JINKI 85 灰色を行く者

 エルニィは傍らの集積回路へと《バーゴイルシザー》の戦闘データを流入させていた。足元でキーボードを叩きながら、耳にはめたイヤホンより漏れるノイズを聞き取る。

『……ばなさん。立花さん……! 聞こえますか……?』

「あー、赤緒? よかった、元々つけておいた通信装置はしっかり作動しているみたいだねー」

『の、呑気に言っていないで……! 友次さんから伝令が届いたんですよ……立花さんが解析中の《バーゴイルシザー》に乗って、飛んでっちゃったって……』

「あー、うん。このままじゃ、シャンデリアに直通だ」

 こちらの論調に赤緒は当惑する。

『それって……! まずいですよね……だって《バーゴイルシザー》は修繕されていて……』

「まぁ、それもあるけれど、現状、アンヘルの人機でシャンデリアまで飛んでこられる人機って居ないでしょ? どうするかなぁ、って思案中」

 想定よりも呑気な声音であったせいであろう。赤緒は声を荒らげる。

『な、何言ってるんですか! すぐに助けますっ! 今のモリビトなら、高空まで……!』

「駄目だよ。あんまし無茶をさせるもんでもないし、それにモリビトにあるのは一回分の上昇推進剤だけでしょ。もしかすると、戦闘になるかもしれない。そんな時、援護なしに帰れないじゃん」

『で、でも……っ、このままじゃ立花さんが……!』

「まー、自分で撒いた種だし? ある程度は予見できた事態でもあるから心配しないで……って、強がったって仕方ないんだけれどね。正直、このままキョムの本拠地に向かうっての、かなりマズイかも……。無事で帰れる保証はない」

『……立花さん。これから、アンヘルの戦力を総出で向かいます。だから、それまで……』

「うーん、そうだなぁ……。できれば抑えたいんだけれど、それもちょっと利くかどうか……」

 操縦桿を握り締めるが、キョムの操縦系はこちらとは僅かに違う。しかもトレースシステムを採用してはいるが、これを使えば次のトラップが発動しないとも限らない。

 下手に動かせば自爆もあり得る。

 沈黙していたせいか、赤緒が慎重に声にする。

『……立花さん。あの、絶望しないでください。私たちだって、いっつも立花さんに助けられっ放しだから、だからこういう時くらい、頼ってくれても……』

「いんや、別に絶望しているわけじゃないけれど……いや、これも強がったって仕方ないか。本音を言うと怖いよ? 手は震えているし、前にJハーンに捕まった時に色々されたからね……トラウマもある」

『じゃあ余計に……っ!』

「でもさ、この《バーゴイルシザー》から持ち帰れるものを、持ち帰るのもまたボクの仕事なんだよ。今は自分の仕事を全うするまでさ。そうじゃないと、何がアンヘルだって話だからね。もちろん、絶望もしないし、それにここで終わりって言うつもりもない。今のところ《バーゴイルシザー》の技術データを三十パーセントほどは解析完了。でも、まるで容量が足りない」

『そんなのいいですからっ! ……立花さんが帰って来ないことのほうが、私にとっては……』

「……あんがと、赤緒。でもまー、ちょっと厳しいかなぁ。もうシャンデリアが目視できるし……」

 既に《バーゴイルシザー》は成層圏を抜け、衛星軌道へと入ろうとしている。シャンデリアの光を使わないのは、これが正式な帰投任務ではないからか。

「……まぁ、光を使われたら一発なんだけれどね……。さて、どうするか……。解析データから算出した《バーゴイルシザー》の飛行能力を逆利用しても、この誘導を避けられそうにないし……せめてもう一機、人機が居ればなぁ……。そうしたら結末が違うのに」

