海岸線の防衛網にナナツーの試作型が充てられて一か月が経っただろうか。
元々汎用性に優れた人機と呼ばれたナナツーだけあって、その場から動かないと言う条件ならば、現地の自衛隊はそれなりに動かせるようにはなっていた。
だが、その結果が人機運用部隊とそうでない部隊との軋轢であった。
自衛隊とはいえ一枚岩ではない。人機と言う兵器の台頭を面白がる人間ばかりではなく、都市防衛の部隊長は水平線を眺め、やり切れない呼吸をついていた。
「……我々の防衛任務はあくまでも仮想敵国からだぞ」
『そうとは言っても、今はキョムが世界的に巨大な敵なんですから、どうしようもないんじゃ……』
「分かっている。……しかし、その敵がいつでも直上から人機を放てると言うのは馬鹿げていないか? 我々がここで……暑さに耐え忍んで張っていてもまるで無意味だ。シャンデリアから光が降りれば、一瞬で都市圏だぞ……」
都市防衛の論理において、海岸線で張るのは間違いではないはずなのだが、ここまで戦力差が開けていると馬鹿馬鹿しいとさえも思えてくる。
部隊長は蒸し暑さに顎先を伝い落ちた汗の粒をタオルで拭っていた。
『ですが、都市圏はアンヘルの防衛ラインです。我々はあくまでも……海上の防衛網を任せられている身……贅沢は言えませんよ』
「その論理も分かるのだが……せっかくの新鋭機とは言え、《ナナツーウェイ》とやらもこれでは砲座に等しい」
「仕方ありませんよ。上操主下操主の技術だけでも二年とか言われたら、もうお手上げです」
下操主席についている部下は肩を竦める。
アンヘルから技術顧問として招かれた立花博士とそれに小河原両兵から大方のマニュアルは伝え聞いたものの、通常の人間が使うようにはできていない。
それは人機の特殊性もあるのだが、やはり人型兵器なんて馬鹿げているのだ。アニメでもないのに。
『……部隊長。何かあったらそれこそ事ですよ? 一応は警戒任務をしないと』
「仕事をさぼりたいわけではないとも。ただ……防衛任務と言うのはここまでのものだったかと、思い返しただけだ」
その時、観測に当たっているレーダー網を詰め込んだナナツーから伝令がかかる。
『シャンデリアに反応あり! 熱源です!』
その言葉に全員が色めき立っていた。まさか、敵か、と浮かべた思案を警戒に変える前に、シャンデリアより放たれた光の柱が夕映えの海上へと降り立つ。
瞬間、海面が湧き立ち、水蒸気が舞い上がった。
「……撃てーっ! シャンデリアよりの機影ならば相手はキョムだ! こちらの攻撃は許可されている!」
途端、海岸線に固定された無数の《ナナツーウェイ》から火線が舞った。
交差する砲撃網に部隊長は無線へと声を吹き込む。
「情況は?」
『……敵機熱源……何だこれ……部隊長! 敵人機の熱源が急上昇! これは……あり得ない数値です!』
「あり得ない……。ハッキリと言え! どれくらいなんだ!」
『……敵熱源は中心に集中していて……機体温度さらに上昇! 上限がありません!』
悲鳴のような声に部隊長はハッとして目視戦闘への切り替えを命じる。
「敵機を目視で確認せよ! 敵は……」
双眼鏡で覗き込んだ先に居たのは、水蒸気の膜を張りつつ浮遊する、巨大なる魔であった。
夕張の海を引き裂き、その機体が進む度に、静謐なる海原が神域の挙動に鳴動する。
その姿は、まるで……。
「海を裂く……巨人……」
神話に伝え聞いたかのような威容に絶句した部隊長へと伝令がかかる。
『部隊長! こちらの砲撃網、全弾命中! しかし敵機の動きは依然として……!』
息を詰まらせたのも分かる。
紫色のカラーリングを誇る巨大人機は、何者の邪魔立ても意味を成さないかのように突き進む。
決して速いわけではない。
だがそののろまさが逆に巨体を際立たせる。
――絶対の巨兵。屹立する壁。
「……う、撃て! 撃つんだ! 自衛隊の防衛ラインを超えられるわけにはいかん!」
