JINKI 112 おいしい冬の日に

「知らんぞ、そんなもの。グラタン……のようでそうではないな……。白米のにおいに、バターの香りが混じっている……」

「あっ、正解です。バター仕立てで……あれ? でも何で? 洋食……ですよね?」

「赤緒さん、ドリアって日本の創作料理なのよ? あっち出身のメルJには逆に馴染みないかもね」

 思わぬ言葉に赤緒は目を白黒させて、ドリアを眺める。

「へっ? そうなんですか? ……知らなかったぁ……」

「でも、赤緒ってば変だねー。神社なのにドリア?」

 軒先で筐体を弄っているエルニィが小ばかにしたように笑う。それに対して少し赤緒はむつかしい顔をしていた。

「……そ、それは言いっこなしじゃないですかぁ。毎日、あれが食べたいこれが食べたいって言うの、大体立花さんですし……」

「しょーがないじゃん。同じ物ばっかじゃ飽きちゃう」

 ワガママなエルニィに嘆息をついたところで、でも、と南がドリアを見つめていた。

「懐かしいわね。カナイマでも、結構食べていたのよ、ドリア」

「えっと……あっちのアンヘルはでも、南米ですよね?」

「そっ。でも日本人集団だからね。ドリアは12月の限られた日だけに許された特別な料理だったの。その日ばっかりは、日本人のスタッフ全員が、めいめいに自分のオーダーするドリアを頬張って、それであっちの冬を越すのよ。それが慣例だったなぁ……」

 どこか、過去を回顧する瞳になった南にルイが指摘する。

「南、ババくさい。どれだけ昔のことを考えてるの」

「何よ、あんただって大好きだったでしょ? 向こうのドリア」

「別に。腹が膨れれば味は二の次よ」

 ぷいっと視線を背けてしまったルイに赤緒が困惑していると南は微笑んで、香ばしいドリアのにおいを楽しんでいた。

「でも……あの子もそうだったのかもね。何だか思い出しちゃうわ」

「あの子って……青葉さんのことですか?」

「そう。来たばっかりの頃ね。ちょうど冬の時分だったから。まぁ、アンヘルじゃみんながみんな厳めしい顔を突き合わせて……それでもどうしたって冬の待ち遠しい日があったのよ。――そう。私たちはドリアの日って呼んでいたわね……」

「ん? ペダル、二個分ほど軽いな。……ったく、ヒンシの野郎。ちゃんと点検しろってんだ」

 文句を垂れつつ上操主席でペダルにレンチを入れようと屈んだ両兵を、青葉は自ずと慮っていた。

「あっ、ちょっと姿勢、下げたほうがいいよね。そのほうが調整しやすいだろうし」

「おう、助からぁ」

 青葉は両兵が上操主のメンテナンスをしている間、呼吸を深くついていた。

《モリビト2号》の神経も随分と柔らかく、そして自分を受け入れてくれている――最近、そんな感覚が付き纏うようになったのは不自然だろうか。物思いにふける間もなく、両兵が声を振ってくる。

「……何だ? 疲れたのかよ」

「いや、別にそんなんじゃ……。ねぇ、両兵。モリビトに乗るのって、楽しい……よね?」

 自分の感覚がおかしくないかの確認のためであったが、両兵はどこか怪訝そうに眉をひそめる。

「楽しい……つーのは、今一つ分からんな。オレはこいつとは長いが、断崖絶壁から突き落とされてアバラ折ったこともあるし、上操主席を任せられたばかりの頃は、操縦桿に手ぇ突っ込んだ拍子に誤作動して複雑骨折したこともあっし……」

 聞くだけで痛そうなエピソードを並べ立てられ、青葉は怖気が立つ。

「……その、じゃあ両兵は、モリビトとは……あんまりいい思い出ないの?」

「いい思い出ぇ? ……人機に乗っていい思い出、か。……難しいこと聞くんだな、お前」

「むっ、難しいかな……。だって、私にとっては憧れだから……」

「あー、ロボット好きだからってのは、重々分かってるつもりだがよ……それ、山野のジジィの前じゃ、絶対に言うなよ」

 後頭部を掻いて忠告する両兵に青葉は疑問符を挟む。

「な、何で?」

「……アホか。あの頑固ジジィの前で人機に乗るのが楽しいですなんて言ってみろ。ゲンコツが来るなんてまだ優しいほうさ。下手すりゃ操主席よりも危ないぜ」

「そ、それは下ろされるってこと……?」

 それだけは、と懇願する瞳を送ったせいだろう。両兵は腕を組んで上操主席に深く座り込んで呆れたようだ。

「……そっちのほうが心配かよ……。あのな、どんだけ言い繕ったってこいつは兵器なんだ。古代人機ぶっ潰すために運用しているったって……オヤジから学んでるんだろ? 兵器運用だって視野に入れて量産されたこともあるって」

