赤緒はひょいとケーブルを跨いでエルニィへと歩み寄る。
「何をやっているんですか……?」
「うぅーん、こっちのシステムじゃ、やっぱし書き換え不可能かぁ……。ちょっとね、南米から送られてきた資料を解読していたところ」
「資料……南さんは? いらっしゃらないみたいですけれど……」
「先んじて東京湾のほうに向かっているよ。そろそろパッケージが届くからねー」
エルニィはさっとこちらの手にしていたせんべいを引っ手繰り、バリバリと頬張る。
「あっ、おやつの時間にはまだ早いですよ!」
「いーじゃん。こうして頭脳労働しているんだからさー。それに、アンヘルの人機に関係がないわけでもないんだよ?」
そう言われてしまえば、赤緒は黙りこくるしかない。
「……毎回思うんですけれど、どういった業務をされているんですか? 聞いても分からないかもですけれど……」
「まぁ、分からないことを承知で言うなら、人機の根幹かな。えーっと、OSって分かる?」
赤緒がふるふると頭を振ると、エルニィはだよねぇ、と肩を竦める。
それが何だか癇に障って、赤緒は問い詰めていた。
「……わっ、分からないなりに意見はできますよぉ……。何なんです?」
「そう? だったら説明するけれど、現行の人機のOS――つまりオペレーションシステムってたった二つなんだよね。キョム製かボクらアンヘル陣営かって言う。まぁ細かく言えばメルJのグリム協会製とかあるっちゃあるんだけれど、細分化にこだわらずに大雑把に区分するなら、かな」
「大雑把に……。それってつまり、人機は二種類ってことですか?」
「赤緒にしては物分りいいじゃん。すごく大雑把で、乱暴に言うのならばだけれどね。ボクのブロッケンとか、シュナイガーの初期設定とかはそれに頼らない独自OSだったわけなんだけれど、相手も《ダークシュナイガー》とか出してくるから、それほどの差異はないと見た。で、南米のベネズエラ軍部が全く新しい……既存人機に頼らない形式のOSを売り出してきているわけ。それが今、ボクの解析している作業」
エルニィはキーを打ちながらふぃーと汗を拭う。
黒い画面に映し出された緑の英数字はまるでピンと来なかったが、こんなもので人機が動いていると言うのだろうか。
「……ただの横文字にしか見えませんけれど……」
「専門外じゃしょうがないけれど、分かりやすく言ってしまうと、赤緒って人間でしょ?」
「むっ……失敬な。どこからどう見たってそうじゃないですか」
「ところがどっこい、人機ってのは見た目同じように見えても、中身が違う場合もある。今回の件で言うのなら、赤緒の人間的な部分を全部オランウータンに変えちゃうって話。そういう危険性をはらんでいるんだ。そりゃ慎重にもなるよ」
分かりやすく説明されてようやく、エルニィの語るOSの意味が形を成してきた。
「……でも、そんなに?」
「そんなに。まぁ、どっちかって言うとオランウータンになるって言うよりかは、新人類になるって感じなんだけれど。一応、そいつの名前くらいは見てみる?」
差し出された画面には「EMANON」の文字が表示されていた。
「エマノン……?」
「逆から読むとノーネーム、つまりは名無しだ。名無しって名前のシステムを通せって言われているんだよ。警戒もするでしょ」
「それが……モリビトとかに搭載されるって言うんですか?」
「まぁそこから先はこっち権限になるんだけれど、南米から届いた資料の限りじゃ、いっぺんテストタイプ機を造ってから、そいつに載せるってさ。で、そのテストタイプが今日
東京湾に届く。それを南は受領するってわけ」
思いのほか大変な事態だ。赤緒は少しだけ緊張していた。
「……もし、そのテストタイプがうまく行けば……」
「当然、トーキョーアンヘルで使えってことになるだろうね」
その言葉には思わず反発する。
「……そんな。今のモリビトじゃなくなるってことじゃないんですか? そんなの嫌ですっ!」
