「……ラクレス。何でお前は来ないんだ?」
「用があるのよ。作木様と、ね……」
妖艶なる笑みにレイカルは食って掛かる。
「お前……! また創主様に変に取り入ろうとして……!」
「いや、違うんだ、レイカル。ちょっとラクレスの力が欲しいってだけの、僕のワガママだから」
取り成した作木にレイカルは腕を組んで訝しむ。
「本当ですか? ……ラクレス、お前、何か企んでいるだろ」
ぎくりとした作木に比してラクレスは涼しげに応じていた。
「あらぁ……変に勘繰っちゃって。もしかしてレイカル、ちょっと留守にする程度で作木様を取られちゃうと思っているのかしらぁ?」
「なっ――! 嘘ですよね、創主様! こんな奴の言いなりになんて……」
潤んだ瞳を向けるレイカルの正直さに、作木は気まずげに視線を逸らす。
「いや、まぁ……。その、何て言うのかな……」
頬を掻いて誤魔化そうとするが、その様子にレイカルは涙ぐんで飛び出していた。
「そ、創主様とラクレスのアホー! 私だけのけものにーっ!」
「ああっ、またガラス割って行っちゃった……」
修繕費が、と肩を落とす作木にラクレスはそっと言いやる。
「……まぁ、想定内でしょう。作木様、ここからです。とりあえず、レイカルを追い出せはしました」
「うん。……なかなかに難しいけれどでも、これだけは僕がやらないと」
すくっと立ち上がった作木は秋も深まった冷たい風を浴びつつ、外出していた。
「ラクレス。当ては……あるんだよね?」
「お任せを。既に根回しはしております」
さすがだ、と感嘆する。否、自分がこういうものに不慣れなだけで、世の中の一般層はきっちりとしているのだろう。
万年切り詰めた貧乏学生生活がこういうところで祟ってくる。
作木は弱々しく鳴いた腹の虫を押さえつつ、よし、と声にしていた。
「行こうか。夜までに、きっちりしないとね……」
飛び込んできたレイカルの事情説明を聞くなり、ヒヒイロは頭痛を覚えていた。
「……お主、そんなことで飛び出してきたのか。修行をするという名目は……」
「そんなこと? ヒヒイロ、そんなことじゃないぞ! 創主様がラクレスの目論見通りになったら、大変なんだ!」
「……では聞くが、ラクレスの目論見とは何じゃ?」
「それは……えっと……何なんだろ……」
予想通りの返答にヒヒイロは嘆息をつく。
「事情も分からずにとやかく判断してやることもなかろう。あれでも改心したはず。まったく、お主は……急き過ぎておるのう」
「で、でもだぞ! もし……とんでもないことだったら? 創主様が巻き込まれてしまう!」
「作木殿は正統創主であろう。間違いなど起こすわけもないのはお主が一番知っておるはずだが?」
「で、でも……何か隠しているんだ。創主様もラクレスも……。それが何か……嫌なんだ……」
勘は鋭くとも肝心の何かまでは分からないか。ヒヒイロは将棋盤を挟んだ削里へと声を振っていた。
「如何にしましょう。真次郎殿。今日はレイカルに数の数え方を教えるつもりでしたが……」
「俺はこの盤面をどうにかできる得策が欲しいね」
「言っておきますが、待ったは五分までですぞ」
削里は渋面を作って将棋盤を睨む。レイカルは、そういえば、と周囲を見渡す。
「カリクムと割佐美雷はどうしたんだ? いつもいるじゃないか」
「……野暮用とのことじゃ。今日はお主に計算をみっちりと……」
そこまで口にしてから、レイカルは顎に手を添えて思案する。まさか、気取られたか、とヒヒイロは探りの声を発していた。
「どうかしたかの?」
「……いや、何かみんなで隠してる。そんな気がするんだ。カリクムたちなんて万年暇じゃないか。ナナ子も来ていないし……何か、おかしくないか?」
「そうでもなかろう。皆、年末は忙しいものじゃ」
理論で取り繕おうとしても、レイカルの第六感はこういう時に冴え渡る。まさか、と声にした時、ヒヒイロは僅かに気を張り詰めた。
「……私には言えない、すごい特訓でもしているのか? カリクムと割佐美雷だけずるいぞー!」
ごろんごろんと転がりながらレイカルが嘆く。
――まぁ、こやつの考える程度も知れておるもの。
安堵の息をつき、ヒヒイロは算数を教え込もうとした。
「よいか? まず1+1じゃが、何回も言っておるように、砂山を当てはめるのではなく――」
レイカルはじっと、こちらを見据えている。その純真な瞳にヒヒイロは問い返していた。
「……どうかしたか?」
「いや……何か、ヒヒイロも変だな、と思って。何だか……不自然だ」
名言化する術は持たぬものの、やはり目聡いか。ヒヒイロは話題を変えていた。
「不自然なものか。こうして修行をつけておる」
「でも……算数なんかよりもっと……大事なことがあるんじゃないか? カリクムも割佐美雷も……それに創主様もラクレスも……。何だか妙に……よそよそしい……」
