レイカル 16 三月「レイカルと卒業式」

「いえ、あれは……恐らくは武器に近いのでしょう。男も女も……皆持っています」

 周囲を見渡すが、武器らしいものを持っている人間は視界に入らない。それともオリハルコンのみに関知できる存在なのだろうか。

「……レイカル。相手の特徴を。もしもの時には……」

 目配せし、視界の範疇にいるナイトイーグルをハウルで感じ取る。いつでもこちらはアーマーハウルが可能だ。今ならば臨戦態勢にも、と移りかけた神経にレイカルが指差していた。

「創主様! あれです! あの黒いの……きっと武器に違いありません!」

 レイカルが指差した方向にいた一団は――都内の高校の卒業生たちであった。

 どこか拍子抜けして、作木は警戒を解く。

「何だ、卒業生のことか……レイカル。あれは敵じゃないよ。武器でもないし……」

「いえ、おかしいです! 人間が一様にあのような形状の筒を構えるなど……どう考えも奇怪に映りますし……! まさか、あれで創主様を狙って……?」

 ハッと勘付いた様子を見せたレイカルに作木は、ないない、と手を払う。

「あれはそういうものじゃないんだ。卒業証書を入れる奴で……」

「そつぎょーしょーしょ……? とは、何なのですか、創主様」

 そこからか、と硬直したレイカルが新しく目に入った卒業生に神経を尖らせる。

「あそこにも……! うぅ……囲まれてしまったぁっ! どうすればいいんですか、創主様ー!」

「いや、だからそういうんじゃなくって……。どう言えばいいんだろう。そういえば、卒業の概念ってオリハルコンにはないかもしれないし、ここは……」

 携帯の連絡先一覧にある小夜の電話番号を呼び出し、作木は通話をかけていた。

「……何だ。家にいるんじゃない。困ったことになったって切り出したから、何事かって飛んできたのよ?」

 憮然として腕を組む小夜に作木は促していた。

「すいません……説明が難しくって……。あ、どうぞ、中に」

 しかし小夜はどうしてだか腕を組んだまま微動だにしない。その様子に作木はたじろぐ。

「あのー……どうしました? あっ、散らかっていましたかね?」

 そういえばそろそろ出展用のフィギュア制作の準備を、と始めていた工具類を、作木が纏め始めたところで、ひょっこり顔を出したナナ子が肩を竦める。

「小夜ってば、乙女なんだから。気づいて欲しいのよねー。春の装い!」

 あっ、と作木は手を止める。そういえば、今日の小夜は少しだけ軽装になっており、春めいた薄桃色のスカートを纏っていた。

「えっと、その……似合っています」

「……いいわよ、お世辞は。ナナ子、あんたも入りなさいよ」

「こんにちはー! 私も春の装い! ちなみにカリクムもよ!」

 春めいた明るい色調のメイド服を着せられたカリクムが猫のように首根っこを押え込まれ、作木の前に見せびらかされる。

「……何でこんな目に……。レイカル! お前の創主が鈍くさいからだからな!」

「何だとー! お前だって、そんな戦闘力の低そうな服を着て! 外の黒筒の連中に襲われたらひとたまりもないだろうに!」

「黒筒って……。なぁー、小夜ー。これ、メンドウの種だろー? もう帰っちゃおうよー」

「駄ぁー目。あんたはいいじゃない。いっつもの服じゃないから分かりやすいし」

「猫とかに着せる服じゃないんだから分かりやすいって何だよ!」

 愕然とするカリクムを尻目に、作木は震えるレイカルをどこか面白がっているラクレスへと、説明を促す。

「その……ラクレス、説明してくれる?」

「はい、作木様。そもそも、卒業式、というのがこのシーズンの要なのよぉ、レイカル。それは分かって?」

「うぅ……それは何回も創主様から説明されたから分かったけれど……。でもでもっ! あんなの絶対に変だ! みんな同じ筒を持っている現象なんて、きっと何かをあそこから出すんだろう? 武器に関してならそこそこ分かっているからな!」

