JINKI 67 君と前に進みたい

 アンヘルメンバーが思い思いの自転車を携える中で、赤緒は嘆息をつかれていた。

 晴れているので行楽日和だから、少し遠出しようと言い出したのはエルニィである。だが人機は今のところ整備中となったところで、では自転車を使えばいいと提案したのは南であった。

「自転車なら、人機を動かすみたいな了承も得なくっていいし、何よりちょっとした運動でしょ? 柊神社にずっと居たって仕方ないからねー。あなたたちも遊んでらっしゃいよ」

 南はしかし、乗り込んでいたのは旧式の軽トラであった。

 エルニィが自転車に乗って茶化す。

「あれ? 南も自転車乗れないの?」

「なぁーに言ってんの。自転車なんて乗ったら次の日に筋肉痛になっちゃうでしょうが」

「あー、もう若くないもんねー」

 このっ、と拳を振り上げた南へとエルニィは器用に自転車の前輪を浮かしてそれをかわす。

「よ、っとっと! 何だ、こんなの楽勝じゃん。いっつも人機に乗っているのにさー、何でこれには乗れないの? 赤緒ってば」

「そ、そう言われましてもぉ……怖いじゃないですかぁ……。ぐらぐらするし……」

「変なの。人機の姿勢制御バランサーの構造をいっぺん、分からせてあげたいくらいだよ。あれを乗りこなせて、何でこれは駄目なのさ。そぉーれ、ウィリー!」

 後輪の力だけでぴょんぴょんと進むエルニィに赤緒は自分の至らなさを自覚していた。

「……何で自転車、乗れないんだろ……」

 そもそも、どうやって乗るのか、全く思い浮かばない。人機なら、ある程度考えるだけで動くのに、自転車はちょっとの間でも漕ぐのに精一杯だ。

 すぐにバランスを崩して足をついてしまう。

 それを見る度に、河原まで出ていた皆が立ち止まるのだから申し訳なさも出てくるもの。

「あの……赤緒さん。私でよければコツをお教えしますけれど……」

 ママチャリに跨ったさつきの窺う声音に赤緒はうぅ、と涙目になっていた。

「さつきちゃんは……何で乗れるの?」

「いえ、その……うちは家庭が厳しかったので。自転車くらいは乗れるようになるように、ってきつく言われていましたから。だから乗れるのは案外早かったんです。……ママチャリしか乗れませんけれど。立花さんの乗っているみたいなのは、私も乗れる気がしないかなぁ……」

