JINKI 95 巨人狩り中編①

 セシルの評価は相も変わらず、背中を向けたままであった。こちらを一顧だにせず、彼はモニターを手繰り寄せ、《ティターニア》のデータを探る。

 先の戦闘がモニターの一角で映し出されていた。

《ティターニア》へと総攻撃を仕掛けようとしたアンヘル陣営の人機へと、放射されたのは青白い後光。それが空間を満たした瞬間、リバウンド磁場が嵐となって接近戦を挑んでいた機体を弾き返していた。

 それぞれの人機は装甲を剥離させ、瞬時に半壊状態まで追い込まれていく。

 決着をつけるのには、もう一撃でよかった。

 もう一撃、確定した攻撃を撃てばそれで終わる。

 だが、その段になって《ティターニア》の操縦に支障が生じていた。

「エラーの参照はしてみたよ。どうにも……直列の血塊炉の熱暴走を抑え込みきれなかったらしい。こちらの試算が甘かったみたいだね。炉心融解ギリギリまで粘っていた《ティターニア》は継続戦闘が不可能と判断し、シャンデリアの光で回収。ここまでが、昨夜の戦闘結果か」

「……申し訳ありません」

「そうかしこまるものでもない。これまでキョムの八将陣でも成し得なかった敵陣営のほぼ壊滅を成し遂げた。それだけでも御の字だ」

 だがそれでも、絶対に――セシルはこちらを見ない。

 まるでお前にはその価値もないとでも言うように。

「……今度こそアンヘルを殲滅します。指示を」

「焦らなくってもいい……とは思ったけれど、あっちには立花博士が居る。彼女の頭脳ならば、もしかしたら辿り着くかもしれない。《ティターニア》の魔術のその先を……」

《ティターニア》の魔術。

 だが一端の人間に解明が可能であろうか。圧倒的な力を持つ巨神のその秘密など。

「……セシル様は少し買い被り過ぎでしょう。エルニィ立花にそこまでの価値はない」

「どうかな。何だかんだで独学で飛行人機のモデルケースにまで辿り着いた天才だ。僕と同じ人種の、ね」

 それはある種の皮肉めいていた。

 セシルの出自。それはこのキョムにおいて秘匿されているが、助手である自分には開示されている。

 そのおぞましきを、彼は――。

「……いずれにせよ、今のアンヘルは死に体。やれます」

「急くものでもないさ。死に体だと言うのならば。ああ、でも、手負いの獣が一番に恐ろしい、か。何なら他の八将陣を送り狼に使ってもいい」

「……いえ、これはわたくしが決着をつけなければならないでしょう」

「……それは眼が告げているのかい?」

 ヴィオラは自ずと眼帯の奥に包まれている右目をさすっていた。

「……未来は確定事項から動いていません。運命は我々に味方している」

「それならば結構。しかし、運命、か。……君の右目は特別製だ。まぁある種の偶発性の生んだ代物ではあるが、それでも発明品としては悪くない。――事象の未来視、なんて他のメンバーに言えば笑われるかもしれないけれどね」

「ですがその通りなのです。裏付けるようにわたくしは、カリスの敗北と、《K・マ》の敗退を予言してきた」

「その前のバルクスの離反も、ね。確かに未来は君の言う通り、不変なのかもしれない。あるいは我々キョムに対して、優位に動いているとでも。だが、物事はうまく行っている時が一番に足をすくわれやすい。重々承知しておくことだ」

 ヴィオラは一礼して身を翻す。

 その背中へと、そう言えば、と声がかかっていた。

「君の視る未来、それは僕たちの栄光なのかな? それともアンヘルの?」

「……未来は、過ぎれば毒となります。下手な未来干渉は確定事項の変動をもたらす……」

「そうだったね。じゃあ僕たちはせいぜい、君の示す未来とやらに賭けのレートを投げておく程度か」

 それ以上の言葉はかからない。

 もう行っていいとのことなのだろう。

 ヴィオラはシャンデリア構内を進み、グリム協会の逆さ吊りの街並みを眺めていた。

「……この星の未来を唾棄すべきとした者たち……。黒将に追従し、彼の黒の思想に賛同し、星を飛び立った異端者……」

「――それ以上は、言わないほうがいいかもしれないぞ? ヴィオラ。どこに耳があったものか分からないからな」

 建築物の一つに腰を下ろしたシバが高圧的な眼差しのままこちらを見据える。ヴィオラは変わらぬ論調で返していた。

「……本性と言うのは隠せない。人間が剥き出しの野性を獲得している以上は」

「それに関しては同意だよ。人間はもっと、本能的に生きるべきだ」

「……ですが、シバ。あなたはそうでもないと思っている様子」

「分かるか。いや、ある意味ではお前も、私と同じだからな。そうなんだろ? その右目、何を映しているのかは不明だが、私に降りかかる遠からぬ因縁を目にはしているようだ」