 反論したレイカルにラクレスは含み笑いを漏らす。

「レイカルってば、相変わらずお馬鹿さぁん……。あれは武器でも何でもないのよぉ……? 卒業証書を入れるためのものなの」

「だから、そのそつぎょーしょーしょって何だよ! 新手の武器か何かなんだろ! その怪しい響き……。創主様、本当にあれは何なのですか? あの筒から、何が出るって言うんですかぁ……」

「えっと、その……何も出ない……わけじゃないし……。でも卒業とか、入学って概念はオリハルコンにはないから……」

「で、私たちに知恵を絞って欲しいってわけなのね。うぅん……でも確かにレイカルたちに卒業とか、学校とかって概念をどう言えばいいのかしら?」

「学校なら分かるぞ! 人間たちが一斉に集うよく分かんない場所だ! 創主様も割佐美雷もそこに通っているから、それは分かる!」

「だから役名で呼ぶなっての! ……でも大学が理解できるのなら、卒業の概念も分かるんじゃない?」

「それがその……入るのは分かるんだけれど出るのはちょっと分からないみたいで……」

「えっ? 何でよ、レイカル。入ったんだから出るのは当たり前の理屈でしょ? それくらい、1+1が分かんなくってもまだ理解できるんじゃ……」

 小夜の疑問にレイカルは胸を張って応じる。

「……入るのは分かる。その集団の仲間に入るってことだからな。だが、出るってどう言うことなんだ? 創主様の話じゃ、裏切ったとかそういうわけでもないんだろ? なのに、数年間だけ通ってみんな一斉に出るってのは……変じゃないか。それまで苦労して積み上げたものを、自分で手離すってことだろう?」

「あっ、うーん……。そっかぁ、そういう認識になっちゃうんだ……。まぁ、確かに入学はオリハルコンの感覚で言えば仲間入りに近いんだ……? でも卒業ってなるとよく分かんない……か。ねぇカリクム。あんた分かっているんでしょ? 一つ分かりやすい例を挙げなさいよ。それでレイカルも納得するでしょうし」

「む、無茶言うなよ……、小夜。私だって、人間社会のことは分かっているけれど、確かに卒業って理論立って言えって言われたらよく分かんないんだからさ。ちょいちょい仲間になったり、離れたりするのが人間だとは思っているけれど……」

「それはカグヤには習わなかったのよね?」

「ま、まぁ……そういうことになるな。カグヤは学生でもなかったし……」

 そうなってくると、と小夜は渋面を作る。

「えっと、じゃあレイカル! 一個思いついた! ほら、仲間になっても一人前だって認められれば一人旅に出られる! これ、どう? 分かりやすいんじゃない?」

 そのたとえにレイカルはやれやれと頭を振る。

「……カリクム。お前の創主、全然分かってないな。一人前になるために強くなるのと、そのそつぎょーとか言うのは別だろ? 第一、私が見た限りでは強そうじゃない奴もいた! それはどう説明するんだよ」

 これだから、と嘆息をつくレイカルにカリクムと小夜が食いかかろうとして、それを作木がどうどうと諌める。

「落ち着いてください……。レイカルはその……納得できる説明が欲しいわけで……」

「わっ、私の説明じゃ不足だって言うの? レイカル!」

「ほら、小夜ー。レイカルに卒業云々って分かるわけないんだからさー。もう帰ろうよ。それに、さっきの小夜の説明だと、強くなくっちゃ一人前じゃないってことになるから、どっちにせよレイカルには分かんないってば」

 カリクムからも糾弾され、小夜はぐっと奥歯を噛み締めたらしい。

「……ったく! あんたらって分かっているようで人間社会のこと、全然なのよねー。ヒヒイロでも呼べば分かりやすいんじゃないの?」

「それが……毎回削里さんとヒヒイロに頼るのも悪いですし、できれば僕だけでも解決させられればと思ったんですが……」

「手が足りない……ってわけね。でも、卒業式とか、そういう式典めいたことってオリハルコンに当てはめるとどうなるの? ラクレスなら、ちょっとは分かるんじゃないの?」

 その言葉は別段、彼女の過去をよく知っての意味ではなかったのだろう。

 ただオリハルコンとしての経歴の長いラクレスを買っての発言であったのに違いない。

 だが、作木は少しだけ固唾を呑んでいた。

 ――だって、ラクレスには聞けない。彼女がかつて、その手にかけたのは……。

「……そう、ですわね。この国だけに留まらず、人間社会においての入学と卒業と言う概念、私なら少しは説明できます。……ですが、レイカルに分かるレベルで、と言われれば少しだけ不安ですが」

