「詳しくは分からないんだ。だが何人も見たって言う証言がある。紫色の光を放つ尖塔さ。船乗りの中にはそれを灯台の光だと思い込んで誘われて、そして命を落とした奴もいるって……」
「くっだらねぇ。語り口調が重い割には噂話の下の下じゃねぇか」
三々五々に散ろうとした船員を、重い隈に縁どられた瞳の船員は呼び止める。
「……やめとけ。地獄の塔を見る羽目になる」
「だから、地獄の塔って何だよ。どうせ、灯台の見間違いだろ。それをわざわざ仰々しくってのが」
「違うんだ……確かに地獄の塔なんだよ……」
小刻みに震え始める船員に他の者たちは呆れ返って口々に言いやる。
「……ここ、イカレてんのか?」
こめかみを指差した仲間にぷっと吹き出す。
「かもな。まぁここ最近、国内も慌ただしい。都心じゃ、ロボットの戦闘を見たってのが流行っている」
「何だ? ロボット……?」
「アンヘルだとよ。女子供がパイロットみたいだぜ」
口を挟んだ船乗りに、おいおいと思わず茶化す。
「……地獄の塔の次はロボットかよ。いよいよって感じだな。まー、いずれにせよ。海の男にゃ関係ない話で」
「それもそうだ」
笑い合っていると不意に船首が何かにぶつかったのか、船が大きく揺れる。つんのめった船員たちの耳に届いたのは、先ほどの男の声であった。
「地獄の塔だ!」
「落ち着けって。どうせ岩礁か何かにぶつかったんだろ。ここいらの海域は何かとまだ不透明な部分もある。もしかしたら海に流された粗大ゴミかも」
「どっちにしたって地獄の塔はないよなぁ。せめてもっともらしい嘘をつけっての」
甲板に出た船員はしかし、船体が何にぶつかったのかを把握できないでいた。
元々、宵闇が重く降り立っており、照明は正しく稼働しているものの、黒く濁った海面はその光を容易く吸い込む無辺の魔である。
その暗がりに地獄だの、悪魔だのを見出すのは人の常であろう。
だがこの二十世紀も瀬戸際に地獄の塔はないだろう、とライトで照らし出そうとしたその時であった。
コォーン、コォーン、と等間隔の音が響く。
どこから聞こえてくるのか、と耳をそばだてた船員たちは、不意に立ち昇る煙を感知していた。
「……何だこれ。靄か……?」
「いや、靄にしては……独特のにおいがある」
「おいおい、誰かが燃やしてるんじゃないだろうな。ここいらは禁止区域だぞ」
しかしソナーを見ても周辺に船体らしきものは発見できない。やはり、岩礁にでもぶつかったのか、と船首に足を踏み出したその時であった。
コォーン、という高い音がことさら大きく聞こえたかと思うと、漁船の眼前に屹立したのは、細長い影である。
仰ぎ見た船員は、ハッと声にしていた。
「……海の上に……塔……?」
「地獄の塔だ!」
仲間の慟哭が響き渡る中で、等間隔の音だけが明瞭に耳朶を打ち、次の瞬間には漁船は紫色の眼窩を滾らせた「何者か」によって沈没させられていた。
潮風に当たるのは素直に気持ちがいい。
普段は都心の警戒に当たっているだけに余計であった。
だがまだ海開き前のシーズンには違いなく、少し肌寒さを感じずにはいられない。
「……海……初めて来たかも」
こぼしたさつきは陽光を手で遮っていた。日焼けの心配はないとは言え、荒れ狂う波間に少しうろたえてしまう。
そんな大しけの海で白波を逆立たせて進むのは自衛隊所有のタンカーであった。
「……アンヘルって、こういうこともしているんですね……」
「まぁねー。いざという時には立派な航路に出られるようには準備しているわよ」
甲板を踏み締めた南はうーんと大きく伸びをする。さつきはそういえば、と周囲を見渡していた。
「お兄ちゃ……小河原さんは……?」
「今頃、船内で自衛隊員と打ち合わせ兼、抗議中ってところ。どうにも東京湾より先に出るってのは許可が要るんだわ。で、まぁ有り合わせの戦力を出し惜しみするしかないわけ。そんな中で抜擢されたのが……」
「私……なんですよね? でも何で私なんですか? モリビトやトウジャでもなく、ナナツーライトでしかできないって……」
「それは今回捉えた敵影に関してのいい質問だわ。エルニィ」
『はいよー。さつきさぁ、把握しづらいからナナツーライトの中に戻ってくれる? そこで話すよ。どうにも通信領域が安定しなくってさー』
ノイズ混じりのエルニィの声に、さつきは大慌てで甲板の裏に潜ませたナナツーライトへと駆け出していた。
