レイカル 17 五月「レイカルと鯉のぼり」

「あそこですっ! あんなに派手な旗を立てるなんて……挑発のつもりでしょうか……!」

 果たしてレイカルの指差した先にあったのは――風に棚引く三匹の……。

「……鯉のぼり?」

 出端をくじかれた形の作木に比して、レイカルは獰猛に呻る。

「……戦の狼煙にあんな派手な色を使うということは、相当な自信があるのでしょう。創主様、ご指示を!」

 完全にスイッチの入ったレイカルに作木はうろたえながら、説明の口を開いていた。

「いや、あの……レイカル? あれはそういう旗じゃないんだ。五月になったら男の子のいる家庭ではみんなが上げる……何て言うんだろ。おまじないみたいな……」

「まじない……。まじないであんな戦旗を立てるとは思えません! きっと我々の知らぬところで、まだ見ぬ敵性オリハルコンの攻撃命令が……」

「いや、そうじゃないんだ、レイカル。……どう言えばいいんだろう」

 困惑した作木は、やはりこういう時には、と携帯を開いていた。

「――で、そこいらで戦闘の兆候があると思って、レイカルは殺気立っている、と。毎回大変だね、作木君も」

 削里の理解に作木は、はは、と乾いた笑いを出す。

「すいません……。日本の伝統行事だからって言っても、やっぱり通用しなくって……」

「いいさ。レイカルには少しずつ、慣れてもらわなくっちゃ」

 二人の視線の先にはヒヒイロに諭されるレイカルとカリクム、それにラクレスの姿があった。

 小夜とナナ子はゴールデンウィークの予定を立てようと、旅行パンフレットを睨めっこしている。

「やっぱり……ちょっと南に行ってみない? いつも都心じゃ張り合いがないのよねー」

「でも、この季節だとちょっと寒いかもしれないし、やっぱり都内のほうがいいんじゃない? 大型連休は混むでしょ」

「それは車で運んでもらえば問題ないと思うし……」

 小夜がこちらに目配せしたが、削里は肩を竦める。

「……生憎と、俺も車は運転できないよ」

「ですよね……。ってなると、いつもの謝礼でヒミコ先生でも脅す?」

「駄目だって。あの人に脅しなんてかけたら、逆に私たちの単位が危うくなっちゃう。ねー、作木君」

 小夜の言い分に作木も引きつった笑みを浮かべるしかなかった。

 ヒミコに単位と言う学生の大義名分を握られている以上、下手なことは仕出かせないし、何よりも脅すのは自分の性には合わない。

「……普通に高杉先生に頼めばいいんじゃ……」

「駄ぁー目。いつもこき使われてるんだもん。こういう時くらいはこき使わないと」

 どうやら小夜は意地でもヒミコにゴールデンウィークの埋め合わせを願っているらしい。削里へとそれとなく目線で問うと、彼はウインクした。

「……ま、ヒミコもヒミコなのは俺もよく知っているし、いいんじゃないかな。今回くらいはご相伴にあずかる、とでも」

「いや、でもあれで一応先生ですし……。いいのかなぁ……」

 当惑する作木に対して、講義を設けるヒヒイロは教鞭を振るい、まず、と前置きする。

「鯉のぼりが何なのか、分かっておらんのはレイカルだけじゃな?」

「こいつだって分かってないだろ」

 首根っこを引っ掴まれたカリクムが猛抗議する。

「何すんだ、馬鹿! ……お前と違って私は分かっているよ」

「ではわしの代わりに説明できるかの、カリクム」

「あれだろ? 何か、日本でこの時期になると、男の子のいる家庭じゃあれを天高く掲げるんだ」

「それは何でなんだ?」

 レイカルの純粋なる問いにカリクムは言葉を噤む。

「何でって……。何で?」

 二人分の疑問の眼差しを受けたヒヒイロが額を押さえて呻った。

「……よもやこれほどとはのう……。お主ら、疑問に思ったことはないのか?」

「だって、あれはああいうものだろー? なぁ、小夜ー。何でなんだ?」

「こっちに振るなっての。……私も知らない。だって一人っ子だし」

「私も同じくー。何でなの? 作木君」

 不意に話を振られて作木は言葉に詰まる。

「えっと……、確か男の子の健康長寿を祈るとか、確かそんなんじゃなかったでしたっけ? 僕もよくよく考えればあんまり知らないな……」

「えーっ、でも作木君、男の子でしょ? 鯉のぼりも五月人形もあったんじゃないの?」

 自分の記憶を手繰る。確かに両方あったが、理由までは名言化された覚えはない。

「……そう言えば、そうですよね……。改まって教えてもらったことがないだけかもしれませんけれど……」

 小夜がため息をつき、ナナ子が、まぁそうよね、と首肯する。

「ひな祭りだって、よくよく考えれば私たちだって説明難しいし、そういうもんなんでしょ?」

「かといって、レイカルの疑問を氷解しないままなのはその……よくないと思うんです。だって、このままじゃレイカルはきっと、鯉のぼりを敵の旗だと思ってしまうし……」

「創主様! あれはでも、明らかな敵意の誇示です! あれほどの大きさの旗を、しかも三本も! 相当な手練れに違いありません!」

「……この調子だよ。まぁ、でも、私も分かんないし……ヒヒイロー、何でなんだ?」

 カリクムとレイカルの疑問にヒヒイロはふぅと嘆息をつく。

「……お主らもちょっとは自分で調べるということをせんのか。まぁ、よい。元々は武家の風習であった、との記録がある。それが民衆に伝わり、最初は小さかった幟……つまりは今日の鯉のぼりの原型が、大きく三匹連なり、家族を示すようになったと言われておる。ちなみに鯉のぼりは夏の季語となっておるな」

「きご? きごって何だ?」

「……そこからか。季語はその季節を示すような語句じゃな。鯉のぼりは晩春の晴天に棚引くものとされておる。つまりはこの時期特有とも言えるな」

「へー、じゃあ雨の日とかには立てちゃ駄目なのか?」

 カリクムが挙手して疑問を呈する。ヒヒイロは丁寧に応じていた。

「そもそも鯉は元来、真鯉であった、とされておる。じゃが、童謡の歌にもあるように、大きな真鯉を父親、赤い鯉を母親、そうしてその下に居る小さな鯉を男児と見立て、端午の節句より始まるその家の男の子の健康と成長の祈願として、代々親しまれておるわけじゃな」

