「立花さん!」
『ボクはいいから! 赤緒のしたいことを実行して!』
エルニィの言葉を受けて赤緒はトレースシステムに通した手に力を込める。
「小河原さん!」
「応とも! ……てめぇの無茶、しっかり果たさせてやるよ」
「……すいません、私……」
「無駄口叩いている暇ぁねぇ。来るぞ!」
『小手先で……!』
《ティターニア》が青白い光背を背負う。リバウンドの雷がその手に宿り、打ち下ろされた一撃が大地を鳴動させる。
磁場が都市部を伝い、次々と粉塵と共にビルが割られていく。
赤緒は《モリビト2号》の躯体を駆け抜けさせ、ビルの合間を縫っていた。
《ティターニア》のあまりにも巨大な腕が伸びる。
『……潰れなさい……!』
リバウンドの青い稲光が放たれ、至近距離で弾け飛ぶ。それでも、赤緒は恐れを抱く前に走っていた。
「ブースト全開!」
「行くぞ! ――ファントム!」
《モリビト2号》の機体が黄金の輝きに押し包まれ、光の速度に達して《ティターニア》の稲妻の網を抜けていく。
そのまま至近距離へと迫った巨大人機の装甲は何と大きく映ることか。
屹立する霊峰のような相手に赤緒は奥歯を噛み締める。
「まだ、まだぁっ!」
『墜ちろ!』
払いのけようとした一撃を《モリビト2号》は跨いで、その腕に飛び乗っていた。
そのまま腕を伝い、一気に駆け上る。
雄叫びを上げ、赤緒はその頭蓋へと狙いを定めていた。腰部にマウントしたライフルを携え、《モリビト2号》が飛翔し、その頭部を照準する。
恐らくは照準警告が相手には鳴り響いているはず。
その中で、赤緒は接触回線を開いていた。
「……ヴィオラさん。あなたは、言っていましたね? 私が不幸になるって」
『……その通りだ。柊赤緒、貴女は自分だけじゃない。自分に関わる、皆を不幸にしてしまう。アンヘルの勝利の先に、未来はない。絶望の暗礁しか』
「……でも、それを分かっていて、あなたはここに来てくれました。それは……敵だからだけではないでしょう?」
何か思うところがあるはずだ。そうでなければ降伏しろなんて言うはずがない。
ヴィオラは僅かに逡巡の間を挟んだ後に、応じていた。
『……お前の生存はためにならない。キョムとアンヘル、どちらのためにも。禍根の芽は今のうちに摘む。それがわたくしの……八将陣を退いた者でもできる、未来への貢献だ』
――未来への貢献。
その言葉を聞いて、赤緒は確信する。一度瞼を閉じ、そして深呼吸してから、声にしていた。
「……ヴィオラさん。その救われた未来の先に……あなたは居るんですか?」
『……何だと』
「あなたは未来を、多分誰よりもハッキリと見据えている。でも、その先に……あなた自身の未来はあるんですか? そこに、あなたも一緒に居て、同じように生きているんですか?」
そう、ずっと考えの中にはあった。
ジュリやシバの考えを強行し、自分で全てを背負ってまでゲーム遂行を推し進めたヴィオラ。その中には恐らく最小限の被害で互いの戦いを終わらせる思考回路があったに違いない。
しかし、そこに。勝ち取った未来に――彼女自身は居るのか?
