JINKI 86 その微笑みの意味を

「それだけなら、まだしも……あそこまで徹頭徹尾、不機嫌なの……何かやらかしたんじゃないだろうな。お前……」

「知るかよ。怖がっていたらてめぇの言うエスコートとやらもできないだろうが」

 植え込みから歩み出し、ベンチへと再び座るが、メルJの瞳はどこか浮かない様子である。

「……あーっと……次はあれ乗るか。ジェットコースター」

 悲鳴と歓声が入り混じったような声が先ほどから発せられている。嫌でも盛り上がるだろうと踏んでの提案であったが、メルJは特段否定するわけでもない。

「……別に何でも構わん」

 どうしてそこまで不機嫌なのか。その心根を掴みかねて両兵は困り果てていた。

「……マジにわけ分からん……。女心って奴なのか……?」

 疑問符を挟み、後ろから付き従うメルJを窺う。

 こちらの眼差しに、どこか目線を逸らしたように見えたのは、気のせいだったのだろうか。

「……えーっと、思ったよか全然だったな。ジェットコースター」

 話題も尽き果てて、両兵はぶらつきながら感想を口にする。

 メルJは憮然と応じていた。

「……子供騙しだ。シュナイガーのコックピットのほうが百倍刺激的だとも」

「……まぁオレらは人機を知ってるし。一般的にゃ、あの程度でも充分にエキサイティングなんじゃねぇの?」

 こちらの物言いに気に食わないものでもあるのか、メルJは乗って来ない。

 その時、両兵は植え込みの中からちょいちょいと手招く手を目にしていた。

「悪ぃ、またションベン行ってくら……」

 駆け出し、植え込みへと入るなり勝世が襟首を掴む。

「おい! 何やったんだ! 彼女めちゃくちゃ不愉快そうじゃねぇか! ジェットコースターにはちゃんと乗ったんだろうな?」

 あまりにもしつこいものだから両兵は言いやる。

「乗った! 乗ったっての! ……ただまぁ、あいつの感想も分かるんだよな。シュナイガーみてぇな荷重のかかる人機に乗って平気な顔している奴が、あんな大雑把な走るだけの道具でキャーキャー言うわけねぇってのが……」

「あーもうっ! 見てらんないな、お前ら! いいか? 今は絶好のロケーションだ! 夕暮れ空にちょうど、夜の色彩が混じっている! 今度は観覧車に乗れよ。絶対だからな」

