JINKI 71 想い、桜の下で

 ところどころに点在するブルーシートに、やれやれと嘆息を漏らしていた。

「ああ、そういやあんたって花見の習慣はなかったっけ? まぁ、南米じゃそこいらかしこに桜もなかったからねぇ」

 どこか得心する南に両兵はケッと毒づく。

「……柊たちは学校とやらが終わってからの合流だろ? だからってオレが場所取りに徴用されたってのが解せねぇ……」

「あんた暇そうだからでしょ?」

「てめぇだってそうだろうが。大方、立花辺りから何もしないならついてけとか言われたんだろ」

 南は涼しげな様子で口笛を吹く。

「にしたって……ほとんど葉桜ねぇ」

「時期が悪過ぎんだよ、もう花見なんて終わりだ、終わり。そんな時分まで何もしなかったのが悪ぃ」

「……しょうがないじゃない。アンヘルはこれでも多忙なんだし。何より、お花見やりたいって言い出したのはあんたじゃないの、両」

 そこに集約されてしまえば、何も言い返せなくなってしまう。

 それもこれも、自分が少しばかり迂闊であったせいなのだ。

 両兵は額に手をやり、何でこうなってしまったかを回顧していた。

『既に花見シーズンは終わりを迎えましたねー。大型連休が迫る中――』

「あー、いつの間にかお花見ってのも終わっちゃったのねー」

 せんべいを頬張りつつテレビのチャンネル権を独占する南へと、軒先で筐体を組むエルニィは問いかけていた。

「お花見……? 何それ」

 思わぬ問いかけに南は振り返る。

「……驚き。あんた、お花見知らないの?」

「知らないってば。ボクだって日本に来たばっかだもん。ジャパンの文化に触れているかと言えばそうでもないし」

「……あのねー、お花見ってのは……あー、そういえば日本独自の文化だったわ。南米じゃ、桜もないんだっけ?」

「品種は知っているよ? ソメイヨシノでしょ」

「うん。それを愛でるって言う習慣があるの、日本には。で……それをみんなして集まって、その……見るのよ、桜を」

 説明をいざしようとするとこんがらがってしまう。それくらい日本人には精神的に根付いた文化なのだ。だから、目を白黒させるエルニィの気持ちも分からないわけではない。

「……愛でて、どうするの?」

「どうするのって……あれよ。花見をして、どんちゃん騒ぎするの」

「えーっ、それって結局、桜を見るのにかこつけて騒ぎたいだけじゃん」

 本質を突かれてしまい南はうっとうろたえる。言われてしまえばその通りなのだが、花見には花見の楽しみ方があるはずなのだ。

 しかし、南米での日々が長かったせいで、どうにもエルニィを説得し切れない。

 困り果てていると、赤緒が夕餉の準備にかかりながら話題に入って来ていた。

「お花見ですか……。確かに色々あってそれどころじゃなかったですもんね……」

「そうなのよー、赤緒さん。アンヘルが忙しいのはよく分かっているでしょ?」

「忙しいって。南はテレビ見て寝転がってるだけじゃん」

 エルニィの舌鋒の鋭さに言葉をなくした南に、赤緒は笑いかける。

「ま、まぁまぁ……。各々忙しかったのは事実ですし……。でも、お花見なら、柊神社ではできませんね……桜がないですから」

「そこいらの路肩にでも咲いてるの見てくれば? ボクは用事あるし」

「嫌なんだってば! 分かんない? 一人で路肩の桜見て、あー、今年も花見だなぁ、って思うの。虚しいとは感じないの?」

 こちらの必死の説得にエルニィは半分分かっているようで分かっていない面持ちである。赤緒は困惑したように微笑んでいた。

「それは確かに……虚しいですよね……。でも、桜を今から見たって、葉桜なんじゃ……?」

「……シーズン逃してるのは認めるけれど、でも、たまには花見でもしてスカッとしたいじゃない。戦ってばっかりなんだから」

 本音では赤緒たちへの労いも兼ねてであったのだが、それは本人たちが自覚しないとできないことだろう。

 自分だけが変に花見を意識しているようで孤立する中、不意に屋根瓦から顔を出したのは両兵であった。

「うっせぇぞー、黄坂。何ギャーギャー言ってんだ。今、ジジィに勝てそうんだからちぃとは黙っていてくれよ」

「両! あんたなら分かるわよね? 花見の重要性!」

 縋る気分で言葉を投げた南に、両兵は頬を掻く。

「花見ねぇ……。日本に来てから、まともにそんなことをした覚えはねぇな、そういや」

「だったら! こうしましょう! 明日はお花見! それで決定!」