 羨望の眼差しを受けるエルニィの操る自転車は、一般には出回っていないタイプの疾走感のある細身のフレームであった。

 ハンドルが逆手についており、どうにも動かしづらそうにしか見えない。

「……立花さん。それ、何なんですか。自転車……?」

「むっ、失敬な。ロードバイクを知らないの? すごいよー、これ。何てったって、最高速度だけで言うのなら、車に匹敵するからね! ボクが乗れば百人力さ!」

 軽業を決めてみせるエルニィに赤緒は低く呻っていた。

「……自転車の乗り方……教えてもらえる? さつきちゃん……」

「あっ、はい。えっと、まずどこからですか?」

「どうしても前に進む以前に安心できなくって……。だって不安定だし……」

「それなら、後ろから支えてあげたほうがよさそうですね」

 さつきが自分の自転車を止めて赤緒の後部につく。

「まずはこれで乗ってみてください。それから、ゆっくりと進みましょう」

「あぅ、うん……。さ、さつきちゃん? きっちり持ってくれてる?」

「持ってます、持ってますから。いっちにー、いっちにーのリズムで」

「い、いっちにー、いっちにー……」

「幼稚園児じゃないんだよ? 今さらだなぁ」

「同感。赤緒、自転車くらい乗りこなしなさいよ」

 そう呟くルイの自転車は彼女らしいマウンテンバイクだ。

「まったく……。もう少し身体の使い方を学べ、赤緒。キョムとの戦闘になっても鈍くさいんじゃ話にならんぞ」

「……って言いつつ、メルJのチャリ……」

 ぷぷっ、と噴き出したエルニィにメルJが抗議する。

「これしかないんだろうに! 仕方ないだろう!」

「だって……何ソレ? メルJの服装でママチャリとか、おっかしー! 似合わないってー!」

「うるさいぞ! ……乗れれば何でも構わん。優秀な操主は機体を選ばんものだ」

 憮然とするメルJだが前にカゴの付いた家庭的な自転車はどこか浮いて見える。

 もっとも、自分は自転車を進めることでさえも手一杯。メルJを笑える身分でもない。

「さっ、さつきちゃん? まだ離してないよね? ね?」

「ごめんなさいっ! もう離してます!」

 そう分かった途端、盛大に横倒しになったのをエルニィが追いついて来て窺った。

「……大丈夫? 無理そうなら南の軽トラに乗せてもらえば? ボクらはサイクリングを楽しむけれど、乗れないならやめたほうがいいよ」

「うぅ……すいません……迷惑をかけちゃって……」

「いいんだけれどさ。まさかそこまでだとはこっちも思わないもん。軽トラの荷台に自転車を乗せてもらって、それで疑似サイクリングでいいじゃん」

「あ、赤緒さん。乗れないならその……無理はしないでいいと思います」

 さつきにまで言われてしまえば立つ瀬もない。諦めて南の荷台に自転車を乗せてもらおうとして、不意にエルニィが声を大にして手を振っていた。

「おっ、両兵じゃん! 何やってんのさー!」

 びくり、と身体を震わせた赤緒に、土手から上がってきた両兵と目が合う。

 全員を見渡した両兵は、不機嫌そうに腕を組んでいた。

「……何やってんだ? てめぇら」

「サイクリング! 両兵も混ざろうよー」

「ンだよ、暇潰しか? いいけれどよ、一人、乗れてなさそうなヤツがいるんだが」

「あの、その……」

 まごついている間にも、両兵は歩み寄り、顔を伏せている自分の眼前に立つ。

「……乗れねぇのか、チャリ」

「あぅ……ち、違うんですよ! 今日はその、たまたま調子が悪くって、その……。普段は乗れます! ……多分」

 どうして言葉を弄してでも誤魔化そうとしたのかは自分でも分からない。ただ、こうやって問い詰められると弱いのは痛いほどに分かっている。

 きっと幻滅されただろうと思った赤緒は、直後に自転車の後部を掴んだ両兵に目を白黒させていた。

「……何やってんだ。引っ掴んでやるから、漕ぐ練習しろ。それくらいはできんだろ?」

「えっ……、でもその……小河原さんにも用事が……」

