「あの……山のほう。地下シェルターへの入り口があるって……大人たちが……」
「ほう。うまく擬装したものだ。キョムの第一波だけでは粉砕し切れなかっただろうな」
地下シェルターへ入るのにはパスワードが要るらしい。戸惑っていると、女は腰に提げた得物を一閃させていた。
居合い抜きでパスワードの扉が切り裂かれ、そのまま人間サイズの入り口の前で相手は自分を振り仰ぐ。
「……《ブラックロンド》は隠せんな。仕方あるまい。来い、少年。お前は人質だ」
「人質……」
「そうだ。《ブラックロンド》がもし破壊された場合、私は刀だけで生き延びなければならない。そうなった時の時間稼ぎに使わせてもらう」
要は、自分なんてただの肉の盾なのだろう。
だが奇妙にもこの時、何故だか安堵していた。
――ああ、まだ生きる意味が少しはあるみたいだ。
そう感じて、《ブラックロンド》が腕を下ろすのに従ってシェルターの深部へと女を先導する。
入ってすぐにエレベーターがあり、降りる最中、女の容貌をちらちらと垣間見ていた。
年の頃は、恐らく十七かそこいら。まだ少女と言っても差し支えないが、身に纏っているその有無を言わせぬ鋭い空気がただの少女ではないのだと克明に告げている。
少しでも身の振り方を間違えれば殺されるだろう。
その確証だけはあった。
「この地下シェルターは随分と深いな。寒村にしては明らかにおかしい」
「……デカい国のお偉いさんの、いざと言う時の隠れ場所なんだって大人たちは言っていた。ここまで手は伸びないだろうって」
「なるほど。そんな浅薄な命乞いの場所を、私たちは真っ先に奪ったわけだ」
女の表情に悦楽が宿る。
分かっている。この女は――狂っている。
しかし、この時、手にした短刀で斬りかかる愚を犯すこともできなかったのは、何故なのだろうか。
命恋しさか。あるいはもう、自分がどれほど抵抗したところで、どうせもう滅びているのからか。
諦めが深かったのかもしれない。
最深部へと到達して、女は矢じり型の鉄片を翳す。
淡く光を宿した鉄片はしかし、すぐさまその輝きを消失させていた。
「……深過ぎるな。《ブラックロンド》がすぐには反応できない」
「……こっちへ」
道案内の道中で自分の視界に飛び込んできたのは、見渡す限りの食糧庫であった。
「……こんなところに……溜め込んでいたのか……」
「食うに困っていたのか」
「……ああ。上じゃ、毎日……軍の支給するまずいレーションで食い繋いでいたって言うのに……。もしもの時に逃げ込む連中は……こんなに贅沢な……」
今度は明確な怒りであった。
身を焼く灼熱の憤怒にそっと手が添えられる。
女の冷たい指先が短刀を握る自分の震える拳を包んでいた。
「殺したいほど憎んでいるのだろう?」
言葉を発しかけて女の発する妖艶な魅力に声も出せない。呼吸も儘ならない自分を他所に、女は奥へと押し入り、支給品を押し退けて座り込んでいた。
「ここで夜を明かす。いや、正確にはあの爆撃機の眼を、か。幸いにして飢えと凍えて死ぬことはなさそうだ。シェルターの中は換気も行き届いている。窒息死もあり得ない」
刀を片手に余裕の立ち振る舞いである。その対面の床へと座り込んで、自分は思案していた。
果たして、この女の言うようにするのが正解か。あるいは、あの爆撃機とやらを相手が恐れているのならば、自分が外に出て誘導すれば、とも思ったが先の様相を鑑みるに絶望的だろう。
きっと生存者の区別なく、あの大空の悪魔は殺し尽くしに違いない。
嘆息をつくと、女は出し抜けに問いかける。
「名は? あるのか?」
「……ほとんど呼ばれたことはない。子供なんて居たって邪魔だからさ。食い扶持が減るからって」
「では名無しと呼ぼうか」
それは、と戸惑いかけて自分は女の瞳へと吸い込まれるようにして尋ねていた。
「……あんたは」
「シバだ。何だ、自分の親兄弟を殺した人間の名前くらい、知っておきたかったか?」
シバと名乗った女の問いかけに、どうだろうな、とはぐらかす。
「……俺、頭よくなかったし、村じゃ若い人間ってだけで邪魔者扱いだったから……。多分、要らない人間だったんだろうと思う」
「そう規定するのには理由があるはず。話せ。暇つぶしにはなろう」
自分の境遇を話すことにこの時不思議と気後れはしなかった。どうせ何もかも終わってしまったのだ。ならば奈落の女に少しくらいは何でもない――何の変哲もない人間の悩みくらいは告白してもいいだろう。
「……軍部が支配してから……いやそのもっと前からか。父さんは俺を殴るし、邪魔者扱いするし、母さんは俺なんて産まなければって何回も言っていたな。妹も居たんだけれど……軍に売られちまった。残ったのは男の俺だけ。虚しいもんさ。誰にも必要とされず、誰かに助けを乞うこともできなかったなんて」
「世の中は不条理だ。その不条理さの中で勝利者と強者だけが発言を許される。お前はそうではないらしい」
「……だろうとは思う。生き残ったのだって、みんなの分の食糧の調達に行っていたからだし、偶然の産物なんだ、何もかも。……だからかな。みんな、跡形もなく死んじゃったのに、涙も出ないや……」
いや、いっそのことせいせいしている部分もあるのかもしれない。
自分を邪魔者だと、穀潰しだと断じていた村人たちが、何てことはない。巨人を操る女一人に皆殺しにされた。
そんな現実、受け入れるほうがどうかしていると言うのに、何だか今は安心さえもしているのだ。
――ああ、もうあんな目に遭わなくっていいのだ、と言う安息。
「死にたいのか、お前は」
とてもシンプルな問いに自分は首肯していた。
「かもしれない。……いや、多分そうだった。みんな死んじゃって、生き残っていることに……一ミリの負い目もないんだ。自分が死ぬか、それか誰かが死ぬかの天秤が……どっかで壊れちゃっていたのかな。ここに居ることに違和感もないし……命を絶っても、何も変わらないのかもしれない」
「では――斬り捨ててやろうか?」
ハッと面を上げたその刹那、覆い被さってきたシバが切っ先を自分の額に向ける。
突きつけられた刃に自ずと声も出なかった。
叫んだって誰も助けに来ないと分かっていたからかもしれない。
眼前でぎらりと凶暴な光を帯びる剣先に、どこか諦観もあった。
――これが命を摘む色彩。人殺しの光。