赤緒の問いかけにヴィオラは硬直したようであった。
『……わたくし……は……』
「その未来は……確かに最善かもしれない。でも、そこに誰かの笑顔が翳るんなら、私は要らない! ヴィオラさん、私にあなたを――救わせてください。きっとあなたが私たちを救うつもりだった。でもそうじゃ駄目なんです。……そんな犠牲ばかりの未来じゃ、きっと誰も笑えない……。だから! 間違っていても私は……こうして前に進む!」
『……柊赤緒。貴女には責任や、それに伴う痛みはないのか。……未来を知り得てしまった責任が。未来を背負ってしまわなければならない痛みが……!』
「……確かに苦しいかもしれません。でも、そんな時にもきっと……みんなが居るから。だから私は、笑えるんです」
赤緒は改めて展開しているアンヘルメンバーを見据える。
暗黒の未来であったとしても。何もない、絶対の虚無の中にしか輝く未来は存在しなくっても。
それでも、みんなが居れば。
一人じゃないのなら。
『……何なんだ、それは。そんなまやかしの輝きのために……そんな曖昧な未来のために、確定した絶望を退けろと言うのか。決まり切った未来に異を唱えると言うのか。……小さな、ほんの小さな可能性だ。そんな場所に、貴女たちは行けない。きっと大いなる犠牲を伴う。それが何故、分からない? 犠牲なくして勝利なんてあり得ないはずだ。なら、犠牲は最小限でいい。傷つくのは、少ないほうが――』
「《ティターニア》の操主。てめぇなぁ……黙って聞いてりゃ、ぶつくさぶつくさ……煮え切らねぇことばっかり言いやがって……」
「お、小河原さん? 黙っているって約束じゃ……」
「うっせぇ、柊。堪忍袋の緒が切れたって奴だ。どっちもどっちで、お互いのためお互いのためってよぉ……何で自分のために戦わねぇ。未来を切り拓くのは自分の力だろ? だってのに、てめぇはそんな強い人機に乗っていて、何よりも自分を信じてやらねぇんだ? てめぇが疑ってかかっているのは他でもない。こうしてオレたちに対抗している、自分自身じゃねぇか」
『……わたくし自身が? 自分を疑っている、と……』
「おう。何だかんだ言って、相手のため相手のためってのはよ。自分を信じられねぇ奴の言い訳だろうが。てめぇの中に! 信じる一本の芯のねぇのに、相手のためってお題目で吼えてんじゃねぇよ! やるんなら徹底して自分のためだろうが! それをまかり間違っている限り、てめぇの主張はオレたちには通らねぇ!」
「お、小河原さん……。そんなに強く言うことはないんじゃ……」
「あー、もう、うっせぇ。いい加減に素直になれよ。オレたちゃ、何のために、こうして戦っていると思ってんだ? エゴでもいい、てめぇの意地を、貫き通すためだろうが!」
向けた銃口の先に居る《ティターニア》の眼光が僅かに揺らいだのを赤緒は感じ取っていた。
今の言葉が響いたのだろうか。ヴィオラは返答してこない。
「……ヴィオラさん。乱暴な言い方になっちゃったかもしれませんけれどでも……小河原さんの言葉通りです。自分の幸せを棚上げにして、誰かのためって……そこに、あなたの居場所はないんじゃないですか?」
『自分の幸せ……? ……何が分かる……』
赤緒が問い返す前に《モリビト2号》が両兵の手で挙動し、振り払った《ティターニア》の手を回避していた。
しかし直後には降り注ぐ雷鳴を視界に入れる。
青白い雷撃が地面へと幾重にも重なって放射され、瞬く間に首都圏は暗く沈黙していた。
「……首都機能の麻痺……。いや、もっと悪いか。……ちぃと地雷踏んじまったかな」
「もうっ、小河原さんってば、いつも終わってから……」
『――うるさい。うるさい、うるさいうるさい、うるさい! 何も知らないくせに……! 何も分からないくせに! どれほどに苦しいか、どれほどに痛ましいか! 終焉の未来が常に視えるのだぞ……こんな未来! ……終わるのならば潔いほうがいいと、そう思っていたが甘かったようだな。……柊赤緒、そして小河原両兵。貴女たちの未来はここで打ち止め。全てを――封殺する』
