JINKI 62 メカニックの誇り

 そうこぼした古屋谷の声をトウジャの高感度の集音性能が拾い上げる。

『……何さ。青葉やルイだってボクと似たような年頃でしょ? 驚くことないじゃん』

 エルニィは上操主席に座り込み、軍の特殊改造が施されたパネルを引っぺがす。トウジャの巨躯が身じろぎし、その機体をゆっくりと降下させていた。

「……しかし、我々の物になったとは言え、元々は軍部の管轄です。どうします?」

 問い質したグレンに川本と呼ばれている整備士が応じる。

「そうだね……。親方の復帰を待ってから、とも思っていたけれど、広世君たちのトウジャも直さなきゃいけない。血塊炉は軍部の独占していたものを流せるとしても、一機でも戦力は欲しいところだね。それに、トウジャは高性能機なんだ。遊ばせておく余裕はどっちにせよないし……」

 思案する川本にコックピットから這い出たエルニィが言いやる。

「あ! じゃあさ、じゃあさ! ボクこれ、改造していい?」

 思わぬ、と言った調子であったのだろう。整備班全員がうろたえていた。

「……いやでも……これって賽重要機密になるんじゃ……」

「もう、ないも同然でしょー。そういうこだわりは捨てないと。ぽっちゃり君」

「ぽ、ぽっちゃり君……?」

 操主席でふんぞり返るエルニィへと、整備のうち、数名が取り着いていた。

「……直せるの? その……立花相指博士の……お孫さん……」

「エルニィだよ。エルニィ・立花。……ヤだなー、その枕詞! ボクはじーちゃんのお飾りじゃないんだからねっ!」

「とは言っても……、どうします? 川本さん。確かに彼女……エルニィさんの言う通り、遊ばせておく余裕はありませんよ」

「だねぇ……。ここは任せちゃうのも手かもしれない……。でもまずは、君もこっちに来てくれないかな。人機の共通認識を知りたいし、何よりもまずは信頼関係だ。不幸中の幸いだけれど、資材はある。君の改造プランを通せるかもしれない」

 手招いた川本に、エルニィは軽い身のこなしでよっと着地する。

「いいの? ボクってば天才だから、みんな持て余しちゃうかもよ?」

「……その天才の、猫の手でも借りたいのが本音なんだ。青葉さんを見送った後とは言え、何かあるのは僕らでも容易に分かる。軍部もいつまでもここに駐在してくれるわけでもない。……大きな一つことが起こる前に……準備はしておきたい」

「あ、それは本当かも。さっきからさー、イヤーな暗号通信が飛び交ってるんだよねー」

 トウジャのコックピットにはめ込まれていた通信機を持ち出した自分に全員がどよめく。

「……本当に大丈夫なんですか……?」

「人機を触らせて、何かあったら……」

「大丈夫。責任は僕が取るから。まずは話し合い。軍部の機密通信も含めて、ね」

 この場を取り仕切った川本の意見に、他の異論は封殺された形だ。エルニィはその様子を仔細に観察する。

「……へぇ。キミってば偉いんだ? にしても、本当にカナイマアンヘルって日本人集団だったんだね。噂には聞いていたけど」

 キャンプへと戻っていく整備班を尻目にエルニィはトウジャのコックピットより配線を伸ばし、自前の解析機にかける。

 青葉の《モリビト2号》を再生産した際に無数のシステムバックアップを取っておいてよかった。お陰でこれまでほとんど知り得なかった人機の秘密は、最早自分の前では丸裸同然。

 解析機の弾き出すデータを眺めつつ、エルニィは《トウジャCX》を横目で仰ぐ。

 ――これが、祖父の開発した人機か……。

 感慨にふけるわけでもないのだが、今まで人機に関しては全て祖父が携わっていたため、自分に明け渡された情報はフライトユニットを持たせた《モリビト2号》とルイの《ナナツーウェイ》、それに軍部から不自然に流入した血続トレースシステムのみ。

