箱には幕がかかっており、その向こう側で声が漏れ聞こえていた。
「……よし、いいよ。じゃあ、目を開けて。真っ直ぐにこの箱の向こう側を見つめて。はい、3、2、1……っと」
パシャリ、と撮影音が鳴ると共に暗幕の向こうから出て来たのはエルニィである。引き連れていた南が怪訝そうにしていた。
「あれ、お二人で……? 何を……」
「いやぁ、ちょっとね。この先、もしかしたら流行るかもしれないものを試していたんだよ。その試作品をアンヘルがテレビ局から献上されたから、どうせだから試しておこうかと思って」
「……エルニィ。こんなの流行るの? ただの暗室じゃないの」
暖簾を持ち上げて疑問符を浮かべる南にエルニィは、まぁ待ってと応じる。
「今に出てくるから。……ホラ、完成」
小さな取出し口から出て来たのは八枚切りに小刻みにされた――。
「えっと……写真ですか?」
「そう、写真。これ、それを撮るマシンなんだ。近々、街中に据えられることになる予定なんだけれど、試作台をせっかくだから試してくれって言われてさ。で、やってみたんだけれど」
「……なんかぱっとしないわねぇ。ただの小さな写真を撮りたいだけなら、こんな暗室にこだわる必要性もないんじゃない?」
「確かに……。テレビ局の人はホントにこれが日本で流行るって見込んでいるんだよね?」
「……まぁ、私も上の連中の考えなんて分からないわよ? でも、何だか知らないけれど、これ、進めたがっているのよねー」
南が箱を叩く。赤緒はまごつきながら尋ねていた。
「えっと……結局これって何なんですか?」
「だから、撮影機だよ。これの中に入ってー……って、何その顔。納得いっていないって顔してるよ」
表情に出ていたのだろう。赤緒は咳払いして佇まいを正す。
「……だってこんなの、神社に置くものじゃないでしょう?」
「あのね、赤緒。これにはビッグビジネスが動く可能性が……あるとかないとか。どうなの?」
「だから、上の考えは分からないんだってば。ただ、写真機と言うか、カメラを小さくする技術ってのは本当に水面下では進んでいるみたい。エルニィも技術提供しているし」
「立花さんが……?」
「うん。ボクのお手製の小さなカメラ、あるでしょ? あれ、テレビ局に南が持って行ったらウケがよくってさー。日本中で生産してくれるって。まぁ、そのマージンはほとんどアンヘルの事業資金に消えちゃうらしいけれどねー。ボクの懐には入って来ないわけ」
「でも開発者なんだから、一生名が残るほうがいいでしょ。そう言ったのはあんたじゃない」
「……まー、でもさぁ。一円も入って来ないってのは何かねー。だから、こいつの試作品を改造して、そのマージンはガッポリいただこうって腹なんでしょ?」
エルニィが箱を叩くと、南は失敬な、と肩を竦める。
「資金繰り集めだけじゃないわよ。日本の文化のためなんだから」
「はいはい。南はそういう建前だけは上手いよねぇ」
「あの……中を見ても?」
「おっ、何だかんだで赤緒も気になってはいるんでしょ? いいよ、見てみれば?」
赤緒は暖簾を上げて中を覗き込む。
人間が一人か二人入れればやっとの大きさのすし詰め状態だ。そんな中でレンズを発見する。
「あっ、あれに向かって写真を撮ってもらうんだ……。何か、不思議な感じ……」
「どうせなら撮ってあげようか?」
暖簾を上げて入って来たエルニィに赤緒は当惑する。
「えっ、でも、これ……」
「遠慮しない。どうせ何枚撮ったってタダなんだからさ。じゃあ、赤緒。カメラのレンズのほうを向いてくれる?」
「えっと……こうですか?」
四角く取られたレンズへと目線を向けるが、無骨な内観はただでさえ緊張しているのに余計に強張ってしまう。
「赤緒、顔引きつってる。写真撮るんだから、何でこれから手術台にでも行くみたいな顔してるのさ」
「だってこういうの……初めてですし。暗室で写真なんて……うまく行くんですか?」
「大丈夫、大丈夫。南と撮ったのだって全部うまく行ってるし。ホラ、赤緒もピースピース」
レンズに向かってピースするも、どこか乗り切れなかった。
撮影の音がフラッシュと共に響き渡り、エルニィは早速暗幕を出て現像されていく写真を待つ。
「……勝手に現像してくれるんですね……。本当に不思議な……」
「まぁ、余計な光が入らないように暖簾で疑似的な暗室にしているわけなんだけれど。……あっちゃー、それでもやっぱりイマイチだなぁ。ボクの造った新型カメラのデータ、ホントにきっちり反映されてるの? 南ー」
問い返した先の南は縁側で緑茶を啜っていた。
「何よー、疑っているわけ? 本当にきっちり技術提供したってば。でもまぁ、それが限界なんでしょうね。今のところ古きゆかしいカメラには関心があっても、そういう写真としちゃイマイチな技術にはお金を出し渋るのがこの国なんでしょ」
「うーん……ボクの技術通りならもう一段階……いいや! 三段階は綺麗に撮れているはずなんだけれど……大型化したせいで余計なものがたくさん付いちゃったせいかなぁ……?」
エルニィはパネルを開いて筐体の裏側を弄り始める。
赤緒は神社の境内で行われているよく分からない機械の整備に苦言を呈していた。
「立花さん。ここは一応、境内なんですけれど」
「だから何ー?」
「……あの、こういうのはやめてくださいって、言っていますよね? 人機に関わる機械ならまだしも、趣味じゃないですか」
「趣味じゃないよ。これが流行るんだってさ。テレビ局で大々的にプロモ打つから、その時まで仕上げてくれって。でも何が足りないんだろう? 赤緒、分かる?」
差し出された八枚切りの写真を見やる。
「……まぁ、普通の写真に比べると粗いってのはありますかね……。それと小さいし……」
「それなんだよねぇ。普通の写真レベルのものを現像しようと思うと、そりゃコストと時間がかかるんだ。だから、こいつの役割としちゃ、その場ですぐ撮れて、それでいて手間を取らずに普通のカメラじゃできないことができるってことなんだろうけれど……」
思い浮かばないのか、エルニィは難しそうに呻る。
赤緒は写真を手に縁側に座り込んでいた。
どうやらエルニィはこの筐体を退かすと言う選択肢に移るつもりはないらしい。
ため息をつきつつ、赤緒は出来上がった写真を太陽に翳す。
「薄っぺらいんですね……。でも、この大きさでこの出来なら、充分なんじゃ?」
「その写真素材はコスト削減で安っぽくしてるんだってさ。でも、本当に何ができるのかしらね、これ。お上は写真機を少しばかり庶民的にしたいって言う狙いがあるらしいけれど」
いつの間にかせんべいを台所から取り出してきた南が、はいと差し出す。
赤緒はむぅ、とその写真を翳したり、裏から透かしたりしていると、不意打ち気味の風に吹かれ、写真が飛んで行ってしまう。
「あっ……写真が……。窓に貼りついちゃった……」
窓に風で吹き飛ばされた写真を剥がそうとして、薄すぎてうまく剥がせず悪戦苦闘しているところで、突然大声が発せられる。
「それだー! それだよ、赤緒!」
「えっ、どれ……?」
戸惑う赤緒に対してエルニィはつかつかと歩み寄る。その眼差しが思わぬ真剣さをはらんでいたせいで赤緒は気圧されてしまう。
「た、立花さん……?」
「それだ……。せっかく素材の安っぽさがでちゃうんだから、写真としての使い勝手は捨てよう」