 ――そうだとも。遠からず、シバと自分は等しくなる。

 それは「見た目」に関わった話だけでもない。シバはその運命の時を迎えたその瞬間、全てを悟るのだ。

 彼女の持つ悲運と、そして柊赤緒との逃れられぬ運命の鎖を。

「……シバ。あなたは別に、キョムにこだわる必要もない」

「それは第三国か、あるいはアメリカにでも自分を売れと言うのか?」

「……それも選択肢の一つのはず」

 キョムが堕ちる時に、共倒れすることもない、という忠告のつもりだったが、彼女は笑って一蹴する。

「ちゃんちゃら可笑しいな、ヴィオラ。如何に私の運命とやらを視ているとは言っても、それは張りぼてのようだ。私は逃げないとも。……ああ、そうだとも。逃げるものか。赤緒、それに小河原両兵……あの二人から……」

 その宿縁に拘泥するのならばいずれ破滅する――そう正直に言ってしまってもよかったのだが、今のヴィオラには憚られていた。

「……八将陣は盤石ではない。今のままでは、遠からず壊滅する」

「バルクスの離反。それに何かと動いているヤオに、カリスとハマドの人機の大破。そして黒将直属であった、マージャの死、か。確かに盤面はアンヘルの優位に動こうとしている。だが、私は何も揺らぐ必要はないと感じているがな。お前が人機を回してくれるのならば、私は安心して乗れる」

「……わたくしは万能じゃない」

「知っているさ。だが、万能じゃないほうがそれらしくっていい。人機を運用することに関しては頼っている」

「……八将陣落ちですよ、わたくしなんて」

「落ちていようとも、南米の地で見出されてから、私はお前を買っているんだ。ヴィオラ、《ティターニア》とやらの動き、見させてもらった。あれならばアンヘルを下せる」

 ――違う、と叫び出したかった。

 自分のしていることはただの延命。運命の時が来るその時までの、単純な時間稼ぎなのだ。

 確かに《ティターニア》の運用で僅かながらその時は遠ざかったのかもしれない。だが、この右目は。未来を見通すこの瞳の奥はまだ……破滅に疼いている。

 目の前の余裕を崩さないシバが、異国の男たちの手で堕とされていくのを、この眼は感覚している。それが分かるから、余計に辛い。

「どうした? 私の不幸な姿でも視えたのか?」

「いえ、これは……」

「隠さなくってもいい。私が堕ちると言うのならば、それをお前が背負うこともあるまい。私に課せられたものだ。お前のものじゃない」

 その言葉にヴィオラはハッとする。

 自分は未来が見えるからと言って、彼女らの終末でさえも見通したつもりでいた。終焉が見えているのならば、自分は都合のいい諦観を浮かべられると確信していたのだが、その実は違う。

 ――どこかで優越感を覚えていたのだ。

 彼女らと同じ轍は踏まない。同じような破滅にはならない。その確証に安堵すらも浮かべて。

 だがそれは、何よりも――卑怯ではないか。

 未来が見えるから、明日が分かるから高尚なのか。未来が見えないから、明日も分からないから下等だと言うのか。

 それはただの決めつけだ。ただの――自己満足だ。

 こんな局面で気づかされる。それでも、右目の奥の見据えるシバの未来は変動しない。

 自分一人が未来を知っていても、たとえ行動を起こしても無意味。シバの言葉で思い知ったと言うのに、それでも彼女を……救えない。

 彼女の道に落ちる暗い影を払いのけることさえもできない。その歯がゆさに言葉をなくしていると、シバはふふっと妖しげに微笑む。

「……何か可笑しなことでも?」

「いや、未来に思い悩んで、そこまで私のことまで慮ってくれているんだ。お前は、八将陣の中でもまともだろうさ。どこも壊れちゃいない」

「……いいえ、わたくしは。もう壊れ果てているのです。修復も儘ならないほどに」

「だが死んだ眼をしているわけではない。それは希望的観測もあると、考えていいのかな?」

「吹き消されるだけですよ、そんなもの」

「しかし、お前はいつだって他者の心配ばかり。カリスやハマドにも爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいほどだ。それだけ他人を思いやれる心を、私は失って欲しくないと、どこかで思ってはいる」

