「……き、聞かれてもなぁ……」
「無理だとは思いますよ。親方、将棋じゃ負けなしじゃないですか」
補足したグレンに両兵も肩を落とす。
「……だよな。まぁ、如何にお山の大将って言ったって、それなりに強ぇから勝負を吹っかけたんだろうし……。とは言え、他の何かで勝つってのも、何つーか……無理な話のような気もするんだが」
手の中の白黒の駒をいじくる。勝負とは所詮は二面性。勝ちか負けかの判定しかない。
その点で言えば、青葉は最初から負けにかかっているようなものだ。
相手の利点で勝とうとしている時点で、敗色は濃厚である。
「……あいつの肩ぁ、持つわけじゃねぇが、別にいいんじゃねぇの? ちょっくら意見通すって言う柔軟さも必要だとは思うがな」
「……駄目だってば。親方、こうと決めたらそうの人だから。……青葉さんには悪いけれど、将棋で負けてもらうしかないよねぇ……」
「まぁ、こっちとしても早いところ勝負がついたほうが作業には集中できますけれど、青葉さんにはちょっと気が引けますよね」
整備班の意見としては、統括する山野のご機嫌取りのために青葉が負けるほうが理想か。
――しかし、と両兵は《モリビト2号》を見やる。
「……そうは思ってねぇってツラぁ、しやがって。あいつが負けねぇってか? ……どうだろうな」
後頭部を掻いて退散しようとしたところで、宿舎から出てきた三人の影に両兵は目を見開く。
「何だぁ? 雁首揃えて。何してやがった?」
「両……あんたは黙ってて。……青葉、手はず通りに」
「……はい。南さん。それにルイ……ありがとう」
「……別に。青葉のためじゃないし」
ぷいっと視線を背けたルイに青葉は一つ微笑んでから、山野へと歩み寄っていた。
「……何だ。まさか一昼夜で特訓でもしてきたか? 将棋で勝てるとでも思ってんのか?」
「……ひとまず、一局、お願いします!」
頭を下げた青葉に山野はこきりと首を鳴らす。
「……仕方ねぇな。おい! 特注の将棋盤、持って来い!」
その命令に整備班が一斉に動く。
将棋盤が用意され、青葉と山野が向かい合った。
山野はふんと腕を組んで憮然とする。
「……勝てると、思ってんのか」
「……分かりません。ですけれど、一応は。頑張って来ました」
「……そうかよ。まぁいい。先手は譲ってやる」
対局が始まる。
だが、すぐに形成は理解できた。両兵は南へと肘で小突く。
「……おい、もう無理だろ」
「両、まだ始まったばかりよ?」
「……分かんよ、それくれぇは。どれだけガキん頃からこのジジィの局面見せられてると思ってんだ。もう必勝の盤面が整ってやがる。それに比べりゃ、青葉の盤面はガッタガタだ。こんなんで、お前ら、勝負に勝てると思ってやって来てんのか」
「……今は、黙って見てなさい」
「……とは言ってもよ……。勝てない勝負ってのを見せられてンのは、気分のいいもんじゃねぇだろ……」
しかし、青葉はよく凌いでいる。山野の攻めはかなり攻撃的だ。極端な荒波のような手数とさばく速度に通常ならばついていけていないのに、削がれつつも最小限度に傷を抑え込もうとしている。
――だがそれも風前の灯火。
すぐに勝負の幕は下ろされた。
もう青葉に手はない。彼女の指先が震える。山野は確信的な面持ちでその言葉を待っていた。
「……参りました」
「……分かっただろ。口さがないことをこれ以上言うんじゃねぇ。操主モドキは、黙って下操主の腕を少しでもマシにすりゃいいんだ。整備に口出すんなら、この程度……屁でもねぇ」
「おい、山野のジジィ。それは言い過ぎってもんじゃねぇのか。こいつにしたら健闘だろ。一昼夜でこれだぞ」
「……どっちにせよ、負けは負けだ。それ以外にねぇ」
「けれどよ……! 言い方ってもんが――!」
「いいの、両兵。……確かに将棋じゃ、私の負け」
「青葉? だが言われっ放しになんて……てめぇらしくも……」
「だから。私に分のある勝負を、提案させてください」
南が机の上に差し出したのは、黒、赤、白の駒を持つ盤上遊戯だ。
見慣れないそれに両兵は尋ねる。
「これって……何だ?」
「……チェッカーっていうゲームです。基本ルールはほとんど、囲碁や将棋と同じ。南さんから、教わりました」
「……なるほど。無い知恵絞って勝てるゲームで挑んでくるってわけか」
山野が再び席に座る。将棋盤を一旦退けた形で、チェッカーのゲームが開始されていた。
「……チェッカーはね、相手の駒を取るって言う点ではショーギと同じよ。でも、このゲームの要因なら、青葉でも……」
「おい、何を期待してんだ? どっちにせよ、盤面を争うタイプのゲームなら、ジジィのほうが何十年も優位だろ。これでも勝負になるかならないかは……」
