「あいつ……まぁらしいっちゃらしいが……。にしても、こいつはやりづれぇな……。速ぇんだよ、クソッ!」
こちらも応戦の拳を見舞うが相手は退き時を心得ている。踏み込み過ぎればこちらの射程だとは確信しているのだ。ステップを踏んで後退した相手の呼吸に、両兵はぜいぜいと息を切らす。
「……トウジャ相手にマジでやるのは勝世ン時以来か。あの時はブレードがあったが、今あんのは拳と足だけ。……なぁ、黄坂のガキ! 分かり易い勝負に持ち込んでやったんだ! てめぇの領分でもあるだろ、勝って分からせるってのはよ! 応じやがれ!」
踏み込んだ《ホワイトロンド》が上段回し蹴りを打ち込むがそれを《試作型トウジャ》は軽く受け流し、カウンターを打ち込みかけてその機体がばっと引き下がる。
両兵は《ホワイトロンド》に込めさせた加速度をそのままに回転蹴りを浴びせ込もうとしていた。それを寸前で予見され、舌打ちを漏らす。
「フェイクも効かねぇのかよ、こいつ……」
『……応じるも何もない。私はトウジャが欲しいだけ』
接触回線に両兵は姿勢を立て直した《ホワイトロンド》で睨みつける。
「……分かんねぇな。《ナナツーマイルド》じゃ満足いかねぇのか」
『……私は強くなりたい』
「今でも充分、強ぇだろうが。澄ましてねぇでかかって来い。てめぇの本音、オレにぶつけてみろ」
その刹那、《試作型トウジャ》の姿が掻き消える。両兵は奥歯を噛み締めて背後へと立ち現れた相手へと応戦の拳を交差させていた。超加速と重力を込められた一打が《ホワイトロンド》を打ちのめす。
「……ファントムか! 模擬戦でそこまでマジになるかよ……っ!」
今度は直上だ。大きく振るい上げられた踵が陽光を帯びる。
全身全霊の踵落としに《ホワイトロンド》の腕を交差させて受け切ろうとするが、ダメージが違う。フレームが軋みを上げ、耐久値を遥かに超えた《ホワイトロンド》が沈みかける。
「……なろっ!」
返す刀で応戦した《ホワイトロンド》の連撃を相手は冷静にさばき切り、次なる打ち込みに全力を賭けようと僅かに後ずさる。
しかしそれはこちらの本懐でもあった。
両兵は懐へと飛び込もうとした《試作型トウジャ》へと《ホワイトロンド》を駆け抜けさせる。
「……ファントム!」
無論、《ホワイトロンド》にバーニアは装備されていない。だが、ブルブラッド循環パイプを軋ませ、機体を仰け反らせれば疑似的な超加速を得られるのは実感済みだ。
その一瞬の隙を突き、《ホワイトロンド》は《試作型トウジャ》の射程に踏み入っていた。
拳を大きく引き、両兵は吼える。
「さつきはどうなるんだ! てめぇ一人のためってわけじゃ、ねぇだろ! いい加減、ちぃとは素直になりやがれ――!」
渾身の一撃に対し、相手から声が僅かに上がる。
『……素直には、なってる』
「な――っ」
その行方を問い質す前に、《試作型トウジャ》の拳が《ホワイトロンド》の頭蓋へとめり込む。
両者、同時に放った拳が交錯し、互いによろめいていた。
「く、クロスカウンター……!」
自衛隊の男衆から一際強い歓声が湧き上がる。
決着のゴングが鳴る中で、両兵は呟いていた。
「……お前は……」
「さつき。ちょっと話がある」
洗濯物を取り込んでいる最中に話しかけられたものだから、さつきは少しだけ戸惑う。
「えっと、ルイさん……? 今、ちょっと手が……」
「大事な話。縁側でいい」
座り込んだルイにさつきは洗濯物を手にその隣に腰かける。
「……えっと、何ですか?」
「……あの天才が、新しいトウジャを造るって言ってた。その試作品、もしかしたら操主が居ないかもしれない。だったら、私が志願する」
思わぬ提言にさつきは目を丸くする。
「えっ、でも私たちの人機は、《ナナツーマイルド》と、《ナナツーライト》で……」
「だから、今言ってるの。さつき、いずれはもっと強い敵が現れるわ。その時、まだ二人で一人前、なんて言っていられるの?」