 ふぅん、と分かっているのか分かっていないのか不明な声を出すカリクムを尻目に、レイカルは至極当然な疑問を発していた。

「うん? ……じゃあヒヒイロ、私たちには鯉のぼりって縁がないじゃないか」

「まぁ、そうなるのう。オリハルコンは女型のみしか今のところ確認されておらんから……」

 そこまで口にした時、レイカルの瞳がじわりと滲んだ。

 悟った時には既に遅い。レイカルはじたばたともがきながら声を発する。

「嫌だ、嫌だ! 相手にあんなに立派な戦旗を許して、私たちはしちゃいけないなんて、あんまりだー!」

「落ち着けって……。そもそも鯉のぼりなんて私たちオリハルコンには関係ないんだからさ」

 カリクムの諭す声にレイカルはむっと眉間に皺を寄せる。

「カリクム! お前、悔しくないのか! 相手に立派な旗を揚げさせておいて、それで私たちは揚げる旗もないと言うのは!」

「……知らないよ。こいつどうにかしてくれよ、小夜ー」

「黙ってらっしゃい。もうちょいでゴールデンウィークの予定が決まるんだから。……やっぱりここじゃない? 伊豆半島」

「えーっ、それって前にも行かなかった? やっぱり、沖縄旅行でしょ!」

 小夜とナナ子は自分たちの予定に夢中でこちらの話題に入るつもりはさらさらないらしい。

 意気消沈したカリクムに、作木は笑いかける。

「ま、まぁ、女の子にはひな祭りがあるし……。レイカル、そっちは知ってるだろ?」

 しかしレイカルは譲る様子はなく、拳をぎゅっと握り締める。

「あれは……! 確かに、いいものでしたが……! しかし、何かこう……負けた気分になるではないですか! 男の子にだけあんな戦闘力の高そうな旗が許されるなんて!」

 羨ましいッ! とレイカルは泣きじゃくる。

 そういう理由か、とカリクムと視線を合わせた作木は肩を竦めていた。

 一応、助け船をラクレスに頼もうとするが、よくよく考えればそれも酷だろう。

 彼女の素性柄、子供に関することは言わないほうがいい。

「……しっかし、戦闘力って言ってもなぁ……。そもそもあれ、旗じゃないし……」

「鯉のぼりかぁ……。立ててあげたいのはやまやまなんだけれど……どれくらいの値段がしますっけ?」

 削里へと問うと、うーんと彼は呻った。

「大体、万単位でお金は飛んでいくだろうね。レイカルの言うように立派なのとなると、十万円は堅いかな」

「じ、十万……。……もうすぐワンフェスだから切り詰めてるんですよね。れ、レイカル。鯉のぼりだけは諦めて――」

「創主様までそんなことをおっしゃるのですか? いやだーっ! 私も鯉のぼり欲しー! 誰にも負けない鯉のぼりー!」

 そう言われても、ここで鯉のぼりを用意できるような人材もなし。

 どうするべきか、思案していると、そういや、と削里が声を発する。

「鯉のぼり配ってたなぁ、この辺の町内会で」

「なにっ! 本当か、それは!」

 予想以上のレイカルの食いつきにも、削里は冷静に応じる。

「男の子がついていけば、誰でももらえたはずだ」

 この場で男の子、と分類できるような人間は一人しかない。全員の視線が集まり、作木は自分を指差す。

「えーっと……僕ですか? でも、もう年齢的に……」

「恥ずかしがっている場合じゃないでしょ。もらわないと、レイカルはずっとこうよ?」

