JINKI 111 大人になるということ

 パンパン、と南は手を叩くがいつものような反応もなし。

「……両も居ない、か。何だかしんと静まり返って……妙な気分になるわね……」

「ルイはー? 南なら知ってるんじゃないの?」

「いや、私も保護者だけれどルイがいつも何してるのかまでは知らないのよ。……ルイー! 居るんでしょー! ……反応はなし、か」

 肩をしょげさせた南へとエルニィは声をかける。

「……何、お昼食べ損なって空腹状態?」

「……ま、そんなところね。何でもいいから腹を満たせるものはないかしら」

「何でもいいんならレーションあるけれど?」

 ひょいと差し出したエルニィに南は怪訝そうにする。

「……何で拠点に居る時まで切り詰めた食事しないといけないのよ。って言うか、あんたって本当に、食にこだわりないのよね」

「むっ……失敬だな。ボクだってこれでもジャパニーズフードにはそれなりに造詣が深くなっているんだからね。にしたって、赤緒もさつきも居ないんじゃ、お昼はお預けかなぁ」

 天井を仰いだエルニィにそうだ、と南が手を叩く。

 持ってきた辞典並みの大きさの電話帳を捲って南はうーんと呻る。

「……何やってんの? っていうか、それって電話帳? うーわ、前時代的……電話番号なんて覚えてりゃいいじゃん」

「誰もがみんなあんたみたいな天才じゃないのよ。ま、私も前時代的だと思うのは同意……じゃなくって。こういう時、便利なサービスがあるのは、あんたも知っているでしょ?」

「あー、えっと……一回、赤緒が言ってたなぁ。えっと……何だっけ?」

 その問いかけに南は不敵に笑う。

「それは……これよ! 出前!」

「あー! ジャパニーズ出前かー。何だか、赤緒とかさつきが居ると、どうしてもね、考えのうちには及ばなくなっちゃう。あの二人と五郎さんに任せっ切りだから」

「ま、いい機会なんじゃない? 出前くらいは取って当たり前! 私たちだけでもそれくらいは朝飯前よ!」

「威張るところじゃないとは思うけれどね。朝飯前って言うかお昼時だし……」

「細かいことは気にしない! それにしたって……結構あるのねぇ。私、出前なんて取ったことないけれど、あんたは?」

「ボク? そうだなぁ……じーちゃんがピザの宅配とか頼んでいたのは知っているけれど、自分で頼んだことはないかも。研究施設に居る時は軍の食事だったし」

「じゃあ、お互いに初めてなわけね。……でーっと、どこがいいと思う?」

 羅列された店舗のどれがいいのかを見極める能力が自分たちにはまるで皆無。エルニィならばと期待したが、彼女も肩を竦めていた。

「違いが全然分かんないや。どうせなら赤緒とかさつきが絶対に作んないようなものにしようよ」

「ってなると……アレ、頼んじゃう?」

 その言葉にエルニィも固唾を呑んでいた。

「まさか……禁止されている……アレ?」

「そうよ……ちょうど今、お昼時だから、ドラマやっているわね」

 テレビを点けると、刑事ドラマの再放送の中で、刑事が犯人に突きつけたのは、自分たちが禁じられている「アレ」であった。

『……カツ丼でも食うか?』

 ごくり、と二人して生唾を飲み込む。

「一回食べて見たかった奴じゃん……。あの、赤緒たちが作るのとはまた違う……どこか手抜き感を漂わせるアレ……」

「日本って不思議よねー。どう考えたって美味しそうにないシチュエーションの食べ物なのに、憧れちゃうんだもの。……ってわけで、カツ丼二人前でいっか」

「待って、南。だったらアレも、捨て難くない……?」

 エルニィがチャンネルを回す。すると並々と注がれた大盛りラーメンを啜るタレントが映し出されていた。

「……まさか、禁じ手中の禁じ手……大盛りをやるって言うの……? あの、普段は赤緒さんや五郎さんから、食生活に悪いですからで一蹴されている、アレを……?」

 さすがの南でもそこまで頭が回っていない。留守中に禁じ手を重ねるなんて。

 しかしエルニィは悪びれもしない。

「せっかく三人が居ないんだからさ。とっておきの出前を頼んじゃおうよ」

「むぅ……そうなると店選びからになるわね……。どの店も出張宅配とは書いてあるんだけれど肝心のメニューが……文字だけかぁ」

 穴が開くほど凝視しても店の違いまでは把握不可能。

 消去法になるか、と考えていた南へとエルニィは言葉を振り向ける。

「まぁ、待ちなって、南。今は……ちょうど十二時過ぎ。五郎さんは神事の先でご飯にありつくだろうし、赤緒たちにだって自衛隊のみんながカレーでも振る舞うでしょ。でもボクと南で出前を独占するのには、時間はあるようでないんだから」

