全翼機との接続が解かれ、《モリビト2号》の巨躯が空気の塊を引き裂いて真っ逆さまに降り立っていく。考えるよりも速く地表が迫り、赤緒は習い性の判断で着地していた。
銀盤の工場地帯には想定したよりも人気がない。
「……ここが、キョムのプラント……」
「立花。上に居るのはヴァネットとお前だけだな?」
『ブロッケンはフライトユニットで後衛についているよ。メルJの《バーゴイルミラージュ》も同様。着地確認したのは両兵と赤緒の《モリビト2号》、それにルイとさつきの《ナナツーマイルド》と《ナナツーライト》の計三機だね』
「……どこかに隠れ潜んでやがるのか……?」
「でも……どこに?」
プラントと言われた割には目視できる範囲にそれらしい建築物もない。どこまでも平坦な銀盤の地平に、逆にこのような場所に人間が居つくか、と疑問を呈したほどだ。
「……どっちにせよ、調べねぇとどうにもならん。モリビトで先行するぞ」
歩み出した《モリビト2号》にはブレードと対人機ライフルの標準装備であり、強襲用に備え付けられたものはほとんどない。それもこれも、この強襲任務がさほど難易度の高くない任務だと教えられていたからであるのだが……。
「……本当に人っ気がない……。でも、ここがプラントなのは間違いないんですよね?」
「ああ、こんな山岳地帯に馬鹿デケェ工場造れるのは現状じゃキョムだけのはずだ。だって言うのに……この場所はあまりに……無防備が過ぎる。何だ、この違和感……ずっと監視されているみてぇな……」
「監視? でもどこから……?」
鉄塔の類も見られない。監視しようにも何が監視していると言うのだろう。
赤緒は敵意を見出そうとして、刹那、直下に感じた予感にモリビトの機体を後ずらせていた。
「何やってんだ、柊! 前に進むのか後ろ行くのかハッキリしやがれ!」
「あの……何だか足の下に……嫌な感覚が……」
「足の下ぁ? ……なるほど、地下か。まさか、このプラントそのものが……」
そこまで両兵が口にしたところで、一斉にプラント設備の地下からせり出してきたのは安全装置に繋がれた漆黒の人機であった。
人型の意匠を色濃く受け継いだ機体が次々と乱立していく。
数も一機や二機ではない。
「十、二十……何だこりゃ! どんどん増えてやがるぞ、立花! どうなってる!」
『待って! ……解析結果、出た……。両兵、それに着地したみんな! ……これは……罠だ!』
その言葉を判ずる前に安全装置から解き放たれた黒い人機が斬りかかってくる。両刃のブレードを携えた軽快な挙動に《モリビト2号》が咄嗟にブレードで受け止めた。
しかし一機やそこらの動きではない。
一斉に眼窩に光を宿らせて起動した敵の群れに両兵は舌打ち混じりにブレードで押し返して後退させるが、その後退した先の地面からも敵機がせり上がってくる。
「罠だと……! やってくれるぜ、最初ッからここはプラントでも何でもねぇのか?」
『いや、プラント設備には違いないんだけれど目的が違う。そこは無人の人機量産施設だ! ただひたすらに人機を造り続けることに特化した、異端の地……。何でもっと早くに気づけなかったんだ。四人とも、すぐに離脱して! そこは敵の巣のど真ん中になっている!』
悲鳴のような言葉を聞きつつ、両兵は背後に立ち現れた漆黒の人機へと斬り払っている。
「敵陣のど真ん中だぁ……? 強襲したつもりが、誘い込まれたってわけかよ……」
『ルイとさつきはすぐに逃げて! 元々想定していたルートを辿れば今ならば逃げ切れる! ……問題なのはモリビトのほうだ。ほとんど中心地だから……!』
「……オレたちだけでも諸共ってことか。野郎、やってくれるじゃねぇか」
「機体識別信号、《ブラックロンド》……。小河原さん! この機体は……っ!」
「ああ、数だけは揃えやがったな、連中……。しかし、見え透いた真似をしやがるもんだ。接近戦用に特化した《ブラックロンド》を三十機近く。……ったく、ご丁寧なこって」
「操主は……」
「揃えられるわけねぇだろ。大方、この強襲作戦が割れていたか、あるいは最初からブラフか。いずれにしたって、柊。ちょっとやそっとじゃ帰してくれそうにねぇぜ、奴ら」
《ブラックロンド》が波のように襲いかかってくる。赤緒はその敵意と血塊炉の放つ禍々しい青い輝きに魅せられたように硬直していた。
それを悟った両兵が下操主席で挙動させ、《モリビト2号》に構えさせる。
一射されたライフルの弾道が何機かの《ブラックロンド》を巻き添えにしたが、ほとんど勢いは削がれていない。
それどころか敵意の波長は蠢動し、増大して迫って来る。
思わず目を瞑った赤緒に、両兵は叱責していた。
「しっかりしやがれ! ここで考えるべきことなんざ、一つだろうが! 生き残るんだよ、何が何でも……岩に噛り付いてでもな! ……しかり、噛り付く岩もねぇってのは……冗談にもなんねぇな」
遮蔽物の存在しないプラント設備は待ち伏せには格好の場所であろう。
アサルトライフルを構えた《ブラックロンド》が顔を出し、一斉掃射を叩き込んでくる。
《モリビト2号》は横っ飛びをして回避したが、それでもいつまでも逃げ切れるわけではないのは分かり切っていた。