 とてもではないが、人機を一から開発、設計した祖父には追いつけまい。

 その差を埋めようと、エルニィは一秒すら惜しかった。

 何か、大きなことが起きようとしている。

 感覚でしかない、その予兆は誰しも持っているのだろう。

 どこかアンヘルに協力姿勢のある軍人たちも余所余所しい。彼らのみに通達された作戦だってあるはず。

 自分の仕事は、それを一つでも確証足りえる要素にすること。

 そのためならば労は惜しまなかった。

「あの……立花博士のお孫さん……じゃ駄目なんだったね。エルニィちゃん」

 ぴたり、とキーを打っていた指先を止める。

 どこかかしこまった様子の川本へと、エルニィは視線を飛ばしていた。

「……エルニィ……ちゃん?」

「あ、駄目だった? ゴメンね……」

「……別にいーけれどさ、呼び名一つどうでも。でも、本当不自然」

「な、何が……?」

「軍の開発環境が、だよ。《トウジャCX》は最新鋭機って言う触れ込みになっているけれど、それも嘘、詭弁だ。本命の最新鋭機は別にいる。トウジャのコックピットに、常に戦闘状況を送信する機能がついてた。つまり、このトウジャはテストベッドだったって言うこと」

 大層なものを掴まされたものだ。だが、これで終わらないのが自分である。

 ――利用されたのならば、今度は大きく利用し返してやる。

 鼻息を荒くしてシステムの洗い出しに入ったエルニィへと、川本は感心したように息をついていた。

「……すごいな。そこまで分かっちゃうんだ……」

「別に変じゃないでしょ? ボクはこれでも天才なんだから」

「いや、理屈ではそうかもだけれど、君みたいな子がそこまで人機のことを理解しているのは驚きだよ。……青葉さんと言い、案外、君たちみたいな子にこそ、適性があるのかもしれないね」

 川本は離れる気がないらしい。自分の見張りにつくつもりかと、エルニィは反骨心を露にした。

「……あのさ、観ていたって何にも変わらないよ? ボクはこのトウジャから引き出せる情報を引き出すし、それはボクの勝手だ。こいつ、まだまだ利用価値があるもん。せめて、最新鋭機が何なのか、解明できれば……」

「青葉さんたちへの援護にも繋がる、か」

 呟いた川本にエルニィは気色ばんだ。

「……何か、妙な感じだよね。青葉を送り出して、で、軍部とアンヘルが共同作業ってのも。トウジャ一つ取ってみても相当に使えるよ? 古代人機の侵攻を防げるかもしれない」

「それは大助かりだよ。今のままじゃ、ノウハウがあるのはルイちゃんくらいだからね。その彼女だって、縛り付けておくわけにもいかない。僕らができるのは、いつだって人機を最善の状態にメンテナンスすることだけだからね。……不甲斐ないかもしれないけれど」

 そう言って笑った川本の気安さにエルニィはちらりと一瞥を向けていた。

「……モリビトの整備って、ここでやってたんだよね?」

「あ、うん。まぁね。資材が足りなくって毎回ジリ貧だったけれど」

「じゃあ……青葉も両兵も、ここで戦っていたんだ……」

「えっと……立花相指博士のお孫さんなら、ブラジル出身だっけ? ここは案外遠いからねー……。別の世界の出来事のように思えるかもしれない」

「一応、前知識はあったけれどね。三つに編成されたアンヘルに、ラ・グラン・サバナから来る古代人機からの防衛成績。どれもこれも秘匿事項だけれど、まぁ、ボクの知識の前じゃ、前時代的なパスワード管理だよ、っと!」

 エンターキーを押すと《トウジャCX》の送信先が明らかとなる。無数に枝分かれした人機のデータが暗号化されており、解析には一昼夜では難しそうだった。

「……トウジャの稼働データから、こんなに人機を造れるんだ……。にしたって、どれもこれも乱雑なデータ配置と言うか……わざと分かりにくくしている……? あ、一個だけ分かりやすいファイル見っけ。……八将陣計画……」

