「そうか? あいつのことだ、確かすぐにプラモ部屋を作るとか言っていなかったか?」
「もう、両ってば。……でも、そうね。青葉はでも、一番にみんなのことを、考えていたんだと思うわ」
「――お給料?」
現太の口から出た言葉に青葉は目を見開いていた。
「うん。君たちも立派なアンヘルの一員だ。何よりも、命をかけて戦ってくれている。当然、給料は発生するとも」
「あの……でも私……まだ中学生ですし」
自信なさげに口にした自分に対し、ルイはふんと鼻を鳴らす。
「子供ね。給料の使い方も知らないなんて」
言い捨てられて青葉はついついむきになってしまう。
「る、ルイは知っているの? ……お給料なんて、大人のもらうものだよ?」
「呆れたわ。あんた、自分がまだ子供だからって、給料の一つも出ない仕事だって、そう思っていたの?」
「そ、そうじゃないけれど……。あの、でも先生。私にはまだ早いので……辞退を」
「私は遠慮なくもらうけれど」
ルイはつかつかと歩み出て現太の手から給料袋を受け取る。その仕草に青葉も負けじと立ち上がっていた。
「先生! ……その、ありがとうございます!」
「うむ。君たちも操主として成長してくれている。これほど嬉しいこともないからね」
青葉は人生初の給料にあわあわと手を震わせる。
「る、ルイ! ……何に使うの?」
「……あんたに言ってどうするの? 自分で考えなさい」
「な――っ! ……ルイも本当は分かっていないんじゃないの?」
ぽつりとこぼした挑発にルイが足を止めこちらへと向き直る。
「……あんたとは年季が違うのよ。ちょうどいいわ。ヘブンズなりの給料の使い道を見せてあげる。先生、青葉を借ります」
「……あっ、待って! ルイってば!」
駆け出した自分の背中に、大丈夫かな、と懸念を浮かべた声を聞きつつルイの背中に追い縋る。
「……お給料なんて、もらえるのはもっと先だと思ってた」
「それはモリビトの操主を軽んじているの?」
「そ……そんなことないよ! モリビトの操主をやらせてもらえるのは確かに立派だし……誇れると思っているもん!」
「だったら、給料くらいで浮つかないで欲しいわね。そんな程度で同じものを学んでいるなんて恥ずかしいわ」
「……で、結局ルイは何に使うの?」
「来なさい。ちょうどいい使い道を教えてあげる」
先輩風を吹かせるルイに引き連れられ、訪れたのは購買である。
「……何を買うの?」
ルイは無言で紙幣を差し出し、口にする。
「いつものを特上で」
はいよ、と差し出されたのは酒瓶である。しかも日本酒だ。
「だ……駄目だよ! ルイ! お酒は二十歳から!」
「何を言っているの。私は六歳の頃から飲んでいるのよ。……それとも、私のお酒が飲めないって言うの?」
凄みを利かせてくるルイに青葉は言葉を窮する。
「……ほ、他の使い道があるはずだよ! ……もっと身の丈に合った……」
「たとえば? 何もないなら今日は酒盛りよ」
酒瓶を握り締めたルイに青葉は、そうだと手を打っていた。
「じゃあ、私は……自分の部屋を自分好みにする! それって初任給の使い道でしょ?」
「……どうするって言うの」
「どうするって……えっと、プラモのパーツを仕入れて……それでエアブラシを新調して……」
「……プラモオタク」
ぼそりと呟かれた言葉に青葉は手痛いダメージを受ける。
「……ま、負けないよ、ルイ。言われたって、私のお給料だもん!」
「勝手にすれば。それで後悔しないのなら、だけれど」
うぅ、とまごつく青葉は廊下を行き過ぎる両兵と南を視野に入れていた。
「あっ、両兵! 南さん!」
「青葉にルイじゃない。何やってんの?」
「あの……二人はお給料……」
こちらの言葉尻の弱さに二人して顔を見合わせる。
「あー、給料が出たのか。……で、何だって言うんだ。勝手に使ゃいいだろ」
「両ってば子供ねー。青葉は立派に教育を受けたから、初任給の使い道に迷っているのよ。ね?」
ウインクした南に青葉はこくこくと頷く。両兵は怪訝そうに顔をしかめた。