「柊ッ! ここでの戦闘はマジにヤベェッ! 消耗戦なんざ、冗談でもねぇぞ! 何とか逃げ切るんだ!」
「何とかって……でも見渡す限り……」
《ブラックロンド》の斬り込んできた一撃の鋭さに赤緒はブレードで受け止めつつ、眼前で咲く火花を焼きつけていた。
「こんなトコ……死地でも何でもねぇッ! 承知だってできるかよ、罠にハメられて心中なんて御免だぜ! ……敵も多過ぎる。超能力モドキも通用しそうにねぇな、これじゃ……」
「ど、どうすれば……」
「何が何でも生き抜くしかねぇだろ! 立花! そっちでモニターできる逃げ道を送ってくれ! これじゃジリ貧だ!」
『やってるよ! でも……ルイとさつきは元々陽動だけれどモリビトは本命だから……。中心地に近い場所からの逃走なんて考えちゃいない! ……《ブラックロンド》部隊を押し退けて、プラントを離脱してとしか……』
「できれば苦労しねぇっての……クソがッ!」
呼気一閃で斬り返した一撃が《ブラックロンド》を両断するも、一機や二機止めた程度では話にならない。
進軍する敵影に対し、《モリビト2号》の動きは完全に制限されていた。
「……王手だとでも言うようだな、奴さん……」
「どうすれば……」
「斬り返しても次、次ってすぐに代わりが出てくる……。今のモリビトの装備じゃこの軍勢を押し返すにゃ明らかに足りねぇ。だからってヴァネットや立花をこの戦地に呼び込むのは下策だ。被害を増やすだけだからな」
両兵が悪態をつきながら敵のブレードを斬り返し、返す刀で斬撃する。赤緒もその挙動をサポートしていたが、敵の動きに迷いがなさ過ぎた。
加えて無尽蔵に近い補給路を持つ相手に対し、自分たちは完全に孤立していた。
「……小河原さん、このままじゃ……」
「今、考えてンよ……クソッ! だが全然だ。妙案さえも浮かんでくれねぇ……。案外、終わりってのはこんななのかよ……!」
《ブラックロンド》部隊が後衛へと移る。
それぞれの照準するアサルトライフルが火を噴けば今度こそ、モリビトは持つまい。
「……リバウンドで返そうにも相手が多くってさばき切れねぇ……。すまねぇな、柊……何もできねぇで……」
「いえ、小河原さん……私は、でも……」
項垂れた両兵に、せめてもの最後の言葉をかけようとした――その時であった。
『――モリビトの操主。諦めなければ負けではないのだろう?』
不意打ち気味に割り込んできた声と共に、雪崩のように《ブラックロンド》の軍勢に斬り込みが入る。
吹き飛ばされた鋼鉄の手足を巻き込むのは旋風を発するオートタービンであった。
暴風を滾らせ、漆黒の群れを蹴散らしていく、純白の標は――。
「……白い、あの機体は……」
漆黒の陣営を叩きのめす、その白亜の人機はかつて対峙した八将陣の人機であった。
パワータイプの象徴たる丸太のような腕に、鋭い眼光を秘めた相貌。
完全に虚を突かれた形の《ブラックロンド》の群れへと、押し返す勢いでオートタービンのいななき声が劈く。
「……てめぇは……」
『このプラントは直に自爆する。既に刻限は迫っている』
その切り詰めたような声音に赤緒はあの時の武人然とした八将陣を思い返していた。
「あ、あの……っ! あなたは……」
『何も。何も言うな、モリビトの操主。ただ……貴様らが諦めるのには随分と早い舞台であったのと、ただの偶然の積み重ねだ。次はない』
「……柊。今のうちに撤退機動に入るぞ」
両兵の放った言葉に赤緒は言い返していた。
「で、でも……っ、あの人は……!」
「あっちも助けた義理なんてねぇはずさ。今の口ぶりじゃあな。それに、次はない、とも。……ここは一貸し、か」
苦々しさを噛み締めつつ、両兵はモリビトに踵を返させていた。
姿勢を沈め、ファントムに移る前に、彼は声を飛ばす。
「……その白い人機の操主。お互いにいいモンになっただとか、そういうことは考えねぇぜ。それに、次はねぇのはお互い様だ。……だが、命二つ分だ。感謝はしておく」
『要らん。行け』
ファントムで一気に銀盤を切り抜けた《モリビト2号》が山岳地帯へと分け入る。樹海に押し入り、木々を薙ぎ倒してようやく止まったところで、不意にプラントが爆発の光輪に包み込まれていた。
黒煙と業火に支配された工場地帯を眺めつつ、赤緒は声にしかけていた。
「……あの人……」
「物好きってのは、どこの戦場でも居るもんなんだな。……その物好きに助けられちまう場面ってのも」
両兵の顔を窺おうとして、彼もまた痛みを一つ噛み締めたように鎮痛に面を伏せていた。
「小河原さん……」
「何も言うな。……ああ、こういう時に、何も言うもんじゃねぇよな。あの白さはケジメの白だ。誰も余計なことなんて言えねぇさ」
救助部隊が到達するまでの暫しの時間、赤緒は余計な言葉一つ、差し挟めなかった。
洗濯物を取り込んでいると、紛れ込んでいた白い蝶々がシーツの下から羽ばたいていく。
「あっ……蝶々……」
手を伸ばしかけて、それはあの日、救ってくれた背中とだぶっていた。
「……命二つ分、か。重いな……」
呟いた赤緒を他所に蝶々は飛び立って行く。
――青空の彼方へと、その白き翼を誇って。
どのような苦難が待ち受けているのかも知らずに。あるいはその困難でさえも背負い込む、そんな翼で。
白い翼は、「さよなら」を紡いでいた。