鼻の下を掻いたエルニィに両兵は言葉を継ぐ。
『だから一つだけ。――気持ち負けだけはすんな。柊流に言うなら、諦めなけりゃきっと、芽は出る。感情論に近いが、お前らはこれまでもヤバい局面を乗り越えてきた。ならせいぜい、気持ちだけは絶対に屈するなよ。それがオレの言えることだ』
「両兵らしいや。でも同感。みんな、今回の敵はボクらを圧倒してくる。それも戦力面だけじゃない。気持ちの面でも、だ。だから、負けを認めればそこで終わり。それでも……みんな、信じてるから」
信じている。自分たちはここでの敗北を是としていない。
膝を折ればそこまで。日本はロストライフ化し、そして未来は暗礁に沈む。
だが、立ち向かう気概さえあれば。
何度でも立ち上がる気持ちさえ持ち続ければ終わりは訪れないはずだ。
『……だとよ、お前ら。天才がそう言ってくれてるんだ。なら、オレたちは安心して戦えるってもんだ』
『……あの、立花さん。ヴィオラさんに関して、なんですけれど……』
「ん? どったの? 赤緒。何か気になることもであった?」
『いえ、その……。八将陣ではない、と、確かにジュリ先生は言っていたんです。でも、ゲームの代行者として選ばれてはいると。それって何だか、これまでのキョムのやり方じゃないような気がして……』
「《ティターニア》を含む、キョムの中での内部分裂説でも考えてる? でもそれって無意味だ。ボクらが相手の何かを察したところで、どこまで相手の考えを読み切っても意味のないこともある。今回は特にそうだよ。ヴィオラとやらがどれだけ過去に何かあったり、八将陣との確執があったとしても、明確なのは敵であることだけだ」
『それでも、その……話してもいいでしょうか? もし……余裕があれば、ですけれど』
「……赤緒さん、今の戦局はそれほど甘くはないの。それでも、言っているのね?」
南の問いかけに赤緒は応じていた。
『……もちろん分かり合えないのかもしれません。でも、理由くらいは聞いておきたいんです』
「理由ねぇ……。相手は全世界をロストライフ化しようとする敵だよ? それなのに、いちいち理由が要る?」
『……何だか放っておけない気がして……。まぁ、私の甘ったれな考えかもしれないですけれど……』
「ホント、赤緒ってば甘いよね。……でも、許可はしておくけれど推奨はしない。いちいち死に体の相手に理由なんて聞いておく余裕はないからね。必要なら、ボクが撃つ」
こちらの浮かべた覚悟に赤緒も了承したのが伝わってくる。
『……はい。でも立花さんの言っていることも、分かっていますから。撃つのは……私がやります』
通信を切り、南の言葉を耳にする。
「……赤緒さんが撃てると思う?」
「無理だろうね。赤緒は、どこかで《ティターニア》の操主に肩入れしている。でも、今までだって赤緒はそりゃ甘ちゃんだけれど、それでもやると決めたことはやり通してきた。今回も……できれば信じたいんだ。ボクは」
「……あんたも素直じゃないわねぇ」
「うるさいな、ボクだって思うところくらいはあるんだってば。……勝てば官軍とも言うけれどさ、じゃあ勝てば相手の理由は踏み潰していいのかって言うのもまた、違う気もするからね」
「……でも八将陣は、キョムは世界を敵に回している。そして明日でさえも自由じゃない私たちは、抵抗するしかないのよ」
「……《ティターニア》の操主は前の時点でボクらを全滅に追い込むことはできたはず。何かしらの理由を持っているのは確実だろうけれど、じゃあその理由だけで破滅を呑み込めるかどうかは違うからさ。だから、ボクは精一杯、抵抗する。戦うことでしか勝ち取れないのなら、それに縋るしかないじゃないか。ボクたちはアンヘルなんだから」
そう、自分たちはトーキョーアンヘル。日本の守りを任された存在であるのだ。
ならば、精一杯足掻こう。どれほどの絶望が待っていようとも。
――決戦は、日が昇るのと共に。
陽光を照り受けて前回と同じく、海上に現れた《ティターニア》を自衛隊の先遣部隊がモニターしたとの報告が十分前にもたらされていた。
海岸線に迎撃システムは張り巡らされているが恐らくは全滅であろう。
即席の対人機防衛網は役に立たないまま終わったに違いない。
「……奴が来るな」
下操主席で呟いた両兵に赤緒は返答していた。
「……ヴィオラさんが、何か理由があって、ゲームを代行したのは分かるんです。でも、だからってここで負ける気は……一切ありません」
「その意気でいいだろ。負けるつもりで戦う奴なんざ居ねぇよ。……柊、腹ぁ据えて行け。ここで膝を折りゃ、日本は終わる。別に全人類の希望を背負えとか、大それたことは言わねぇよ。ただな、まだトーキョーアンヘルが終わるにゃ随分と早いって話だ」
――トーキョーアンヘルが終わるには早い。
その一言だけで赤緒はトレースシステムに袖を通した拳を握り締める。
「……諦めない。まだ、諦めるわけには、いかない……」
「そういうこった。……目視で確認。馬鹿デケェ人機ってのは距離感もあやふやで困るな」
それでも、初戦における圧倒に比べればまだ覚悟がある。赤緒は首都へと真っ直ぐに向かってくる《ティターニア》を照準に入れ、呼気を詰めていた。
