エルニィが華麗にボールをパスする。赤緒は咄嗟に洗濯物を抱えたまま、飛び込むようにヘディングシュートをかましてしまい――そのボールの軌道は境内に飾られていたご神体へとぶつかっていた。
ぺきっ、と嫌な音が響き渡る。
赤緒は血の気が引いてエルニィと顔を合わせていた。
「……えっと……だ、大丈夫。こんなことで簡単に壊れるわけが……」
そっとご神体に触れると、ぽろり、と上部が砕けていた。
エルニィが即座に回れ右をする。
「ボク、しーらないっ、っと!」
「あっ、駄目ですよぉ! 立花さん! ……私だけの仕業になっちゃう……」
「実際、そうじゃん。赤緒が鈍くさいからでしょー?」
「うぅ……酷い。でも……何とかしないと。これ、ご神体ですよ。どこのかは分からないけれど、もしかしたらすごいご利益のある奴かも……」
「……お高い奴?」
さすがにエルニィもまずいと感じたのか、ごくりと唾を飲み下す。
「……ご神体に高いとか安いとかあるのか私も分かりませんけれど……もしすっごく貴重なものなら、何千万……いや、何億かも……」
「で、でもさぁ! 赤緒のへなちょこヘディングのせいじゃん!」
「へ、へなちょことは何ですかぁ! ……でも……どうしよ……」
「簡単簡単! ちょっと待ってて!」
「あっ、逃げないでくださいよ! 立花さん!」
「逃げないって!」と言いつつ、エルニィは神社の屋内に入って何かを探って来たらしく、すぐ戻ってきてその手に携えたのは――。
「……接着剤、ですか?」
「うん、これ、強力な奴。多分、一度引っ付いたら取れない」
そう言えばエルニィは何かにつけて色んな物を発明している。その中には超強力な接着剤くらいはあってもおかしくはない。
「そんなに強くなくっても……」
「いや、でもこれ……何億とかさすがにボクでも払えないし……。これをつけて……ぺたっとつけてやれば……ホラ! 解決!」
エルニィの言う通り、砕けた部分は完全に修復されたかのように見える。赤緒はホッと安堵の息をついてエルニィと視線を合わせていた。
「その……よくないんですけれど、これは……」
「うん、秘密で。いやー、ヤバいことになりかけたぁ……。にしても、そんな何億とかする奴、普通軒先に置くー? もうちょっと厳重にしておかないと」
「でも……動かしたら動かしたで、バレちゃいますよ……」
「じゃあ知らない振りでもしておく?」
自分の性格上、それは難しかったが赤緒もさすがに時価の代物を弁償できる気はしない。
呻ってから、結論を下していた。
「……分かりました。これは私と立花さんの、これで……」
唇の前で指を立てるとエルニィもそれを真似して笑う。
「危ない危ない……。でも、よかったねー、赤緒。ボクが居ないと弁償だったよ?」
「うっ……それに関しちゃ言い訳できませんけれどぉ……」
赤緒とエルニィは言いつつ離れていく。
境内で次にご神体に目を留めたのはさつきであった。
「あっ……何だろ、これ。柊神社の大事なもの、かな……?」
「どうした、さつき。……何だこれは。木彫りの彫刻か?」
「ご神体ですよ、多分……。赤緒さんに聞かないと正確なことは分かりませんけれど……」
「日本人は何でも信じたがるな。私には理解できん。いわしの頭でも信心からとか言うのは、さすがにどうなんだ?」
「そっ、それは日本人独特の物ですから。私もよく分かんないと言えばそうなんですけれど……」
「何だっていいが、お前から射撃を教わりたいとは、殊勝な心がけだな」
さつきはメルJから拳銃を手渡され、うぅむ、と呻る。
「……アルファーをうまく扱える自信がないんなら、じゃあ武器を作らないとって立花さんにも言われちゃいましたし。それに《ナナツーライト》の主兵装はハンドガンですから。それなりに射的はうまくならないといけないんです」
「いい心持ちだ。よし、なら早速的を用意する。いつも私が使っているものだ。初心者だからな。五メートルで命中すれば御の字だろう」
