「ばっちし。撮っといたよ」
何やら胡乱な会話が交わされる中で、赤緒は髪留めの消失した部分をさする。
何やらずっと落ち着かない。
「お茶菓子が入りましたよー……って、えぇ? ……ヴァネットさん、何やってるんですか……?」
「……肩の力を抜いている」
居間に入って来たさつきは異様な光景に閉口しているようであったが、エルニィに肩を引っ掴まれる。
「さつき! さつきも何か、付けてあげよっか!」
「えっ……私はいいですよ……。何でルイさんも、ネコ耳……」
「悪い?」
どすの利いた声音にさつきは疑問を仕舞ってしまう。
「あ、いえ……あ、あー、なるほど。そういう日なんですね?」
「そうそう、そういう日」
さつきなりの納得なのだろうが、そういう日で済ませられるはずもない。
エルニィがおもちゃ箱を探り、さつきにピッタリの装飾具を探し出す。
「あっ、赤緒さん……? 髪留め……」
「うん……なくしちゃって……。見て、ないよね……?」
「ごめんなさい……。見てないですね……」
「……だよね。うーん、どうすればいいんだろ……」
あの髪留めがないと落ち着かないのは本心だ。しかしながら、アンヘルの面々がどんどんと仮装に身を包んでいくのはそれはそれで奇妙なものがある。
「さつきにはこれっ! クマの耳だよ!」
どこで手に入れたのだか分からないクマの耳を差し出され、さつきは困惑しているようであった。
「あ……えっと……付けるんですか?」
「みんなそうしてるじゃん」
「……ですよね」
さつきの流されやすい性質がここに来て災いしたようだ。彼女はクマの耳を装着し、うーんと呻る。
「なくしたとすれば、どこですか?」
「えーっと……今朝は境内の掃除をして……それでその後の人機の点検をしたから……もしかしてモリビトのコックピットの間に落としちゃったかも……」
「じゃあみんなで探しましょうか? えっと……格納庫のほうですかね」
「格納庫にはないんじゃない? だってその時、ボク見てたけれど、赤緒の髪留めはあったよ?」
「あれ? じゃあ、うーん……どこ行っちゃったんだろ……」
「物をなくした時にはなくした時の行動を振り返ればいいとは聞きますけれど……」
「とは言っても……いつなくなったのか、まるで分からないし……。さっき立花さんと顔を合わせた時にはもうなかったんですよね?」
エルニィは首肯する。赤緒は違和感に苛まれつつ、こめかみをさすっていた。
「そんなに大事なものなの?」
アンヘルメンバーからしてみればまずそこだろう。代わりの利くものなら問題ないはずだ。
赤緒は唸りながら頷く。
「……はい。自分でもその……よく分かんないんですけれど……。でも私がその……この三年間、そう、三年間です。その間、あの髪留めだけは、私の証拠みたいにあり続けていたので……」
ある意味では自分の証明だ。記憶喪失の自分でも、あの髪留めさえあれば、「柊赤緒」で居られると言う証左。
無意識のうちに何度助けられたのか分からない。
思ったより深刻な方向性だったためか、エルニィと南も腕を組んで顔を見合わせる。
「……探しましょうか。みんなで」
「……だね。何だか悪いことをした気分になっちゃったし……」
「あのっ……別にいいんですよ? ……だって小さいし、みんなで探したって見つからないかもしれませんし……」
「やってみないと分かんないじゃん。ねぇ、南」
「そうねぇ……ああいうものって大概、どこかの上に置いておくものだと思うけれど」
「脱衣所とか? 洗濯機の上とか?」
南も自信はないのか、うーんと呻る。赤緒は茶菓子を取り分けるさつきへと手を貸そうとしていた。
「あっ、手伝うから、さつきちゃん。私もって……」
直後、どてんと盛大に転んでしまう。
「赤緒さん? 大丈夫ですか?」
「う、うん……。あれ、何でだろ……? 何だか目が回る……」
くらりと眩暈がしたその瞬間には、赤緒は気を失っていた。
「――うーん、思ったよりも深刻だね、こりゃ」
エルニィの言葉に赤緒は布団を被って問い返す。
「あの……そんなになんですか?」
「うん、そんなに。どうやら普段つけているあの髪留めは、赤緒の精神的なバランスとなっているみたいだね。あれを中心にして赤緒のドジっ子パラメーターが正常値になっているんだけれど、それが乱れているみたい」
「……あのー、ドジっ子パラメーターって……」
謎の単語を問い返す前に南が尋ねる。
「やっぱり、赤緒さんの普段の生活はあの髪留めありきなわけなのね?」
「うん……これを見て。普段の赤緒の様子なんだけれど、どうやらあの髪留めが、ある意味では中和しているみたいなんだ。そうじゃなきゃ、もっとドジやってるよ」
どこから探り出したのやら、謎の機械のディスプレイに映し出された自分の波長が、あの髪留めを中心として安定域へと入っている。モニター上でそれが外されると、途端に危険域に突入していた。
「しかし……まさか赤緒の抜けっぷりを制する効果があるとはな。そこまでの代物だとは思いも寄らなかったが……」
ウサ耳を装着したままのメルJの声音にルイがネコ耳を付けたまま、自分のカニバサミ型の髪留めをさする。
「言ってしまえば私のこれと同じね。アイデンティティの一つってわけ」
「まぁ、ルイのそれもそうなんだけれど、人間って簡単に暗示にかかっちゃうからさ。精神的な支柱をその髪留めに依存していたのかもね」