 開かれたファイルに書かれていたのは、この国を動乱の世に落とし込む内容であった。

「……ワンオフ機の登用と、量産型人機、《バーゴイル》……。どれもこれも、まずい出来事じゃないか……!」

 立ち上がりかけた自分の手を、川本が咄嗟にか、制する。彼は静かに頭を振っていた。

「……混乱させたって仕方ない。分かる範囲から紐解こう」

 確かにここで無用に騒いだところで、現場の指揮が乱れればアンヘルと軍部の協力体制も崩れるかもしれない。

 今は、知らぬ存ぜぬを通せ、と言うことか。

 座り込んだエルニィは続きを反芻する。

「……テーブルマウンテンの支配は、このためだったんだ。元々、ガワだけできていた新型人機を使用可能にするために。最新の血塊炉にブルブラッドさえ通せば、確かに使えるかもね……。でも、こんな規模での戦闘配置と、それに武装は……」

「何か、よくないことでも……?」

 赴く先をエルニィは震える声音で応じていた。

「……大都市での殲滅戦を加味したとしか思えないよ。このままじゃ、国家が倒れるかも……」

 最悪の想定に川本は、そっか、とだけ返答する。

「そっかって……一大事なんだよ? それ分かってるわけ?」

「でも、僕らにできるのは、青葉さんの帰りを待つことと、それに出せる人機を万全にすることだけ。騒いだって事態は好転しないよ」

 いやに醒めた目線の川本にエルニィは、自分だけ感情的なのも馬鹿馬鹿しいと不貞腐れていた。

「……何さ。ちょっと現場判断が長いだけで……」

「まぁ、その通りなんだけれどね。ちょっと現場判断が長いだけ。だから、一発逆転のアイデアだとかは思い浮かばない。でも、この時間を一秒でも長く維持するのだけは全力を尽くす。それがメカニックの仕事だ」

 苦笑した川本だが、その頬には機械油が飛んでいる。エルニィは覚えず、それを指先で拭っていた。

 川本は面食らったようだが、自分はその汚れに視線を落として沈黙する。

 ――きっと長い間、モリビトの戦いを支えてきた。

 その姿勢はメカニックを志すだけの自分とは正反対の立ち位置だろう。

 現場で常に状況判断と、そして機転を求められるのは、しかし人機メカニックの確かな素質。

 それがまだ、自分にはない。

 まだまだ、机上の空論で動いている自分を発見する。

「……メカニックになるんなら、背負わなきゃいけない、か」

「ああ、汚れてた? ……でもこれは、勲章みたいなものだからね」

「勲章?」

「うん。僕ら整備班は常に人機と運命共同体。だから、機械油一つでも、何ていうのかな……心を通わされた感じがするんだ」

「心を……通わせる……」

 ぎゅっと拳を握り締めた自分に何を見たのか、川本はふふっと微笑む。

「……何か可笑しかった?」

「いや……。日本に君くらいの年の妹を残してきたなぁ、ってちょっとだけ思い出した。身内褒めみたいになるけれど……僕よりも頑張り屋さんで、それでたくさん抱え込む子だったからね……。どうしているのか、想像もつかないや」

「……その子には、人機のことは……」

「話していない。いや、話せるわけもないんだ。ただ……一度だけ、人機に関してのことは手紙で伝えたことがあったっけ。……ま、南米でロボットに携わっている、なんて言っても実感はなかっただろうけれどね」

 その妹とやらはきっと、こんな土壇場に川本がいることなど想像もできないはずだ。日本は自分にとっても、それにこのアンヘルと言う場所にとっても、とても遠い。

 だが、決して無縁ではないのは、この血で証明できる。

「……ボクも日本人の血が流れているからね。いつかは行くかもしれない」

「もし……妹に会うことがあったら、仲良くしてやってくれると嬉しい。でもまぁ、ないとは思うけれどね」

 それは半分、願いでもあったのだろう。

 まだ南米だけで済んでいる人機とそれに軍部の暗躍が極東国家にまで及べば、それは世界の危機に他ならない。

 そんな状況になるのを看過できるはずもなく。

 だから、自分はこうして抵抗している。少しでも勝ちの目が出るように。

「……ボクが人機の一流のメカニックになる頃には、今よりもっと、人機を発展させる。このトウジャだってそうだ。ここが、出発点なんだ。そりゃ、両腕に銃器なんてつけたら、ナンセンス極まりないけれどでも……未来は自由だからね」