『――ここに居るぞ?』

 不意打ち気味に繋がった通信域にエルニィは驚愕して声を上げていた。

 まるで気づかなかったが、矮躯の人機がいつの間にか追いついている。

「……何あれ。キョムの新型……?」

『失敬じゃのう、エル坊。こうして助けに来てやったのに』

「……じーちゃん? いや、そんなはずない。でもそういう呼び方をするのは……」

 自分の祖父以外にその呼び名をする人間が居ただろうか。当惑している間にも頭身の低い人機はこちらへと手を伸ばす。

 接続された瞬間、モニターに《トーキン・フゥ》の個体識別データが映し出される。

「八将陣の人機? ……何、こいつを回収しに来たの?」

『まぁ、今はそうでもない。どうせ、そやつの自動帰還プログラムに触れたんじゃろ。八将陣の人機は正確にデータを持ち帰れるようにある程度まで修繕されればシャンデリアに帰れるようにできておる』

「……何者なのさ。まぁ、よくない方面の相手なのは分かるけれど」

『まぁ聞け。エル坊、ワシがお主の祖父の……立花相指を知っていると、言えばどうする?』

「さぁね。じーちゃんを知っていたって八将陣に情報を渡すもんか」

 つんと澄ましたエルニィに相手は笑う。

『それも、以前見た通りじゃのう。だが、このままではキョムに《バーゴイルシザー》を返すのみならず、お主まで実験体の扱いを受けよう』

「敵の情けは受けないよ。……ボクたちはトーキョーアンヘルなんだからね」

『まぁこちらの言うことも少しは聞いて行け。《トーキン・フゥ》はステルス性に秀でておる。お主らアンヘルにとって、この人機は視えないも同じ。無論、キョムにもな』

「……どういう……」

『エル坊。今は助けてやる』

 思わぬ言動にエルニィは問い返す。

「……それは何、心変わりだとでも思えばいいの? それとも、気紛れ?」

『どちらも、と言っておこう。この《トーキン・フゥ》は灰色の領域を行く。黒でも白でもない、ワシはそれを許されておる』

「何それ。そんなの、律儀に守るとは思えない。そっちはキョムなんでしょ?」

『まぁ、ワシにも思うところはあると言うことかのう。確かにパンドラの箱に触れようとしたのはお主らのほうじゃが、アンヘルの側に貸しがないわけでもない』

 どうにも《トーキン・フゥ》の操主は自分を助けたいらしい。しかし、とエルニィは頬杖をつく。

「信用ならない」

『現状、《バーゴイルシザー》を介しているのが何よりも証明だとは思うが? この人機の性能なら察知されずに撃墜もできた』

 それはその通りだろう。今の今まで自分は接近さえも勘付けなかった。

「……じゃあさ、お互いに一個ずつ。貸しはあんまし敵に作りたくはないから、一個ずつだけ。ボクはこの人機より知り得た集積回路を捨てる。今のところ三割以上の情報があるけれど、命あっての物種だからね。情報を抱いたまま死ぬか生きるかと言う二択なんてナンセンス極まりないし」