 その言葉にめいめいの困惑が返る。

「えっ……でも私、学校ですし……」

「だったら終わってから合流! 私と両が花見席を取っておくから、みんなでお花見しましょう! それで大丈夫じゃない?」

「おい、勝手に決めんなよ。花見なんざ、どうだっていいだろうが」

「よくない! 両、あんた、花見はしたことないのよね?」

 こちらの問いかけに両兵は胡乱そうに眉根を寄せる。

「あン? したこたぁねぇが、それがどうした?」

「ふふーん……じゃあ、両もお花見の何たるかを分かってないわけだ。こりゃ、お子様よねー」

 こちらの見え見えの挑発に両兵はぴくりと眉を跳ねさせた。

「ンだと、黄坂、てめぇ……。オレだって花見の何たるかくれぇは分かってらぁ! 何だって言うんなら、てめぇらの分だって花見してやるくらいだぜ」

「あーら、そう? だったら、お花見の作法くらいは分かっているのよね?」

「馬鹿にすんな。少なくともここにいる連中よか、オレのほうが分かってる」

「だってさー。よかったわね、みんな! 両がお花見の場所取りしてくれるってさ!」

 思わぬ攻勢であったのだろう。しまった、と口を噤んだ両兵が訂正を発する前に、夕飯の席につこうとしていたメルJを含む三人が反応していた。

「花見……? 何だそれは。日本の文化か?」

「お花見……お兄ちゃんが場所取りをしてくれるんですか?」

「……花見」

 じーっと見据える三人分の視線に耐えかねたのか、両兵は言ってのける。

「お、おう! 花見の場所取りだろ? それくれぇはやってやっよ。見てろよ、黄坂。完璧な場所取りってのを見せてやる」

 売り言葉に買い言葉で両兵はよく釣れる。

 南はうまくはまってくれた、と笑みを浮かべていた。

「じゃあ、明日はお花見ね! みんな、楽しみにしておくように!」

「――よくよく考えりゃ、てめぇの常套手段じゃねぇか。……ったく、うまいこと他人をハメやがって」

「あら? ようやく気づいた? でもまぁ、あんただけじゃ心配だからってこうしてついて来てあげたんだから、感謝してよねー」

「感謝も何も……。案外多いもんだな。朝っぱらから花見客ってのは」

 既に花見が始まっている席もある。両兵は物珍しいのか、仔細に観察していた。

「……両、あんた曲がりなりにも日本にいたことあるんでしょ? その時の記憶はないって言うの?」

「ん……ああ、そういや、花見って言うのかは疑問だが、何回か桜を見に行ったことはあるな。ま、どれもガキん頃の記憶だ。まともに覚えちゃいねぇよ」

「……でも、結構お花見ってのは、記憶に残るもんだと、私は思うけれどね。こうして満開の桜の下にいると、余計に」

「満開じゃねぇだろ。葉っぱ混じりだ」

「もうっ……あんたってば本当にロマンのない……」

 言い捨てながら、南は物憂げに瞳を伏せる。

 こうやって、桜を見ることもともすれば、ひと時の安息――ひと時の夢なのかもしれない。

 そう思うようになったのは南米での日々を思い返していたからだった。

「んー? ねぇ、そこの」

 呼びかけられた古屋谷がちょいちょいと手招かれる。どこか怪訝そうに眉根を寄せた相手に、南は壁の一角を指差していた。

「ここ、何でピンク色に塗られてるの? もしかしてミス?」

 南の視線の先にあったのは桃色に染まった壁の一面であった。どういうことなのか首をひねっていると古屋谷は、ああと首肯する。

「これ、親方とかが日本の桜をイメージして描いた壁ですよ」

「……サクラ? 何それ」

 きょとんとした南に古屋谷は、えっとと言葉を彷徨わせる。

「黄坂さん、日本人じゃ……」

「バッカにしてくれちゃって。私が南米育ちなの、知ってるでしょ」

「……知らないよ、そんなの……。ああ、でもそっか。こっち育ちが長いとピンと来ないですよねぇ……。あっ、川本さん。ちょうどいいところに」

 呼び止められた川本はどこか忙しそうに声にする。

「どうかした? ……両兵がなくしたライフルがようやく見繕えてさ。それでちょうど砲身にガタが来ていたんで、その調整を……」

「そうじゃなくって。……黄坂さんって、桜のことも知らないんですか?」

 潜めた声に川本は、あっ、と古屋谷を南から引き剥がす。

「駄目だって。そこんところはデリケートな問題なんだからさ。……ヘブンズは南米で結成された回収隊。だから日本の文化は分からないことのほうが多いはずなんだ。もちろん、ルイちゃんにもこれはバツだよ」