「落ち着きなって。だからボクが精査しているんじゃん。あっちの都合だけで通されちゃ困るからさ。こうやって先に洗い出しと、それに何かしら欠陥がないか探しているんだけれど……現状ないわけ。難しいんだよねー……採用するって言えば多分、一括採用になるし、そうなるとこのエマノンOSを排除することもできなくなる。かといって、じゃあアンヘルの人機はこれから全部、エマノンにするって言えば、それはそれでボクとしては気に入らない」
「……それは、やっぱり得体が知れないからですか?」
「それ以上に……気に食わないんだよねー。外野から何かよく分かんないものを採用しろって言われるの。だってさ、連中はトーキョーの戦い振りを見てないわけじゃん。それなのに、中身変えろっての、おかしいよ」
悪態をついたエルニィの気持ちが赤緒にも半分程度は理解できていた。
覚えず格納庫を一瞥する。
あそこに収まっている自分たちの人機の、中身を塗り替えると言われれば胸中穏やかではない。
「その話……ヴァネットさんたちには……」
「メルJにしたら怒るでしょ。ルイも同じだろうねー。操主としての経歴が長いとどうしたって嫌だろうし。まぁ、それでも必死こいて抵抗するしかないでしょ。南と一緒に行っているのは、確か友次さんだったはずだけれど」
「友次さんが……?」
再び画面を睨んで呻るエルニィに、赤緒は不安の翳が差したのを感じていた。
運び込まれたコンテナの中にナナツーがあるのを見越した南は首をひねっていた。
「……何でナナツー?」
「どうにも自衛隊用の献上品のようですね。言葉を選ばないなら賄賂です」
応じた友次に南は嘆息を漏らしていた。
「馬鹿にしているわね……。私たちアンヘルはただの窓口担当じゃないっての」
「ですが、南米の軍隊が講じているのは日本での商戦ですから。ナナツーくらいは使え、と言う判断なのは分かるんですがね」
どうにも、と後頭部を掻いた友次に、南は辟易する。
「……上は分かっていない、か。まぁ、自衛隊の訓練にも両を当てているし、それなりに動かしてもらわないと首都防衛なんて夢のまた夢よね。……で? 例のテストタイプは?」
「待ってください……。あー、これですね。六番のコンテナに」
タンカーより運び込まれる青い色のコンテナを南は睨み上げていた。
「例のエマノン人機ってわけ」
「識別名称、《バーゴイルエマノン》。キョムより鹵獲した《バーゴイル》の電脳に直通させた、特記戦力と」
「特記って、鹵獲機でしょう?」
「人が乗っていない分、想定スペックに関しては未知数だとも書かれていますね」
馬鹿馬鹿しい、と南は一蹴する。それは何も分からないと言っているようなものだ。
「第一……有人じゃない人機の挙動スペックって当てにならないじゃないの。それなのにどうしても通したいのね。南米の連中は」
「まぁ、威信をかけて造り上げたシステムではあるのでしょう。極東国家に手綱を握られたくないと言う魂胆は透けて見えますが……」
濁した形の友次に南はコンテナの一画を開いた相手を見据えていた。
《バーゴイル》そのものの形状でありながら、両肩にパワーローダーを付けられており、少しごつい印象を受ける。しかし、頭部形状がそもそも異なっていた。
「……《バーゴイル》の頭じゃないのね」
「キョムの人機と言うレッテルは剥がしたいそうなので」
頭は単眼仕様のトウジャだ。こうやって仔細に観察すると、まるでパッチワークのような人機だと感じる。
「……両腕はナナツーそっくり。体型は《バーゴイル》。頭はトウジャ、そんでもって駆動系は……見るに、《ホワイトロンド》を参考にしているわね。これは確かに名無しだわ。どれでもあってどれでもない人機なんて」
「誰でもあって、誰でもない……匿名性の高い人機と言うわけですね」
「いい評価なんてしないでよ。結局のところ、責任の所在をどっかに押し付けたい、上の考えが丸分かりじゃない」
こちらの評定に友次は、いやはやと困惑する。
「どうしたって、これを通したいのは分かるのですが……。如何せん、どうにも……」
「言いたいことは分かるわ。信用ならない。この一言でしょ」
パッチワークの人機をアンヘルメンバーに使わせるのは忍びない。だからと言って、これを自衛隊で採用などすれば、後ろから撃たれても文句は言えない。
