「いんや! 私のだ! レイカル、お前もちょっとは遠慮を覚えろよ!」
「願い事が叶うんだろ? だったら遠慮なんてしてられるか!」
あまりにも騒々しいせいだろう。小夜が我慢の限界とでも言うように机を叩いていた。
「あーっ、もう! うっさいわね、あんたら! キーキー猿でもあるまいし! 短冊を下げるくらいどっちでもいいでしょうが!」
その言葉にカリクムが硬直する。
「……本当に、お前ってまだ……」
「……何なのよ、カリクム。何かあったの?」
「う……うっさい! 小夜のバァーカ! もう知んないからな! ダウンにでも何でも襲われちまえーっ!」
飛び出してしまったカリクムの背に小夜は大きくため息をつく。
「……何だってのよ……」
「あの、小夜さん? もしかしたらカリクム、七夕に思うところでもあるのでは……? だから、小夜さんに気づいて欲しくって……」
「七夕に……? そんなの、分かるわけ――うわっ!」
不意に中空を仰いで驚愕した小夜に作木は小首を傾げる。
「……どうしました?」
「あ、えっと……見えないんだっけ……。えーっと……ちょっと風に当たってくるわ。私もね」
小夜まで飛び出して行ってしまった。取り残された作木は困惑気に後頭部を掻く。
「……どうしちゃったんだろ……」
「もしかしたら……カリクムの前の創主に、関係あるのかもね」
口を開いたナナ子に作木は問いかけていた。
「……それって……確かカグヤさんって言う……」
「私も詳しくは知らないし、小夜には何か、そのカグヤがたまに見えるみたい。でも、ここから先は乙女の秘密。作木君にだって教えられないわ」
そう言って防衛線を張ったナナ子にはこれ以上問い質すこともできない。
それでも、作木には小夜とカリクムの間に降り立ったのが、尋常でないことだけは伝わっていた。
「……小夜さん。心配だな……」
「いいんじゃないですか、創主様。今のうちに、笹の葉に短冊を吊るしましょう!」
「短冊……。そういえばやけに、それにこだわって……。レイカル、一つだけ、僕との約束、守ってくれるかい?」
屈んでレイカルの視線に合わせると、彼女は純粋な瞳で首を傾げる。
「それは……創主様の望みですか?」
「うん……そうかな。僕もあんまりいがみ合って欲しくないしそれに……笑顔に翳りがあるのを、放ってはおけないからね」
カリクムの相貌には何か、窺い知れない影があった。それを解きほぐすのは自分ではないのだろう。
「……分かりました。それが創主の望みなら! ……でもちょっとだけ、残念です」
「残念?」
「……別に嫌がらせをしたかったわけじゃありません。全員で短冊を吊るしたほうが賑わいがあっていいじゃないですか。それなのに、あいつ……妙なところで一番乗りにこだわって……」
レイカルからしても今回のカリクムの行動は幼稚であった、ということだろうか。だとすれば余計に気にかかる。
「……大丈夫かな。二人とも……」
「……とは言え気にかけてばかりもいられません。作木殿、妙案がありそうですが、何か?」
ヒヒイロの助言に作木は頷く。
「うん。……二人が喜んでくれるかどうかまでは、分からないけれどでも……」
――仲間のためならば。
「……やぁーっと追いついた……。どこまで行ったのかって冷や冷やしたわ」
ぜいぜいと荒い息を整えた小夜は河川敷で佇むカリクムを発見する。本当ならばその首根っこを押さえつけて引き戻したいのだが、そうもいかないのが浮遊している「彼女」の存在であった。
「……カグヤ。あんた急に現れるからびっくりするじゃない」
(えーっと……でも私、小夜さんとほとんど一心同体ですし! こうやって唐突に二人のハウルが混じり合うと見えちゃうみたいで)
微笑んで頬を掻くカグヤに小夜は嘆息をつく。
「……何かあったんでしょ。過去にカリクムと」
(……カリクムとは……七夕に子供たちと一緒に短冊を書かせていたんです。私の趣味みたいなもので、子供たちの営みに少しでも貢献できれば、って思いだったんですけれど。それがカリクムにとってしてみれば、思い出、なんでしょうね。私との……)
「……要はカリクムにとっては七夕はただ単に願いを書くだけの行事じゃないってことなのよね?」
(……それだけでもなく……)
暗い顔をするカグヤに小夜は思い切る。
「……言っておくけれど、黙っているのなら無理やりは聞かないわよ。いくらほとんど一心同体って言ってもね。プライバシーくらいはあるし」
自分に慮れと言うのもまた違う話だ。
根負けしたのかカグヤは口火を切る。
(……もし、何かの事情で会えなくなっても七夕の日には、織姫と彦星の逸話があるように……私とカリクムもまた、会えるって、そう言ったんです。その時にはもう、摺柴財閥に私も狙われていて……余裕がなかったのもあるんですが……)
カグヤを殺したエルゴナの企業である摺柴財閥。その名前が出ると自然と身が強張ってしまう。
「……あんた、そんなことを言ったの?」
