JINKI 115 雨、すれ違う心

「な、何だ? 地震か?」

 しかし、その揺れは少しずつ近づいているようであった。ズン、ズンと重く腹の奥底に響き渡る重低音に屈強な男たちでさえも及び腰になる。

「な、何かが近づいてくる……?」

「まさか! 例のキョムとかじゃ……」

「まさか……こんなところにロボットなんて出るわけ……」

 そこで現場主任が息を呑んだのは、闇夜に浮かび上がった巨躯にであった。

 細身のシルエットの巨大な鋼鉄の塊がゆっくりと歩み出て、その足で工事現場へと押し入ってくる。

「で、出た! あのニュースでも言っていた、ロボット!」

「馬鹿! 人機とかそう言っていた、あれだろ……。アンヘルって言うのが始末してくれるはずだ! ここは大人しく……」

 逃げようとして、その進路を塞ぐように、人機が彼らを睥睨する。

 その黄金の瞳が宵闇に煌めいて、殺意を宿していた。

 ひぃ、と悲鳴を上げて男たちは直後、振るわれた斬撃に頭を押さえて無様に蹲るしかできない。

 一つ、二つと何かが斬り裂かれる高周波が鳴動し、男たちは次に瞼を開いた時、無残にも引き裂かれた工業機械を目にしていた。

「……重機だけを狙って……?」

 だがそんな馬鹿もあるまい、と思っていたが、斬り裂かれたショベルカーやクレーン、ロードローラーはその攻撃の凄惨さを物語っている。

 ズン、ズンと今度は人機の足音が遠ざかっていく。

 それは男たちからしてみれば九死に一生を得たような感覚であったが、彼らには襲撃される心当たりも、ましてや人機に襲われて無事でいるほどの幸運の理由も分からず、ただただ遠ざかっていく細身の人機のシルエットを目で追うだけであった。

「南さん。お茶が入りましたよ」

 居間にお茶を持っていくと、南が難しそうな顔をして新聞と向かい合っている。縁側で裸足のエルニィが手を振っていた。

「おっ、赤緒ー。ボクにもお茶ー、濃いのねー」

「そう言うと思って、濃いお茶を淹れてきました。……南さん?」

 あまりにもこちらの言葉に対して反応がなかったので赤緒はその面持ちを覗き込んでしまう。

 どこか、平時の南とは思えないような険しさに新聞の一面を飾った報道を視野に入れていた。

「……“深夜の工事現場に巨大ロボットの影”……。南さん、これって……」

 そこでようやく南はこちらに気づいたらしい。

「あっ、赤緒さん。えーっと……何?」

「何って、お茶を……。何かありました?」

 窺うように尋ねると、南は慌てたように手を振る。

「な、何でもないのよ。うん、何でも……」

「これって……キョムの仕業ですか? ロボットって多分、人機のことですよね?」

「あー、うん。多分ね。そう、多分……」

 どこか煮え切らない南の言い分に赤緒は新聞を手繰って記事を見やる。

「……死傷者はなし。その代わりに工業機械が寸断されて……このやり口、キョムの《バーゴイル》とかの仕業じゃ……!」

「いやー、その、あんまし、さ。先んじて物を言うものでもないわよ、赤緒さん。あっ、お茶ありがと」

 そう言って何でもないことのようにお茶を啜る南がどこか困惑しているようにさえも見えて、赤緒は戸惑ってしまう。

「あの、アンヘルの出撃ですか? なら私、やりますっ。キョムの行いを、許せませんからっ!」

 やる気満々にそう言うと、いつもなら頼りになるだとか言う言葉が飛んでくるのに、今日の南はどこか憔悴したように口にしていた。

「……そう、ね。アンヘルが出撃しないといけないのかしら、ね……」

「南さん? キョムがこのまま、何もしないわけがありません。深夜の工事現場……あのっ! 私今日はお休みなので……聞き込みに行きましょうか?」

 こちらのやる気に対して南はどこか当惑したようにうーんと呻る。

「……まだ動くには早い気が……。それに被害だって別に出てないんだし、私たちが積極的に動いて場を掻き乱すと……ねぇ、エルニィ」

「いつになく消極的じゃん、南。普段なら、じゃあ頼むわって言って送り出すところでしょ?」

「そうですよ! それとも……私じゃ、その……頼りになりませんか?」

「いや、そんなことはないのよ、そんなことは断じて! ……ただ、ね。ちょっと思うところがあると言うか……」

「南さんらしくありませんよ! 私、小河原さんと一緒にちょっと現場まで行ってきます! 少しでも皆さんの手間を減らしたいですし!」 

 そう言って駆け出した自分の背中に、南はいつになく力のない声をかけるのであった。

「……あんまり、力まないでよ。こればっかりは、ね……」

「――と、言うわけで、小河原さん! 現場検証をしましょうっ!」

「……ってもよ、柊。ほとんど警察とかが終わらせてンだろ。何でオレらが駆り出されなきゃならねぇんだ」

「何言ってるんですか! アンヘルの義務ですよ! 義務!」

「あー、うっせぇ。どうせ敵が出りゃ、その時の出たとこ勝負なんだ。別に昼間のうちに出るとは限らねぇんだから、休める時に休めばいいじゃねぇか」

「それは……でも何だか、今回はおかしいですよ! 南さんも、小河原さんも! それに……何だか立花さんだって。私、そんなに頼りになりませんか?」

 少しだけ涙ぐむと両兵はばつが悪そうに顔を逸らす。

「……そういうこと言ってんじゃねぇけれどよ。あー、性に合わねぇが、やるとすっか! ……柊、アンヘルの名前を出しゃ警察だって情報をくれる。だが間違えんな。お前は情報をもらう。判断はオレがする。いいな?」

