JINKI 118 なだらかな平穏を

 断崖絶壁に佇んで、薄靄の中で声を浴びる。

「両兵。どうだ? 人機越しじゃない、本物の空気は」

「……だるいもんだ。人機なら一っ跳びの距離を、こうして歩くっつーのはな」

「だがこうでもしないと、ラ・グラン・サバナの霊峰を踏んでみたいとは思わんだろう?」

 雲間が途切れ、前を行く現太が振り返る。両兵はどこか不承気に応じていた。

「へいへい。……なんつーのかね。オヤジも物好きな。日本に行く前に、山登りがしてぇなんてな」

「……少しだけ思い出してしまってね。日本は山が多いんだ。こういう、岩まみれの山じゃないが、草木の生い茂った山々を見るとね。心洗われる」

「そうかよ。……酸素濃度、気ぃつけたほうがいいぜ。ここはもう、奴らの領域だ」

 手持ちの酸素吸入器で呼吸を維持しつつ、両兵は顎をしゃくっていた。

 低く重々しい声が残響する。

 標高何百メートルか、それとも何千メートルかは分からない。だが、分からないが、彼らの領域には違いない。

 緑色の装甲を雲間から注ぐ陽光に照り輝かせて、躯体が濃霧を漂う。

「……古代人機だ」

「妙なもんだ。普段ならかち合えば殺し合うレベルだってのに、こうして生身で見るっつーのも。あいつら、オレらのこと、分かってンのか?」

「いや、彼らからしてみれば、その大いなる営みを前にして、我々の存在など小さなものだろう。古代の血塊を動力として動く、命そのものとしか言いようのない物たちにとっては」

「人間なんて、敵じゃねぇ、か」

 今もまた、重低音の声が耳朶を打つ。

 まるで鯨の鳴き声のようであった。

「かもしれないし、そうでもないのかもしれない。我々は彼らの営みに意味を見出せるのか、それともまるで別種の存在として、お互いに憎み合うしかできないのか」

「何だ、詩的じゃねぇの。オヤジにしちゃ」

「……そうかもしれない。モリビトが壊れて、その間に日本への来訪も認められたから、こうしてお前とも山登りに出かけている。少しセンチメンタルにでもなったかもしれないな」

「ボケんのには早ぇぞ? それとも、日本に行くのがそんなに不安かよ。どうせ、警報が鳴ってもモリビトの肘から先がぶっ壊れてるんじゃライフルだってぶっ放せねぇし、何にもできねぇさ。操主って言ってもな」

 半ば諦め気味の自分に、それでも現太は雲の間をうねる古代人機へと視線を投げ続けていた。

 黎明の光が岩石地帯に乱反射して切り込んでくる。

「朝が来たな」

「くっそ寒ぃし、とっとと山頂に行こうぜ。どうせ道楽の山登りだろ? 日本行きの飛行機に間に合わなくなっちまうぞ」

「ああ、そうだな……。山頂に行って、それで下山するとしようか」

 どこかその声音に宿った寂しさに両兵は問いかける。

「……これって意味あったのか? 山に登って……しかも足場も悪ぃ……こんなの、してる場合じゃねぇとは思うが」

「いや、両兵。こうして山に登って、そして何かを思うこと、それに無駄だとか感じないで欲しい。いつか、誰かとまた山に登る時が来るかもしれない。その時に、お前が何を感じるのか。私はそれを……ささやかながら教えたかったのかもしれないな」

「ンだよ、それ。山登りなんてしてる時間なんてあンのかよ。オレらはそうでなくっても、古代人機討伐に忙しいだろうに」

「……そうだな。今は、それでいいのかもしれない。しかし、登山はいい。心を清らかにしてくれる」

「足場も悪けりゃ、一寸先も霞んで見えねぇ、こんな山はもう御免だぜ、オヤジ。もっと安全な山にしてくれよ、今度は」

「……そうだな。今度はもっと、普通の山に……」

 そこから先をどうして濁されたのか、今でもまだ、答えは出ない――。

 ぜぇぜぇと息を切らすものだから、さつきがこちらを窺って顔を覗き込んでいた。

「あのー、赤緒さん? 大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫……。登山って初めてだから……」