しかし着弾する先から砲弾が気化し、迸った電磁波が生半可な銃弾ならば弾き返してしまう。
「……リバウンドフィールド装甲……。開発段階のはずだぞ……」
『敵人機、さらに接近してきます! 部隊長!』
いくつもの無線から声が劈く中で、部隊長は巨大人機の顔面を捉えていた。
「……か、顔だ! 確か人機のコックピットは顔のはず!」
如何に堅牢な人機とは言え、コックピットを狙われれば少しは鈍るはず。その目論見通りに《ナナツーウェイ》の砲弾が突き刺さる。
炸薬が続けざまに延焼し、敵人機の頭蓋を叩き割ったかに思われた。
「……やった……!」
確信した勝利に、傾いだ巨大人機の眼光が蠢動する。
水色の蓮華を思わせる眼窩が煌めき、次の瞬間、その掌に光の束が充填されていく。
それだけで人機一機分はありそうな手から放たれた磁場に全ての電子機器が沈黙する。
「あれは……リバウンドプレッシャー……――」
そこから先の意識は、放射された磁場の圧に押し潰されていた。
暮れかけた空に避難指示を出された都心部をパトランプが駆け抜けていく。
その音を聞きながら、赤緒は来る敵の情報をエルニィより得ていた。
『……情報を共有するよ。今日の夕方五時過ぎ、海岸線の人機部隊が全滅した。幸いにして死者は居なかったみたいだけれど、それでも重傷者が多い……。問題なのは、報告に上がっていた、リバウンド装甲を持つって言う、巨大な敵人機だけれど……』
『エルニィ。リアルタイム映像が流れて来たわ。……案件にあったテレビ局との連携が、今回は上手く働いたわね』
送信されたであろう映像にエルニィが息を呑んだのが伝わる。
「……立花さん? ……どんな人機なんですか。まさか、《キリビトコア》……」
『いや、赤緒。それは杞憂だ。キリビトじゃない。……だけれどこれは……既存人機じゃない。……みんな気を付けて。新型機だ』
その論調に全員に緊張が走る。
現在、展開している人機は自衛隊の所持する《ナナツーウェイ》を含めても七機。
《モリビト2号》に、《ブロッケントウジャ》。メルJの操る《バーゴイル》の鹵獲機、《バーゴイルミラージュ》に《ナナツーマイルド》と《ナナツーライト》。
通常展開の全機投入のレベルだ。
それでも、不明人機相手に足りるかどうかはまるで分からない。
「……もう来るってのか。案外、早かったじゃねぇか」
「小河原さん? ……確信があるんですか?」
「確信ってほどじゃねぇが、小耳にゃ挟んでいたんだがな。柊、現状のモリビトの兵装でリバウンド装甲の相手に致命傷を与えるにゃ、コックピットを狙うしかねぇ。……やれるか」
詰めた声に、いざとなれば人殺しも厭わない覚悟でなければならないのだと判断する。
しかし赤緒にはどうしてもその覚悟が決められなかった。
「……私には……そんなこと……」
「いんや。――それでいい」
「小河原さん?」
「……てめぇがここに来て、殺しもするって言い出しちゃ相当なもんだとは思うけれどよ。だからって譲っていいもんとよくねぇもんがあるだろ? オレはてめぇの甘さも含めて、モリビトの強さだとは思っているからよ。……ただマジにヤバい時にはこっちで引き金を引く。てめぇは、これまで通りに戦え。下手に手ぇ抜くと、やられるぞ」
「……はいっ。分かっています」
「いい返事だ。……立花、敵人機の現在地は?」
『待ってよ……もうそろそろ目視距離だ。気を付けてね、こいつ……なんかこれまでの人機と違う……』
「――来る」
確信めいた声が自分の中から出る。
赤緒は睨んだ地平線の先に佇む紫色の巨兵を目にしていた。
《キリビトコア》のように浮遊してはいる。だが地面との距離はほとんどない。ホバリング程度の浮遊だが、巻き込んでいく家屋やビル群を纏いついた辻風が引き裂いていく。接近しただけでビル風が発生し、その風に纏ったのは冷却の属性であった。
凍てついたビルの窓が一斉に割れる。その音叉はまるで絶望への序曲のようであった。