「聞こえているわよー、二人ともー。……なぁーにが、ルイにもバツよ。桜だとか何だとか……知っているほうが偉いって言うの?」

 じぃっと壁の一面を凝視していたせいだろう。

 トレーニング終わりに駆け寄ってきたルイと青葉に、南は気づけなかった。

「あっ……これって桜ですか? 綺麗……」

 声にした青葉に南はぎょっとする。

「えっ、青葉これがサクラって分かるの?」

「えっ……だって綺麗に描いてあるじゃないですか。すごいなぁ、どういう塗装技術しているんだろ……」

「……プラモオタク」

 うっ、と青葉がダメージを受ける。南は拳を振り上げてルイを追い掛け回した。

「こらぁ! ルイ! あんたまた、悪い言葉を覚えて!」

 追いかけっこが始まったのを現太と青葉は微笑ましげに眺める。

「これって……桜ですよね?」

「あー、うん。アンヘルは日本人気質が多いからね。あっちでの通例行事を忘れないようにって意味合いで壁を塗ったんだ。こっちじゃ、まるで季節は正反対だからね」

「あっ……そっか。お花見、できないんですね……」

 しゅんとした青葉に南は立ち止まる。

「お花見? 何それ?」

 こちらの手を掻い潜り、ルイがべっと舌を出す。

「あっ! ルイ! あんた後でコテンパンだからね! ……でーっと、青葉? そのー、お花見って何?」

 頬を掻いて歩み寄った南に青葉は意外そうな声を出す。

「えっ、南さん、お花見知らないんですか?」

「うん……だって私、南米育ちだし。今の今まで格納庫の壁がこんな風に塗られているのも知らなかったわよ」

「えーっと……どう説明すればいいのやら……」

 青葉も困惑している。日本人の精神に刻まれた行事には違いないのだろうが、自分は日本人の血が流れているとは言え、ほぼ現地人だ。まったくの想定外のことに戸惑いを感じている。

「それは、青葉君。実際にやってみると、いいんじゃないかな?」

 現太のアドバイスに青葉はあっ、と手を叩く。

「そうです! 実際にやってみればいいんですよ! お花見!」

「えーっ……よく分かんないのに? それに、これ壁よ? 実際にそのサクラとかが見れるわけじゃないし……」

「いいじゃないですか! 皆さんでお花見!」

 どうにも当惑している間にも青葉は整備士を纏めて花見を始めようとしている。その背中がいつになく浮かれているように思えたのは気のせいではないのだろう。

「……南君、意外に思っている?」

「……さっすが現太さん。正直、そうです。何か、青葉には頼り甲斐のあるお姉さんを演じていた分、ちょっと意想外って言うか……。私の知らないこと、青葉は知っているんですね。何でも知っているお姉さんぶるの、失敗かなぁ」

 あはは、と笑ってみせた南に現太はいいや、と頭を振る。

「何でもは誰しも知らないさ。それに、南君もいい機会だ。経験しておくといい。いつか日本に行けたら、君が、花見を知らない誰かに楽しみ方を教えるのかもしれないからね」

「私が日本に? あり得ませんよ……」

 笑い話にしようとするが、既に青葉たちの間で決定したらしく、整備士たちがめいめいに準備を始めていた。

「花見って言うと、ブルーシートですかね」

「ああ、それなら格納庫の隅にあったはず……。人機用のブルーシートだけれど」

「酒でも用意しますか? つまみって言うほどのつまみもないですけれど」

 彼らの背中がいつになく、浮かれ調子になっていることに南は勘付いていた。

「……そんなに花見っていいもんなの? 青葉」

「はい! 春になると日本では満開の桜の下でお花見をするんですよ! ……まぁ、中にはお酒が飲めるのが嬉しい大人もいますけれど、でも子供にだって、お花見は特別なんです!」

「特別ねぇ……。何だかお姉さん、ピンと来ないわ」

 日本の行事だから、だけではないのだろう。

 自分の中には存在しない感情を持て余しているようでどうにも落ち着かない。そもそも、南米育ちを恨んだことはないが、事ここに至っては、どうして今まで誰も教えてくれなかったのか、という恨み言の一つでも出てしまう。

 だから整備班が全力で楽しもうとするのが、どこか肌には合わなかった。

「……ちょっとだけ顔貸してくれる? 青葉」

「……何がですか?」

「女同士の話。あんまし男連中には立ち入らせたくはないのよねー」

 青葉はどこか疑問を挟みながらも承服し、自分の後についてくる。南は格納庫の裏まで来てから、視線を逃がしていた。

「……何か、楽しめないのかも。私」

「えっ……何が……」

「お花見の話。自分で振っておいてなんだけれど、さ。みんなノリノリなの、何か嫌なのよねー。……同じ場所にいるのに置いて行かれている気分で」

 元々アンヘルの整備班とはそうそう顔も合わせない身分だ。ヘブンズは自分とルイだけの独自部隊であるし、それに今日この時まで気が付かなかった壁にそんな意味があったなんて、何だか――。