その途上で、船体が揺れ大きくよろめいてしまう。
「うわっ――!」
だが倒れる前にその身を受け止めたのは両兵であった。
「あ、お兄ちゃん……」
「気ぃつけろ。戦う前に海に落ちたんじゃ話にならねぇ。黄坂。自衛隊連中と示し合わせたが……やっぱりこの海域、ジャミングが張られているみたいだな。特殊な磁場がどうのこうの……」
「それもエルニィに聞いてちょうだい。戦線に天才を持ち出したくないお歴々の都合ってのがあるみたいだし」
嘆息をついた南に両兵はケッと毒づく。
「……そうかよ。相変わらずオレらは何かと不便するよな。さつき、ナナツーライトの下操主席借りるぜ」
「あ、……うん。お兄ちゃんなら、いいけれど……」
甲板裏に潜り込むなり両兵は慣れた様子で通信域を安定させる。
『あー、テステス。どう? 聞こえてる?』
「さっきまでよかぁ、聞こえるようになったぜ。立花、状況報告」
『あいよー。さつきもいるよね?』
「あ、はい……」
『じゃあ今回の任務に関して。実はキョムかどうかは未確認なんだけれど、その海域である不明の存在を関知したって報告があったんだ。異名は……確か地獄の塔。ヘルタワーの識別が与えられているね』
「ヘルタワー……。一体何なんです? 人機じゃなくって……?」
『それも目下のところ不明。分かっているのは、紫色に輝く塔みたいなのを目撃したって言う証言と、それに付随するいくつもの沈没事件……。キョムが裏で動いている可能性も視野に入っているし、ボクらはそうでなくとも忙しい身分なんだ。だから、ここはアメリカとの協定を守りつつ、最低限で動くってわけ』
ある程度承服はできたが、それでもどうしてという疑問符はある。
「海なら……立花さんのブロッケンでもよかったんじゃ? 私のナナツーライトにこだわることはないとも思いますけれど……」
『いやいや、さつき。ナナツーライトを過小評価し過ぎだって。案外、便利なもんだよ? その機体。何なら、今回はその機体の可能性を試してみる、いい試金石かもね。両兵もいるんでしょ?』
「おーっ、居るぜ。……で、そのヘルタワーとやらをぶっ潰せばいいんだろ?」
『相変わらず暴力的な言い草だけれど、まぁ大半はその通り。キョムの人機ならば即時破壊。そうでなくとも何かしらダメージは与えたいね』
そういえば、とさつきは思い立つ。
「……さっきまではノイズが多かったのに、人機の中では普通に聞こえるんですね、立花さんの声……」
『ああ、トーキョーアンヘルの人機にはジャミングの相殺機能がついているから。まー、こないだ寝る前につけた奴だから知らないかもしれないけれど』
エルニィもトーキョーアンヘルの戦力増強に一役買っているのだ。そう考えると、こうやって普通に通信出来ていることだけでも奇跡的かもしれない。
欠伸を噛み殺した様子の通信先のエルニィに両兵は問いかけていた。
「……立花。ある程度の試算はついてんだろ? 何者なんだよ、そのヘルタワーっての」
確かに天才の頭脳ならば推測できるはず。エルニィは、憶測だけれど、と前置きする。
『まず一つ。生き物の誤認じゃ、ないと思う』
当然なのでは、と返そうとして、それさえも不明な相手なのだと口を噤む。
「……まぁ、UMAとかなら、アンヘルの出る幕じゃねぇよな」
『それともう一つ。これは確率論的には少ないかもしれないんだけれど……。もしかしたらキョムの人機でもないのかもしれない』
その推察にはさつきも目を見開いていた。
「キョムの仕業じゃ……ない?」
「それはおかしいんじゃねぇのか? キョム以外で海の中を行く人機なんざ、誰が造るってんだよ」
『まさしくそこなんだよねー。キョムの仕業じゃないとすれば、ではどこの回し者なのか……。その疑念に行き着くと、自ずと見えてくるのが、ヘルタワーそのものの正体になてくるんだ』
「ヘルタワーの……正体……」
問い質す前に警報が鳴り響きナナツーライトのコックピットを震わせる。
『警告! 接近を関知! 照合できません! 正体不明! アンノウン機です!』
「アンノウン機……」
「おいでなすったか。……立花。オレも何となくで思っていること、言っていいか?」
両兵の言葉振りにエルニィは促す。
『どうぞ。多分、考えていることは似たものだと思うけれど』
「そいつは結構なこって。……キョムの人機じゃねぇって言ってたな。じゃあどこの何なのか……。相手が人機じゃない可能性ってのも、充分にあるってことだよな?」