『……賢いほうを選ぶがよい』

「決めた。……助けてはもらう。その代わり……何でじーちゃんのこと、知ってんのか教えてよ」

 思わぬ交換条件であったのだろうか。それとも、こちらがこの程度の交渉に上がるとも思っていなかったのかもしれない。

 相手の操主はどこかほくそ笑んだようであった。

『……相指によく似ておるな。時に不合理とも言える行動に出る』

「じーちゃんに似てるって言わないでよ。これでもボク、女の子なんだからね」

『……いや、分かった。その代わり、集積回路は捨てよ。それが交換条件じゃのう』

「よし、交渉成立!」

 集積回路へとエルニィはハンマーを打ち下ろす。物理的に破壊された集積回路がショートするのを相手操主へと見せつけていた。

「これでどう?」

『……まこと、お主らは飽きさせんのう』

「じゃあ、じーちゃんのこと、教えてよ。何で知ってるのさ」

『それを知るのは――まだ先のことになろうて』

「どういう……」

 問い質す前に《バーゴイルシザー》のコックピットの天蓋が吹き飛んでいた。《トーキン・フゥ》の袖口より放たれたミサイルが炸裂したのである。

 硝煙を棚引かせながらマニピュレーターを伸ばそうとする《トーキン・フゥ》に、エルニィは真正面からキッと睨み上げた。

「まだ聞いてない! じーちゃんとはどういう仲だったのさ!」

 暴風に煽られながら問いかけた声は、直後の《トーキン・フゥ》の照準に掻き消されていた。

『……なに、大したことでもない。ただの――戦友(とも)であっただけの話』

 その直後、血塊炉を射抜いた爆砕に抱かれ、エルニィの意識は闇に没していた。

 ハッと目を醒ましたエルニィが顔を上げた瞬間、覗き込んでいた赤緒の額とかち合う。

「痛ぁ――っ! 何すんのさ、赤緒……」

「何って……心配したんですよ、立花さん!」

 そういえば、と先ほどまでの問答を思い返し、エルニィが周囲を見渡すが、そこは見知った柊神社の居間であった。

「あれ? 夢……?」

「立花さん、《バーゴイルシザー》に乗ったまま、通信不可能なほどの高空に行くから……」

「……あれ? やっぱ現実? じゃあどこまでが……」

 夢であったのか。それとも……と意識の糸を手繰る前に駆け込んできたさつきやメルJが自分を慮って次々に声にする。

「立花さん! ……大丈夫ですか? 何もされて……ないですよね?」

「あ、うん。幸いにして何も。あっれー、じゃあどこまでだったんだろ……?」

「八将陣の人機は簡単に鹵獲されてもくれないか」

 メルJの冷静な分析にようやく現実感を持ってきた自分は、ああそう、と首肯する。

「うん……《バーゴイルシザー》のコックピットで……誰かと問答したような気が……? 誰だっけ?」

「友次さんから聞いた限りじゃ、海岸線でぐったりしていたって聞きましたけれど……」

「海岸線で? ……あーうん、思い出せないからいっか」

「それは……よくないんじゃないんですか?」

「いやー、なんかそれほど気分も悪くないし、何でだろ? 聞きたい答えを一つ、得られたような気さえするような……」

「大丈夫か? 高空まで人機で飛んだせいで頭でも悪くなったんじゃないのか」

「な――っ! それは心外だなぁ! ボクはいつだって天才だってば!」

 しかし、と意識の靄に包まれた記憶を、どこか解消されない答えのように、エルニィは首を傾げていた。

「――いいのかよ、ジジィ。あんただろ、立花を今回、助けたの」

 将棋盤を挟んで向かい合うヤオに両兵は問いかける。ヤオはいつも通り、読めない笑みを浮かべつつ、何でもないことのように対抗の一手を打つ。

「何のことかの」

「とぼけんな。友次のオッサンから聞かされてんだよ。……黄坂とオレだけだがな。あんたの身柄もヤベェんじゃねぇのか? キョムに楯突いた」

「ワシは誰の味方でもないつもりだからのう。無論、敵でも」

 一手進めたヤオを両兵は飛車で迎え撃つ。

「そうかよ。……だが礼だけは、言っておくぜ。あんたも見かけに寄らず人の心ってもんがあるんだな」

「だから口は災いの元じゃて。ほれ、王手」

「あっ、汚ぇぞ、クソジジィ! そんな手ぇあっかよ! 無効だ、無効!」

「賭けはワシの勝ちじゃのう」

「今のナシ! 一手戻せ!」

「待ったはなしじゃ」

 首を振るヤオに対し両兵は刀を持ち出す。相手も紙を構えて対峙する中で、両兵のほうが折れていた。

「……今回だけは負けてやんよ。……形はどうあれ、立花の命にゃ替えられん。……だがあんた、何か交渉したろ? そうじゃなくっちゃ、あの強情な立花が立派なサンプルを手離すかよ」

「さぁ、どうかのう」

 座り込んだ両兵は将棋盤をひっくり返し、駒を並べ直す。

「もう一戦だ、もう一戦! ……気負うところのない勝負をしようぜ」

「そうじゃのう。気負うところのない、か。じゃが掛け替えのない戦友(とも)は、いつの勝負でも居るものとて」

 王将の駒を翳したヤオに両兵は怪訝そうにする。

「……ンだそれ。勝負の心得か?」

「……そのようなものじゃよ。いずれは分かるとも」

 パチン、と将棋盤に駒が打たれていた。

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