それはエルニィたちも同じなようで、他のものは食べられても自分たちの苦手だけは克服できない様子であった。
「えっと、あの……お茶を用意しますね……」
さつきは重苦しい空気に耐えかねて台所へと向かう。驚くべきことにあれほどの悪臭の爆心地に居つつも、自分の食事はきっちり食べ終えていた。
「……さつきも図太いのかもね。あんなのの後に食べられるんだ……」
「……でも牛乳は飲めない。こればっかりは、ね」
どうしても譲る気のないルイに赤緒も業を煮やしていると、両兵が歩み寄ってコップ一杯の牛乳を覗き込み、くいっと飲み干していた。
思わぬ行動に全員が瞠目していると、両兵は一つ頷く。
「うん、美味ぇな。さっきのがクセぇ、強かったからよ。ちょうどいいぜ」
とんとコップを置いた両兵に赤緒は少しだけ意外そうに呟く。
「……牛乳、飲めたんですね……」
「馬鹿にしてんのか? まぁ、いいけれどよ。人によっちゃ食えねぇもんの一つや二つはあるってのは同意するがな。案外、苦手が得意になるってことも……」
「赤緒、牛乳を注いでちょうだい」
ルイの問答無用の言葉に赤緒はパックの牛乳へと視線を投じる。
「えっと……苦手なんじゃ?」
「飲めるように今なったの。いいから、早く」
当惑しつつもコップに牛乳を注ごうとして、エルニィが勘付く。
「あー! ルイってば、それって間接キス狙ってるでしょ! そうはいかないよ!」
コップを引っ手繰ったエルニィの行動にルイが舌打ちを漏らす。
何、と眉を跳ねさせたメルJがそのコップへと照準していた。
「……立花。そのコップを渡せ」
「銃で脅したって駄目なんだからね! これ、ボクのー」
「あっ、ズルい……じゃなくって! ……ルイさん?」
顔を覗き込むとルイはぷいっと視線を逸らしているが、耳たぶまで真っ赤になっていた。
メルJとエルニィの間でコップの争奪戦が始まる中で、居間へとお茶を運んできたさつきが驚愕する。
「ヴァネットさん? えっと、何で銃を……?」
「何か、色々あっちゃって……。でも、他人の好き嫌いなんて、そんな簡単に直せないのかもしれないかも……」
こう言っては何だが、踏み込み過ぎた、と思うべきなのだろうか。
そんな赤緒にさつきはお茶を差し出して声にする。
「いいえ、赤緒さんは間違っていないと思います。だって……こんなに賑やかな食卓になるのはきっと、皆さん心を開いてくれているからだと思いますから」
そう言えば少し前までは緊張感のある食卓であったか。こうしてどこか皆が打算なく夕食につけると言うのもまた、お互いに歩み寄れた結果なのかもしれない。
「……うん。でも、私もまだまだだったんだな、って思う。みんなのこと、分かっているようで分かっていないみたいで……」
「――ンなことはねぇだろ。柊。てめぇのやったことはどうあれ、善意からなんだろ? だったら、別にいいんじゃねぇのか? ……何せ、黄坂のガキや立花だけじゃねぇ。ヴァネットまで笑えるような夕飯の席にしたのはお前の力でもあるはずだろうしな」
「……私の、力?」
「応よ。何も戦って強さを示すだけが操主の強さじゃねぇ。こういう、何でもない食卓を囲むことができるってのも、てめぇの強さのうちだろ。ま、さっきの缶詰はやり過ぎだったがな」
げっぷをする両兵に赤緒はむっとむくれる。
「小河原さん、お行儀が悪いですよ。……でも、こんなささやかな力なんて……」
「何言ってやがる。ささやかだから何よりも強ぇんだろうが」
想定外の両兵の言葉に赤緒は面食らう。
「……ささやかだから、強い、ですか?」
「ああ。単純に強さ示して、相手に言うことを聞かせるってのはあるがな。こういう、何でもねぇ、それこそメシの席で誰も気負うところがないってのが、一番の強さなんじゃねぇかとは、オレは思うが」
その言葉に赤緒は自分の掌へと視線を落としていた。さつきが心配して声をかける。
「赤緒さん? その……大丈夫ですか?」
「あっ、うん。……何だか不思議な気分になっちゃって……。そっか。これも、強さなんだ……」
意識したこともなかった。
だがトーキョーアンヘルがここまで来たのは理由がある。それこそ、自分たちが本心でぶつかり合い、本音を互いに浴びせあって初めての関係性だろう。
その橋渡しをしてくれたのはしかし、間違いなく――。
「……その、小河原さん。ありがとうございます」
「何だ、気色悪ぃ。別に感謝されることはした覚えはねぇが」
「いえ、それでも……何だかこうやって賑やかなのも、……翻れば力なんだって思えるのは、前の私にはなかったですから」
「……そうか」
「そうですよ。……小河原さんが変えてくれたんです」
価値がないと。他人に比べれば自分の人生には何の光も差していないと思い込んでいた赤緒に、生きていく意味と、そしてこれからの展望を見出してくれたのは間違いない。目の前でどこか憮然とする両兵であるはずなのだ。
それはこの食卓を囲む全員がであろう。
居場所を見つけ、自分の存在価値を問い、そして素直になることに感謝できるようになった――きっとアンヘルのみんなの笑顔はその集大成であるはずなのだ。
それを呼び起こしてくれたのは、確実に……。
その時、不意に両兵の腹の虫が鳴いた。
「……そういや、まともなメシ食ってなかったな。柊、頼めるか?」
「はいっ! ご飯の準備をしますね!」
言いやって台所へと歩み出そうとして、進路を塞いだのは寝ぼけまなこの南であった。
「何よー、あんたらうるさいわねぇ……。こちとら徹夜続きで……ふぁー眠い……。あ、赤緒さん? 今何時?」
「南さん? ……そう言えば食卓に顔を出さないと思ったら……。もう夜の八時を過ぎていますよ。南さんも、ご飯の用意をしますね」
「うん、お願い……。にしても、騒がしいわねぇ。宴会かっての……。あ、赤緒さん」
呼び止められ、赤緒は振り返る。
「はい?」
「私は牛乳だけは飲まないから。それ以外の軽めの奴で頼むわ」
むっと、赤緒はそう言えば、と疑念に行き着く。
南米育ちのはずのルイがどうして牛乳だけは頑として飲まなかったのか。それは育ちに理由があるはずなのだ。
両兵は南米で好き嫌いなんてできないと言い切った。ならば、その諸悪の根源は間違いなく――。
「……南さん。もしかして、牛乳、苦手ですか?」
「あれ? 私、それ言ってなかったっけ?」
きょとんとする南に赤緒はようやく明らかになった真相にがっくりと肩を落とす。
何てことはない。食わず嫌いが近くに居れば、自ずとそうなるに決まっている。
「南さん。今日は苦手を克服してもらいますから」
「えっ、何? 赤緒さん、顔怖い……。もうちょっと寝てようかな……」
逃げようとした南を、エルニィとメルJがむんずと掴む。
「逃がさないよー、南」
「貴様だけ逃げられると思ったのか」
「な、何よー、これ! ちょっと寝ぼけていただけなのに、何でこの仕打ち?」
せめてこの騒動の手打ちにするためには、苦手の一つくらいは克服してもらわなければ。
当惑する南を尻目に、赤緒は牛乳パックを掴んでいた。
「……よし」
――精一杯の牛乳料理を、これから振る舞うとしよう。