「……ンなもん、勝手に悩んどけ。オレの金じゃねぇし、知らねー」
「り、両兵は何に使ったの? 最初のお給料……」
「給料の使い道? ……覚えてねぇな。何に使ったか?」
「両……あんた、そのうちその日暮らしの人間になるわよ……。自分のお金の使い道くらいは覚えておきなさいよ」
「ンだと黄坂。てめぇは覚えてんのかよ」
「そりゃ、もちろん! 現太さんへの、プレゼント……ッ!」
その言葉に青葉は面食らう。両兵はと言えば、舌打ちを滲ませていた。
「……つまんねー使い方」
「何よぉ! 両兵。あんたにだけは言われたかないわよ!」
「つまんねーもんはつまんねーだろ。誰かのため使ってどうすんだ。自分が命張った証だろ? だったらてめぇのために使えよ」
両兵の意見に南は露骨に大きなため息を漏らす。
「はぁー……、これだからお子ちゃまは! 誰かのために使うのもお金の使い方としては正しいでしょ」
「わっかんねーの。青葉、てめぇはせいぜい、自分が後悔しねぇ使い方でもすりゃどうだ?」
「……それが分かんないんだってば。私、どう使えば後悔しないんだろ……」
「知らねーよ。プラモ部屋の増築でもすりゃどうだ?」
「……でも、それって結局、自分のためでしかなくって……」
「あのな、初任給ってのは自分が汗水流して働いたって言う、初めての証明品みたいなもんだ。それを使い潰すのも、後生大事に取っておくのも自分次第だけれどよ、これだけは言っておくぜ。後悔するくらいなら、明日のことは考えんなってな」
「……明日のことは……考えない……?」
思わぬ言葉振りに青葉は目を見開く。両兵は、おうと鼻息を荒くする。
「自分の後悔しない使い道ならどうだっていいってもんだ。黄坂のガキみてぇに酒に使ってもいいし、……何ならこの色ボケみたいに誰かにプレゼントしたっていい。そういうもんだろ、給料って」
「だぁーれが、色ボケですって!」
耳を引っ張られ、両兵と南の喧嘩が始まる中で青葉は沈黙していた。
――自分の後悔しない、使い道……。
「痛って……! もうちょい手加減しろよ! 腕折れんだろ!」
「うっさいわね! あんた相手に手加減してたらこっちが折れちゃうわよ! ……って、青葉? あーあ、あんたがいい加減なこと言うから」
「オレのせいかよ! ……青葉? マジに考え込んでんのか?」
「……いや……ううん、やっぱり……。両兵、ありがと」
「おっ? 何のことだか分かんねーけれど、気は済んだか?」
「うん。自分の後悔しない、使い道をすればいいんだよね。なら――」
「モリビトの整備への献金? う、受け取れないよ! 青葉さん! それって君の給料だろう?」
狼狽する川本に青葉は給料袋を差し出していた。
「だから……なんです。私、初めてのお給料はモリビトのために使いたい! それなら絶対に、後悔しないから!」
晴れやかに言うものだから川本を含め、整備班は困惑するが、ふんを鼻を鳴らしたのは山野であった。
「あっ……親方……」
「あの……お給料をモリビトのために使いたいんです!」
物怖じせずに言ったせいか、山野は真正面から睨み上げて言いやる。
「……ガキの初任給なんざ、モリビトのボルト一本分にもならねぇ」
「それでも! 私は操主だから! モリビトのために使う……!」
譲らないこちらに山野は暫し凄味を利かせたが、やがてその視界の中に現太を見つけ、声をかけていた。
「……お前の差し金じゃないだろうな」
「まさか。私はむしろ、止めようとしたよ。自分のために使いなさいとね。だが……確かにモリビトのために使うのも、彼女の自由だ」
ケッと毒づいた山野は青葉から給料袋を引っ手繰り、それをそっくりそのまま現太に返す。
「……まだケツの青いガキにゃ、操主って言っても給料なんて荷が重い。預かっておけ」
「あの……っ! まだ答え、聞いてません!」
ぎゅっと拳を握り締め青葉は口にする。
こちらへと一瞥を振り向けた山野は、帽子を目深に被っていた。
「……川本。モリビトの整備点検用のマニュアル、あったな?」
「あ、はい。ありますけれど……」