 詰めたような声音に両兵は勘繰る。

「……お前なぁ。案外、そっちの言うエスコートっての、間違ってんじゃねぇの?」

「失礼なことを言うな。オレはこれでも、お前の倍は女の子のことを考えてんだよ。いや、倍は少な過ぎか。百倍は考えてるな、うん」

「……そうかよ。まぁどうせ見るもんも尽きて来たんだ。観覧車? あー、まぁ乗ってやるか」

「あっ、ちょっと待て! お前、その顔で乗るつもりじゃないだろうな?」

 首根っこを押え込んだ勝世に両兵はつんのめる。

「な、何が……」

「つまんなさそーなツラしてるぜ。いいか? 女の子の前じゃ絶対に、そんな顔をするなよ。どっちかが醒めた瞬間に、デートってのは醒めちまうもんなんだ」

「……醒めちまう、ねぇ……」

「いいから。楽しそうな顔して行って来い! 行って、ちょっとでもヴァネットを笑顔にさせろよ。今日のお前の任務はそれなんだからな」

 蹴り出されて植え込みから出てきたところを、メルJに見咎められる。

 両兵は気まずげに応じていた。

「あー……ちょっと迷っちまって。あれ、乗るか? 観覧車。今日のシメにしようぜ」

 ぎこちなく提案するとメルJは不機嫌な面持ちのまま応じる。

「……ま、構わんがな」

 その言葉に籠った感情を汲み取るのはどうにも困難で、両兵は首をひねりつつ観覧車へと向かう。

 観覧車の車内ではちょうど向かい合わせになる恰好で、両兵は嫌でもメルJの面持ちと向き合う結果となった。

 ――今日一日、どこかつまんなさそうに構えていたツラ、か。

 メルJはわざとなのか、視線を合わさないように景色を眺めている。両兵は、ふんと鼻息を漏らしていた。

「……なぁ。そんなにオレと遊園地はつまらなかったか?」

「……そんなことはない。これが一般的な娯楽なのだろうし、それに普通は楽しむべきものなのは私でも分かるとも。……だが」

 そこでメルJはまごつく。両兵は先回りして言いやっていた。

「……納得できないなら、ここで吐いとくといい。ここなら誰の眼もねぇし……ああ、でも……くそっ。隠し事なんてするもんじゃねぇよな」

 両兵は耳にはめていたイヤホンを外す。そこから勝世の声が迸る前に、それを踏み潰していた。

「……これで誰の耳もねぇ。悪かったな、ヴァネット。……オレもよく分かんなくてよ。遊園地の楽しみ方だとか、そういう普通って奴。だから勝世に頼っちまってた。だが、これでオレには隠しているものは何もねぇ。裸一貫って奴さ」

 あるいはこれを見越してメルJは向かい合う形を考えていたのか、と勘繰った両兵はしかし、どこか目を瞠っている彼女を発見していた。

「……どうした?」

「……いや。小河原が、その……。今回の遊園地で私を連れ出すのに……そこまでしてくれるとは思っていなくって……」

 紅潮して頬を掻くメルJへと両兵は当惑していた。

「気づいていたんじゃねぇのか?」

「……そんなの、考える暇もなかった……。その、私はやっぱり……! 普通じゃ、ないのだろうか。赤緒たちなら、お前との……その、で、デートもうまくやるのだろうと、思ってしまうと……何だかここに居るのが悪いように、思えてしまって……」

 何てことはない。居心地の悪さを感じていたのはお互い様であったのか。

 メルJは確かに「普通」ではないだろう。誰かに規定された人生を歩み、そして今もまた、皆の望む「普通」の枠のうちにはめられようとしている。

 普通なら、普通に考えたら――そんな誰しもが陥ってしまいがちな、思考の迷宮。

 きっとメルJは自分との一対一で「普通」を自分なりに模索しようとして、それでもできないのがもどかしくってあの態度になってしまっていたのだろう。

 両兵は、へっと笑っていた。

「……あいつらに対して、申し訳ない気持ちとか、感じていたのか?」

「……そ、そうだな。そうなのだろう……。お前たちの言うような普通が、どうしても分からないんだ……。分からないから、何もできないし……一端になんてなれない……」

 心の内を吐き出したメルJの肩は震え、今にも泣き出しそうに瞳は潤んでいる。

 両兵は大仰にため息をつき、その肩へと手を置こうとして――観覧車が大きく揺れた。

 姿勢が崩れ、メルJへと自分は大きく手を突き出した状態になってしまう。

 咄嗟にバランスを取ろうとして対面の窓へと、ドンと手をついていた。

大写しになったのは困惑するメルJの表情だ。

「お、小河原……」

「……普通だとか、一端になれねぇとか、そんなんでスネてたのかよ……。らしくもねぇ」

「だ、だって……普通はもっと楽しむのだろう? ……でもそれが分からないんだ。うん、そう……分からないから……小河原に、応えられない……」

 赤面した顔を背けたメルJに両兵は強く言いやる。

「……らしくねぇってのはそこもだろ。オレに応えるなんて、別に期待しちゃいねぇよ。お前もオレも、不器用なのは分かり切ってんだからな。だが不器用なりに、言葉にして吐き出してくれたのは、ありがたいと思ってる。……あーあ! お前らはホント、馬鹿だよなぁ!」

「な――っ! バカとは何だ! バカとは!」

「だってそうだろ。飾り立てなんざ、要らねぇんだよ、今さら。オレが見てんのは打算も何もねぇ、お前ら本来の姿だろうが。普通じゃない? 一端じゃない? ……大いに結構じゃねぇか。そのほうが、お前らしいだろ」