どうして、そんな問いかけをしたのかは不明だ。不明だが、それでもどこか真に迫っていた論調にさつきは問いかける。
「……お兄ちゃんには、何だか分かるの?」
「……何もかも人機のせいにするってのも変な話ってこった。行くぜ、さつき。ナナツーライト、出撃準備」
「は、はいっ! ナナツーライト、川本さつき! 出撃しますっ!」
甲板が開き出撃姿勢に入ったナナツーライトは周囲を固める靄を視界に入れていた。
「……靄が出ている……さっきまであんなに晴れていたのに」
耳朶を打つのはコォーン、コォーンと言う等間隔の音。それが波間に紛れている。
「こりゃ、とことんかもな」
そうこぼした両兵の言葉を再認識する前にタンカーの横合いへと体当たりが入る。よろめいたナナツーライトを立て直し、さつきは戦闘姿勢を走らせていた。
「……この衝撃波……。大きい……」
「並大抵じゃ、ねぇってわけだ。黄坂! 今のでおっ死んじまってねぇだろうな?」
『生憎ね! ギリギリで船内に戻れたわ! それよりも両! 今の体当たりの規模から推定して、通常人機のそれじゃ……!』
「ああ、分かってる。……だがよ、早合点が過ぎるってのも考え物だぜ」
『……どういう……』
南の声が返る前に反対方向からの追撃にタンカーが大きく揺さぶられる。ナナツーライトのコックピットよりさつきは船首へと屹立する黒い影を目にしていた。
紫色の眼窩より輝きを放つ、それはまさしく――。
「黒い……塔……。これがヘルタワー……?」
「さつき! Rフィールドの出力調整はできるな?」
「え……あ、うんっ! いつでもRフィールドプレッシャーで攻撃を――!」
「そうじゃねぇ。Rフィールドで機体を中心軸に張れば、海の中でも耐えられる。それができるな? って聞いてんだよ」
思わぬ問いかけにさつきは困惑していた。
「機体の……バリアにするってこと?」
「そういうこった。今のナナツーライトの性能ならできるはずだ。調整は任せるぜ。オレは、海中の調査に入る」
『何言ってんの、両! 呑気なことしていると撃墜されるわよ!』
南の言葉のほうがよっぽど現実的だが。この時両兵は何の疑いもなく、海中への探査に入ろうとしていた。
その眼差しを自分は違えることなんてできるはずもない。
「……分かった。Rフィールドをバリアに設定! ナナツーライト、潜航しますっ!」
機体の各部に点在するRフィールド発生基盤を調整し、光の檻に包まれたナナツーライトは跳躍していた。
それは物言わぬ、漆黒の海面への着水。
音すら立てずに、海中に没した瞬間、さつきは水圧の負荷を覚悟していたが、ナナツーライトのRフィールドの加護は健在。
どこから敵人機が攻めてきても対応できる――そう思っていただけに眼前に飛び込んできた姿は意想外であった。
地獄の尖塔、ヘルタワーの主。それはまさしく……。
「……クジラ、なの……?」
巨大なクジラにしか見えない生命体の眼光に射竦められ、ナナツーライトに収まるさつきは息を呑む。
「……やっぱりか」
「お兄ちゃん? やっぱりって……」
「何てことはねぇよ。人機を一から造る製造コストは計り知れねぇし、それに海中用人機なんざ、まだキョムでも実用化が怪しいもんだ。それをしかし、海の生き物に疑似的に付けることってのは可能だろ。このクジラの感覚器を、角みてぇな機械に集約してデータを得るって寸法はな」
そこでさつきはハッと気づく。
両兵は一度として、敵人機、とは言っていないということに。
「じゃあ、このクジラさんは……」
「大方、どっかの大国が海中用人機のモデルケースとして野に放ったんだろ。海の中で人機を運用するよか、そりゃコストも安くつく。しかも半分野生と来て、勝手に他の領海を荒らし回ったってだけなら言い訳もな。こいつは感覚器のほとんどをあの厄介なヘルタワーに奪われた、いわばデータを取るためだけのモルモットってわけだ。ま、モルモットって言うのにはデカ過ぎるがな」
「……そんな。酷い……」
覚えず漏れた声音に両兵は首肯する。
「……そうだな。ひでぇ話だ。キョムのほうがまだマトモに思えてくるくらいの。だが、これくらいはどの国でもやってんだろ。人機なんてワケ分かんねぇもんを建造するくらいなら、元からいる生き物に一役買ってもらおうって腹さ」
