自分の興味の対象には忠実なエルニィの背中に続き、赤緒は並べられた古本市を眺めていた。
そこいらかしこで棚にぎっしりと本が陳列されている。
「すごい古そうな本もたくさんありますね……」
「だねぇ。これって結構レアな本とかもあるのかな?」
「さぁ、どうなのだか……何だか縁日みたいですね」
「おぉ! ジャパニーズ縁日? これがそうなのかぁ……興味深いなぁ……」
エルニィが楽しそうにキャッキャと笑うのを視界に入れつつ、赤緒は遠くに望める寺院を目に留めていた。
「……本当に来たんだ。京都……」
「何を今さら。行くって言ってついてきたんじゃん」
「そっ、それはそうですけれどぉ……。本当に来るなんて思いも寄らなかったって言うか……」
エルニィは本を手に取り、ページを捲って呻っていた。
「うぅーん、日本の本は難しいね。書いてあることは分かるんだけれど、何て言うか情緒? 重視で何が書いてあるのかはさっぱりだ」
「これとか……演劇作法? へぇー……」
分厚い本を手に取って赤緒は読みふける。エルニィはもう興味が失せたようで周囲をきょろきょろと見渡していた。
「他にないの? あっ、たこ焼き売ってる! 赤緒、買おうよー!」
「……いいですけれど、そろそろ教えてくれません? 何で、京都に来たんですか?」
たこ焼きを買い付け、互いにベンチに座って古都の景色を見やる。東京ではまずお目にかかれないのは、背丈を合わせたかのように軒を連ねる背の低い家屋たちだ。
涼しい風が吹き抜けていく。風に混じったにおいでさえも、東京とはまるで違う。
どことなく、清廉な木陰の香りだ。
「……ビルもあんまりないんですね」
「だねぇ。まぁ、理由としちゃ、来る前に言ったでしょ? アンヘルの京都支部が出来るって話」
「あ、はい……。しましたけれど、でも、それってキョムとの決着がついてからって話じゃ?」
「赤緒ってば鈍いなー。一応、拠点は押さえておかないと話にならないじゃん。もうアンヘルが展開できるように予定地は立っていて、その上で人機の運用に支障がないかどうかの見極めの段階まで入ってるんだよ。……熱っ! たこ焼き熱っ……」
たこ焼きをはふはふと頬張るエルニィにそこまでの理由があるとは赤緒も露知らず、単に「京都行く?」という単語のみの思いつきだと考えていただけに意想外でもあった。
「……でも、何で京都?」
「古くから日本には霊脈のような思想があるのは、赤緒も巫女なら分かるでしょ? その霊脈の流れって言うのを最新技術で調べると、こりゃまぁ合致するんだよね。血塊の産出地である、テーブルダストと」
「……まさか。でもそれって南米の話なんじゃ……」
「分かんないよ。だってちょうど日本の裏側が南米だ。どこかしらで繋がっているのかもね」
思わぬところでの想定に、でもと赤緒は肩を落とす。
「……京都まで、戦場になっちゃうかもなんですね……」
「それは仕方ないよ。キョムがテーブルダストの占拠を目的の一つに入れている以上は、そこも戦地になる覚悟はしないと」
「……でも、できればそれは……やめておきたいです……」
「正直だなぁ。まぁ、今日は所詮、ちょっと下見がてらに来てみただけだから。帰りは寝台列車で帰るし、赤緒、遅れないでよ」
チケットを渡され、赤緒は当惑する。
「……下見……とは言っても、私、京都って来たの初めてで……。修学旅行とかでも、京都じゃなかったし……」
「じゃあちょっと観光してく?」
エルニィの提案に赤緒は目を見開く。
「いいんですか? ……仕事なんじゃ?」
「いいっていいって。どうせ、キョムがこっちをターゲットに押さえる可能性は結構低いんだからさ。ちょっとばかし観光してもばれないよ」
エルニィはたこ焼きを平らげ、早速歩んでいた。赤緒も取り残されないようにその背中に慌てて続く。
「お、置いてかないでくださいよぉ……分かんなくなっちゃう……」
「あー、赤緒ってばもしかしてはぐれたら終わりだとか思ってる? 知らないの? 京都ってゴバンの目なんだってさ。……何? ゴバンって。一番とか二番とか?」
言っておいて意味が分かっていないのか。赤緒は少しだけずっこけつつ、補足する。
「碁盤の目ですよ。囲碁っていうのがあるじゃないですか。あれみたいに、大通りは格子状になっていて、絶対にはぐれないんです。どこかから真っ直ぐ行けば」
「そうそう、それそれ。だから赤緒がいくらドジで方向音痴でも大丈夫だって!」
「……ドジで方向音痴と思われてるんですね……」
おっと、と慌てて口を噤んだエルニィに赤緒は嘆息をつく。
「でも……京都旅行だと思えば、まぁいいかもしれませんね」
「でしょー? 普段慌ただしいからね。ちょっとでも赤緒には息抜きして欲しくって」
調子のいいことである。しかし、京都なんて滅多に来る機会には恵まれないだろう。それこそキョムとの「ゲーム」が終わるまで、否、ロストライフ現象が解決するまでは、日本国内だってそうそう遠くまで行けるわけがない。
