「……ずりぃぞ、立花。いい釣り竿設けやがって」
「何言ってんのさ。これ、オーダーメイドだよ? ボクが自分で作ったのさ。だから、文句を言われる筋合いはないよ」
「……そりゃまた、天才の頭脳の無駄遣いなこって」
その時、一際大きく足場が揺れる。反対側に位置するのは《ナナツーウェイ》であった。
「あ――っ、ぶねぇな、おい! こちとら生身だぞ!」
『で、でも、小河原さん……。こっちもこっちでその……釣りって慣れていなくって……』
当惑気味の赤緒の声が返ってきて、両兵は不貞腐れる。
『両! あんた自分は人機に乗らずにそうやってのうのうと釣りに勤しんでいるんだから、文句は言わない!』
管制塔から聞こえてきた南の忠言に両兵は渋面を形作る。
「……そもそも、いいのかよ、これ。漁業法とかあんだろ? よくは知らねぇけれど」
『まぁ、その辺はパスしてもらっているのよ。ねぇ、友次さん』
『ええ、まぁ。元々は自衛隊の所属ですし、大目に見てもらっている節はあるのかと』
友次の操る《アサルトハシャ》も人機用の釣り竿を手に、釣り糸を垂らしていた。
よくよく考えれば異様な光景である。
「……最新鋭の巡洋艦を使ってやることじゃ、ねぇよな。揃いも揃って沖釣りなんて」
「ちょうどいいって言ったの、両兵と南じゃん。ボクはどっちでもよかったんだけれど、任務が任務だし。海上戦闘に持って行ける戦力って限られているからね。まぁ、上からの圧力で。だからこその《ナナツーウェイ》と《アサルトハシャ》なんでしょ? ホントなら、モリビトやブロッケンで固めたほうが幾分か安全なんだけれど、米国との協定が邪魔をしちゃうからって言う」
エルニィのぼやきに両兵は肩を竦める。
「……なんてこたぁねぇ。上とのごたごたが処理できないからこその、こういう陣取りか。……しかし、海ってのはどうにも……」
「何で? 釣りに行こうとしていたのは両兵じゃんか」
「いや、釣りには行こうとはしていたが、まさかここまで来るとは思いも寄らねぇって……」
遥かに望める日本のビル群に、両兵は嘆息を漏らす。
日本からさほど離れてはいないとは言え、ここはもう禁漁区だ。
しかし、漁と言うのには少しばかり心許ない釣り竿を構えた自分たちに、改めて頬杖をついて自虐する。
「……これって何の法律に触るんだろうな。分かる奴が居たら教えて欲しいもんだぜ」
そもそも、こんなことになったのには、朝方の喧騒が影響しているのだった。
――いつも通りの朝食の席で、両兵は昨日から備えておいた釣り具を携えていた。
「うん? 両兵、どこ行くの?」
「見て分からんか。ちょっと遠出の算段がついたんだよ。だから海辺まで行って釣りでもしようかと思ってな」
その言葉に片づけを担当していた赤緒が反応する。
「釣り、ですか……? 釣りって、そういえばやったことないなぁ……」
「柊も来るか? オレはどっちでも構わねぇけれど」
「えーっ! 赤緒呼ぶんならボクも呼んでよ!」
飛びついてきたエルニィをかわし、その首根っこを引っ掴む。
「お前、釣りなんてできんのかよ」
「嘗めないでよね! これでも釣りくらいは朝飯前さ! あっ、今は朝飯の後だけれど」
「そーかよ、自称天才。じゃあ、他に来たい奴が居るンなら、今のうちに言っとけ。人数分の釣り竿はねぇかもしれないが」
「あっ、ボクのはあるから心配しないで! 特別製だし!」
階段を駆け上がっていったエルニィの背中を見送りつつ、両兵は自ずと赤緒へと視線を据えていた。
赤緒は少しだけ当惑したように呻る。
「……釣り竿……五郎さんに聞いてみますね」