「そ、それくらい教わったもん。その頃の名残が……《ナナツーウェイ》なんだよね……」

『ちょっとー! 整備班! 私らのナナツーもっと軽めに調整してくれって言ったわよね? 何でこんなに操縦桿が重いのよ!』

「仕方ないですってば! そうしないと駆動系に支障が生じるって、親方が……」

『あー、もうっ! 融通が利かないったらないんだから! こんなに重けりゃ古代人機の弾だって避けらないわ。ねー、ルイ』

『……知らないわよ。私はいずれモリビトに乗るんだから、ナナツーがどれだけ重くなったって誰かさんだけが困るだけでしょ』

 わざと拡声器を使ってこっちにも聞こえるようにして伝えるルイに、南の怒りの文句が飛ぶ。

『だーっ! もうっ! この悪ガキが、悪知恵ばっかり働かしてからにぃ……。どっちにしたって三時間以内に戻しておいて! あとサビ落とし! 甘いからもっとね!』

 キャノピー型のコックピットから出てきた南とルイに青葉は自然と視線が向いていた。

 ルイはこちらの視線を読んだのか、べ、と舌を出してくる。

 ――負けられない、と思いを新たにしたが、それでも向かい合っていると嫌でも思い起こされる。

 現太より学んだ人機の歴史。その中にあった、兵器としての人機運用を。

「……何だ、随分とナーバスになってるじゃねぇの」

「そっ、そりゃ仕方ないよ。だって……人機同士で壊し合うのは……嫌だもん……」

「わっかんねーな、それ。対人機用のライフルだって積んでんだぞ、このモリビトだって。いつでも軍部がそういう動きをして来たっていいように準備だけは怠ってねぇんだ」

「でも実際戦うのはきっと……違うよ。うん……違うと思う」

「戦闘経験もまだ浅いひよっこがよく言うぜ。ま、浅いから、ならではなんだろうな」

 もっと実戦を積めば、もっと戦いに慣れれば、迷うこともなくなるのだろうか。だが、それはどこか――虚しくないかとも胸中に問いかける。

 モリビトを初めて見た時、胸の高鳴りを抑えられなかった。

 それは兵器を見たからでは決してない。

 そうなのだと……自分に言い聞かせる。

 だが、この時ばかりは自信もなかった。

『両兵、青葉さーん! そろそろ上がろう。モリビトの整備もしなくっちゃ』

 川本の誘導に従い、青葉は格納デッキの中へと《モリビト2号》を導く。この所作も何十回と繰り返してきたが、未だに緊張する。

 オーライ、の声を聞きつつ慎重にデッキに停めたところで、労いの言葉が繋がれていた。

「お疲れ。二人とも、コックピットの整備はしておくから、休んでおいて。後は僕らの仕事だから」

「あっ、ありがとうございま――」

「おい! ヒンシ! てめぇ、もうちょっと上操主席のメンテしっかりしとけよ! 最近、たるんでんぞ!」

 両兵の大声に掻き消され、自分と川本は迷惑そうに声の主を仰ぎ見る。

「な、何だよ、二人して……」

「……両兵、ちょっとは青葉さんの爪の垢でも煎じて飲めば? ちょっと横柄が過ぎるよ」

「本当、両兵って昔っから短気なんだから」

「ンだと、てめぇら……揃って意見合わせやがって……。言っとくがな、まだ全然、認めたわけじゃねぇからな! 特に青葉!」

 捨て台詞を吐いて両兵はタラップを駆け下りていく。その背中を見送りながら青葉はため息をついていた。

「……気にしないで、青葉さん。両兵、寝たら忘れるから」

「あっ、すいません……。何だか気を遣わせちゃって……」

「いいって。操主が気持ちよく操縦に集中できる環境を作るのが僕らの役目だし。何なら今の両兵の言葉だって飲まないといけないのが立場ってもんだからね」

 だがだからと言って、軽んじて欲しくないのだ、と声をかけようとして、これも傲慢か、と口を噤んでいた。

「川本さーん! そろそろ上がんないと、明日はドリアの日じゃないですか」

 下階から呼びかける古屋谷とグレンらの声に、川本はあっと手を打つ。

「そうだ、明日はドリアの日だった。忘れないようにしておかないと」

「……ドリアの日……? ドリアってあの……グラタンの親戚みたいな……」

「そうそう! 知らない? ドリアって日本食なんだ。ここってそうじゃなくっても物資が揃わないけれど、12月の二週目の火曜日……通称、ドリアの日だけは、みんな根が日本人だからね。楽しみにしてるんだ。何てったって、ほとんどの食材が揃う夢の日でもあらね。何でも食べ放題だよ」

 相当に嬉しいのだろう。川本も平時とはまた違う喜びに満ち溢れている。

「ドリアの日……日本の食べ物だったんだ。でも、ドリアって日本って感じがしませんけれど……」

「まぁ、見た目はね。でも、日本で生まれたらしい。だったら、僕らとドリアは言ってみれば兄弟みたいなもんだからさ。年は……だいぶ離れているだろうけれど」

 そう言ってお互いに微笑む。

 そうか、と青葉はタラップを駆け下りていた。

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