「……《キリビトコア》と、同じくらい……」
「いや、それ以上か? ……地上の対比物と同時に見える分、デカくは映るな」
両兵は感想を口にした途端、アンヘル全員へと声を張っていた。
「全員! 気ぃ張れ! こいつはマジの奴だ!」
『待って、両兵……。何だ、この人機……。今ブロッケンのサーモグラフィーで見ているんだけれど、無茶苦茶だ……! 血塊炉付近の熱量だけなら軽く百度を超えているのに、周囲は不自然なほどに凍てついている……。こいつ、自分自身の熱暴走と、冷却だけでやっとの人機だよ……だって言うのに攻撃なんて……』
「だが実際に自衛隊がやられたってンならヤベェはずだ! 柊! ああいう手合いはまずはこっちの一撃を当ててやることだ! 攻撃の機会をこっちに集中する!」
「はいっ! モリビト……っ!」
照準を定め、赤緒はライフルを一射させる。実体弾に過ぎない対人機ライフルの銃弾は敵人機にかかった途端に幾何学に跳ね上がっていた。
『……報告にあったリバウンド装甲……! こっちは開発中だってのに!』
エルニィの歯噛みを感じる中で別方向から飛翔したメルJの《バーゴイルミラージュ》が銃撃を仕掛ける。
『食らえ! アルベリッヒレイン!』
《バーゴイルミラージュ》の全砲門が開き、巨大人機へと圧倒的な火力を与える。しかし、そのほとんどは弾かれ、無効化されてしまう。
僅かに傾いだがすぐに姿勢を持ち直した相手へと、メルJが舌打ちを漏らす。
『……堅いな。見た目通りに』
「立花ァっ! 開発中のプレッシャーライフル、あんだろ! ブロッケンで有効射程に持ち込んでぶっ放せ!」
『分かってる! ……でも、何だこれ……。おかしいよ……血塊炉の搭載数……一基とは思えない。……これ、血塊炉を直列で連結しているの……? そんなことをしたら炉心融解だ! 人機の装甲が持たない!』
「だが、自滅する風でもねぇぞ! 柊!」
「はい! もう一発……っ!」
《モリビト2号》の銃撃が巨大人機の胸元を叩く。だが、やはりと言うべきかただの銃弾が装甲を貫通するわけもない。
「どうして……! ここまで効かない相手なんて……!」
「……確かに、あの《キリビトコア》だって当たりゃちぃとは手応えがあったはず。ここまで無敵な人機なんざ、見たこともねぇ……」
その時、赤緒はその視界いっぱいに青白い輝きが拡散したのを感じていた。モリビトの有効射程に入ったからであろうか。
不意の煌めきの強さに赤緒は僅かに眩惑される。
「柊? どうした!」
「……っ、大丈夫……です……っ。あの人機……立花さんが言う通り……青い輝きが……一つじゃない。いくつも大きな輝きが連動していて……」
「……てめぇの超能力モドキか……。だがそうだとすりゃ、無理くり動かしてるってことになるんだよな……。それとも、ただこっちの弾ぁ弾き返すだけでの木偶の坊か?」
『両! 自衛隊の伝令機を通して……これは、音声通信……?』
「何だと……黄坂、繋げ!」
『――アンヘルの兵士たちに告げる。この機体は《ティターニア》。キョムの新型人機だ』
響き渡った冷たい女の声に赤緒は目を見開く。
「……女の人の、声……」
「《ティターニア》だと? ……聞いたこともねぇ」
『《モリビト2号》……柊赤緒だな?』
問いかけに赤緒は負けじと応じる。
「……そう……だけれど……。何……っ!」
『降伏勧告を行う。《ティターニア》の真の性能を前に屈したくなければ、今のうちならば便宜を図る。わたくしの名前はヴィオラ。キョムの……戦闘員』
まさか、と全員が震撼していた。
『……キョムが降伏勧告だって? 何を無茶苦茶な……!』
『それに貴様らの企てたゲームに反するのではないのか? 八将陣の操る人機でないのならば』
エルニィとメルJの声音に、《ティターニア》に収まる女性操主は嘆息をついたようであった。
『……性能が違い過ぎる。それをわざわざ身をもって確認する必要性はないと言っているんだ。これは慈悲である』