「ねぇよ。……いや、違ぇか。何かよ、チャリに乗れねぇヤツを見かけっと、思い出しちまうんだよ。だから放っておけねぇ。それだけだ」

「あー、そういえば両、自転車、昔乗れなかったもんねぇ」

 南の声に赤緒は両兵へと振り返る。

「……そうなんですか? 小河原さんも……?」

「うっせぇな。最初は誰だって素人だろ。ほれ、持ってやっから、とりあえず前に漕げ。そうしねぇと進めねぇだろ」

「あ、はいっ……! でも、小河原さんも……なんですね」

「……まぁな。話すことでもねぇんだが」

「えーいいじゃん! 話してよ、南! 知ってるんでしょ? 自転車乗れない両兵!」

 にひひ、と邪悪な笑みを浮かべるエルニィに、軽トラの南はゆっくりと走り出させながら、思案する。

「そうねぇ……あれは確か……青葉とルイが競っていた時じゃなかったっけ……」

「よし、今日の授業はここまでだ」

 現太の言葉に青葉はふぅと息をつく。しかし、隣の席のルイは涼やかな表情で一つ頷いたのみであった。

「じゃあ、先生。基地周りをランニングお願いします」

「う、うむ……。だがちょっと今日は根を詰めたんだ。別に慌てなくっても……」

「駄目です。……そうでしょ、青葉」

 うっ、と青葉は言葉に詰まる。まだ体力の面では遥かにルイには及ばない。それでも、競わないわけにはいかないのだ。

「わっ、私も! ランニングはやりますから! 先生、お願いします!」

「わ、分かったとも。二人ともランニング着に着替えて来なさい。私は自転車を用意しておくから」

 更衣室へと駆け込むのも一つの競争。足早に廊下を行き過ぎるルイの背に、青葉は言葉を投げていた。

「待ってってば……! 私たち、同じ人機の操主の仲間で……」

「仲間? 何を言っているの? モリビトの下操主になれるのは一人でしょ。ファントムをちょっと使えたくらいで、先輩風を吹かせないで」

 ぐうの音も出ない事実ではあるが、しかしルイとはできるだけ剣呑になりたくはない。

 ここは穏便に行かなければ、と思う反面、やはり負けたくない意地が勝る。

「……じゃ、じゃあ私も負けないんだから!」

 どうあったって譲らない気持ちは同じだ。

 競うように着替えを済ませ、基地の外庭に出たところで、青葉はげっと足を止める。

「両兵……」

「今、げって言っただろ、げって。……まぁ、いいけれどよ。優秀な操主候補だってんなら、別に言動の一つや二つにゃ目を瞑らぁ」

「そんなこと言って。あんたも素直じゃないわねぇ、両」

 南が並び立ち、基地のほうを指差す。

「メンテしてもらっているから、私も休憩中。青葉とルイも、終わったらお菓子にしない?」

「……お菓子休憩ばっかり。そんなだから腕もなまるのよ」

「こらぁっ! ルイ! 今のは聞き捨てならないかんね! 私とあんたじゃ、まだ天と地ほどの差よ!」

「……言ってなさい。先生、走ります」

「あ、ああ。……しかし、今日はいやに暑いな。さっさと切り上げて休憩に入ったほうがいいのは南君の言う通り、確かかもしれないね」

「さすが現太さん! 私へのフォローもバッチリ! もう、好きになっちゃう!」

「言ってろ、バカ黄坂。ったくどいつもこいつも色気づきやがって」

「何よ! 両! あー、ははーん……」

「ンだよ! その訳知り顔やめろ!」

「いや、そういやー、現太さんの華麗な自転車姿を見て思い出しちゃったけれどあんた、自転車乗れなかったわねーって」

 南の論調に青葉は思わず、両兵へと尋ねる。

「そうなの? 両兵」

「うっせぇ! ンなもん乗れなくったって、人機にも乗れりゃ、車も動かせらぁ! 今さらローテクな乗り物なんて似合わねぇんだよ」

「……私でも乗れるのに」

 それが両兵にとっての挑発になったのだろう。ぎろりと睨み上げられた時には、現太へと両兵は提言していた。

「……言ったな? よぉーし! オヤジ! ランニングなしにしようぜ。自転車で競走! 勝ったヤツには今日の飯は倍確約! どうだ?」

「そ、そんなの駄目だよ! 私たちのトレーニングなんだから!」