赤緒は殺気に肌が粟立ったのを感じ取る。両兵も感じたのか、すぐさま《モリビト2号》を後退させたが、既に遅い。
急にモリビトの歩調が鈍り、その膝を折る。
「……クソッ! 前と同じだ! モリビトが震えてやがんのか……。恐れを抱いたみたいに止まりやがる!」
急速なシステムダウンに両兵は応対していたが、赤緒は頭上に聳え立つ《ティターニア》の存在感に圧倒されていた。
暗礁の未来を湛えた蠢動する青き瞳。
見つめられるだけで射竦められてしまう。
――だが、今は一つでも、力に変えて。
赤緒はトレースシステムを無茶苦茶に動かす。
「動いて! 動いて! 《モリビト2号》! 今、行かなくっちゃ……! ヴィオラさんはずっと捕えられたままになっちゃう! 未来になんて負けないって、言わなくっちゃいけないのに……っ!」
モリビトは沈黙を続ける。両兵がシステムを呼び起こそうとしたが、その時には、《ティターニア》が霊廟の断罪をその掌に溜め込んでいた。
『……怒り、だ。わたくしの心に土足で踏み込んだ。その怒りと知れ!』
憤怒に塗り固められた形相で、《ティターニア》が雷撃を撃たんと迫る。それは彼女の心へと踏み入った自分たちへの裁きであろう。
――それでも。
「……救いたいのは、本音だったのに……」
「いつだってうまくは伝わらねぇもんさ。戦いなんてな」
『融け落ちろ! 《モリビト2号》ォ!』
『――させません!』
《ナナツーライトイマージュ》が立ち塞がり、迫る雷撃へとその腕を広げる。
『了解! ……ったく、三人乗りなんて勝世の野郎……ハメやがったな……』
『シールちゃん、今は一つでも何とかしないと。リバウンドフィールド展開! 相手のリバウンド斥力磁場を押し返す!』
さつきのサポートをする二人の声が弾け、《ナナツーライトイマージュ》が黄金の輝きを身に纏って舞い踊る。
それはまるで、争いを知らぬ純潔なる乙女の舞踊。
足先が地面を踏む度に、音叉と共に波紋が広がっていく。
雷撃を吸収し、そして相手へと跳ね返す結界陣が張られ、覚悟の一撃が《モリビト2号》から剥がれた。
『赤緒さん! お兄ちゃん! 今のうちに、モリビトを!』
「さつきか? 助かったぜ、血塊炉の循環機能を正常化させて、貧血から脱する! ……これで、どうだ!」
《モリビト2号》のコックピットがシステムを取り戻し、モニター類が点灯していく。
トレースシステムにも血脈が宿り、赤緒は再び《ティターニア》を睨み上げていた。
「……小河原さん。伝えたいことは、伝えました」
「そうか……。伝わるかどうかは分かんねぇもんさ。戦場ならな」
「でも私……ヴィオラさんにしてもらうだけじゃ、きっと満足できなかった。勝ったとしても……」
こちらの言い分に両兵はへっと笑う。
「てめぇらしいじゃねぇか。……もう一度、今度こそ突きつけに行くんだろ?」
「……はい。日本をロストライフ化なんてさせないっ! 私は《モリビト2号》の操主! 柊赤緒! みんなと一緒に笑える未来が欲しいから……っ! だからヴィオラさん、あなたを倒しますっ!」
『余人の笑顔なんて! 万人の幸福と引き換えになるものかぁっ!』
《ティターニア》の放つ雷撃は激しさを増し、《ナナツーライトイマージュ》の誇る結界を打ち破ろうとする。さつきは《ナナツーライトイマージュ》に印を結ばせ、結界陣を増幅させたが、それと拮抗する《ティターニア》の憎悪の轟雷の凄まじさは何たることか。
まさに柔と剛。
《ナナツーライトイマージュ》の結界が今にも打ち破られそうに揺らいでいる。だが、その背中は心強い。三人分の強さを含んだ《ナナツーライトイマージュ》のリバウンドの雷光の輝き。その灯火の中に赤緒はさつきの決死さを見ていた。
負けていない。負けられない――。
「私だけじゃ……ない。アンヘルのみんなの力! だから先へ行く! 暗黒の未来だって、その先へ……もっと高く、モリビト……っ!」
「飛翔用推進剤点火! 柊、飛ぶぞォッ!」