「大口径滑空砲、撃ちます!」
まずはこちらが先手を打つ。
《モリビト2号》は携えた大口径の砲身を据えて引き金を絞っていた。人機そのものの装甲を伝達する衝撃波を感じつつ、砲弾が《ティターニア》の装甲の表面を跳ねたのを関知する。
『リバウンド装甲だ! 反射を確認!』
砲弾が物量を消失させ、その装甲を撫で落ちていく。エルニィは試作型のプレッシャーライフルを番えさせていた。
チューブをくねらせた大型の排熱機関を持つプレッシャーライフルを《ティターニア》へと真っ直ぐに向け、そのまま一射する。
直撃、したかに思われた一撃はしかし、《ティターニア》に肉薄した瞬間には霧散していた。
通信網にエルニィの舌打ちが滲む。
『想定通りか……。R装甲だけじゃない、単純に堅牢なんだ。あの装甲の継ぎ目に潜り込まないとダメージにはならないよ』
「だったら……!」
赤緒は矢継ぎ早に滑空砲を連射するも、リバウンドの加護を得た鎧を前にはただ爆発の光輪を拡張させるだけであった。
それでもダメージにはなるはず、と信じていたが、不意に通信が繋がる。
『……柊赤緒。それにトーキョーアンヘルの者たちへ。通告はしたはずだ。この戦いでゲームは決する。他に選択肢はあるまい。降伏しろ。それならば、ロストライフの呪縛をかけるだけで済む』
『何を言ってるんだい! ボクらに、この日本を見捨てろって言うのか!』
『……ある意味ではそうだとも。世界は常に二者択一。戦いのために武器を取った現状の判断でさえもそうであったはずだ。ならばここで切り捨てるのもなんら難しくはあるまい。再三言う、降伏しろ。それならば地獄は見ずに済む』
「……奴さん、言ってくれるぜ」
歯噛みした両兵に赤緒は言葉を返していた。
「……ヴィオラさん。あなたの言葉はどこか……他人事じゃない気がします。それは何と言うか……私たちのことを慮って、言ってくれているかのような……」
『勘違いをするな。アンヘルは敵だ。この《ティターニア》を前に、蹂躙される虫けらに過ぎない。ここで踏みしだかれるか、それとも別の道で絶望するかを選べ。そうでなければ緩やかなる死が待っていることだろう』
「……だとよ。あっちも敵だって言ってるんだ。手加減してる場合か?」
「……でも、ヴィオラさん! あなたの言っている感じは、シバさんみたいに突き放す感じでも、ましてやジュリ先生みたいにこっちの事情も考えてって感じでもないんです。……全く別の感情で、私たちのことを思ってくれている……そんなような……」
『話し合いは無意味だ。それとも、よく回る舌で少しでも勝負を長引かせようと悪知恵でも働かせたか? ……貴女たちでは《ティターニア》には勝てない。それは決定事項のはず』
『……だってさ。じゃあ、見せつけてやろうか! ――さつき!』
その言葉と共に高層ビルの屋上へと躍り上がった影があった。
この作戦の要であり、そして改修プランの施された、《ナナツーライト》のカスタムモデル。
背中に翼のようにリバウンドの盾を何重にも纏い、スカート型の小型リバウンド装甲をなびかせる。
青い磁場が迸り、《ナナツーライト》の特徴的なネコ耳に見える機関が発達していた。
奥まった眼窩が今、黄金に煌めく。
麗しき田園の服飾を纏いし、退魔の乙女――。
『《ナナツーライトイマージュ》! 川本さつき、行きます!』
さつきの声が弾けるのに続いて二人分の声が放たれていた。
『こちら月子! 《ナナツーライトイマージュ》のリバウンド磁場は許容範囲内で変容中!』
『こちらシール! 《ナナツーライトイマージュ》の疑似フライトユニットを稼働! いつでも飛べるぜ!』
続けざまの声音にヴィオラは驚嘆しているようであった。
『……三人乗りの、人機……』
《ナナツーライトイマージュ》がリバウンドの盾の翼を展開する。六翼の翼を背負った瞬間、盾同士を繋ぐパーツがまるで日輪の如く輝いていた。
その盾の形状にヴィオラは忌々しげに口にする。
『……その人機の元のパーツは……大破した《K・マ》か……』
『そうだとも。これがお前らの人機を使ってボクらの希望として立つ、《ナナツーライトイマージュ》だ!』
エルニィの言葉が放たれると同時に《ナナツーライトイマージュ》が片手を振るい上げ、その掌にリバウンドのエネルギーを凝縮させる。
一点に集約したリバウンド磁場が稲光となって《ティターニア》へと打ち下ろされていた。
『Rフィールド、……プロメテウスプレッシャー!』
緑色のエネルギー波が変調し、赤熱化して四方八方より《ティターニア》へと殺到する。そのエネルギー波を《ティターニア》は防御しようとして、頑強なるその両腕を翳していた。
これまで一度として防御の姿勢を取って来なかった《ティターニア》がここに来て防御する。
着弾したリバウンドの弾丸はリバウンド装甲に触れた瞬間、散弾となって弾け飛んでいた。
《ティターニア》の紫色の装甲へと灼熱の穴が穿たれる。
「……通用した……」
『そりゃそうだよ。相手はリバウンド装甲なんだから。実体弾以外なら跳ね返せないし、それに《ナナツーライト》が優位なのは前の戦闘の時、分かっていたんだ。ボクらはそれも加味して、陣営を組んだんだからね』