JINKI 92 巨人狩り 前編①

「……八将陣落ちが、偉そうに……」

 それが自分の組織における烙印であった。

 ――八将陣落ち。

 それはかつてベネズエラで組織された八将陣計画において、名が挙がっていたのにもかかわらず、結局落選してしまった自分への蔑称であった。

 八将陣にも成り切れず、研究職に身を落とした欠陥品。

 何にも成せず、ゾール以下の使い捨て部品にもならない人間だという証。

 ヴィオラは幾何学に乱立するシャンデリアの街並みを目にしていた。グリム協会と呼ばれた集団がそのまま疎開したと言うこの街角。彼らの営みを地上のまま模倣した古びた建物の間で刀を携え、シャンデリアの一角を睨む黒髪の少女へと、自分は声を投げていた。

「……シバ。また街並みを観ているのですか」

 こちらの声音にシバは、何だ、と張りのある声を発する。

「ヴィオラか。まぁ休息という奴だ。戦士には必要だろう」

「……《キリビトコア》の実戦投入、それほど遠くはなさそうですよ」

 こちらの事務口調にシバは軽快に微笑む。

「敬語はよせ。お前と私は……かつてお父様が迷ったほどの個体だ。特に違いなんてありはしないだろう」

「……それは血続としての潜在能力であって、わたくしの力じゃありませんよ」

「大切なことだ。力ある者は力のない者を統率する義務を持つ。それは力こそ正義と断じていたバルクスやジュリとて例外ではない」

「……バルクス・ウォーゲイル。まだ彼を粛清できないので?」

 こちらの問いかけにシバは愉悦を滲ませる。

「……案外、逃げの一手に出られると手強い。《O・ジャオーガ》を完全に物にしているのも大きくってな。八将陣でも珍しく、血続でもないのにファントムを習得していた猛者だ」

「……とっとと始末しないと禍根を残しますよ」

「それは忠告か? お前らしくもない。……いや、お前らしいか、ある意味では。古巣に頓着する。別に研究者として生きていくのに不自由はしないだろう。マージャの主人がお前を気に入っているそうじゃないか。八将陣落ちと、ハマドたちに嗤われてまで私たちに関わらなくともいいはずだが?」

「……それは」

 口ごもった自分にシバは立ち上がり、肩へと手を置く。

「冗談だ。少し戯れが過ぎたか?」

「……シバ。あなたはいつでも、余裕が絶えないのですね」

「戦場において左右されるのは余裕の有無だ。追い込まれたほうが死地に行く」

 軍神らしい考え方だ。しかし、ヴィオラはその右目をさすっていた。

「……柊赤緒。あまり嘗めないほうがいいと思います」

「嘗めちゃいないさ。あいつと私は同じだからな」

「……そういう意味ではなく……」

 ヴィオラは瞳を伏せる。

 これも、通じる術のない事柄、自分以外には分からない代物。

 ヴィオラは僅かに疼く視界の中でシバへと忠言を振っていた。

「……遠からず未来に、貴女は私と等しくなる」

「ほう、それは興味深い言葉だ。だが、それは、あり得ないだろう。私は、使命を持って生み出されたのだから」

 暗に自分とは違うと言っているようなものだが、事実、彼女は他の八将陣とは別種の扱いを受けている。

 それはかねてより与えられた役目――黒将の器としての。

 シバは黒髪を風になびかせながら立ち去っていく。荒廃した街並みに取り残されたヴィオラは静かに歌っていた。

 故郷の歌を。かつて黒将によって踏みしだかれた、遠い異国の歌を奏でる。

 失われた栄華、永劫の孤独を謳った歌詞に、不意に乾いた拍手がもたらされる。気配さえも悟らせず、柱に背を預けていたのはジュリであった。

「……いい歌声ね、相変わらず。でも、とても寂しい歌声……」

「ジュリ。《CO・シャパール》の稼働率は八割を超えています。セシル様が褒めていらっしゃいました」

「お坊ちゃんの称賛はどうでもいいわ。問題なのは、あなたよ」

 指差され、そのままデコピンをされる。額を押さえてヴィオラは当惑していた。

「……わたくしの……」

「いつまであのお坊ちゃんの下に就いているつもり? そりゃ、あなたは八将陣落ちだけれど、でも誰もあなたの実力そのものを軽んじているわけじゃないのよ。……何なら、バルクスとマージャが抜けた今、八将陣の席は空いている」

