JINKI 84 輝きを誇って

 その言葉の赴く先を両兵は予見して硬直する。

「……まさか、柊たちの身柄でさえも、か?」

「……そうなりつつあるのは確実なのよ。エルニィみたいにフットワークが軽くって、なおかつ他国にお呼ばれしている身分ならまだしも、他の子たちは貴重な血続。それに、上からしてみればもっと言うと……嫌な言い方だけれど兵力に当たるのよ」

「兵力、ね。連中には聞かせたくない言葉だな」

「……両。自衛隊との渡りは既につけてあるわ。でも、心許ない部分もある。……お願いの形になっちゃうけれど、ロストライフの兆候のある場所まで、行って欲しいのよ」

「……ンだよ、結局はアンヘルの仕事の一環じゃねぇか」

「そんなこともないわよ? 途中までは何していてもいいし、何なら釣りをエンジョイしてくれても結構」

 せっかくの釣り日和がとんだ厄日に変容してしまったわけだ。

 両兵はため息をこぼしつつ、神社の中を窺う。

「……あいつらが納得するかよ」

「納得はしてもらわなくってもいいわ。それでも、やるしかないのよ」

 強い論調に、これも定まった流れか、と両兵は声にする。

「……海釣りってのはよ、ボウズになりそうならやめとくもんだ。当てはあるんだろうな?」

 その問いかけに南は頷いていた。

「安心なさい。私もついて行くから。……もしもの時に友次さんにもバックアップに入ってもらうし、危険度はそれほど高くないと思う」

「そいつぁ、結構だが……どうにもな。釣りにかこつけて連中を騙すような真似をするのはどうにも……」

「気が乗らない?」

「つーより、外道だ。釣りってのはもっと、心地よい気分でやるもんだろ? 後ろめたい気持ちでやるもんじゃねぇよ」

「安心なさい。任務さえ終わればいくらでも釣りをしていいから。……道筋だけでも、ね」

 南の説得に両兵は舌打ちを滲ませていた。

「……何だか釈然としねぇな……」

「両兵! これ! ボクの特製釣り竿!」

 自慢げに掲げてみせたエルニィに両兵はこの任務の本当のところを語ることができず、南へと視線を流す。彼女はその視線を受けて立ち上がっていた。

「みんな、沖釣りに連れて行ってあげる代わりに、ちょっと頼まれて欲しいの」

「――で、このざまだ。黄坂のガキとヴァネットが留守番か。まぁあの二人ならもしキョムが攻めて来ても返り討ちにはできんだろ。問題なのは……」

 赤緒とさつきがRスーツを身に纏い、《ナナツーウェイ》の操縦席で互いの呼吸を確かめる。

「赤緒さん。上操主、お任せしますね」

「うんっ! でも……ナナツーで釣りってできるのかな……?」

 人機サイズの釣り竿を携え、《ナナツーウェイ》が釣り糸を垂らす。どこか能天気にさえも映るその行動に、両兵は隣のエルニィへと肘で小突いていた。

「おい、立花。あいつら本当に……納得してついて来たんだろうな?」

「むっ、失礼な。作戦概要くらいは説明したよ? でもま、いい機会なんじゃない? 赤緒たちはそうじゃなくってもキョムの攻撃に備えて陸に縛られっ放しだし、海もそんなに来るもんじゃないでしょ」

 どこか呑気なエルニィの声音に両兵は釣り糸を睨んで口を開く。

「……ロストライフの前兆って言うんだろ? ……何だか気分が乗らねぇ」

「釣りって言って騙したみたいで?」

 エルニィの言葉に頷くのも癪であったが、両兵は認めていた。

「……あいつらに、遊びに行くって言って実際には戦わせんの、嫌なんだよ。そうじゃなくっても、これから先、キョムとは絶対にかち合わなきゃいけねぇ。そんな時が来るのを知っていて、こういうことを仕出かすってのは……」

「流儀に合わない、とでも言うのかな。まー、でもいいんじゃない? さつきも赤緒も釣り自体は楽しそうで」

 釣り自体は楽しそう、か。両兵は先ほど釣りのレクチャーをする際に、二人分の悲鳴が劈いたのを思い返して頭が痛くなる。

「……立花。そんなに釣り餌ってのはグロいもんか?」

 オーソドックスな生餌としてゴカイを付けていたのだが、赤緒もさつきも触るのも御免とでも言うように悲鳴を上げて逃げ出してしまった。

 しかしエルニィは何でもないように使用している。

「どうだろ。人によるんじゃない?」

「……娯楽の選択を間違えたか」

 だがいちいち頓着してもいられない。両兵は釣り糸を放りつつ、嘆息を漏らす。

「……黄坂も分かってねぇはずはないんだがな」

「こういう時間が長く続かないって? そりゃ南はよく分かっているだろうね。何せ今のアンヘルの責任者だし」

「じゃあ、こうやってオレの釣りにかこつけて連中を連れ出すのもか? ……気乗りしねぇのはそこもあるんだよ」

「南らしくないって?」

 黙り込んで頷くとエルニィは大きくため息をついていた。

「ンだよ、立花。オレ、そんなに変なことは言ってねぇだろ」

「両兵……分かっているようで分かっていないんだね。南だってさ、悪者に思われてもいいって言う覚悟で、あの場所に立っているんだよ? もしもの時には卑怯者の誹りも受けるって。そうじゃなきゃ、赤緒たちのことを考えるなら、こういうことはやれないよ」