要は、自分はあの髪留めがないと駄目だと言う暗示に、いつの間にかかかってしまっていたと言うのか。
「じゃあ、その……どうすれば?」
「髪留めを見つけ出すか。そうじゃないんなら代わりの物を見繕うかしないと。こんなんじゃ人機に乗せられないよ」
「そ、そんな……っ! モリビトに……乗れなくなるって言うんですか!」
思わず身を起こした赤緒を南は制する。
「落ち着いて、赤緒さん。ひとまず、全員に通達することとすれば、赤緒さんの髪留めを探して欲しいんだけれど……」
濁した南にさつきは言いやる。
「あの……っ、赤緒さんのためですし、やりましょう……!」
「クマ耳付けたまま言われてもね」
ルイの指摘にさつきはうろたえるが、メルJも動き始める。
「しかし操主が一人減ってしまっても旨味はないだろう。探すぞ、確か赤い髪留めだったな?」
「……皆さん」
「まー、これ以上赤緒のドジが増えても困るしねぇ。さっさと見つけ出して、それからご飯にしよう」
エルニィも本腰を入れて探し出そうとしてくれている。
赤緒は、うーんと本来なら髪留めのあるはずの部分をさすっていた。
「……思ったより、重要なものだったんだ。でも、何でだろ……」
あの髪留めに込められた意味が、ただの正しいものだけではないような気もするのは。
「うぉっ! 何やってんだ、てめぇら……」
「あっ、両。探し物をしてるのよ。みんなで」
「……それにしたって何だってそんな珍妙なカッコで……。今日は仮装大会か?」
ルイやメルJでさえもネコ耳とウサギ耳を被っている。訝しげに見やるとエルニィが問いかけてきた。
「両兵……は知っているわけないか」
「ンだよ。最初から諦めんな」
「赤緒さんの髪留めを探してんのよ。何か、見つからなくって」
「柊の髪留め? これンことか?」
差し出した赤い髪留めに全員が注目する。
「えっ? どこにあったの?」
「……境内の辺りだったか? その辺に転がってたぜ」
「何だ。やっぱり赤緒、朝方の辺りから失くしてたんじゃん」
「あれ? でもエルニィ、あんた掃除の後に赤緒さんと会って、その時は付けていたって言っていたじゃない」
「んー、見間違えだったのかも」
てへ、と舌を出すエルニィに南は呆れ返ってから、髪留めを受け取りかけて、いいえ、と頭を振っていた。
「今回は……あんたが見つけたんだからね。赤緒さんに渡して来てちょうだい」
「何でだよ。ってか、柊何やってんだ? メシ時に来たってのに」
「まぁ、人間って言うのは簡単に自分で規定した暗示にかかっちゃうもんだってことだよね」
エルニィの意味深な言葉を聞きながら、両兵は神社の一室へと案内される。
布団に寝転がった赤緒にお互い目が合うなり仰天していた。
「小河原さん?」
「柊? ンだよ、風邪でも引いたのか?」
「……いえ、そうじゃないんですけれど……。あの……私、なんかドジみたいで」
「元からだろ」
逡巡の間もなく返答したせいで赤緒は涙目になる。
「うー……まぁそうなんですけれど……。どうにもならないって嫌だなぁって……思っていたんですよ」
「ンなことねぇだろ。この世の中はどうにかなることばっかりじゃねぇし、てめぇだって思ったよかそういうどうにもならんことに足を取られているはずだぜ」
「……でも、どうにもならないって歯がゆいじゃないですか」
「そうか? ……それでも前に進むかどうかだとは思うがな。ホレ、てめぇのだろ?」
差し出した髪留めに赤緒はばっと反応する。
「……どうして……」
「落っこちてたんだよ。これ、アンヘルの連中が探してたぜ」
「……すいません、迷惑かけちゃって……」
「いや、別にいいんじゃねぇのか。連中、珍妙なカッコしてたがな」
赤緒は髪留めを受け取り、それをそっとこめかみの辺りへと装着する。どこか、心の落ち着けどころを見出したような気がしていた。
「……やっぱそれねぇと、締まらねぇよな。お前はよ」
「いえ、そんなこと……いえ、そうなのかも、しれませんね」
微笑み一つで両兵のありがたみが伝わってくる。よし、と赤緒は起き上がってエプロンを携えていた。
「お夕飯にしますね! 今日は皆さんに、きっちり振る舞いますからっ!」
「おう。楽しみに待ってら」
手を振る両兵へと、赤緒はフッと笑みを浮かべてから台所へと向かっていた。
「――何だろうな。懐かしい、って感じだったのかもしれねぇ」
自分でもよく分からないが、赤緒に髪留めを差し出した瞬間、胸の中に咲いた感情に結論を付けかねていた。
あの姿の赤緒の相貌が、記憶の中の誰かに似ているような気がしていたのか。
だが、いつの間にかこの手にあった髪留めを拾い上げた時に感覚したのは、よく覚えている。
――あれは黒の男の感覚だ。
どうして赤緒の髪留めから黒将の一部とも思える何かが伝わって来たのか。それはまるで分からない。分からないが、しかし、同時に生じたのは義務感であった。
「……いつか、柊を呑むつもりなのかは分からねぇけれどよ。その時にあいつを、一人にはさせられねぇよな」
髪留め一つ、ただの錯覚であったのかもしれない。
しかし、赤緒を構築する要素の一つだ。それを闇に呑ませたりはしない。
――いや、させるものか。
「小河原さーん。ご飯、できましたよー!」
呼びかけてくるその声に、両兵は
「おう」
と返事して静かに身を翻していた。