「で、これをジャッジしろっての? ……個人的心象では送り返したいけれど……」
「トーキョーアンヘルの代表者としての判断となれば……難しいでしょうね」
顎に手を添えて呻った南は、不意に感じ取った殺気の波に肌を粟立たせていた。
咄嗟に仰ぎ見た《バーゴイルエマノン》の単眼に光が宿る。
「――伏せて!」
自分でもそう声を飛ばしたのはどうしてなのかは分からない。ただ、これまでの経験則もあったのだろう。
《バーゴイルエマノン》が肩口より伸ばした対人機銃が港に轟いていた。
先ほどまで頭部があった空間を銃弾が薙ぎ払っていくのは、素直に胆が冷える。
「友次さん!」
「分かっています! 勝世君!」
『あいよー! ったく、人遣いの荒いこって……』
港に並び立った格納コンテナの一部に潜んでいた、勝世の駆る《トウジャCX》が鎌首をもたげる。
《バーゴイルエマノン》は迷いなく、勝世機へと銃撃していた。
それをトウジャ特有の加速ステップで回避した勝世は舌打ちを滲ませる。
『こいつ……無人なんじゃ……!』
「いえ、多分無人だからこそよね……。電脳にハッキング……? それとも、最初からエマノン人機には搭載されていた初期不良かしら」
どっちにしたって判断は揺るがない。南は通信機に声を吹き込んでいた。
「各員へ! 《バーゴイルエマノン》を敵性人機と判断。即時破壊を要求するわ!」
「……ってよ。どうするんだ?」
下操主席に問い質した勝世の声を背中に受けた両兵は、頭を振っていた。
「ロクでもねぇのは来る前から分かってただろ。……問題なのはよ、タイミングが良過ぎるってもんだ。都合の悪い人機を排除したい一派がどっかに居たのか、それともここいらでトーキョーアンヘルの頭を潰したいって魂胆だったのか……ってな」
「……まさかお前が下操主に入る時が来るなんてな。南米でかち合った時を思い出すぜ」
最初の邂逅は敵同士であったことに、両兵は思いも馳せずに応じる。
「うっせぇな。今は上を任せる。トウジャの下には慣れてねぇから、接近戦すっぞ。なまくらにはなってねぇだろうな?」
「冗談ッ!」
《トウジャCX》がブレードを構える。しかし《バーゴイルエマノン》の挙動に両兵には疑問があった。
「……何でこっちを見ねェ……?」
肩口に搭載された小銃による自動銃撃だけで、相手はこちらを一顧だにしない。それが両兵にはどこか浮いた事象に思える。
「敵でもないって思ってんだろ。真新しいOSの考えそうなこった! トウジャで斬り込む!」
《トウジャCX》が港を踏みしだき、その度に加速する。
モリビトやナナツーとは違う挙動に両兵は僅かにつんのめったが、それでも慣れた人機の鼓動だ。
だと言うのに、相手にはそれがない。
「……柊の超能力もどきじゃねぇが、何だ、この感覚……。生きてねェみたいだ、あいつ」
「踏み込めば関係ねぇッ! ブレードの射程だ!」
勝世がブレードを振り翳し、《バーゴイルエマノン》に斬りかかる。
その瞬間、両兵は感じたことのない悪寒を背筋に走らせていた。第六感としか言えない感覚に、声を飛ばす。
「……駄目だ、避けろ!」
その言葉が響き渡る前に、《バーゴイルエマノン》の肩が跳ね上がる。パワーローダーで強化された膂力から繰り出された手刀が《トウジャCX》の胸部装甲を切り裂いていた。
その威力に咄嗟に反応した勝世は息を呑んだようである。
赤い胸部装甲が剥げ、内部装甲が露出していた。
「……嘘だろ。手刀でこの威力って……」
「こいつ……!」
驚嘆する《トウジャCX》へと《バーゴイルエマノン》は向き直りさえもしない。姿勢を沈めたまま、その場で陣取る。
その様子に両兵は声にしていた。
「……おい、勝世。トウジャの操縦権、いっぺん下に譲ってくれよ」
「何言ってんだ! こいつ、ただの《バーゴイル》の改造機じゃ……」
「グダグダ言ってんな。何だかよく分かンねぇけれど、こいつ……経験踏ませちゃまずい気がするんだよ。数秒間であってもな」
トウジャの相貌だが、内部に操主を抱えない設計のために、覗く単眼が不気味にさえも映る。
何を考えているのか、徹底して分からない機体――。
両兵は操縦桿を握り締め、静かに固唾を呑んでいた。