さつきは拳銃を構える。
じわりと滲んだ手汗を感じつつ、安全装置をメルJの言う通りに外してから、引き金を引く段になって、思ったより引き金が固くって苦戦していた。
「うぅ……ん、うまく引き金が引けない……」
「……何をやってるんだ。真っ直ぐに構えないと弾丸がどこへ行くか分からんぞ」
「そんなこと言われても……ひゃっ……!」
不意に引き金から銃弾が飛び出し、的には命中せずに神社の瓦へと反射し、その銃弾が何かを射止める。
「……おい、さつき。それは……」
「ふぇっ……? ああっ! そんな……!」
銃弾はものの見事にご神体らしきものに命中しており、弾痕もハッキリついている。衝撃か、あるいは何かの弾みでか、大きな欠片が落ちていた。
「どうしよう……」
「……どうにかするしかあるまい。さつき、ガムテープを持って来い」
「が、ガムテープですか?」
「……私たちの知識ではこれをどうこうできるとは思えん。せめての応急処置だ」
「で、でもでも……っ、バレちゃうんじゃ……」
「裏から貼って分からないようにすればバレないだろう。幸いにして弾痕は見えづらいから、この大きな塊をくっ付けておけばそれっぽく修復はできそうだ」
「あのー……素直に謝ったほうが……」
「だが……もしバレれば……ここに居させてもらえんかもしれん」
「あっ、やっぱり怒るのって赤緒さんですかね……? それとも五郎さん……?」
「いずれにせよ、私たちがやったと露見すれば後々面倒になる。ここはひとまずそれっぽく直しておく」
ガムテープを輪っかにして両面で貼れるようにしてから大きな塊をくっ付ける。
弾痕はちょうど欠片の内側に入るようにねじ込まれているので、ひとまずは綺麗に映るはずだ。
「……バレたらどうしよう……」
「せいぜい、連中の前ではバレないように冷静を装っていくしかあるまい。……ここに置いてあるということはそう長く置いておく気もないはずだ」
「……あのー、やっぱり素直に言ったほうがいいんじゃ?」
「駄目だ。さつき、お前は真面目だからいいかもしれんが、私の立場がない。お前に射撃を教えてこうなったと言えば、もう柊神社で射撃訓練をさせてもらえなくなってしまう」
「……そもそも、境内で射撃訓練はあまりいい顔をされていないかもですけれど……」
だが、自分が言い出した手前、メルJばかりを責められない。
さつきもある程度は飲み込み、ご神体を元通りにしてからメルJと共に離れていった。
ふんふんふーん、と今度は鼻歌混じりにルイが猫の集団を引き連れて境内へとやってくる。
びしっ、とルイが猫じゃらしを振ると猫の隊列は軍隊のように一直線に並んだ。
今度は猫じゃらしを横に薙ぎ払う。
その一動作で、猫たちが統率され、一斉に指示された方向へと顔を向けていた。
「……よし、休め」
ルイの号令で猫たちはめいめいにごろごろにゃーんと喉を鳴らしながらその場でじゃれ回る。
ルイが猫の腹を撫でていると、不意に子猫が駆け出し、そのままご神体へと猪突していた。
ぽろり、とご神体の上部が欠ける。
ルイはガーン、と衝撃を受けたが、それでもそうそう慌てない。
猫たちへと待てを指示しつつ、そっと欠片を掴んでいた。
「……誰も見てない……わね」
きょろきょろと周囲を見渡して誰の眼もないのを確認してから、ルイはうーんと思案して手を打っていた。
握っていた猫の餌袋からいくつかの粒を取り出して潰し、それを糊代わりにしてぐいぐいと貼り付ける。
猫たちが匂いに釣られてみゃーみゃー鳴くのをルイはしっ、と制してから、接着したのを確認して、よし、と頷く。
「……いい? あんたたちは何も見てなかった。いいわね?」
猫たちに確認し、返答の鳴き声が返って来たことに満足して、ルイは再び猫じゃらし片手に猫を率いて離れていく。
次いで現れたのは南である。
両兵へと肩を借りつつ、南は酒瓶を掲げていた。