 小夜に言われてしまえば確かにその通り。何よりもレイカルを納得させるのに、自分が動かないでどうすると言うのだ。

 作木は膝を叩き、よし、と己を鼓舞する。

「鯉のぼりを……もらってきます」

「そこんところの駐車場で配っているはずだよ」

「創主様……! 私のために……!」

「ああ、レイカル。鯉のぼり……何円か分からないけれど……買おう」

 ぐっと拳を握り締めた作木に、静かに削里が笑ったのをこの時は気づけなかった。

「……えっ、鯉のぼりって……これですか?」

 町内会の女性が配って回っていたのは、手のひらサイズのミニチュア鯉のぼりであった。

 覚悟を決めて来たと言うのに、手渡されたその安っぽさに思わず辟易する。

「えっと……レイカル? 残念だけれど、鯉のぼりは……」

 やはり無茶であったか。そう断念しようとした作木に、レイカルは目を輝かせる。

「すごい! 私たちサイズの鯉のぼりじゃないですか! これならいつでも揚げられます!」

 あっと、作木は手にした鯉のぼりを見やる。

 軸はストローの使い回しであるし、鯉のぼりそのものもプラスチックか安っぽい布だ。だが、レイカルにとってしてみればこれ以上のないお宝なのだろう。

 そっとレイカルに差し出すと、彼女は笑顔を咲かせて鯉のぼりを掲げた。

「やったー! 私だけの鯉のぼりですね! 創主様!」

 その段になって、やられた、と感じる。削里はこれも見越して自分をそそのかしたのだろう。

「……そっか。そうだよね。鯉のぼりの立派さじゃなくって、僕も嬉しかったのは、自分の鯉のぼりだったことなんだ。……ありがとう、レイカル」

 不意の感謝の言葉にレイカルは首をひねる。

「何がですか? 創主様」

「いや、思い出させてくれたことだよ。……忘れてたな。自分だけの、特別な鯉のぼりだから、意味があるんだ。それに、鯉のぼりは……」

 子供の健やかな成長を祈るもの。

 自分にとっての子供はまさしくレイカルだ。

 ならば、彼女の健やかなる成長を祈るそれは意義があるものではないか。

 鯉のぼりを振って、レイカルは覚えたての歌を歌う。それに合わせて、作木も口ずさんでいた。

 ――屋根より高い、鯉のぼり。

 きっと、屋根より高くなくっても、レイカルにしてみれば一生の誇りに違いない。

「……レイカルはどう成長してくれるのかな。僕の想像を超えるような、きっと、すごいオリハルコンに……なってくれると、いいな」

「はいっ! 鯉のぼりを得た私は無敵ですから! よぉーし、立派なオリハルコンになるぞぉーっ!」

 今はただ、このひと時が何よりも愛おしい。

 きっとレイカルは、自分の与えた想像の翼を得て、もっと高くへ、飛んでくれるに違いなかった。

 ――一方その頃。

「……だから! 何で北海道なのよ! 遠いじゃないの! ……あと、飛行機は乗らないから。私が高所恐怖症なの、知ってるでしょ」

「あー、もうっ! 小夜の選択肢じゃ、いつまで経っても決まらないじゃないの! いい加減、空を飛ぶことに関しては諦める!」

 あーだこーだと大型連休の予定を決めかねている二人に、カリクムが肩を竦める。

「……人間って、忙しいな」

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