しかし、先ほどとは違い、山野の駒の動きには翳りが見える。だがそれはただ単に慣れないだけの話だ。慣れてしまえば、ある程度のゲームの応用は利く。
この場合も同じ――と思って眺めていた両兵は、不意に気づく。
「……おい、もしかしてこのゲーム……」
「勘はいいわね、両。そうよ、このゲームの最善手は……」
双方共に、取れる相手の駒がなくなり、こう着状態に陥った。
息を詰めた山野に青葉は確信的な声音で言いやる。
「……引き分け、ですよね……」
「引き分け? ……えっ、ちょっと待ってください……。本当だ。もうどっちも取れない……」
驚く川本に対して、山野は青葉の顔を苦々しい面持ちで見やる。
「……これが狙いか……」
「負ければ……! 潔く言うことは聞きましたけれど、引き分けの場合は、聞いていませんでしたよね……」
舌打ちを漏らし、山野は立ち上がっていた。
その顔から視線を外さず、青葉はじっと見据える。
「……いい操主ってのは手段は選ばねぇもんだが……してやられたか」
踵を返そうとした山野へと青葉は声を投げる。
「……あのっ……約束は……」
「……相手の不意突くのが随分と上手いみたいじゃねぇか。なら、こっちの裏ぁ掻くのも上手いんだろうな」
その言葉は事実上のオーケーだろう。青葉は南や川本たちとハイタッチする。
「……しっかし、悪知恵働かしてやがったな、黄坂。最善手が引き分けのゲーム持ち込むなんざ……」
「あら? でもこのゲームも、負けは普通にあるのよ? それでも……青葉は勝てる可能性を見出した。きっとこの子、勝負運強いわ。これから先も、ね。……あんたはそれを、上操主で見守るんだから。せめて長いこと、一秒でも長く、見守りなさいよ。あんたって鈍いから、いつか青葉に追い越されちゃうかもだけれど」
「……言ってろ。青葉」
「あっ、両兵……。その、やっぱり……ずるかった、かな……?」
「いんや、お山の大将を一発でもいい、スカッとさせるのには心地いい一発だったぜ。それに、てめぇの考えた一撃だろ? なら、自信持てよ」
「そっか……うん、でもまだ引き分けだから。いつかは……」
勝てるように、か。青葉の勝負への貪欲さに両兵もここでは笑みが漏れる。
「……だな。さて、間抜けな整備士の連中の目がないうちにやっとくか」
「うん。……私のワガママだからね」
「はいはーい! 整備士のみんなー! 見ないフリ見ないフリー」
南が先導して彼らは一様に青葉の行動を見ないようにしてくれている。
両兵は青葉と視線を合わせ、一つ頷いていた。
「――しっかし、ここまでドデカいこと息巻いて、やるのは遺影を一度でもいいから乗せるってのは、どうにもしまらねぇよな」
「そんなことないよ。……私はこっちに来ちゃったけれど、おばあちゃんはずっと日本だと思うと、寂しいじゃない」
青葉の視線と同じ高さに、祖母の写真があった。
――生き死にを預かる人機のコックピットに遺影なんて縁起でもねぇ。
山野が反対したのはひとえにこういう理由でもある。両兵にもその大部分の意見は頷けたが、一回でもいいと粘った結果が将棋の勝負であった。
「……ばあちゃん、どういう気分なんだろうな。孫が南米でロボット動かしてんのなんて」
「おばあちゃん、何回も私のプラモを作るの応援してくれたから……きっと喜んでると思う。……ううん、喜んで欲しいって思うのは……やっぱり、ワガママなのかな……」
その瞳に涙が浮かぶ。
分かっているとも。自分が強制的に連れ込んだようなものだ。いくら静花の命令とは言え、青葉を人機に関わらせたのは自分の責任でもある。
「……だから一秒でも長く、か。黄坂の奴も見透かしたようなことを言いやがる」
「……でも、両兵は……突然居なくなったりは……しないよね?」
青葉の質問に両兵は即答する。
「……当たり前だろ」
「……よかった。でも……本当によかっただけなんだけれど……」
涙が溢れているのを見られたくないのか、青葉は前を向いていた。
両兵は上操主席でモリビトの腕を稼働させる。突然の行動に青葉は目を見開いていた。
「……ばあちゃんによ。少しでも元気だって、今ので伝わるといいよな」
「……うん! そうだね……だから、もう泣けない……。さよなら、おばあちゃん……」
青葉なりの決別の意味もあったのだろう。流されるばかりでまともな別れもしていなかった。禊という言葉は好きではないが、これがそれに当たるのならば、と両兵は空を仰いでいた。
「見ろよ。突き抜けるみたいな青空だ。きっと届いてるぜ。お前の想いはよ」
勝ち取った想いを胸に、青葉は頷き、今は最大限の――笑顔で応えるのみであった。