「おう、大人数になるんならさっさと言えよ。後々人数増えるのが一番めんどいからな」
両兵が縁側に座って自前の釣り竿を調整していると、笑顔の南が声をかけてきた。
「両! 釣りかー。楽しそうねぇー」
「……黄坂。てめぇは呼んでねぇぞ」
「何でよ! 私が行ったら何か問題があるっての?」
「……そのてめぇの気味の悪い笑顔でよく分かるぜ。何の魂胆だ、今回は」
「失敬な。魂胆だなんて聞き捨てならない言い草!」
腕を組んで憮然とする南へと、両兵は釣り具の点検を行いつつ、応じていた。
「……言っておくが、今日はプライベートだ。アンヘルの厄介ごとは別の日に持ち越せよ。せっかくの釣り日和なんだからよ。たまにゃ、休ませて欲しいもんだぜ」
「そうねー、よく晴れているし、絶好の釣り日和って感じがするわ。……でもだったらさ、そこいらの釣り堀で満足するんじゃなくって、もっと大物の釣れる沖釣りにでも行ってみたくはない?」
「沖釣りだぁ? ……嫌な予感がする」
「そう言わないで! 赤緒さんたちもきっと、沖釣りって初めてだからワクワクしてくれるわよ?」
ウインクする南に両兵は厄介ごとの始まりを予見して視線を逸らす。
「断る。オレはせっかくの釣り日和にアンヘルの業務を差し挟みたくねぇ」
「まぁ、そう言わないで。今回はタダで、沖まで運んであげるって言ったら、どう?」
タダ、と言う文言に両兵は思わず反応してしまう。それを予期していたのか、南はふふんと鼻を鳴らしていた。
「釣り具だけでもなかなかの出費でしょ? それをアンヘル持ちにするって言ったら?」
「黄坂、てめぇ……金でオレを籠絡しようっての汚ぇぞ……」
「まぁまぁ、堅いこと言わない! 釣り日和なんだし、沖釣りにみんなで出かけましょう? ああ、もちろん、人機は置いてね」
人機は置いて、とのことだが嫌な予感は先ほどよりも強くなっている。南が何の打算もなく自分相手に出費を肩代わりするとは考えづらい。
「……何かあるんなら、先に言え。後から掴まされたんじゃ、こっちとしても納得できねぇ」
「あら、そう? ……じゃあ、言うけれど、日本の近海でロストライフの兆候が見られたわ。それを追って、出撃することになっているの」
「やっぱし、アンヘルの案件じゃねぇか。人機は出さないんだろ?」
「……と、言うよりも出せない、が正しいかな。前にも言ったけれど、日本からちょっとでもトーキョーアンヘルの人機を外に出すって言うのは外交的取り決めで制限されているの。それに首都防衛の要を一時とは言え失うことにもなりかねない。慎重に事は進めなければならないのよ」
「……東京から出せないのに、どうやってロストライフの兆候を止めるって言うんだよ。話の辻褄が合わねぇぞ?」
「……誤解しないで欲しいのは、出せないのはアンヘル所属の人機だけだってこと。つまり、自衛隊配備のナナツーや《アサルトハシャ》ならギリ可能ってことね」
「……なるほど。型落ち人機でやれるだけやってみろ、か。上って奴もいやらしいことを考えるもんだ。自衛隊配備の人機は南米戦線の残りカスみたいな、整備も不十分な奴が多い。まぁ、ブロッケンやシュナイガーを出すよりかは安全圏ってわけか」
「話が早いわね。《モリビト2号》も、もちろん出せないわ。相手との取り決めを超えてしまう」
「じゃあどうしろってんだ。極秘任務を募ろうって感じでもねぇ。自衛隊機を餌に、何が釣れるって言いたいんだ?」
「そうね……。それなりの大物を、釣るつもりではあるのよ。ただし、赤緒さんたちにはあまりおおっぴらにして欲しくないの。彼女たちには……あくまでも、沖釣りの途中に遭遇したと言う体が望ましいみたいでね」