「悪者に思われてもいい、か……。南米だと静花さんが持っていた役目だな。あの人も清濁併せ持ったって感じだったが、黄坂の性格じゃねぇだろ。そりゃ年長者として、柊たちの前に立たなきゃいけないってのはオレも分かるぜ? でも、それとこれとは……」

「別だって? ボクはそうも思わないな。南ってさ、両兵の思っているよりもずーっと苦労人だよ? そりゃ、顔を合わせる時は何でもないように振る舞うかもしれないけれどさ。そう平常心でもいられないはずだけれど?」

「……平常心でもいられない、か」

 釣り竿を掴む自分の手へと視線を投じる。

 以前、自分はもう操主として限界が来ていると告げた。しかし、南はそれに気圧されるでもなく、自分のことを信じてくれた。

 ――人機操主は多かれ少なかれ一人で人機を操ると取り込まれる。

 それは最早覆しようのない事実のはずだ。自分はそうでなくとも南米戦線を乗り越えてきた。荒波のような戦場を、人機と共に……。

 しかしそれは別段、赤緒たちだって違わないのだ。

 彼女たちにはいずれ残酷な運命として屹立するかもしれない。そして後悔して、自分たちを蔑むかもしれない。口汚く罵るのかもしれない。

 ――それでも立ち続けるのが、罵声を浴びてでもそこに居続けるのが強さか。

 そう感じた矢先、釣り糸が大きく引かれる。

「やべェっ! 立花、網だ、網! 網寄越せ! こいつは大物だぜ……」

「もう……両兵ってば考えているんだか考えていないんだか……」

 不承気に網を持ち出そうとするエルニィが不意に身を強張らせる。

 唐突に、光が消え失せていた。

 青空が奪い取られ、宵闇の暗がりへと船が落とし込まれる。

 仰ぎ見た両兵は視界を覆う黒い稲光を目にしていた。

「……ロストライフの前兆……これが?」

 否、これが前兆などと言う生易しいものだと言うのか。

 これはまさに、ヒトの善性を喰う魔そのもの。この稲妻に中てられては、ヒトはまともではいられない。

 拳をぎゅっと握り締めた両兵は釣り竿を捨て去り、声を張っていた。

「黄坂! こいつ……!」

『分かってるわよ! 全機、攻撃準備!』

『《ナナツーウェイ》、行きます!』

 さつきの声が響き渡り、《ナナツーウェイ》が長距離滑空砲を構えた。《アサルトハシャ》がこちらへと駆け込み、コックピットを開放する。

「小河原さん。乗ってください」

「友次のおっさんか? 借りるぜ!」

 友次と入れ替わる形で両兵は《アサルトハシャ》に乗り込む。

「……血塊炉動力じゃない分、ちぃと浮つくか……。だがこいつで!」

 腰にマウントされたアサルトライフルを両手に携え、引き金を絞る。

 一斉掃射した弾頭を受けた黒い波動が蠢き、まるで生き物のように胎動する。

「……気味悪ぃ……。黄坂! どうすりゃいい? 効いてるかどうかまるで分からねぇんだが!」

『待って、両! ……こっちに一応、黒い波動の浄化吸収装置がある。ただ、これはまだ……』

「何渋ってんだ! 使えるものは使え!」

『まだ調整が今一つなんだ。……誤作動すれば本当に、こいつを抑え込む方法はなくなる……』

 エルニィの割り入った声に両兵は奥歯を噛み締める。

「……要は時間稼ぎも儘ならねぇこの状況で、踏ん張らなきゃいけないってことか……。立花ァっ! 何分でやれる?」

『……少なく見積もっても十分は……』

 だがそれが絶望的な宣告であるのはこの戦局を詳らかにするまでもなく明らか。

 当然だ。

 赤緒はモリビトを奪われ、さつきも本来の搭乗機ではない。

 こんな絶対の終焉の中で、信じられるのは――。

「……何てこたぁねぇ。ここが踏ん張りどころなのは一番にオレだってことか。柊! さつき! こいつから機体を引き剥がしつつ、援護砲撃! 頼むぜ」

『小河原さんは? 私たちは戦いますっ!』

「……モリビトじゃないのに何言ってんだ。安心しろ。オレはこれでも……他人よか絶望には慣れてる」

 格闘兵装システムを開いた《アサルトハシャ》にさつきと赤緒の驚愕の声が重なる。

『小河原さん?』

『お兄ちゃん? 何を……』

「決まってらぁ……形が見えなくってもな。立ち向かうかそうじゃないかってのは、自ずと見えてくるもんだ。こいつ相手に、退くのは一番に得策じゃねぇ」

 そうだ。相手は恐れを糧に自分たちを圧倒する。ならば、恐れるのではなく、刃を軋らせ、そして無謀でも立ち向かえ。

『無茶ですっ! 一旦退却を……!』