(……できれば何だそれって、笑って一蹴してくれればよかったんですけれど、その後に事実として、私はエルゴナに殺されましたし、もう会えなくなったのも本当で……)
「……二人して女々しいわね」
(さ、小夜さんだって女の子じゃないですかぁ……)
「そーいう意味で言ってるんじゃないの。……あんたら二人とも、もっと私にそういうことは言いなさいって話。カグヤ、あんたが見えるのも私だけだし、それにカリクムの創主もこの世界でただ一人、私だけ。だったら、二人分、しっかり背負ってやろうじゃないの。あんたたち二人分くらいの悲劇、背負えないで何が創主よ。カリクムー!」
呼びかけた小夜にカグヤがあわあわとまごつく。
(さ、小夜さん……? 心の準備が……)
「……どうせあんた見えてるのは私だけでしょうに。あっ、振り返った」
「……何だ、小夜。もういいよ。つまんないことで癇癪起こしたって、思ってるんだろ。……レイカルには謝る。それでチャラに――」
脇を抜けようとしたカリクムの身体をむんずと掴み、小夜は渾身のヘッドバットをかましていた。
瞬間、二人の身体の境界線が溶け合い、黄金の燐光に包まれて一体化する。
――痛ってー! 何すんだ、小夜! ってあれ……ハウルシフトしてる……。
「(……痛いのはこっちも同じ。カリクム、あんた、自分一人で背負い込んでいるじゃないわよ。……確かに私は、カグヤとは違って細かいことは気にかからないし、あんたのそういう、ちょっと女々しいところも分かんないかもしれない)」
――めっ、女々しいってなぁ……!
「(でもね、カリクム。――これだけは譲れない。あんたの創主はこの私。それは私にとってもそう。あんただけが、私のオリハルコンなのよ。何よ、ちょっと悲劇知ってます、みたいな顔してさ。……言ってあげる。織姫と彦星は確かに、一年に一度しか会えない、悲しい運命かもしれない。でもね、私はこうも思うの。一年に一回でも、あるいは一生に一度でも同じ……その出会いに、意味はあるんだって! だから悲しいだけじゃない。次に会う時にはもっといい女になっているのが、待つ側の心構えじゃないの?)」
こちらの捲し立てにカリクムは黙りこくるが、それでも一心同体だ。完全な沈黙は訪れず、カリクムの心の声が流れ込む。
――さ、小夜じゃ、カグヤにはなれない。分かっているんだ、そんなこと。……でも、私は……どうしたって……忘れられない。カグヤの笑顔を……。
「(忘れる必要なんてないじゃない。あんたら、本当に似通っているわ。織姫と彦星だってねぇ、何万光年でも離れたってお互いのこと、絶対に忘れないのよ? だったら、この地球で、地べたはいずり回って生きている私たちが、簡単に忘れてどうするってのよ)」
――小夜……でもそれって、小夜にも迷惑……。
「(迷惑なんかじゃない。言ったでしょ、カリクム。あんたは私の、この世界で唯一のオリハルコン。だったら、悩んでいる暇なんて、ないんじゃないの?)」
――そうだな。……うん、そうだった。
その瞬間、ハウルシフトが解除される。
改めて向かい合ったその瞳に浮かんだ涙を、小夜は茶化せなかった。
「……戻りましょうか。カリクム」
「……うん。そうだな、小夜」
「あっ、小夜さん。それにカリクムも」
「作木君? 笹の葉が……」
屋外に持ち出された笹の葉に作木が、ああと応じる。
「このほうが、どれだけ離れていたって空に届きそうじゃないですか? ……たとえ宇宙の果てまでお互いの行方が消え去っても、この笹一つを目印にすれば……」
何てことはない。ただのゲン担ぎ、ただの物の言いよう。
――でも、それでも自分たちのことを想っての行動なのだろう。
「……だから、好きになっちゃったのよね」
「……何か言いましたか?」
「ううん! 何でも! よぉーし! 書きましょう、カリクム! 短冊に願い事を!」
「……ああ、うん。あっ、レイカル……」
どこかばつが悪そうに顔を合わせたカリクムへとレイカルはむっと一枚の短冊を差し出していた。
それは金色の色合いの短冊だ。
「……お前ら、ハウルシフトするとすごく綺麗に、この色に輝くから……多分ぴったりだろ」
不器用ながらの思いやりにカリクムはその短冊を受け取る。
「……ああ。お前らにだって私たちは負けないんだからな!」
「な、何をぅ! 私と創主様が最強なんだぞ!」
「あー、こらこら、また喧嘩しない。……天の川が見え始めて来たわね」
夜空に浮かんだ極彩色の銀河へと、願いを込めて――。
カリクムと小夜は同じ色の短冊に願いを込めていた。
「……なんて願ったんですか?」
夜空を仰ぐ作木に小夜は茶目っ気たっぷりにウインクする。
「秘密! でも……いずれは届くかもしれない、願いかな。ね? カリクム」
目線を合わせたカリクムは憮然と頷く。
「……かもな」
綴った願いが形になるかどうかはまた、次の物語次第。
それでも自分たちは祈ろう。
笹の葉に、この邂逅の奇跡を乗せながら――。