「それはその……私が、ルイさんの足を引っ張っているってことに――」
口にしかけた弱音にルイがぐんと顔を近づけさせる。息を呑むほどの距離に呼吸すら忘れていると、ルイは声にしていた。
「……勘違いしないで。私は、何も一人で強くなれるなんて思わない。そこまで自分の強さをはき違えていない。弱さは、弱さだとも思っているし、さつきとじゃないといけない領域を分かっている」
「じゃあ、何で……」
「……最悪の時、私が足を引っ張りたくない。いつまでも弱さを見せられないもの。今の状況に甘んじて、それで戦いに勝てるとは思っていないし。……私は自分の弱さを飼い慣らしたい。だから、先に行ってる」
それが全てだと言うようにルイはすたすたと歩み去ろうとする。
さつきはその背中へと呼びかけていた。
「ルイさん! ……それってでも、私のことを……信じてくれているから、なんですよね? ……じゃなきゃ、先に行くなんて、言ってくれないですから……」
そう、先に行くということはいずれ追いついてくれと言っているようなもの。
その真意を確かめる前に、ルイは返答していた。
「……さつきの思う通りにすれば? 私は自分の心に嘘はつかない」
さつきはその背中に追いつき、その手をぎゅっと握り締めていた。ルイは振り解くそぶりも見せない。
「……じゃあ私も……嘘はつきません。いつか先に行っちゃったルイさんの背中に追いついて……それで肩を並べますから……だから」
――だから今だけは。
寄り添うことを拒まないで欲しい。
言葉にはしない。心だけだ。
それでも熱だけは、伝わって欲しかった。
「ほれ、飲めって」
差し出したスポーツ飲料にルイは不愛想な瞳を向けて受け取る。エルニィは搬送されていく《試作型トウジャ》と《ホワイトロンド》の誘導を担当していた。
コンクリートの上に腰かけた自分たちはそれを遠巻きに眺めつつ、じっと黙りこくる。
思えばまともに喋ったことなどほとんどなかったか。
「……強かったな。てめぇのトウジャ」
「……当たり前。強く……なるんだから」
それは今ではない、という論調であった。まだ強さの高みを目指しているのだろう。
両兵はその姿勢に、渇いた喉へと清涼飲料水を流し込んでいた。
「……誰よりも強く、か。拳交わせば、何となくでも分かるもんだ。別にてめぇの強情さは、誰も頼らない強さじゃねぇだろ。……立花にもいいように使われたってわけか」
やられたな、と苦笑する両兵にルイは首から下げたタオルで汗を拭い、スポーツ飲料を握り締める。
「……いつかは強く、誰の足も引っ張らないようになる。だから、あのトウジャが欲しかった……」
「まぁ相打ちでもよくやったもんだとは思うがな。今はお預けか」
「……遠回りになっちゃった」
「いいんじゃねぇの。てめぇのパンチ、それなりに効いたぜ。本物の志がねぇと、あんな迷いのない拳は打てねぇよ」
てらいのない称賛を送ったつもりだったが、ルイは顔を伏せてしまう。
何かまずいことを言ったか、と当惑していると、彼女は不意に立ち上がった。
「……いつかは……その……青葉のことも、きっと、思い出にしちゃうくらい強くなるから……っ! だから、その時は……」
そこから先をルイは口を噤む。まだ言葉にならないのか、あるいは言葉にすれば陳腐と化すのか。
いずれにせよ、その志を嗤えるものか。
「……おう。いずれは、な」
応じると、ルイは頬を赤面させる。
「……本当に? だったらその言葉……」
自分が思ったのは単純に強さの、であったが、食い違ってしまったか。
それを訂正する前にルイは呟いて駆け出す。
「あっ、おい……。……ったく、何だ? “忘れないから”、って……。そんなまずいこと、言っちまったかな」
ぼやいた両兵は、まだ見ぬ明日に向かって駆け出すように力強く地を蹴るルイの背中を、ただ見つめるしかできなかった。