 しかし現太は少し考える仕草をした後に、ふむと首肯する。

「それでもいいか。自転車競走でもトレーニングにはなるし。では各々自転車を用意してもらおうかな」

「おっし! 決まりだな! じゃあ青葉とマセガキ! てめぇら、後でホエ面掻くんじゃねぇぞ!」

 ずびし、と指差され青葉は当惑する。

 格納庫へと自転車を取りに行った背中に、青葉は現太へと耳打ちしていた。

「その……本当なんですか? 両兵がその……自転車に……」

「あー、うん。乗れないんだよ、実は。どうにもね、トラウマらしい」

「トラウマって……」

「まぁ詳しいことまでは私も分からないんだが、日本にいた頃にそうなったと言うことくらいか」

「でも私の記憶じゃ……自転車には乗れていましたよ? それもみんなの中で一番に」

 自分の記憶では両兵は自転車に乗れなかったと言う思い出はない。それに対して現太も難しそうに呻る。

「これは……ともすれば試練なのかもね。両兵にとって、越えなければならない……」

「越えなければならない、試練……」

「いよぉーし! ヒンシからかっぱらってきた! これで自転車競走だ!」

 当の本人からは自転車に本当に乗れないなどと言う冗談はまるで窺い知れないが、青葉は両兵の用意した自転車へと跨る。

「じゃあ、ルールはシンプルに行こう。基地の外周を三周、先にゴールした人の勝ち。まぁ単純なスピード勝負にもなるがね。私も一応は監視員として参加はさせてもらうよ」

「あっ、私も参加するー。両、青葉とルイの前で、自転車乗れないってばれちゃうわね」

「うっせぇ! ゼッテーに勝つ!」

「……大丈夫かなぁ……」

 浮かべた思案を形にする前に、現太が先行し、スタートを切る。

「では。用意……スタート!」

 青葉は久方振りの自転車だったが、快調に漕ぎ出す。少しばかり錆びているが、それでも通常の自転車だ。

「風が気持ちいい……って、両兵?」

「あちゃー……本当に乗れないままだったか」

 並走した南を他所に両兵は自転車ごと、そのまま錘でも乗せられたかのように硬直している。

「……自転車が悪いんじゃ……」

「いいえ、本当に乗れないのよ。……何でなのかは、話してくれないけれどね」

 鼻歌混じりに自転車を漕ぐ南と、それに追従するルイに負けじと青葉は漕ぎ出そうとして、やはり両兵が気にかかってしまう。

「……何でなんだろ。両兵らしくない……」

 一つ頷き、逆走した青葉の背に南の声がかかる。

「青葉? 何やってんの。負けちゃうわよ」

「私は……それでもいいんです! でも……両兵が苦しそうだから……」

 自転車を止め、駆け寄った両兵の様相に青葉は目を見開く。

「汗びっしょり……。両兵、どこか具合でも悪いの?」

「……ああ、違うんだ、クソッ……。何でだか、自転車に乗ると……悪い夢でも見ているみたいな気分になっちまう……。人機とか車なら全然平気だってのに、これじゃあ、格好もつかねぇよな……」

 青葉はそっと、両兵の額の汗をタオルで拭っていた。それを両兵は嘲るように手で払う。

「……ンだよ。惨めだから嗤いに来たのかよ」

「……違うよ。両兵が苦しんでいるのに、私だけ前に行けるわけないじゃない。だって、モリビトの……操主でしょ……?」

 両兵は呼吸困難に陥ったように呼気を詰めていた。自転車から離れるなり、ようやく酸素を保たれたかのように、息を荒くする。

「……ッ畜生。何で、こればっかりは、な」

 樹木にもたれかかり、呼吸を整えている両兵の隣へと、青葉は座り込んでいた。

「……何かあったの? 日本にいた頃は、だって普通に走り回っていたし……」

「……よく思い出せねぇんだ。ただ、オレが自転車に乗って出かけるとよ、必ず誰かの……思い出さなきゃいけねぇはずの誰かの、寂しそうな顔が脳裏に浮かびやがる。それがどうしても、オレに、自転車で行ってくれるなって言っているみたいで、ペダルが何倍にも重く感じちまうんだ……。ああっ! クソッ! こんな話、別にてめぇなんかにするつもりなかったのによ……」