 濁した形ではあるが、ラクレスはやはり己の過去を語りたがらないか。

 小夜にはそれ以上の他意はないようで、そっか、と気落ちする。

 緊張の糸を強めていた作木は人知れず安堵していた。

「でも、どうすればいいんだろ。卒業式の概念を分からせるのには……やっぱり一度、それこそ卒業するしかないのかもねぇ……」

 ぼやいた小夜にナナ子がそれだと、食いつく。

「それよ、小夜」

「えっ、どれ?」

「体験させればいいのよ。レイカルに卒業式を!」

 その意味するところが分からずに作木と小夜はお互いに顔を見合わせていた。

 厳かな音楽をナナ子がスマホから流し、作木は咳払いする。

「え、えっとー。これより、卒業生、レイカルの卒業式を取り仕切らせてって……うわっ、噛んじゃった……」

「頑張って、作木君。校長先生役なんだから!」

 小夜の激励に、作木は改めて机の上に並んだミニチュアのパイプ椅子に座り込む三人を視野に入れていた。

 レイカルとラクレス、それにどこか不満げにカリクムも、全員が制服を着込んでいる。

 会心の出来の制服姿はナナ子によるものだ。

「えっとじゃあ……。卒業生、起立!」

 その言葉に三人ともすくっと立ち上がる。

「校歌斉唱……は飛ばして……えっと……蛍の光斉唱!」

 ナナ子がカンペを出し、三人は三者三様の歌声で蛍の光を歌い上げる。

「えーっと……じゃあ待ちに待った……卒業証書、授与! 生徒代表、オリハルコン・レイカル!」

「はいっ!」

 レイカルがきびきびとした動作で自分の前へと歩み寄り、作木は卒業証書を読み上げていた。

「卒業生代表、オリハルコン・レイカル! あなたはその……優秀なオリハルコンとして、何年も戦い抜いたことを、ここに称します! 創主代表、作木光明より! ……おめでとう!」

「はいっ! ありがとうございます!」

 受け取ったレイカルは事前の説明通り、深々とお辞儀する。

 レイカルに渡されたのはミニサイズの卒業証書だ。それをきっちり筒まで仕上げたのは作木の手腕である。

 レイカルは誇らしげな微笑みを浮かべ、すたすたと自分の席へと戻っていく。

 その様子に何故だか小夜は涙ぐんでいた。

「えっ……小夜さん?」

「ああ、ごめんね、作木君。でも、形式だけとは言え、ちょっとだけこみ上げちゃった……。だって、もしこの子たちが巣立つ時に、私たちって何をしてあげられるんだろうって、ちょっと考えちゃってね……」