「慈悲だと……。馬鹿にしやがって……! 柊ッ!」
「はいっ! 私たちはもう絶対に……諦めないっ! そうだと決めたんです! だからどれほどの脅威でも……戦う……!」
『……降りかかる災厄を自ら受けるか。では知るがいい。絶望の雷撃を』
《ティターニア》の掌に紫色のリバウンド斥力磁場が纏いついていく。その瞬間、都心へと冷気の旋風が吹き抜けた。
《ティターニア》の手に宿した紫電の稲光とは裏腹に、その周辺地域が瞬間凍結に晒され、異常な冷却にビル群が震え、芯から鳴動する。
――其はおぞましき霊廟の頂。吹き荒れる絶対零度の嵐の向こう側に佇む、稲妻の巨人。
《ティターニア》へと接近の術はない。だが攻撃の中断のために、自衛隊の《ナナツーウェイ》二機の砲撃網が咲いた。
その砲弾が装甲を叩くが、まるで無意味のようにリバウンドの磁場が弾く。
『お兄ちゃん! 赤緒さん!』
《モリビト2号》に並び立った《ナナツーライト》と《ナナツーマイルド》が構えを取る。
『……赤緒、呆けている場合?』
ルイとさつきの声に赤緒は気を張り直す。
膨大な熱量の稲光を前に、赤緒は絶望の翳が差しかけていたが、二人分の声にアームレイカーに通した指先を拳に変える。
「……倒します!」
『――愚かな。リバウンド、ボルテージ。エネルギー波を上昇。敵人機を掃討する』
撃ち放たれたリバウンドの雷撃網に《ナナツーライト》が前に踏み出てフィールド発生器を明滅させる。
『Rフィールドっ、プレッシャー!』
リバウンドの皮膜の加護を受けた《モリビト2号》と《ナナツーライト》であったが、吹き荒れるリバウンドの嵐にさつきが短く悲鳴を上げる。
『……こんな出力……!』
「さつきちゃん!」
そう言えばルイは、と目線を奔らせた赤緒は、ルイの《ナナツーマイルド》がリバウンドの霹靂を超え、《ティターニア》の首筋へと刃を立たせたのを目にしていた。
「ルイさん……っ!」
『首、貰うわ』
その途端、《ティターニア》の背面に背負っていたバックパックが開く。まさか、と慄いた視界の中で一斉放射されたミサイル弾頭が《ナナツーマイルド》の痩躯を狙い澄ましていた。
ルイが奥歯を噛み締めてメッサーシュレイヴを一閃させる。
誘爆の光が拡散する中で《ナナツーマイルド》が《ティターニア》の巨体から引き剥がされていく。
射程に迫った機雷を引き裂き、起爆した炸薬を刀身の持つリバウンドの力場で遠ざけつつ、《ナナツーマイルド》に向けて幾何学にミサイル群が迫っていく。
「やべぇッ! 柊、黄坂のガキの人機があれじゃジリ貧だ! 援護するぞ!」
「はいっ!」
『――させると思っているのか』
差し込まれた冷たい声音に《ティターニア》の影が月光を遮る。リバウンドの雷撃を赤緒は瞬時の判断で《モリビト2号》の盾で受けていた。
しかし、互いの出力の差は歴然。
じりじりと削られていくリバウンドの盾より装甲が剥離する。
あり得ざる光景に赤緒は目を戦慄かせていた。
「……モリビトが、崩れ落ちる……」
高出力のリバウンドの雷鳴に《モリビト2号》の内蔵血塊炉が不意にダウンする。
「くそっ! 貧血か? こんな時に……!」
「小河原さん……彼女は……」
「今は戦いだ! 迷ったほうが取られるぞ!」
両兵の叱責に赤緒は持ち直し、アームレイカーに通した拳を握り締める。
だが眼前の悪魔をどう倒せと言うのだ。
それそのものの、力の誇示のように紫雲の雷撃を帯びた《ティターニア》は、まるで超えられない壁だ。
その内奥で収まっているであろう操主の力の差として、屹立する。
『両兵……赤緒……っ! 解析結果出た! こいつ、出力を最大に設定されている代わりに足はまるで鈍足だ! 後ろに回り込んでコックピットブロックを撃つしかないよ!』
「……聞いたな、柊」
「……小河原さん。でも私……この人の言葉が、嘘だらけだとは……」