 トウジャがどう羽ばたくのか。人機が、どう人類に受け入れられるのかは、これからの話だ。

 川本は一つ頷き、トウジャの機体に触れていた。

「……叶うのなら、青葉さんの言うように……戦いの道具じゃない、人機があると……きっといいよね」

 戦いの道具じゃない人機。そんなものは詭弁だ。あり得るはずがない。戦車と同じ、銃器を持たせた時点で、これは兵器へと足を進めている技術――。

 だが、そうなのだと決めつけてやることもない。

 青葉は言ってのけたではないか。

 戦いのためだけじゃない、人機がきっとあるはずだと。

「……夢物語だけれどでも、叶える助けをするのが、いいメカニックの条件なのかもね」

「それは……できそう?」

 その問いかけには自信満々に応じてみせる。

「できそう、じゃない。やるんだよ。それがボクなんだからさ」

 人機がどうありたいのか。この後の未来でどう試されるのかは、今を生きている自分たちの課題だ。

 ならば存分に、試せるだけの機会を与えてやる。

 それがきっと、一流の人機メカニックになれる道標ならば。

「……やってやる。人機の未来を、託された仲間なんだからね」

「立花さん。お茶が入りましたよー」

 赤緒が呼びかけると、エルニィは取り付いていた《ブロッケントウジャ》の首筋からひょこっと顔を出す。

「あー、今ちょっと忙しいから、置いといてくれるー?」

「いいですけれど……。立花さんっていつでも人機のために必死なんですね」

「そりゃあもう、必死も必死だよ。ボクが怠ればアンヘルが出られないんだからねー。特に自分の人機の整備くらいは自分でやらないと。あっ! でもお腹空いちゃった。一旦休憩ー」

 軽やかに跳躍したエルニィにあたふたしていると、彼女は見事に着地し、自分の傍を通り抜けていく。

「赤緒ってば、にぶいなぁ。置いてくよー」

「あっ、ちょっと待ってくださいよぉ……。立花さん、頬っぺた!」

 呼び止めるとエルニィが足踏みをして振り返る。頬についた機械油を赤緒はそっと拭っていた。

「くすぐったいー」

「駄目じゃないですか、汚しちゃ……。もうっ! それで上がったら怒られるのは私なんですからねっ」

「赤緒にゃ分かんないかもだけれど、これって勲章なんだよ?」

「勲章?」

 小首を傾げた自分に、エルニィはびしっと応じる。

「うんっ! メカニックの勲章! まー、赤緒には一生分かんないかー」

 馬鹿にされている気がして赤緒はむっと言い返していた。

「わっ、分かりますよぉ……っ! 私だってモリビトの操主ですからっ!」

「ホントにー? 謎だなぁ。あっ、さつきじゃん。今日の晩御飯はーっ?」

「わっ! 立花さん? く、くっつかないでくださいよ……。洗濯物落としちゃう……」

「さつきはお日様のにおいがするなぁー。何だか懐かしい感じ!」

 そう言ってさつきへと縋り付くエルニィの首根っこを赤緒は掴んでいた。

「もうっ、邪魔しちゃ駄目じゃないですか」

「ちぇっ……赤緒は心が狭いなぁー。やれやれだよ」

 反省した様子のないエルニィに呆れ果てていると、さつきがあっ、と声にしていた。

「油のシミがついちゃった……」

 さつきの着物についたシミに赤緒は当惑する。

「わわっ……どうしましょう……。五郎さんに言って、シミ取りしてもらえば……」

 慌ただしくするこちらを他所に、エルニィは軒先へと歩み進んで行く。

「南ーっ。今日のお菓子は何?」

「……あんたってば、自由ねぇ。ほっぺ、まだ付いてるわよ」

 その指摘にエルニィは言い放つ。

「これは勲章だかんね! メカニックの誇りさ!」

 その言葉に南は呆れ返った様子であったが、エルニィは頬に跳ねた機械油を疎む様子もなく、むしろ光栄だとでも言うように微笑んだ。

 ――これはきっと、まだ人機の未来のなんたるかなど途上の、物語であるのだろう。

 この勲章が本当に意味を成す日は、しかしそう遠くないのだと信じたい。

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