「……私らしい……?」

「おう。馬鹿みてぇに肩肘張ってんの見るよか、そっちのほうが落ち着くぜ。……オレが見たいのは、本当のお前なんだ。ここで一緒に居たいのもな」

「……本当の、私……」

「不器用上等じゃねぇの。遊園地デートだとか、あいつらから色々聞かされたかもしれねぇけれどよ。ここに居て、文句も愚痴も吐き出してくれるのが、マジな仲なんじゃねぇのか?」

「お、小河原……」

「何だ? まだ分かんねぇとか抜かすんなら――」

「いや、その……近い……」

「あっ、いやその……悪ぃ……」

 どことなく他人行儀に両兵は席に座る。対面のメルJは少し落ち着かないように外の景色へと視線を逃がしたその瞬間、観覧車が天上に位置する。

「……広いな。この世界は。……いつか言ったな。シュナイガーを手に入れた時、一日中、海を見ていたって」

「ああ、言ってたな」

「……あの時は本当に、地上を見ると燃え盛った……悪夢の光景しか浮かばなかったんだが……どうしてなんだろうな。お前たちと居るうちに、もう悪夢は……私の瞼からは消えてくれたらしい。これだけの地平線を見ても、もう燃え盛る地獄は、幻視されないんだ」

「……その変化に、戸惑ってんのか?」

「少し……。でも、お前たちが帰る場所を、作ってくれたことには感謝している」

 両兵も景色を見やる。地平線と黄昏が溶け合い、宵闇の分岐点がぼやけている。

「……じゃあ、一端なんじゃねぇのか? 帰る場所があンだろ? なら、昔の景色なんて、いつまでもこだわるもんでもないだろ」

 その段になってようやく、メルJは答えを得たかのように穏やかな眼差しになっていた。

「ああ、そうか。……得たいものはいつの間にか、得られていたんだな」

「分かんねぇもんさ。いつだってな。人間、分かるようにはできてないのかもしれん」

「……小河原、その……で、デート……楽しか……たのし……。いや、すまない……やっぱり一端じゃなさそうだ……感謝の言葉も言えない……」

 しょげたメルJへと両兵は思いっ切り、わしゃわしゃと頭を撫でていた。

 突然のことに彼女は当惑する。

「な、何をする!」

「へっ……何、てめぇら本当に、ぶきっちょな奴らだって思ってな。一癖も二癖もある。……でもだからこそ、放っておけねぇんだろうな」

「そ、そこは私だけを見て欲しいんだが……。せっかく一対一なのだし……」

 唇を尖らせて抗議するメルJに両兵が今度は毒気を抜かれる番であった。

「あっ、悪ぃ……。って、何やってんだか、オレも」

 お互いに少しずつ笑えてくる。

 観覧車の中で笑い合ってようやく、一歩だけ、歩み寄れたような気がしていた。

「……あんがとな」

「……私も。今日があってよかった」

 溶け落ちていく夕陽に、その想いは乗せて――。

「……ねー、赤緒ってばー。あの後さー、ちょっと不気味なことがあるんだよねー」

「……あの後?」

 赤緒が掃除をしながら疑問符を挟む。エルニィは何てことはないように口にしていた。

「遊園地デートの後。何か、メルJの奴……たまにすっごく……いい顔をするようになったんだ。上手く言えないけれど」

 その変化に、赤緒はそっと微笑んでエルニィへと唇の前で指を立てていた。

「……それ、言わないでおきましょう。きっとヴァネットさんも、分かっていません」

「……だね。何にせよ、今度はボクが両兵とデートしよっかなー」

「……そ、そこは平等に、ですっ!」

 苦言を呈するとエルニィはにっかりと笑ってくれた。

 今はまだ、分からなくっても、いつかはきっと――その微笑みの意味を知れるから。

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