば、まともな装備もなしにシバと対面した己のほうが随分と愚かしい。持っているのはアルファー一枚だけ。そんな調子で、両兵と対等以上に刀で渡り合うシバに勝てるものか。
だが相手にも理屈があるはず。その理屈さえ問い質せば見えないはずがないのだ。
今回の行動の理由と、そして何の目的であったのかを。
「……その手には乗りません。あなたの口調に、踊らされ続けるわけには……」
「だが、ゲームだと言うのならば私の敗北になってしまうな。こうして人機もなしにお前と一対一。ある意味では不利だ」
ハッと赤緒は気づく。ここでシバを下せば八将陣は頭目を失い自然消滅するのではないか。そのために今、自分が汚れ役を買って出る覚悟があるのならば――。
しかし、そこまで考えて、否と首を振る。
「……そういうつもりで、来たわけじゃないんでしょう?」
どうしてなのだろう。相手が戦うつもりならばもっとうまい方策があると判じたのか、それともジュリの言葉が気にかかったのか、ただの道楽で彼女が学校に潜入したわけではないのは看破できていた。
シバはフッと微笑む。
「さすが、と言うべきか。いや、ここ数日間でお前の血続としての素質は高まり続けている。見えているんだ、モリビトの可能性、その木漏れ日が。だから、強くなれ。赤緒。そのためならば――私は何だってしよう」
シバが掲げたのはアルファーだ。
煌めいたアルファーが夕陽を反射し、一条の光と共に降り立った巨人を召喚する。
漆黒の痩躯の人機はこちらを睥睨していた。
「……人機……」
「ここでケリをつけるか? それとも、戦う前から逃げ出すか? 選べ! 赤緒!」
そうだ、自分は、選び取るために――。
「――来て。《モリビト2号》!」
天高く掲げたアルファーが共鳴し、青い愛機を呼び出す。《モリビト2号》が緑色の眼窩に敵意の光を溜めて、漆黒の人機を見据えていた。
「この人機は《ブラックロンド》。逃げないと誓ったのならば勝ってみせろ! 赤緒!」
敵人機――《ブラックロンド》が双剣を携えて構える。赤緒は《モリビト2号》のコックピットへと導かれ、制服のまま乗り込んでいた。
夕映え空を背にして、二機の人機が校庭で睨み合う。
人機襲来の報がもたらされ、避難を始める生徒たちを他所に、赤緒とシバは互いの人機越しに武装の構えを取る。
《モリビト2号》がブレードを手に《ブラックロンド》とぶつかり合った。上段より打ち下ろしたブレードの一閃を相手は受け止め、力を分散させつつ返す刀を打ちのめそうとする。
それを盾で弾き、リバウンドの斥力を発生させて防御陣を敷いていた。
『やるようになった! 赤緒!』
「シバさん! あなたは何で! 私の前に!」
『それが問い質したければ強くなれ! 私を屈服させてみせろ!』
地面を滑って背面に回り込んだ《ブラックロンド》が払う剣筋を浴びせかける。咄嗟のブレードで応戦し、赤緒は吼えていた。
「負けない、負けたくない……、負けられないのよっ!」
赤緒の雄叫びに呼応し、《モリビト2号》の眼光が煌めく。薙ぎ払ったブレードが相手の剣と干渉し、火花を散らした瞬間であった。
互いの剣が決定的な間違いを犯す前に――赤い影が降り立つ。
『そこまで。……ったく、赤緒もあんたも、何でこう……』
「ジュリ先生? 今は……」
『今はも何もないでしょ。シバ、これで充分じゃないの?』
その問いかけを氷解させる前に、シバは《ブラックロンド》を下がらせていた。
『そうだな。ここまでで充分だ。赤緒、一日だけだったが――クラスメイトと言うのも悪くはなかった。ともすればこういう未来も、あったのかもしれないな』
《ブラックロンド》が光に包まれ、シャンデリアに昇っていく。その光の残滓を眺めつつ、赤緒は呟いていた。
「こういう、未来……。シバさん、私はでも、今日みたいな日々が、あればきっと……」
何か違ったのかもしれない。そう思わざるを得なかった。
「志麻涼子? 誰それ」
翌日、マキに問いかけたところ、彼女は小首を傾げていた。
泉も同様である。
「転校生なんて……この時期に来ないはずですわ」
では昨日のは、と赤緒は自然と空いた席に視線を流す。
自分しか覚えていない存在。自分だけが、昨日の出来事を「真実」として記憶し続ける。
それはある意味では残酷で、ある意味では別の可能性であったのかもしれない。
シバと。敵同士ではなく、こうして肩を並べ、一緒に学校に通えたかもしれない。同じ学び舎で、いい友人になれたかもしれない、そんなささやかな未来像。
――志麻涼子。
その名を覚えているのは、きっと私だけ……。