「は、はいっ! ……でも、小河原さん、そんなタイプでしたっけ?」

「……どういうこった?」

「だって、普段なら前情報なんてどうだっていいって言いますし、それにこの現場を訪れた時から……何か、視線を定めてませんし。変ですよ」

「なぁーにが、ヘンだよ。柊のくせに、ナマ言ってんじゃねぇ。いいから、情報!」

 背中を叩かれ、赤緒は前のめりに現場へと入っていく。

「もう、小河原さんってば。でも、このクレーンとかの切れ味……。間違いない、プレッシャー兵器のもの……」

 何度も目にした《バーゴイル》のプレッシャー兵器そのものとしか思えない切り口をじっと目にしていると、警察官が何名か歩み寄ってくる。

「ご苦労様です。アンヘルの、ですよね?」

「あ、はいっ! その、柊赤緒と言う者で……」

「先んじて話は伺っております。これ……ロボット……いいえ、あなた方風に言うのならば、人機のせいだってことも」

「あ、ご存知なんですね、って……それもそうか。ニュースで南さんが言っちゃったし……。で、でもその! キョムの人機は止めないと、ロストライフ現象が……!」

「それに関しても、こちら側も調査を行っている最中です。しかし、酷いもんですよ」

 そう言って警官が顎をしゃくった先には残さず斬り裂かれた工業機械の残骸があった。

「……こんなにするなんて……酷い」

「でもまぁ、不幸中の幸いで怪我人も死者もゼロ。膝を擦り剥いた人間だって居ないんですからまだマシなほうでしょう。ですが……ここまですること、あるんですかね……」

 警官も言葉を失っているようであった。

 彼らからしてみれば慣れない人機による暴力の発露だ。ここまでするのか、否、「ここまでできてしまうのが人機なのか」と言うのは付いて回るだろう。

「あのっ! でも人機ってその……怖いばっかりじゃなくって……。何て言えばいいんだか分からないですけれどでも、いい人機も居るんですっ」

「ああ、それはアンヘルの方々の操る人機の活躍を見れば一目瞭然ですが……。しかし、東京も物騒になって来たものです。これからは夜半の警備も強化しなければいけませんね」

 赤緒は警官一人一人にお疲れ様です、と頭を下げながら工事現場を見回る。河川へと繋がっており黒々とした排水が東京湾へと続く河に間断なく注がれていた。

「……普通の人たちの暮らしを脅かすなんて……許せない」

 拳を握り締めた赤緒は取って返そうとして、両兵が屈んで猫を撫でているのを発見する。

「……もうっ、小河原さん? 何をやってるんですか?」

「猫。こいつら、人懐っこいみてぇだな」

 あまりの仕事への熱意のなさに呆れてしまう。赤緒は懇々と注意していた。

「そんなことしている場合じゃないでしょう? ……でも、こんなにやるなんて、相当に……」

「ああ、怨恨の線かもな」

「でも何で……? 工事現場を襲ったって、得るものなんて……」

「それは、当事者にしか分からねぇのかもな。……いや、当時者も分かってねぇか」

「……どういう……」

「別に、何でもねぇって話だ。ただ……情報は集まったのかよ」

 猫の顎の下を撫でている両兵に赤緒は得た情報を簡潔に告げる。

「えっと……目撃証言だと、相手の人機は細身だったみたいです。でも、人間から見た人機の種別なんて多分、当てになりませんから……」

「まぁ、人間のスケールじゃ、デカいか小さいかくらいだろ。それに一般人の見立てじゃ、な。オレらの人機だって場所と時間が違えばキョムの操る人機と大して変わりゃしねぇよ」

「ち、違いますよ! 私たちは、キョムとは違います!」

 いきり立って反発すると、両兵はこちらの顔を仰いでじっと黙りこくる。

「な、何ですか?」

「……いんや。ただな、これだけは覚えとけ。力ってもんは操る人間次第で善にも悪にもならぁ。それに関しちゃ、人機ってのは簡単にそういうのが裏っ返しになっちまう。いちいち乗ってる奴の都合なんざ、誰も知るよしはねぇんだからな」

「そ、それはキョムにも都合があるって意味ですか……?」

「さぁな。どっちにしたって……今回の人機、追うには値しねぇだろ。ケガ人が一人も出てねぇんだ。工事現場で張ったって何にも出やしねぇさ」

 それは何だかいつもの両兵らしくなく、赤緒は言い返してしまう。

「そ、そんな……! ケガ人が出なかったのは偶然で、誰かが死んでいたかもしれないんですよ?」

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