「それ渡しておけ。……その操主モドキ、何が何でも頑としてそこを退かなさそうだ。整備の邪魔になる。ガキにゃお似合いのもんだ」
「い、いいんですか? ……だってあれ……」
「いいって言ってんだろ! 渡しておけ!」
その怒声に川本は肩を縮こまらせ、慌てて取ってきたのは冊子であった。
「……これって……」
「《モリビト2号》の整備点検マニュアル。……本当は部外者には渡しちゃいけないんだ。いくら操主だって言ってもね。これは現太さんも、それに両兵だって読んだことがない、本物のとっておきだよ」
耳打ちした川本の声に青葉は山野の背中へと頭を下げる。
「その……ありがとうございます!」
「……邪魔だ。操主モドキはもうちょっと立派にモリビトを動かせるようになってから出直せ。その時には、こっちから直々に給料でも何でも払ってやるよ」
「……はいっ!」
青葉はマニュアルを小脇に抱え、現太の下へと戻っていく。
「よかったじゃないか。私もそれは読んだことがないんだ」
「はい! 私だけの……初任給!」
抱き締めたマニュアルにふと、青葉は現太の手にある給料袋へと視線を向けていた。
「あの……先生。もう一つワガママ、言ってもいいですか?」
「うん? やっぱり何かに使うかい?」
「……いえ、その……私の手からじゃなくって。でも私の初任給を使って欲しいんです。あることに……」
「あら、珍しい、現太さん。今日のコーヒーの味は違うのね」
ふとこぼした静花に現太は頷いていた。
「青葉君がね、初任給で買ってくれたんだ。いつもよりいいコーヒーさ」
「ふぅん。あの子が」
興味もなさげな静花であったが現太は重ねて言いやる。
「……彼女の初任給の使い道だよ」
だからと言ってどうにか言って欲しかったわけでもない。
だがそれなりに認めては欲しかったのかもしれない。
静花はデスクにマグカップを置き作業を進める。
「……まぁ、いいんじゃないの。美味しいコーヒーなら」
それ以上の言葉を得られそうにもなかったが、今はいいのだろう。
――二人の歩み寄りには。
「――青葉さん。モリビトのために初任給を……」
聞き終えた赤緒はその使い道を既に心に決めていた。南へと給料袋を返し、声にする。
「……モリビトのために使ってください」
「……別に青葉の真似をすることはないのよ、赤緒さん。赤緒さんのやりたいように使えば、きっとモリビトも喜んでくれるわ」
「いえ、これは真似とかじゃなくって……青葉さんの志を継ぐのならきっと、一度は通るべきなんだと思うんです。だって私は、モリビトの操主だから」
説得は無駄だと判断したのだろう。南は給料袋を翳す。
「……じゃ、一応は預かっておく。でも、何かに使いたかったら言って。青葉じゃなくってあなたの願いのために、ね」
「はいっ! ……きっと私も、自分の願いを見つけられると思います……。あ、そういえば青葉さん、まだそのマニュアルって持っているんでしょうか?」
その問いには二人して顔を見合わせていた。
「どうだろうな。持っていそうだが、あいつのことだ。手離したとしても意味はあんだろ」
「そうね。持っていてもいなくってもきっと、青葉だもの。それは意味があるのよ」
赤緒は格納庫へと振り返る。
いつか自分もモリビトのために。
――立派な操主になれれば、それが何よりも……。
《ナナツーウェイ》に稼働をかけさせて、あっ、と思い出す。
「そうだ……いつもの」
もう古びてしまった冊子を取り出し、彼女は静かにそれを読みふける。何度も捲ったせいで冊子の所々が擦り切れているが、それでもまだ現役だ。
――この習慣だけは欠かしたことがない。
出撃前に一呼吸つくのに、この冊子は特別な時間をくれる。
綴られているのは、唯一無二の愛した人機の構造。
そして、愛すべき人機に、自分は今、乗っている。
「――行こう」
冊子を片付け、操縦桿を握る。
身についた所作、身に帯びたおまじない。
その眼差しは、今も燻る、戦場の火へ――。
立ち向かうのは、ただ一つ。
――いつか願いの咲く日を、夢見て。