どうしても思えない。他人とも、断じられない。
しかし、両兵は逡巡の間さえも開けなかった。
「対峙すれば敵だ。それ以外にねぇ」
それは、確かに非情なる判断力だ。相手を敵と、そう判定してしまえば戦いに私情を持ち込まずに済む。戦いに女々しさなんて必要ないはずだ。
――だが自分は。
誰かのように無関心になることもできなければ、正しく非情に徹することもできない。
女々しい感性を持ち込んだまま、戦場を掻き乱すだけなのだ。
「……私は……」
『柊赤緒。悪いことは言わない。ここで降参しろ。そうすれば、シバの言うゲームも含めて、わたくしが背負って立つ。これは最後通告だ。ゲームを代行し、わたくしとの勝敗で如何とする』
「何言ってんだ、てめぇ……。今さらキョムとのゲームを反故にして、オレらに得なんてねぇだろ……!」
奥歯を噛み締めた両兵の声音に、まだ《モリビト2号》が立ち上がるのには時間がかかるのが窺えた。赤緒はエルニィへと援護射撃の暗号通信を送る。
『それはシバが勝手に決めたこと。わたくしとの戦いまでは想定されていない。この《ティターニア》を前に、全ての武器を捨て、そして一言。もう戦わない、と言えばいい』
「……嘗めてんのか、てめぇッ! オレたちゃ、ここまで来りゃどん詰まりなんだよ! どうせ勝ち目の薄い戦いだ。ちぃとは無茶でもやらなくっちゃいけねぇ! やらなきゃ、前に進めねぇ……ッ!」
『……愚かしいな。小河原両兵。お前もまた、わたくしの視る未来にとっては無関係ではないのに』
ヴィオラの声はまるで超越者の論調だ。未来の全てを掌握されている感覚に、アンヘルの機体が自然とじりと後ずさる。
しかし、両兵は憮然と言い放っていた。
「……悪ぃな。オレ、頭悪いからよ。未来がどうこうだとか、今がどうこうってのは知らねぇんだ。だが……こんな馬鹿でも分かる一つってのはある」
『それは何のつもり? 言っておくけれど、《ティターニア》には勝てない。これは不確定要素の未来じゃない。確定条件と必要十分条件を備えた――変動値の極めて少ない、戦いの特異点だ』
「……難しいこたぁ、オレは分かんねぇ。ただな、てめぇの言う理論でも、百パーじゃねぇ。だったらよ! オレはそれに賭けるぜ。九十九パーセント勝てるって言い切るんならよ、残りの端数のその一パーを、オレたちは超えてみせる! 凌駕してみせるんだ!」
ゴゥン、と《モリビト2号》が再稼働する。まるで両兵の声に応えたかのようであった。
赤緒もその言葉を聞き届け、そして萎えそうであった己の戦意に熱を通す。
――そうだ。諦めないと決めた。それが勝者の言葉なら……。
「……ヴィオラさん。私は、私たちは! あなたたちに負けない! 私たちを否定するのなら、その一パーセントの足掻きまで、壊し切ってしまえばいい! それでも私たちは、もう負けない!」
『……赤緒の言う通りだ。そして、この包囲陣からどう逃げ出す?』
エルニィが暗号化通信で既に配置図を伝えていたのだろう。
直下を《ナナツーマイルド》が、モリビトの補助に《ナナツーライト》が入り、そして攻勢に移ろうと構えたのは《ブロッケントウジャ》と《バーゴイルミラージュ》だ。
全員が臨戦態勢。
その挙動にヴィオラは声に冷徹さを滲ませる。
『……理解できない。貴女達は、どれほどまでに未来が穢れていても戦うの? 未来に、絶望しかないと言うのに……』
「未来は変動する! 変わり続けるのが人間なら!」
『そうだとも! ボクらは負けない!』
『言われてしまったが、諦めのいいほうではないのでな』
『はいっ! お兄ちゃんと赤緒さんの言葉を、私も信じたい!』
『……悔しいけれど、赤緒の言うことが今は正解。ここで勝つのよ、私たちが』
「皆さん……」
感極まりそうになって、赤緒はそれでも今はキッと《ティターニア》の巨躯を睨む。
本当は逃げたい。逃げ出したい。
――でも。
「ここで逃げて、それで負けてしまうほうがもっと……怖い!」