「ううん。……話してくれて嬉しいかも。だってモリビトの操主を一緒にやるんだもん。呼吸を合わせないと、モリビトは動いてくれない。でしょ?」

「……知った風な口を利きやがる。だがその通りなのがてめぇでも許せねぇ」

 両兵はそっぽを向いていたが、青葉は自転車へと歩み寄っていた。

「両兵! 自転車、一緒なら乗れるかも!」

「一緒だぁ? ……バカ言ってんじゃねぇよ。それって相乗りってこったろ? ……重くなって動けやしねぇに決まってる」

「分からないじゃない。人機と一緒で、二人なら動かせるかもしれないし!」

「……あり得ねぇって。それにてめぇの分のウェイトをオレが背負うってのは御免だ」

 その言葉にはムカッと来たが、ここは我慢して自転車の後輪をしっかりと掴む。

「ほら! 両兵! アシストするから!」

「……ットーに、物好きだな、てめぇも。わぁったよ! ……ただし、何べんもはやらねぇぞ。こんなもん、黄坂たちに見せびらかすわけにもいかねぇ」

 強情なのは相変わらずだが、それでも自分に対して少しばかりは素直になってはくれたのだろうか。

 青葉は自転車に跨った両兵を補助する。

「ハンドルを握って、それでペダルを思いっきり踏めば、進むはずでしょ?」

「……簡単に言いやがんなー、チクショウ。……まぁいいさ。ここはてめぇの酔狂に、乗ってやる、よっ!」

 ペダルを思いっきり踏んだのが伝わった。

 しかし両兵の身体は硬直したままだ。もう一歩分、踏み出せば容易に漕ぎ出せるはずなのに、彼の重心がまるで時間が止まったかのように動かない。

「り、両兵? ちゃんと踏んでる?」

「踏んで……っるよ……ッ! クソッ、やっぱし駄目なのか、オレ……」

 いつにない弱気に青葉はそれとなく、声にしていた。

 自分が最初に、自転車に乗れた時の心得だ。

「――両手をまず、真っ直ぐに伸ばして。力まないで、ペダルを踏んだ足はぶれさせず、重心を真ん中に捉える――。そこから先は、前へ前へと進んで」

 その言葉を暗唱した直後、両兵の自転車が不意に漕ぎ出す。

 青葉は遅れないようにその後部へと身体を預けていた。

 不思議なことに、今まであれほど重たかった両兵のぎこちないフォームが、まるで呪縛でも解けたかのように何でもなく前に進む。

「……お前、今の、どこで……?」

「えっ? これって、両兵が教えてくれた自転車の乗り方じゃない。……まさか、忘れていたの? これも?」

 むすっと頬をむくれさせると、両兵はそうか、とまるで胸中に認識するかのように、静かに呟いていた。

「……それ、オレの言葉だったのか。いや……違う。オレも誰かに、そう教わったんだ……その誰かが、今……。よく分かんねぇけれど、もう、走り出していいって、言ってくれた気がすんだよ」

「何それ。忘れてたんなら、両兵、サイテーじゃない」

 こちらの糾弾に両兵は不機嫌にもならず、ははっと快活に笑う。

「あー、そっか! そういうことだったのか! まぁ、今のサイテーはノーカンにしてやっよ、青葉。……あんがとな。自転車の乗り方、思い出させてくれて」

「それって、どういう……」

 問い質そうとする前に、両兵はペダルを強く踏んで速度を出す。不意打ち気味の馬力に青葉はよろめいた。

「ちょ、ちょっと! 危ないってば!」

「いいじゃねぇか。自転車で突っ切るってのは最高だな。風がこんなにも……感じられるなんて」

 追いついた自分たちに南が声を飛ばす。

「よっ、アベック! アツいねアツいねー」

「言ってろ、バカ。もう、自転車に乗れねーとは言わせねぇからな」

 得意げに声にした両兵と自分の自転車が、ぬかるんだ地面を突き抜け、ルイの隣を並走する。

「あっ……ルイ……」

「……そのズルい点、後でじっくり教えてもらうから」

 またある意味では貸しを作ってしまったか。そう思っている矢先にも自転車の乗り方を覚えた両兵はようやく、先行する現太へと追いつく。

「やぁ、両兵。乗れたじゃないか」

「ああ。……ちぃとばかし、忘れていたことがあったのかもしれねぇ」

「そうか。じゃあ思い出したのか」

「……いんや。さっぱりだ。だがさっぱりなりに……気分のいいことってのはあるんだな」

 前を向いた両兵に青葉も自然と笑みがこぼれていた。

 木洩れ日の落ちる南米の空の下で、涼やかな風が吹き抜ける。

「よかったじゃない。自転車に乗れて」

「ああ。ツイてるっつーか、何つーか。悪くねぇな」

「――ってな具合でね。まー、あれも青葉の超能力もどきだったのかもねー」

 話し終えた南に赤緒は放心していた。あまりにもぼうっとしていたからだろう。両兵から注意が飛ぶ。

「おい、ぼんやりしってと、またこけちまうぞ?」

「いえ、その……その自転車を走らせる時の、心得みたいなの。よかったら教えてもらえますか? 何て言うか……懐かしい気がしたんです」

「懐かしい? 赤緒ってば変なのー」

 エルニィたちが茶化しながら先行する。その背中に今なら追いつける。

 ――今なら、どこか安堵の気持ちのまま、前に進めそうであった。

「……いいけれどよ。誰でも通用するおまじないでもないとは思うんだが……」

「いえ、多分それ……私には一番に……通用するかもしれません」

 その言葉に両兵は呆れ返ったように肩を竦める。

「しょーがねーな、てめぇも。じゃあまずは――」

 ――両手をまず、真っ直ぐに伸ばして。

力まないで、ペダルを踏んだ足はぶれさせず、重心を真ん中に捉える――。そこから先は……何でだか覚えている。どうしてなのだろうか知らないが、よく知っている。そんな気がした。

「ただ前へ、前へと……進む」

 理由は分からない。

 ただ、胸のつかえが取れたように。

 ――少しだけ前へ、漕ぎ出せそうだ。

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