ヒヒイロはレイカルに鉛筆を持たせ、よいから、と促す。
「まずは1+1をじゃな……」
「ヒヒイロ! もっと大事なことがあるはずなのに……どうして正直に言えないんだ? それって変じゃないのか?」
それがしこりになって修行も満足につけられないか。どうするべきか、と考えあぐねたヒヒイロへと削里が言葉を振る。
「大事なことって言うのは、案外伝えられないものなんだ。人間だってそうさ。オリハルコンだって似たようなものだろう?」
削里のフォローにヒヒイロは内心、ホッとするがレイカルの疑問は尽きないらしい。
鉛筆でノートの上にぐるぐると円を描く。
煮え切らない自分の心の中身のように。
「……それって変じゃないのか? 隠し事とか、大事なことを言わないって、それはおかしい!」
レイカルは真っ直ぐだ。こうと決めれば、それには従うが、一度違うと考えればそこで考えが滞ってしまう。今もまた、どこかで違和感のある自分たちの態度に対して感情的になろうとしていた。
「……でも、隠し事とか大事なことってのは、相手のことを想っているから言えないことだってあるだろ? 例えば、作木君はレイカルの期待を、今まで裏切ったことがあるかい?」
「それは……創主様に限ってはないが……」
「だろ? 信頼し合っているのなら何も心配は要らないじゃないか」
削里の落としどころに納得したレイカルであったが、やはり不安の種は拭えないのか、算数の授業も真面目に身が入らないらしい。
「1+1」の計算式を、じぃっと睨んでいる。
「……何度も教えたじゃろう」
「……でも、ヒヒイロやカリクムの言うように、1と1が足されて2になるって……変じゃないか。くっついたら1になるだろ」
屁理屈をこね回すのも眼前の問題が解消されない限りはずっとだろう。
しかしヒヒイロは、この場にせめて一時間はレイカルを留めておく必要があった。
――何せ、今日はのう……。本人は全く、これっぽっちも覚えておらんようじゃが……。
「レイカル。算数が嫌なら将棋でも打つかい?」
削里の言葉にレイカルは盤面に飛びかかる。そのせいで、削里の惨敗の陣営が総崩れになった。
勝敗をなぁなぁにされ、ヒヒイロはため息を漏らす。
「真次郎殿……」
「いいじゃないか。将棋のルールは……」
「分からん! でも、算数よりかはいい」
きっぱりと言い放ったレイカルに苦笑いしながら、削里は駒を箱に詰め、盤面の中央に山積みにした。
「じゃあこれならできるだろ? 将棋崩し」
「おーっ! 砂山でやったことがあるぞ! 私は得意なんだからな!」
ふん、と自信満々に胸を反らすレイカルに、削里がこちらへと目配せしてウインクする。
ヒヒイロは一つ首肯を挟んでいた。
「……まぁ、算数ばかりが修行ではないからのう」
ひとまずレイカルが今は夢中になれればそれでいい。
ヒヒイロは時計を仰ぎ見ていた。
――約束の時間まで、残り一時間半。
「……やった! また私の勝ち!」
諸手を挙げたレイカルに将棋崩しでも惨敗を刻んだ削里は、いやはや、と後頭部を描く。
「思わぬ才能だなぁ」
「頭を使わないのなら、こんなの簡単だ!」
言い放ったレイカルに削里は時計を見やる。その仕草にレイカルは疑問符を挟んでいた。
「……何なんだ? やけに時間を気にするな? さっきからヒヒイロもそんな気が……」
「気のせいじゃ。しかしレイカルよ。ちょっと長引いてしまったな。そろそろ、家に帰らんでよいのか?」
「ああ、そうだな。創主様にも心配をかけているし……このショーギなら、負ける気がしないぞ!」
「まぁ、今回は俺の負けかな。でもま、勝ちでもあるんだけれど」
「負け惜しみを言うな。私の圧勝だ!」
腕を振るうレイカルに削里はそれとなく口にする。
「……いいのかい? そろそろ作木君たちが待ってるんじゃ?」
「あーっ、そうだな。今日はここまでにしてやる。ヒヒイロ、修行をまたつけてくれ!」
飛び込んできたのと同じような速度で、レイカルは飛び出してしまう。その背中へと、二人は言葉を漏らしていた。
「……実直もあそこまで来れば、正直心配でもあります」
「いやまぁ、いいんじゃないか。だって作木君だって存分に不器用だし。これくらいでちょうどいいと、俺は思うけれど」
「……創主としては作木殿も申し分ないのですが、いかんせん、こういうことになると互いに器用とは行かぬ様子」
「でも、それが見ていて愛おしい。だろ?」
心得た削里の声音にヒヒイロは頷いていた。
「愛おしい、ですか。それは……果たしてあ奴らが辿る未来に……。――さて、では真次郎殿。続きと行きましょうか」
駒を並べ直すヒヒイロに削里は仰天する。
「おいおい……さっきの勝負はお流れだろ?」
「何をおっしゃいます。待ったは五分まで、と言ったでしょう。それに、駒の配置くらいは覚えております。では、この盤面で、おっしゃりたい言葉は?」