「行くぞ、柊! それにお前ら! アンヘルの意地を見せてやれ!」
《モリビト2号》が飛翔し、《ティターニア》の頭部を狙い澄ます。迷いのない銃撃が突き刺さったが、それでも《ティターニア》の纏う絶対防御網を破れない。
『隙だらけだぞ! 銀翼の――アンシーリー、コート……ッ!』
空中ファントムからの急加速を極めたメルJの《バーゴイルミラージュ》が黄昏のエネルギー波を帯び、それを近接武装で流転させ《ティターニア》の防御表皮を切り裂く。
Rフィールド装甲が剥離したその一瞬を突き、エルニィの《ブロッケントウジャ》より雄叫びと共に援護砲撃がもたらされる。
爆発の光輪が舞い上がり、捲れ上がった巨大な装甲版に音もなく、《ナナツーマイルド》は着地していた。
空中で《ティターニア》の水色に輝く眼光と、《ナナツーマイルド》の中に収まるルイの眼差しが交錯する。
『――遅いの』
駆け抜けると共に一閃。その瞬きはまるで光のように。
《ティターニア》の首筋を掻っ切り、そこから青い血潮が噴き出す。
『勝てる……勝てるよ……!』
エルニィの声を受け、《ナナツーライト》の加護を引き受けた《モリビト2号》が射撃の照準を確保する。
粉塵の舞う戦場で、赤緒は狙い澄ますべき敵の一点を睨んだ。
「……そこっ!」
一射された銃弾はリバウンドの特殊防御を抜け、《ティターニア》の頭部へと着弾する。
「よっしゃ! これで一打……」
勝機が差し込んだ、その刹那であった。
『――どこまでも愚かで、そして可哀想な者たち。せめて完膚なきまでに……踏み潰してあげる。――《ティターニア》、リバウンドドライヴ形態へと移行』
途端、風向きが変わった。
おかしい。人機のコックピットの中であるはずなのに。外を舞う辻風の温度が唐突に――凍結したのを感じ取る。
赤緒は自ずと身を震わせていた。
それは自分だけではないようだ。
『……何だこれ。寒い……。それに相手の熱源が……全部胸元に集まって……!』
エルニィの不明瞭な声音にノイズが混じる。
まさか通信妨害でさえも生じていると言うのか。
赤緒はハッと《モリビト2号》を飛び退らせる。推進剤を全開にした急速後退に、両兵がつんのめった。
「……って、柊! 急に下がったらヤベェだろ!」
「違うんです……小河原さん……。何だろう、これ……。勝手に身体が……」
身が竦んで動けないのか。それとも――眼前に舞い上がった絶対者に対して、身体が服従の意を示すのか。
青白い輝きに包まれて、《ティターニア》は胸元の血塊炉付近を瞬かせた。
瞬間、空間の位相が変異する。
『……何だこれは……。相手の像を……人機が正常に捉えられない……!』
『制御系がイカれている? ……いいえ、これは……』
次々と異常値を示す人機に、メルJとルイが当惑する。
『《ティターニア》の連結血塊炉を完全に排熱させるための制御システム。それは空間の瞬間凍結を巻き起こす。人機の精密内蔵武装を、全て麻痺させるほどの。――さぁ、伏して振り仰げ。これが巨神の御姿である』
青白い輝きを拡散させ、《ティターニア》は背部バックパックより後光を発生させる。
《モリビト2号》の脚部が震え、脚ががた付き始める。
「何だこりゃ……人機が武者震いだと!」
『違う……両兵、これは引き寄せられているんだ! 血塊炉は巨大な永久磁石! リバウンドはそれを斥力の方向性に保っているけれど、これは違う! ……この場にいる全ての人機のエネルギーを、転化させて……』
『さすがだな、エルニィ立花、その頭脳。賢しく理解できることを、今だけは不幸に思うとも。身の朽ち果てる時を、自覚できるほどの哀れさもない。滅びを前にこうも無力と知れ。リバウンド、ハイボルテージ』
巨人より四方八方へと青の雷撃が放射され、そして――夜は砕けた。
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