 ジュリが推薦してくれれば、自分はきっと八将陣に返り咲けるだろう。シバからの印象も決して悪いわけではない。むしろ、これから先のキョムの身の振り方を考えるのに、一人でも猛者が必要なのは分かっている。

 人機を動かせる人間も無限ではない。

 血続ならばなおのこと。

 だが、ヴィオラは頭を振っていた。

「……わたくしにはもう、資格はないのです。黒将に見初められたとはいえ、既に決定してしまった地位を、覆すだけの意地なんて……」

「でも、あなたには力があるでしょう? ……あのお坊ちゃんの人形に、マージャのように成り下がるつもり?」

 分かっている。ジュリはセシルの身辺を洗い出し、彼の仕出かす身勝手な行動を制そうとしているのを。だから、ジュリの言動が問題だと、セシルに言いやっても構わない。あるいは、ジュリの側にセシルの情報を売るか。

 だが、どっちつかずの身はそれらの考えを持て余すのみであった。

「……わたくしはセシル様の部下。それ以上でも、以下でもありません」

「あまり人生を既定の枠にはめるのは賢いとは言えないわよ? ……でもま、あなたがそう言うのなら止めはしないわ。ハマドやカリスはいい顔をしないだろうけれど、私はあなたにこそ、八将陣の地位は輝くと思っている」

 ジュリは結成当初から自分のことを見てくれている。だから余計に肩入れしてしまっているのだろう。

 彼女の悪癖でもある。

 教師として潜入しているジュリは、どこかで他人を慮る術を手に入れたようだ。その点が、自分やシバにはないものであろう。

 シバは統率者を気取っているが、彼女自身が因縁に縛り付けられているのはよく分かっている。

 ――それらは全て、柊赤緒、か。

 胸中に独りごち、ヴィオラはジュリの提案を断っていた。

「……キョムが完全に堕ち切る前に、わたくしは行動を実践せねばならない。それは義務でさえもある」

「……八将陣じゃないなら、逃げもある種では手だと思うけれど……」

「いいえ、ジュリ。そうはいかないのです。わたくしに、逃げだけは許されない。そういう風に、できてしまっているのですから」

 右目をさする真似をすると、ジュリはそっと声にしていた。

「……その眼、やっぱり見えないのよね? お坊ちゃんの研究のせいでしょう。だったら余計に、服従する義務なんて……」

 光を失った右目はしかし、ただ衰えただけではない。

 ヴィオラはジュリを、その右目で「視て」いた。

 途端、フラッシュバックが脳内を駆け巡り、彼女が辿るビジョンが映像情報となって突き抜ける。

 僅かによろめき、ヴィオラはその陰惨な未来に瞼を伏せていた。

「……ジュリ。アンヘルが勝とうとキョムが勝とうと、貴女にとってのいい未来は……」

「なに言ってんの。ネガティブも過ぎれば毒よ?」

 ジュリは肩を叩いて通り抜けていく。ヴィオラは悔恨を口にしていた。

「……誰にも信じてもらえない、この力は。でも、わたくしは、変えたい。キョムの八将陣たちが辿るであろう、敗北の未来を」

 そのためには絶対的な力が必要だ。

 今を変える力、世界を粉砕する一撃を。

 ヴィオラは端末を握り締め、セシルへと繋ぐ。

『どうしたんだい? 休憩は取るべきだと思うけれど』

「セシル様。《ティターニア》の実戦配置をお願いします。……わたくしにとっては、八将陣の者たちとの繋がりは辛いものでしかない」

『例の君の力か。それが確定したものかどうかは、こちらでも観測不明ではあるが……いいだろう。いずれにしたところで、君の言う通り、《ティターニア》は放たれなければならない。力をただ漫然と持て余す巨神は、ただの張りぼてだ。――東京強襲。君に一任しよう』

「ありがとうございます」

 通信を切り、ヴィオラは右目を押さえる。

「……本当に、ただの不明瞭なビジョンなら、どれほどにいいか……」

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