「なぁーにやってんのさ、赤緒ー。置いてくよー」

 先頭を行くエルニィと南に赤緒は恨めしげに目を向けていた。

「……何でそんなに元気なんですかぁ……」

「何でって、せっかくの行楽日和だからどっかに出かけてもいいって南も言ってくれたんじゃん。じゃあ、そこの山にでも行かない? って、承諾したでしょー?」

「……そりゃ言いましたけれどぉ……登山って思ったよりも大変なんだなぁ……」

「赤緒さん、自分のペースでいいわよ。登山って私も久しぶりー! ヘブンズでよく雪中登山したっけ? ルイ」

「……あの時は困ったわ。だって南、雪原装備を忘れたって言うんだもの」

「そんなこともあったわねぇ」

「……そのせいで、ナナツーの血塊炉をヒーター代わりにして一晩点けっぱなしで……よく死ななかったわね」

「ああ、そんなこともあったわねぇ、懐かしいわ。あんたと食べ物がないって言うんで残り少ない乾パンを分け合ったり」

「違うでしょ。乾パンをお互いに争って奪い合ったじゃない。そのお陰で身体があったまって、結果として何とか助かったんだけれど」

「ああ、そうだっけ? いやぁ、それ以来かも、登山!」

 何だか物騒な会話が聞こえてきたような気がするが、赤緒は嘆息をついて登山靴の紐を結び直していた。

「……そんなに高くないって聞いていたのになぁ……」

「私も、登山って初めてなので、ちょっと緊張してます……。人機ならすぐなんですけれどね、これくらいの山なら……」

「うん……でもせっかくのいい天気だし、山登りをしようって言い出したのは立花さんだけれど、私も承諾しちゃったから……」

 当のエルニィはどんどんと先を行く。赤緒は背負ったリュックから水筒を取り出し、こくこくと喉を潤していた。

「山で会ったらこんにちわー!」

 エルニィは明るく登山客と挨拶を交わす。自分もどこか気後れ気味に挨拶をしてから、想定よりも大変な登山に辟易していた。

「こんにちはー……。あれ? ヴァネットさんは……?」

 見渡すとどうしてなのだか、メルJは登山道を僅かに外れて遠巻きにこちらを眺めている。

「メルJー、いくらそんなに大変じゃない登山道とは言え、道は守らないと! はぐれちゃうよー」

 エルニィの忠言にメルJは難しそうな顔をする。

「……無警戒で登山道を行けば、罠にかかりかねない」

「そんなわけないってばー。もうっ! どっかでそういうところが抜けないんだなぁ、ホント」

 エルニィは持ち前の体力でずんずんと登っていくが、赤緒はもう限界でその場にへたり込んでいた。

「ちょ……ちょっと休憩……。結構登って来ましたよね……?」

「赤緒ー、またぁ? 体力ないなぁ、もう」

「そんなこと言ったってぇ……。普段使わない体力使うんですから……」

「当たり前じゃん。登山だよ、登山。赤緒も山への敬意が足りないなぁ。そんなだからさっきから休憩ばっかり」

「まぁまぁ。ここいらで持ってきたサンドイッチでも食べましょうか」

 南が提げてきた箱から取り出したサンドイッチをエルニィは真っ先にありつく。

「ボク、これねー! もーらいっ!」

「赤緒さん。ここにシートを敷きましょう。両ー! あんた、持ってきた荷物出しなさいよー!」

「あン? ったく、しょうがねぇなぁ」

 最後尾についていた両兵は尻餅をついたこっちを一瞥するなり、頬を掻く。

「……体力ねぇな、てめぇも」

「そ、そんなこと言ったって……登山なんて初めてなんですから」

「陸で体力ねぇと、他ンところで困るのは自分だが……まぁ、その辺りは追々だな」

「両! レジャーシートあるでしょ? それ出しなさい」

「……黄坂。オレに全部必要な荷物持たせておいて随分と身勝手な物言いじゃねぇの」

「しょーがないじゃない。あんたしか男手が居ないんだもの」

「……ったく、雑用全部押しつけやがって……。ホラよ。とっとと広げて休みやがれ。やだね、これだからマジに。体力ねぇ連中と登山って言うのはよ」

「両兵ー、ボクは体力あるもんねー!」

 得意そうに言うエルニィを両兵は軽くあしらう。

「あー、そうだったな、お前はそうだ。おい、ヴァネット。とっととこっち来い。休憩だ、休憩」

「……むっ。しかし登山道のど真ん中で休んでいたら、敵の包囲に……」

「小難しいこと考えてンな、てめぇも。いいから。日本の都内にある山にそんな奴らが居るかよ」

 両兵が説得するとようやく承諾したらしいメルJは登山道に入っていた。

「いやぁー、ピクニック日和ねぇ」

「ババくせぇな、黄坂。そんなんだから、軽い荷物しか持てねぇんだろ」

「何よぅ! か弱い乙女に荷物持ちになれって言うの?」

「……か弱い、ねぇ。聞いて呆れるぜ」

 そのまま殴り合いに発展しかねない両兵と南をわき目に、赤緒はシートの上でサンドイッチを齧っていた。

「あ、美味しい……」

「よかったです、赤緒さん。お口に合ったみたいで」

「さつき、こういうのも作れちゃうんだ。何でもできちゃうんだね」

 エルニィは早速二個目を頬張っている。中身はカツサンドであった。

「はい、ピクニックのお料理も一応、勉強していたんで。……あのー、ヴァネットさん? お口に合いませんでしたか?」

 じーっとサンドイッチを睨んでいるメルJにさつきが尋ねる。

「いや……登山と言えばレーションだったな、と思い出していてな。標高の高い山に登る時には携行食は欠かせん代物だ。それを……こうも軟弱な食べ物に頼るはめになるとは思いも寄らなくって……」