「……あなたが、わたくしの心を?」

「キョムはとうに壊れた者たちの集まりだ。お前の忠誠を誓うセシルも、八将陣の者たちも。誰も彼もが壊れに壊れ、そして狂いに狂っている。だがその中でも常人のメンタルに近いのだろう。お前は、まだ私たちの行く末を案じている。それはお前にしかできない心だ」

 キョムは壊れた者たちの寄せ集め――それは元々人類と言う種に絶望した黒将が集めた者たちなのが由来しているのだろう。

 黒将は恨みを集め、憎しみを増長させてきた。

 破壊を是とし、報復を美徳としてきた。

 その彼が、望みそして収集した者たちが、自分を含む八将陣。

 ――だが、自分は、それほど壊れていたつもりもないのだ。

「……確かに、黒将は……世界を憎んだあのお方は、わたくしに目をつけられた。それはわたくしの辿る未来も肯定しての行いであったのかもしれない。この身はキョムからは離れられない。生きていく指針を、永劫に失ってしまったわたくしに、あのお方は……」

 ――ダビング・スール。いつまでも届かない蜃気楼に希望を見出すのはやめにしないか? ヴィオラ。

 今でも瞼を閉じれば黒将の誘いの声が聞こえてくる。

 自分は求めたのに、得られなかった。

 理解者のつもりであったのに、あの人の――ダビングの覚悟の一片も知る由もなかった。

 南米、カラカスにおける大決戦を前にしてのベネズエラ軍部の事実上の解散。そして《アサルトハシャ》を含む、あらゆる新型人機の製造ノウハウの破棄。 

 それは研究に生き、時には励ましてくれたダビングと言う男に希望を見出していた時分への絶望への誘いであった。

 ――あの人が見ているのは「今」じゃない。

 そう感じた瞬間を現在でもありありと思い返せる。ダビングの瞳はいつだって未来を見据えていた。

 それも自分が行き着かないであろう、永劫の未来を。

 疎ましかったわけでも、羨んでいたわけでもない。

 ただ、その未来に自分は傍らに居ない。たった一つの女の嫉妬だ。

 その嫉妬心を狂わせ、黒将は操った。

 冷静になれば、《アサルトハシャ》と《ホワイトロンド》、それにあの時点でのベネズエラ軍部の全てのデータをキョムへと譲渡するなど破格が過ぎる。

 それでも自分は、愛をもらえない身ならば、と黒将の耳触りのいい言葉に乗り、キョムへと離反した反逆の女であった。

 今日まで、キョムの屋台骨としてメカニックを支え、そして時にはセシルの人体実験にも付き合ってきた。

 だが、全ては。そう、全てはほんの些細な食い違い。ただの、胸を焦がす愛憎への求心力。

 その一時の気の迷いで自分はここに居る。ここに、居場所を見出せないままに。

「……わたくしは、八将陣に相応しくなかった。単純に、あなたとは見ているものが違った……」

「そんなことを気にかけているのか? ヴィオラ、お前が何を目にし、そして何を信じているのかは分からないが、その結果論も含めて私は買おう。何せ、お前もお父様に見初められた、八将陣の魔の一人なのだから」

 シバはそう言い置いて立ち去って行く。

 どうして、と拳を骨が浮くほどに握り締めていた。

 どうしてそんなに優しくなれる。どうしてそんなに、自分を許せてしまうのだ。

「……わたくしは、わたくし自身が憎らしくって仕方ないのに……」

 だが今は、不確定に堕ちない未来に向けて駆けるしかない。

 この未来が不確定要素へと堕ちてしまったその時こそ、自分の決定的な敗北なのだ。

「……シバ。わたくしはあなたを、決して忘れない……どのような末路を迎えようとも」

 仲間意識など、キョムには本来不要なものだろう。

 だが、自分は思っているよりもまだ、凡人の域らしい。

 カリスのように狂うことも、ハマドのように血に飢えることも、マージャのように人形に徹することもできない。

 自分は半端者だ。だが半端者にしかできない戦場がある。

「……ゲームは代行する。何も問題はない。柊赤緒、お前の生存こそが、絶望の序曲ならば、まずはそれを摘もう」

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