「何度も言わせんな。《ナナツーウェイ》は後退しつつ砲撃。物理攻撃がどうかは分からねぇが、決死の覚悟で食いかかったこっちに、てめぇはどう応じる?」

 問いかけに黒い波動が勢いを増す。辻風を巻き上げ、船を座礁に追い込もうとする相手へと、《アサルトハシャ》の眼窩が輝いた。

「ここにあんのは命一つ! さぁ、刈りたきゃ刈りに来い! それよりも速く、てめぇの喉笛に食いかかってやる!」

《アサルトハシャ》の飛行プログラムを実行させ、両兵は駆け抜けると共に飛翔していた。

 黒き稲光の内側より怨嗟の声がもたらされる。降りかかった黒い雨を引き受けつつ、コックピットへと染み込む闇の浸蝕に両兵は吼えていた。

 満身の雄叫びが拡散し、黒い波動の中心地へと吸い込まれていく。

 そこにあるのは際限なく命を啄む厄災の渦。

 ――お前はこっち側だ。小河原両兵。

 いつかの黒い男の声が木霊する。耳触りのいい、闇からの誘い。

「……ああ、恐らくそっち側なのは間違いねぇんだろうさ。だがな、まだ……こいつら残して行けねぇんだよ……!」

《アサルトハシャ》が携えた超振動ナイフを振るい上げ、次の瞬間、大写しになった波動の中枢へと、魂の刃が叩き込まれていた。

「……へい。……ょうへい。両兵ってば!」

 ハッと目を醒まし、上体を起こすと、船体の上で自分は夕映えに包まれていた。

 何が、と声にしかけてさつきとエルニィが抱き着いてくる。

「よかったー! 今度こそ死んじゃったかと思ったよ!」

「お兄ちゃん……よかった……!」

「さつき……立花……」

 遠巻きにこちらを見つめている赤緒へと両兵は目線を振り向ける。

「……柊……黒い波動は? 《アサルトハシャ》は……?」

「……小河原さん、黒い波動の浄化装置がギリギリで作動して……それで海のど真ん中に《アサルトハシャ》がうつ伏せになって浮かんでいる時は……もう駄目かと……」

 涙ぐんだ赤緒に両兵は、ああ、とようやく確証を得る。

「……心配かけたな」

 赤緒は涙を拭い、でも、と声にする。

「……もっと心配しているのは、多分……」

 管制塔からこちらへと視線を向けている南に気づき、両兵は手を振る。

『両……無事?』

「ああ、この通り。五体満足だ」

『……そう。……ごめんなさい。ここまでさせるつもりはなかったのに……』

 どこか辛気臭い南に両兵は言いやっていた。

「……黄坂ァっ!」

『えっ……な、何よ……』

 まだ肋骨が僅かに疼いたが、それでも呼吸を出し切る。

「ンなところで突っ立ってねぇで、降りて来い。てめぇの目線ってそんな偉そうな上じゃねぇはずだろ」

うろたえた南に両兵はサムズアップを寄越す。南はフッと微笑み、慌てて管制塔から船体へと駆け抜けてくる。

「……心配して損した。ホント、血続を超える生命力」

「おう。黄坂、ホレ。これ、取れって」

 放り投げたのは引っかかっていた釣り竿であった。呆然とする南に、両兵はニッと笑う。

「……競争しようぜ。今から神社に帰るんだろ? だったら、今日の飯を賭けて、だ。多く釣ったほうが勝ちな」

 どことなく放心していた南が、フッと笑みを浮かべたのが伝わった。

「……ホント、あんたって変わりない……。でも……容赦しないわよー! あんたに負けたことは一回もないんだからね!」

 子供っぽく競争に躍起になる南へと視線を流す。彼女は悪戯っぽくウインクしていた。

「……おう。負ける気はしねぇがな」

「……どっちが」

 釣り競争に明け暮れる自分たちにアンヘルメンバーはどこか呆気に取られているようであったが、エルニィが取り成す。

「さっ、赤緒たちは船の中に戻ろっか。こっからは……二人の、ね」

 エルニィへと一瞥を寄越すと、一個貸しだからね、と唇だけで言われる。

「……ああ。デケェ貸しだが、返してみせる」

「両! 負けないんだからね! ぼうっとしている場合?」

 南のポテンシャルに圧倒されつつも、こうでなくっては、と両兵は笑いかける。

「……じゃじゃ馬っぽくなってきやがったな。やっぱてめぇ、上にいるよか、地べた這いずり回って泥臭く戦っているほうが、似合ってんぜ」

「何よ。分かった風な口!」

「だな。……よっしゃ! 負けねぇぞ!」

 黄昏の押し包む船上で、かつてのように、打算なく笑いながら賭け事に興じる。

 ――こういう時間が、もっとあってもいいはず。

 今は願うでもなく、少しでも長く、この今を。

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