「メルJには軟弱な食べ物に見えちゃうんだ? じゃあそれ、ボクのねー」

 メルJの手からサンドイッチを掻っ攫おうとしたエルニィに、咄嗟に彼女は防御する。

「た、食べないとは言ってないだろう……」

「でもさー、軟弱だと思ってるんでしょ?」

 メルJはさつきへと目線を配る。さつきが困ったように笑う中で、メルJはサンドイッチを頬張っていた。

 直後に、頬が緩む。

「……美味だな」

「あっ、よかったぁ……おいしいですか?」

「ああ、おいし――」

 そこまで言いかけてエルニィがにやけていることに気づいたのか、メルJは咳払いする。

「……いや、エネルギーを携行する食事としては上々だと言っておこう」

「素直じゃないわねー、あんたも」

「痛ぇ! ヘッドロックを抜け! 黄坂! 首絞まっちまう!」

 両兵にヘッドロックをかましていた南がそれを解除し、サンドイッチを手にする。両兵はぜぇぜぇと肩で息をしていたので、赤緒はサンドイッチを差し出していた。

「あの、どうぞ、小河原さんも、お腹空いてるんじゃないですか?」

「あ? ああ、まぁな。じゃあもらっとく。……にしても、こんな山で、ね」

「南米の山々はもっと険しかったからねー。下手すりゃ命もなかったし」

 笑い話にする南だが、両兵の眼差しはどこか遠くを望んで鋭いままである。どうにかしたのだろうか、と赤緒は問いかけていた。

「あの……サンドイッチ、お嫌いでしたか?」

「あ、いや、そういうわけじゃねぇ……。ただな、山に登るのってのは……どうにも……」

 言葉を濁す両兵に首を傾げているうちに、エルニィが立ち上がる。

「いやぁ、食った食った! じゃあ山登り続行ねー!」

「あんた……食ったばっかでよく動けるわねぇ」

 と言いつつも南もエルニィと同じペースで同行する。赤緒は慌ててサンドイッチを食べようとしたせいで喉に詰まらせてしまった。

 胸元を叩いているとさつきがすかさずお茶を差し出す。

 慌てて喉に流し込んで息をついていた。

「あ、危なかったぁ……ごめんね、さつきちゃん……」

「いいですよ、赤緒さん。それにしても……意外と長い道のりですね、登山って」

「うん……。人機ならすぐなのにね」

 普段は人機で大空から海の底まで戦っている身では、登山に関して言えば素人もいいところである。

 そもそも生身でどこかへ出かけること自体が少なく、平時の学校以外ではこうして全員で出発することも少なくなっていたところだ。

「……なんか、いいですね。出撃じゃなくって、出発って言うのも」

 ふと呟いた赤緒はどこで拾ったのか、枯れ枝を手にしてぶんぶん振るって進軍するルイの背中を視野に入れていた。

「……そうだな。ここんとこ、出撃はかかったが……出発ってのはあんまり縁のなかった話だ」

 先ほどの合流は何だったのか、メルJはまたしても登山道を無視して警戒に入っている。

 さつきはこちらをちらちらと気にしつつ、ルイの背中を追いかけていた。

「ルイさん! それは食べちゃ駄目ですよ!」

「あら? 分かってないのね、さつき。雪中登山では何が栄養源になるか分からないのよ? もしもの時に飢え死にしないために、あるものは口に入れておかないと」

「でも……それってお地蔵さんの御供え物じゃないですか。食べたら罰が当たりますよ」

「馬鹿ね、何の罠も仕掛けられていないのなら食べていいってことなのよ? 知らないの?」

「そ、それはぁ……南米の話で……。日本じゃ駄目なんですよ。ですよね? 赤緒さん?」

 急に話を振られて赤緒は戸惑う。

「あっ、……えっと……うん、そう。そこいらのものを食べたら駄目ですよ、ルイさん」

 こっちが言ったのが効いたのか、ルイは地蔵に備えられていたまんじゅうを置いていく。

「どうした? 柊。そんなに疲れたか?」

「いえっ、その……。何だかちょっと……ありがたいなぁ、って思っちゃって……」

「ありがたい? 何がだよ」

「それは……こうして登山ができることじゃないですか。だって……キョムとの戦いでは、街中に穴が開くこともあるんですから。山が残っているだけ、ありがたいですよ」