 確かに、と南は首肯する。

 何だかんだで誰も居ない数時間など貴重なのだ。

 慎重に考え過ぎればしかし、その貴重な時間を失うことになる。南はパンと電話帳を畳み、再び開いて一番に目についた店に注目していた。

「ここよ、エルニィ。蕎麦屋。私、知ってるんだから。蕎麦屋にはカツ丼もあるってことをね……」

「ほぅ……南にしてはやるじゃん。でも、ボクだって負けないんだから」

 そう言って電話帳の一角を指差す。

 そこには大盛り無料の文字が躍っていた。

「なるほどね……あくまでも大盛りにこだわるってわけ……」

「対立だね……。南は蕎麦屋のカツ丼、ボクは大盛り二人前に賭ける……」

「いいわ。勝負よ、エルニィ!」

 腕捲りをして南は拳を引く。それに合わせてエルニィも身を沈めていた。

「「さいしょはグー! じゃんけん――!」」

 出前で運び込まれたカツ丼を差し出すなり、エルニィがむくれる。

 南は勝利者の余裕を漂わせていた。

「まぁ、カツ丼でも食いなさいって。いつまでもしょげたって仕方ないでしょ」

「……納得いかない。三回勝負になってたし、途中から」

「あら、あんたも納得だったじゃない」

「そりゃあ……そうだけれどさ……うー、さもしいなぁ、もう。赤緒たちが居ない時くらい、好きなもの食べさせてよ」

「それはお互い様ね。でもまぁ、普段はどれだけ赤緒さんたちに頼り切っているのかって分かっちゃうわ」

 卵とじのカツ丼を目にして南は頷く。こう言ったささやかな心配りも赤緒たちは忘れない。自分たちに食で困るようなことにだけはならないのは幸運と言えよう。

「……まー、ロストライフの現場じゃ、こんなのにありつけもしないし。そもそも日本が平和ボケなんだよ。ロストライフ化しかけているのに、誰も見向きもしないって言うか」

 割り箸を割ろうとして、エルニィが苦戦しているのを南は助け船を出していた。

「あんたもぶきっちょなんだから。貸しなさい。ホラ、こうして割るのよ」

「……あんがと。まぁ、でもそれくらい、ある意味じゃボクらも甘えているのかもねー。赤緒たち……ううん、それだけじゃない。こういう日本の空気に。出前なんて頼めないでしょ、ロストライフの現場で」

「そりゃーそうじゃないの。そもそも食べ物なんてあること自体が稀だけれどね」

「……お互いにさー、赤緒たちには言えないよね。ロストライフ化したらどれくらい悲惨か、知っているんだから」

 ある意味では隠し事を抱えていることにもなるのか。南はしかし、今目の前にあるカツ丼へと箸を伸ばす。

「だからって、いちいちナイーブになってちゃ何にもできないでしょ? ご飯があるのならば食べる。それくらい図太くないとね」

「……言っていること、両兵と同じだよ? カナイマは相当に無遠慮だったんだね」

 その言葉には少しだけムッとしたがよくよく考えればカナイマアンヘルでヘブンズを営んでいた時だって、ルイとの二人だけの特別部隊であったのだ。

 ――明日のために今日は図太く生きる、の精神は今でも自分とルイには受け継がれている。

「……ま、管轄が違ったと言えばそこまでだけれど、ヘブンズは往々にして資金不足だったし、アンヘルだって新型機とかそういう余裕もなかったしねぇ。モリビトの腕がもげればそこまでの前線部隊、修理するのに国が傾くって具合に……今の人機事情とはまた違ったお台所の事情があったのよ」

「何かヤだなぁ、それ……。美しくないよ。人機造るのにいちいちそんな考えだったわけ? うーわ……ボクその当時に所属してなくってよかったぁ」

「あんたはまだその頃にはガキンチョだったじゃない。最初に見た時はよくもまぁ、こんな年端もいかぬ子供がとは思ったわよ」

「……でもボクが居ないと今頃シュナイガーもブロッケンもないし、血塊炉を三つ積んだ《モリビト2号》もないわけだ」

 胸を反らせて自慢げに言いやるエルニィに南は箸を進めつつ眉根を寄せる。

「……あんたの正体不明なその自信、相変わらずすごいわ。まぁ、天才ってのもあながち嘘でもないのかもねー」

「……ここまで一緒に居ておいて今頃それ言う? ……南だって色々あったのは察するに余りあるけれどさ。変な話……もっとボクらを信用してよ。こういう、赤緒たちが居ない時だけ、あの頃の南に戻っちゃうんじゃなくってさ」

 勝手知ったる仲だ。いつもは余所余所しく見えるのだろう。特にエルニィとはもう三年の腐れ縁。昨日今日出会った赤緒たちとはわけが違う。

 しかし、南は箸を止めていた。

「……赤緒さんたちだって前線で頑張ってくれてるのよ。私が気張らないわけにはいかないでしょうが」

「それが何だか肩肘張り過ぎていて、南っぽくないって言うかさぁ……。ま、そういうのが責任者って奴なのかもしれないけれど、ボクはもっと弱みを見せてもいいとは思うけれど? 両兵だってサポートしてくれるでしょ」

「……駄目よ、特に両は、ね。あいつ、馬鹿だけれどあれで根は心配性だし、それに現太さんの血は思ったよりも色濃いみたいだから。適当そうで責任感もあるし、それにみんなを纏めるだけの器量もある。……あいつにこれ以上重石背負わせるのはどうにも……昔馴染みだからこそ、できないのよ」

「ふぅーん、南も大変だ」

「……真面目に聞いてる?」

「聞いてる、聞いてるってば。要するに、お互いに赤緒たちの前じゃ、弱音は吐けないってことでしょ? じゃあさ、この機会に言っちゃえばいいじゃん。どうせ今はボクら二人だけなんだし」

「……不満点とかはないのよ、逆に。そりゃ、南米の連中がもっと金を出せばもっといい人機が回せるわ。そういう不満とかは積もり積もっているけれどでも、トーキョーアンヘルには、ね。不思議とないの。文句言ったってどうしようもないって、学んだからかしら? それとも……」

「――大人になっちゃったから、かもね。ボクも南も」

 呟かれた一言に何だか全てが集約されているようで、南は天井を仰いでいた。

「あーあ! つまんない大人になんてなりたくなかったのになぁ!」

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