勝世は僅かに逡巡したが、こちらの意見に従ってコントロールを移譲する。
「分かったよ! ……だが、下操主だけでトウジャを引き受けるんだからな。それなりに負荷はあるぞ」
「ンなこと、百も承知だよ。だが……こいつ、読めねぇ人機だな。操主が乗ってりゃ、少しはクセだとか、主張ってもんがあるんだが……本当に何もねぇみたいな機体だ」
何もない、空洞を覗き込んでいるかのような錯覚に陥る。
先の機銃掃射にしたってそうだ。
純粋に人殺しの技術を追求したような無駄のなさに、両兵は息を詰める。
呼気一閃でブレードを斜に振るうが、その軌道を予期したかのように《バーゴイルエマノン》は姿勢制御をわざと崩していた。
懐に潜り込まれた感触に勝世が喚く。
「入られたぞ!」
「わぁってんよ! いいからオレに全投げしろ!」
「ったく……知らねぇぞ!」
踏み込みは深く、両兵は《トウジャCX》の加速度で敵の腹腔へと膝蹴りを浴びせ込む。だがまるで怯まない相手の挙動に悪態をついていた。
「……操主がいねぇンなら、揺さぶりだとかは効かねぇって寸法かよ。だがな、人機の構造上の欠陥ってのは、往々にしてあるもんなんだよ」
手刀を振るい上げた《バーゴイルエマノン》が不意に硬直する。両兵は胸元を叩いていた。
「血塊炉で動くんなら、その中心軸に一発でも与えてやりゃあいい。操主が乗っているンなら、当然気を付ける部分だが、乗っていない人機ってのは、恐れ知らずな分、無頓着になるってもんだ」
内部フレームを軋ませ、《バーゴイルエマノン》が攻撃を遂行しようとするのを、両兵は下段に携えた刃で斬り払っていた。
狙ったのは頭部ユニットである。
首から上を落とされた《バーゴイルエマノン》は痙攣したが、それでもまだ相手の挙動は止まらない。
「おい! 止まらないぞ!」
「一発で終わらねぇか。だったら、よ!」
切っ先を《バーゴイルエマノン》の血塊炉へと突き立てる。完全に心臓部を貫いた一撃でも、まだ動こうとする。
「しつけぇッ!」
最後の一撃は《トウジャCX》のヘッドバットだ。
それでようやく、敵機は動きを鈍らせ、まるで糸が切れたかのように倒れ伏していた。
「おい……お前、コックピットにもダメージがあるってこと、分かって……」
勝世が戦々恐々と指差した先には《トウジャCX》のコックピットブロックに亀裂が走っている。
それでも両兵は憮然と言い放っていた。
「勝ったからいいだろ。……にしても、気味が悪ぃ人機だったな、こいつ」
何回潰しても迫ってくる感覚は素直に気分のいいものではない。
両兵はシステムデータに破損がないかチェックする最中、送信されたメッセージを視野に入れていた。
「こいつぁ……」
綴られていたのはただ一言。
『……やったのね? 両』
不意に繋がった南の通信域に両兵は言い返す。
「ん、ああ……変なもん送りつけるなって言っとけ」
『もちろんよ! この分、ふんだくってやるんだからっ!』
「姐さんはただでは起きないな、相変わらず」
呆れ返る勝世に両兵は沈痛に面を伏せていた。
「……どうした? 何か気になることでもあったか?」
「いや……。なぁ、人機って結局、誰の意図で、どう使われるのが、正しいんだろうな」
「……今のヘッドバットで、頭でも……」
「違ぇよ、マヌケ。何でもねぇ。帰還すっぞ」
しかし、両兵には《バーゴイルエマノン》より送信されたメッセージがどこか胸に突き刺さっていた。
「……“我々は何者で、どこから来て、どこへ行くのか”か……。ンなもん、オレだって分かるかよ。……ああそうさ、きっと神様みてぇな存在だって、分かるわけねぇ」
あるいは、名前のない人機はそれを探し続けるための躯体であったのだろうか。
誰でもあって誰でもない――。
それは、明日のために一人の人間として戦うアンヘルとは、まるで真逆のようなメッセージで……。
「……てめぇらを、戦いの道具にしたのは、オレたちだって言いたいのかよ。だがな、それでもオレは行くぜ。行くしかない」
まだ見ぬ永久の未来へと。たとえ足踏みするのを恐れたって仕方ない。
無名の猛者の骸を踏み越えてでも、明日へと――。