「……ったく、呑み過ぎなんだよ、てめぇは。普段はアンヘルのリーダー気取ってるくせによ」
「何よぅ、いいじゃないの。たまには呑んだってへぇ……っ」
すっかり出来上がっている南をどうするべきか、と両兵は思案している間にも、呑んだくれの南は酒瓶を手にシュッシュッとシャドーボクシングに入る。
「……何やってんだ、てめぇ」
「両! あんた、私が操主としてももう終わりだって思ってるでしょ? 何ならこれからスパーリングでもする? 久しぶりに」
「……遠慮するぜ。てめぇのスパーリングとか言う名の暴力は伊達じゃねぇからな。カナイマに居た頃もどんだけ酷ぇ目に遭ったか」
「何よ、弱気ねぇ」
「弱気じゃねぇよ。馬鹿やんのも大概にしねぇと、柊たちも呆れンぞ? ま、昼間っから飲んでる時点でマトモじゃねぇがな」
「あんたもじゃない! 他人のせいにしない!」
「……オレは晩飯の分は腹ぁ空けてるっての。てめぇはたまに晩飯も抜きで寝てんだろ。あれ、柊たちもどうかと思ってンぜ? 何でこんな人がリーダーなんだろうってな」
「イケズぅ……。いやー、それにしたって今日はいい気分! 何かいいことでも起こるんだろうなぁ」
「……てめぇがそう言う時はロクなことが起こったことがねぇが」
南は酒瓶をぶんぶんと振り回すうち、足元が危うくなってしまう。あっ、とバランスを崩した次の瞬間によろけそうになって、ギリギリのところで両兵がその身体を掴み込んでいた。
「何やってんだ、酔っ払い。よろよろしてっと怪我すっぞ……って、何だこれ?」
両兵は木材の欠片を拾い上げる。それはちょうど南がよろけた足元に置かれていたご神体の一部であった。
南はその事実に即座に酔いが醒めたのか、顔を青くさせる。
「……両。あんたそれ……」
「ん? 何だ、これ。割れちまったみたいだな」
「何、冷静に言ってんのよ! ……えっと、日本の神社に置かれてるこういうのって高いんじゃかったっけ?」
「いくらぐらいだよ。普段かかっている金に比べりゃそうでもねぇんじゃねぇの?」
「いや……でもこないだテレビで観たわよ……。確かこういうのって時価数億円とかするって……」
その言葉にさすがの両兵もただごとではないと欠片を引っ付け直そうとするが、やはりと言うべきか、簡単に転げ落ちてしまう。
「おい、どうすんだよ……黄坂。数億なんてオレは払わんぞ」
「わっ、私だって払えないわよ、そんなの……! でも、どうにかしないと……」
「他の連中は……不幸中の幸いか、留守みてぇだな。柊なんかに見つかった日にはヤベェんじゃねぇか? これって……」
「請求されても、私は払わないわよ」
「……てめぇが酔っぱらって千鳥足になったせいだろうが。まぁともかく、だ。何とか見る分には大丈夫なようにしねぇとマズイ」
「……どうすんのよ」
「人機用の接着剤あったろ? 格納庫に残ってるだろうからそれ使って何とかやり過ごす」
木材なので接着の確実性は薄いかもしれないが、今ここで露見するよりかはマシなはずだ。
「ちょっと待って……。えーっと、確か格納庫に……」
南が探しに出ているその間、両兵は転げ落ちた部位を何とか付け直せないかと苦心したが、やはり根元からぽっきりらしい。
少しして南が持ってきた接着剤で貼り合わせてやると、何とか見られるレベルにはなってくれた。
「……危ねぇな、オイ。ったく、酔っ払いの世話なんてするもんじゃねぇよ」
「な、何よぅ! 両! あんただって加担したんだから、同罪だかんね!」
「……よく言えるもんだぜ。ま、ともかくこれでバレんだろ。嫌な汗掻いちまったじゃねぇか、チクショウ」
「ともかくこれで……バレなければ、大丈夫……よね?」
「……言っておくが、応急処置だからな? もしバレたら責任くらいは取れよ?」
「なっ……! そっちだってそうじゃないの!」
「あー、うっせぇうっせぇ。ここで騒いでたらバレちまうだろうが。今は素直に離れるのが吉だろ」