自分たちはアンヘルとして、東京を守る責務があるのだ。
「赤緒ー! 見て見て! ヘンテコー!」
早速エルニィは道すがらに立てられている設楽焼きの狸の置物を見つけてゲラゲラと笑う。赤緒は追いついて、もうっ、と窘めていた。
「駄目ですよ、立花さん。京都は歴史ある街なんですから。馬鹿にしていると痛い目に遭いますよ?」
「……ふぅーん、たまには巫女っぽいことも言うじゃん」
「なっ……たまにはは余計ですっ!」
「でもさー、なぁーんか想像つかなくない? 東京に比べるとやっぱり」
エルニィは狸の置物の頭を撫でながら言いやる。
「……ここの足元に血塊があるって言うのが、ですか?」
「まぁ、それもなんだけれど、アンヘルがここを戦地にするかもしれないって言うのがさ」
「……言い出したの、立花さんでしょう?」
「ボクが計画を先導しているんじゃないからね? 上とかがテーブルダストの眠る土地をピックアップして、それぞれの重要度で振っているんだよ。それに南が必死に抵抗はしてるんだけれど、やっぱり南米の惨状を見るに、戦いの舞台になるのは避けられないって判断みたい」
南米は今でもロストライフの中心地だ。そこで今まで戦ってきたエルニィの言葉はそれなりに重みがある。
「……南米みたいに……なるかもなんですよね……」
「そうならないために尽くすのが、ボクたちの役目なんだけれどね。案外、いい方向には回りそうにないってのが、南の考え。東京も今は徹底しての防衛戦だし、それもいつまでかな。海の果てからやってくる敵だって居る。戦場は思ったよりもずっと広いんだ。そりゃ、戦う場所が京都になるくらいは想定するってば」
「……でも、京都がそういう場所になっちゃうのはその……惜しいですよ」
古の都の景色が紅蓮の炎に染まるかもしれないなど耐えられない。エルニィはしかし、どこかでリアリティを感じているのか、真面目な論調で手を振るっていた。
「どこでだってそうだってば。こんな場所が戦場になるはずがない。そんな考えは真っ先に打ち砕かれる」
あまり期待を持ち過ぎてもいけないのだろうか。赤緒は少しだけしょんぼりして、エルニィの踊るような足並みに続く。
「にしても……京都ってどこ行っても古めかしいなぁ」
「歴史ある街ですから。神社とか、行ってみたいですね」
「えー、神社? いつも居るじゃん」
「柊神社は別ですよ。京都には、立派な神社があるんですから」
「だからって、神社は……あっ、ちょっと待って! 赤緒、あの人たちって!」
エルニィの指差した先に居たのは着物を着込んだ芸子たちであった。
「あっ、舞妓さん……ですっけ?」
「スゴい! ジャパニーズゲイシャじゃん! うわぁ、本物だー!」
はしゃいだエルニィが芸子たちへと絡んでいく。彼女らは外国人の対応には慣れているのか、にこやかに応じていた。
「……もう、立花さんってば。でも、京都の街って不思議……。何だか……道の間に……この世じゃない場所があるみたいな……」
その時、不意に赤緒は大通りの中の少し折れた小道を発見していた。
エルニィを窺う。
彼女はまだ芸子たちに絡んでいる。少し時間がかかりそうなので、赤緒は不可思議な引力を感じたその小道へとひょいと足を踏み入れていた。
少し歩くと、道祖神があり、突き当りの先には稲荷大社があった。
「……大通りからそんなに距離もないのに……すごく静か……」
静謐の中にある小道を赤緒は戻ろうとして、視界の中に、黄色の着物の少女を捉えていた。
「……誰……?」
少女は駆け出してしまう。赤緒は自然とその姿を追っていた。
「待って……! ……何でこんなに、胸が締め付けられる感覚が……」
小道を折れ、さらに細い道に入っていく。まるで血管のように張り巡らされた小道を何度も右往左往し、赤緒は見知らぬ場所へと赴いていた。
周囲は木造建築の平屋ばかりで、先ほどまでとは打って変わっている。
「あれ……ここって、どこ……?」
うろたえたのも一瞬、自分の言ったことを思い出していた。
「……そうだ、碁盤の目。えっと、同じように戻れば絶対に大通りに出られるから……」
そう感じて幾度も小道を辿るが、一向に大通りへと出る道は見えない。
それどころか遠ざかっているようでさえもある。
「……何で? そんなに遠くに行くわけないのに……」
だが周辺の街並みは徐々に古びていく。寂れたような店が立ち並び、赤緒は金魚鉢を売っている出店の前で足を止めていた。
「……金魚鉢……」
中には色とりどりの金魚が遊泳している。
のれんの奥で顔の見えない主人に赤緒は尋ねていた。
「あのぉー……ここってどこですか?」
主人は応じず、金魚を指差す。
「えっ、金魚……?」
金魚鉢に視線を落としていると、次に面を上げた時、主人は消え失せていた。
赤緒は首の裏にどっと嫌な汗が伝うのを感じつつ、後ずさる。
「……ここは……」
ちりん、と鈴の音が鳴る。音のした方向へと目を向けると、着物姿の人々が通り過ぎて行った。