「……言い出さなきゃよかったかも。こんな……何というか疎外感に苛まれるくらいなら」

 無論、青葉の前であまり弱音は見せたくはない。それはルイの前でも当然だ。

 だが相談できるのは青葉くらいしかいなかった。どこか浮かれている男連中とは相容れないまま花見にもつれ込むのも癪であったのだろう。

 だからなのか。それとも青葉にも思うところがあったのか、ふと呟いていた。

「……私も。お花見っていい思い出ばっかりじゃないですよ。知っているかもしれませんけれど、静花さん……親との思い出じゃありませんから」

 あっ、とこちらが察した時には既に遅かった。青葉はどこか遠い眼差しで語る。

「……でも、家の軒先に咲いていたんです。桜の花が。だから私……いつも毎年春になると、おばあちゃんと一緒に軒先で、ずーっと桜の木を眺めていて……。何だかそれが、ちょっと前までは当たり前のことだったのに、今はもう……永遠に訪れることはなくって……」

「ゴメン……私のほうがデリカシーなかったわ、青葉。あんたにそういうことを話させるつもりじゃなかったのよ」

 慌てて謝った南であったが青葉の面持ちは晴れやかであった。

「でも……だからこそ、みんなでお花見がしたいんです。嫌な思い出も、きっといい思い出で上塗りすることができるから。そう思えるんだってこと、教えてくれたのは南さんでもあるんですよ?」

「私? ……私は別に、楽な生き方を教えているだけの話で……」

「そういう大人の女の人、周りにはいませんでしたから。……だからこうも思えるんです。大人になるって悪いものでもないんだなぁって!」

 笑顔を咲かせる青葉に南は言葉をなくしていた。

 ――そうだ。青葉からしてみれば模範となる大人なんて傍には居なかった。だったら、自分がいじけてどうすると言うのか。

「……参ったわね。今回ばっかりは、青葉。あんたに助けられたわ」

「……私に?」

「自覚なし、か。やってくれるじゃない! このぅ!」

 その背中を盛大に叩いてやると青葉は咳き込んでいた。

「えっ、何? 何なんですか?」

「行こっ! 青葉! お花見って奴、きっちり楽しまないとね! せっかくやるんだもの!」

 駆け出した自分の背に青葉は続く。

「ま、待ってくださいよ……。トレーニングの後だから、ちょっと辛い……」

 表では既に花見とやらの宴席が始まっている。

 親方に次々と酒を注ぐ整備士たちがへこへこしていて、どこか可笑しかった。

「ヘブンズも推参! お花見に参加するわ!」

「南。もう一本空けているわよ」

 酒瓶を振ったルイに青葉が慌てて制そうとする。

「だっ……駄目だよ! ルイ。お酒は二十歳になってからじゃないと……」

「それは日本のルールでしょ。南米じゃこれくらい普通」

 酒盛りを続けるアンヘルメンバーは皆一様に桜色の壁を眺めている。

 ご機嫌になった整備士が一発芸を披露し始めていた。

 南は酒を飲み干して、なるほどね、と声にする。

「これが、お花見……かぁ。いつかどこかで……青葉に教わったこと、教える側になるのなんてあるのかしらね」

 今は、そっと夢見ることだけであった。

「あっ……南さんたち……。お弁当の用意に手間取っちゃって……」

 申し訳なさそうに合流した赤緒たちへと南は手招いていた。その手には既に一升瓶がある。

「もうっ、赤緒さんってばー、ノリが悪いぞぉー。可愛がっちゃおうかなー」

「ひゃぅ……! 抱き着かないでくださいよぉ……」

 南は満開の桜の下、集った仲間たちへと杯を掲げる。

「それじゃー、みんなー! トーキョーアンヘルのこれからを願ってー! かんぱーい!」

 すっかり出来上がった様子の南に、両兵は静かに酒をすする。

「……一番テンション上がってやんの」

「あのぉ……小河原さん。いいんでしょうか。こんなゆっくりとした時間を、その……味わっていても」

「いいんじゃねぇの。何だか黄坂からしてみれば思うところもあるみてぇだし。それにまぁ――悪かぁ、ねぇな。満開の桜を肴にしつつ、一杯やるってのも」

「……もうっ、小河原さんもお酒はほどほどにですよ。ですが、一杯だけなら。お酌しますっ」

「おう。あんがとな」

 桜の花びらが散り、杯に注がれた酒の水面に舞う。

 上機嫌になったエルニィが一発芸を披露する。それをやんややんやと南が騒ぎ立てた。

 さつきとルイ、それにメルJがそれぞれに微笑みを浮かべて桜を見入っている。

 きっと、想うところは一つだろう。

 ――いつかきっと、またこの桜の下で。

 同じように、笑い合える日々を願って。

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