「小夜ってば、涙もろいのも相変わらずねぇ。絶対に卒業式で泣くタイプだもん」

「うっさいわね、ほっときなさいよ……。ああ、作木君は構わずに進めて、進めて」

 ティッシュで鼻をちーんと噛む小夜を他所に作木は進行役を務める。

「えっと、では、卒業生、退場!」

 ナナ子がプレイリストを変更し、退場の音楽が流れる。

 その音楽に合わせて起立した三人がゆっくりと、机の上から降りていた。

 小夜は完全に感情移入しているのか、拍手しながらおめでとうの言葉を発する。

 全員が退場を果たしてから、ナナ子がレイカルたちに問いかけていた。

「――っと、こんな感じね。どう、レイカル? 卒業した気分は?」

 レイカルは卒業証書を受け取った手をわなわなと震えさせて、こちらへと向き直っていた。

「創主様! やりました! 私、卒業しましたよ!」

 その大輪の笑顔に小夜まではいかなくとも作木も少しだけ涙ぐみそうになってしまう。

「ああ、うん。そうだね、レイカル。卒業おめでとう!」

 拍手を返した自分にレイカルは、おおっ、と卒業証書を広げる。

「これが卒業式なんですね……! 何だかその……成長できた気分です!」

 ああ、そうか、と何でもないことに、作木は気づいていた。

 ――卒業式は成長の証。

 レイカルもきっと、数多の絆を経て成長したはずなのだ。ならばそれを笑顔で祝わないのはおかしいではないか。

 その形として卒業証書があるだけなのだ。

 こんな簡単なことに気付かなかったなんて。

「……小夜さん。卒業式のこと、ちょっと分かった気がします。それともう一つ。その……僕らもいつか、卒業するんですよね。今じゃなくっても」

 そう考えると少しだけもの寂しい。こうやって馬鹿騒ぎするのも、この一刹那だけなのかと思うと。

 しかしそのような感傷を浮かべた作木へと、小夜は肘で小突いていた。

「……何言ってるの。卒業は確かに、別れでもあるけれどでも、新しい場所に行ったって、お互いを想う気持ちは変わらないでしょ?」

 卒業証書を見せびらかして一喜一憂するレイカルに、作木は一つ頷けていた。

 ――そうだ。永遠がなくったって、ここにあるではないか。出会いの奇跡が。

 レイカルに出会えた。オリハルコンに出会えた。小夜たちと絆を結べた。様々なオリハルコンの在り方を、自分の中に刻めた――。

 それだって立派な、自分の誇れる出会いの「軌跡」。

「……戦って成長できたのは、レイカルだけじゃなかったんですね。僕も……少しは強くなれたのかもしれません」

「腕っ節はあれだけれどね。それでも作木君は、私の王子様には違いないんだからねっ!」

 ウインクする小夜に作木は心の栄養をもらえたような気がしていた。

「創主様! 卒業したら、ではどうするんですか? 卒業式は終わりましたよ……?」

「ああ、うん。そうだね、ほとんどは卒業したら、それぞれ別のところに行くのかな……。別の職場とか、別の学校とか……」

「別の職場……学校……別の……創主様とも……別……?」

 そこまで口にしてレイカルは瞳に大粒の涙を溜めていた。

「いやだーっ! 一人は超寂しいー!」

 不意に大泣きするレイカルに作木は困惑する。

「れ、レイカル? 別にここから出ていくってわけじゃなくって……」

「じゃあ卒業って何なんですか?」

 そう問われると完全にいたちごっこだ。うっ、と言葉を詰まらせた作木にレイカルは床を叩いて駄々をこねる。

「卒業なんて嫌いだーっ! 創主様と離ればなれになるのはさびじぃー!」

「……ったく、こいつはいつまで経ってもこれだなー」

「レイカルってばお馬鹿さぁん……。ナナ子様、恐らくは説明の意図は一ミリも伝わっていないかと」

「そうみたいねぇ……。あんたら見ていると、何だか疲れるわ……」

 肩を落とすナナ子であったが、作木には意義のあるものに思えていた。

 ――いつか、別れはやってくる。その時に、後悔しないように、今はレイカルたちと、共に。

「じゃ、じゃあ入学式をしようか。レイカル。卒業したから、今度は入学。それなら、ここから離れなくってもいいし……」

「本当ですか? よぉーし! お前ら! 今度は入学式だ!」

 スキップを踏んで喜ぶレイカルに小夜は呆れ返っていた。

「……作木君。当初の予定からはずれているけれど、これでいいの?」

「いえ、いいんです。春は出会いと別れの季節ですから。……いつかのために、こういう心構えもその……創主の務めなのかなって……」

 笑って誤魔化した作木に、小夜はふぅと息をつく。

「……あんまし肩肘張って、強気になったって駄目よ? 寂しいものは、寂しいって言っても、いいんだからね」

 寂しい時に、寂しいと、素直に言えるのも一つの強さか。

 いつか来る、その別れの日のために。

 今はよき出会いを、一つでも紡いで――。

「じゃあ、レイカル。入学式を始めようか」

「はいっ! 創主様!」

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