ヘルタワーを装備されたクジラはもがき、苦しんでいるようにも映る。
自分の肉体の一部へと訳が分からないままに機械を装着されているのだ。その苦しみは推し量るに余りある。
「……さつき。こいつをどうしたい?」
思わぬ質問にさつきはうろたえていた。
「どうしたいって……」
「殺すことだって可能だ。これまで何人も死んで来てんだからな。殺処分ってのも別段変じゃねぇし、それにこいつを中途半端に逃がせば、ナナツーライトのデータを持ち帰らせちまう。ここではケリをつけるっきゃねぇ。だが……てめぇの気持ちを聞かせてくれ。こいつを、どうするのがいいと思う?」
ヘルタワーの命運は自分に投げられていると言うのか。
僅かに胸の内側が痛んだが、それも一瞬であった。
――だって、このクジラさんはきっと、その何倍も苦しんだ。
だったら、答えはもう決まっている。
「……お兄ちゃん、私はこのクジラさんを……助けたい」
その言葉を受け、両兵は下操主席の操縦桿を握り締める。
「うっし! ならやんぞ、さつき! このクソッタレなヘルタワーをぶっ潰す!」
「はい! ナナツーライトなら……この子を苦しませずに、ヘルタワーの呪縛だけを……!」
そうだ。だからナナツーライトが選ばれたのかもしれない。
武力ではなく、慈しみの心を持って、地獄の塔を打ち砕くため。
ナナツーライトのRフィールドより染み出たエネルギー波がヘルタワーの放つ妨害電波と干渉し、次の瞬間、ショートさせていた。
ヘルタワーを振り翳し、クジラが身悶えする。
海中よりナナツーライトはヘルタワーの接合部へとマニピュレーターで触れていた。
「……ちょっと痛いかもしれないけれど、でも……あなたのために……。ごめんなさい……っ!」
掌よりRフィールドプレッシャーを連鎖させ接合部を引き剥がす。
直後には跳ね上がったクジラの膂力がナナツーライトを吹き飛ばしていた。
さつきは悲鳴を上げ、ナナツーライトが海中で分解寸前にまで追い込まれる。
それを押え込んだのは下操主席の両兵だ。
「やらせっかよ……。さつきは苦しんで決断したんだ。なら……兄貴がそれを応援しねぇで、どうすんだ!」
両兵が吼え、ナナツーライトの眼窩に光が灯る。
水中衝撃波が押し寄せる中で、ナナツーライトがRフィールドを展開し、その直後には、満身を打ち砕く海神の雄叫びが、身を引き裂いていた。
へっぷし、と大きくくしゃみをした両兵は甲板の上で斜陽を目にしていた。
「……ああいうの、やり切れねぇって言うんだろうな。どうあったって人機ばっかりが脅威じゃねぇ。人間のやることってのは、往々にしていつだってもっと横暴なもんなんだ」
その背中にもたれかかったさつきは、静かに面を伏せる。
「……お兄ちゃん。あの子は……これで幸せだったのかな。もしかしたらヘルタワーの呪縛に苦しめられてるって思ったのは、私たちだけで、何もしてあげないほうが……」
浮かんだ悔恨を打ち消すように両兵はさつきの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「わっ……何?」
「あれ、見ろよ」
両兵が指差した先には、潮を吹くクジラの群れが見られた。
巨大なる海洋の神秘にさつきはわぁっと声を上げる。
「すごい……! こんなの初めて見た……!」
「あの中に、あいつも戻れたのかもしれねぇな。ヘルタワーが付いていたら仲間にも入れさせてもらえねぇだろ?」
あ、とさつきは両兵の横顔を目にする。
両兵はきっと、人間の仕業で酷い目に遭ってきた生き物たちを自分よりももっと多く見て来たに違いない。
割を食うのが人類か、そうでないかだけの話なのだ。
今回はキョムの介入はなかったが、ヘルタワーも立派な、人類の業であろう。
「……お兄ちゃん。私、あの子みたいな可哀想な子を、もう出したくない。だって……生き物ってきっと……もっと自由なはずだと思うもん」
「ああ、そうだろうな。せっかく海に生まれたんだ。だったら、海に……うまいこと帰れりゃいいってのも……ある意味じゃ人間のエゴなのかもしれねぇが」
そんなこと、と言い出しかけて、さつきは一際大きなクジラの声を聞いていた。
腹の底に響き渡る轟音に、さつきは顔を晴れやかにする。
「今の声って……!」
両兵は頷き、空を仰ぐ。カモメの飛び立っていく黄昏に染まった空の先は、きっと今よりもいい未来に繋がっているはずであった。