絶望的な戦局が再現され、削里は素直に頭を下げていた。
「……参りました」
「結構。……オリハルコンと創主の関係も千差万別。せめて……レイカルが素直に喜べればよいのですが……」
「それは要らぬ心配って奴さ。だって、分かっているじゃないか。教え子だろ?」
将棋盤を片付け始める削里に、ヒヒイロはフッと微笑んでいた。
「……そうですね。我ながら要らぬ感傷でした」
「あっ、思い出した……。創主様とラクレスにアホって言って出て行っちゃったんだ……。怒ってるかな……」
もう作木の部屋は視界に入っていたが、どこかその後悔が躊躇させる。
そんなレイカルの背中を突いたのはナイトイーグルであった。
「イーグル? ……えっ? そのまま戻れって? どういう……」
促すナイトイーグルに従い、レイカルが割れた窓から入った途端、パンパンとクラッカーの音が連鎖していた。
「ハッピーバースデー! レイカル!」
頭にかかった色彩の紐にレイカルは呆然とする。
「どうして……カリクムに割佐美雷……それにナナ子も……。みんなで集まって、どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもないだろ。まさか、忘れていたのか?」
カリクムの詰問にレイカルは小首を傾げる。
「……何をだ?」
大きくため息をついたカリクムに小夜が付け加える。
「レイカル。あんた、今日が誕生日じゃない。自分の誕生日、すっかり忘れていたの?」
「たんじょうび……」
繰り返してみても実感はなく、きょとんとするレイカルに作木が歩み寄る。
「あっ……創主様……。あの……怒ってますか? アホって言っちゃったし、窓も割っちゃったし……」
ばつが悪そうに視線を合わせられない自分に、作木は優しく頭を振った。
「いいや、怒ってないよ。それどころか、この日を僕にも……再認識させてくれてありがとう。レイカルの誕生日に、何か特別なことをしようって言ってくれたのは、ラクレスなんだ」
その紹介にラクレスがぷいと視線を背ける。
「……戯れですよ。ただ……誕生日くらいは祝ってあげないと、可哀想ですものねぇ……」
憎まれ口だが、その裏にある感情がこの時ほど、レイカルは分かりやすいものはないと感じ取っていた。
ナナ子が卓上に置かれた箱を開く。
「じゃじゃーん! レイカル、大変だったんだからね。いくらデザインには自信があるって言っても、キャラケーキなんて……」
「わ、私?」
ケーキの中央部に彫られた自分の似顔絵にレイカルは狼狽する。ナナ子はふふんと鼻を鳴らしていた。
「私の技術にかかれば、朝飯前よ! ま、仕上げは小夜と作木君にも手伝ってもらったけれど」
「創主様が……」
作木はどこか照れくさそうに頬を掻く。
「ケーキ作りなんて、やったことないから不安だったけれど……。でも、レイカルの喜ぶ顔が見たかったんだ」
「ホラ、あんたの誕生日なんだから! もっとしゃんとしなさいよ。祝ってあげてるんだからね」
小夜がケーキにロウソクを指そうとして、あれ? と声を振る。
「レイカルって……何才だっけ?」
「えっと……オリハルコンの正確な年齢ってのは、創られてからの期間だよな? ……何才だったか?」
顔を見合わせるカリクムと小夜に、レイカルは胸の奥にあたたかなものが灯ったのを感じ取っていた。
どこかこそばゆく、くすぐったい何かに、レイカルは戸惑う。
「そ、創主様……。何だか胸の中が、くすぐられているみたいな感じがします……。何なのでしょう……?」
作木はそっと微笑み嬉しそうに頷いていた。
「きっと、それは祝ってくれるみんなが……愛おしいってことなんだと思う。ありがとう、生まれて来てくれて……僕のオリハルコンに、なってくれて。その……何て言うか……」
「もうっ、作木君もシャイなんだから。嬉しい、でいいのよ。単純な話じゃない」
小夜に後押しされ、レイカルもまたラクレスとナイトイーグルに背中を押される。
佇んだお互いに、作木は照れ隠しのように視線を右往左往させる。
「その……えっと……」
その仕草に、レイカルはぱっと大輪の笑みを咲かせていた。
――今はただ、この一時が麗しく、そして、愛おしい。
「ありがとうございます! 創主様! 私を生み出してくれて、本っ当に嬉しいです!」
てらいのない笑顔と言葉に、作木も正直になれたらしい。頬ずりして愛おしさを確かめる。
「こっちこそ、ありがとう。これからも……」
「はい! それが創主の望みならっ! オリハルコンは全力で応えるまでですので!」
そう、これからもこの日々の永遠を願って。
安息と充足の中で、レイカルはロウソクの火を吹き消していた。
――さぁ、今はただ祝おう。
「ハッピーバースデー! レイカル!」