 キョムの人機は日々、強くなっている。こうして山登りができるのももしかすると限られた時間かもしれないのだ。そう思うと自然と声のトーンが低くなってしまう。

 それに対して、両兵は何でもないように言ってのけていた。

「そうか? ……まぁ、てめぇらが何だかんだで平和にのらりくらりってのも、分からん話でもなくなったがな。日本の平和ボケってのは最初のほうこそ肌に合わんと思っていたが、こうして見ると、確かにって思うぜ。日本って……平和なんだな」

 そうぼやいた言葉以上のものを赤緒は感じていた。

 ――両兵は南米での戦いの連鎖を経験しているはずで、それで言っているのだ。軽いはずがない。

 そう、平和はきっと……得難くって重い。

「……でも私、この平和なの、嫌いじゃないんです。三年間しか記憶がなくってもそれでも……こうしてポカポカした陽気に皆さんと出かけられて……それも出撃じゃなくって出発なのがその……何だか……」

「……どうした? 笑うところかよ」

「えっ……笑ってました? 私……」

「おう、しまりのねぇ顔で笑ってたぞ? いつも以上にしまりのねぇ顔で」

「い、いつも以上とはなんですかぁ……。でも、そっか……。自然に笑えちゃうんだ。山登りしているだけなのに……」

 それはきっと、エルニィの自由さや、南の朗らかさ。ルイの奔放さにさつきのちょっとした気配り。メルJの場違いながらどこか滑稽にも映るその姿がきっと――何だか消えて欲しくないと思ったからに違いない。

「……私ってわがままですかね」

「何だ、藪から棒に」

「だって……操主なのに、こういう何でもないのが、一番いいって思っちゃってるんですから。多分、わがままなんですよ」

「……そうでもねぇだろ。……ああ、そうか。こういうことか」

 何やら得心した両兵に赤緒は疑問を挟む。

「こういうことって……?」

「前に、な。日本に来る前に一回だけ、南米の山に生身でオヤジと一緒に登ったこと、あンだよ。その時に……まぁ、こんななだらかで平坦な山道じゃなかったが、その道中でな。日本の山はいいって、オヤジが言ったんだ。いつか分かるってのもな。それってこういうことだったのかもしれねぇって、今、ちょっとだけ思ったンだよ」

「小河原さんの、お父さん、ですか? ……操主だったんですよね?」

「ああ。操主だった。オレなんかよりもよっぽど強ぇ、一流のな。そういうのっていつ、どういうタイミングで追い越して、追いつけるのか、今だって全然分かんねぇけれどよ。こうして、多分、何でもねぇ平和ってのを受け取らないと、得られねぇもんなのかもしれねぇな。……柊、なんかスマン」

 不意に謝られたものだから赤緒はまごついてしまう。

「えっ……どういう……」

「最初に会った時、首絞めちまった。それ、謝る。謝る気分になれた」

「……何ですか、それ。何で今謝るんです、そんな前のこと……」

「いや、あン時は本当に、前も後ろも見えてなかったと思ってな。分かんねぇもんだ。こういう何でもねぇ時間が、そういう気分にさせてくれるってのは」

 確かに何でもない時間だ。

 皆で登山して、それでただ歩いているだけの、平穏な時。何でもない、それでも得難いであろう、穏やかさ。

「……前も後ろも見えるのって、案外こういう時間なんですかね。……立花さんの提案に乗って登山して、よかったかもしれません」

「……まぁ、あいつも気紛れだ。ここまで計算してるとは思えんが、たまにぁ感謝だな」

 気のせいだろうか。少しだけ両兵の面持ちが晴れやかになった気がするのは。

 憑き物が落ちるのは何も特別な時ではなく、こうした、山道にも似た平坦な時間なのかもしれない。

 そういう時間の積み重ねが、きっと思い出に――。

 そう思っていた矢先であった。

「見て見て! 山頂だよ、山頂!」

 エルニィが飛び跳ねてはしゃぐのを、南が制する。

「こぉーら、騒がないの。あー、でも本当にいい眺め! あんたたちも来なさいよ。いい風が吹いているわ」

 木々の影を抜け、山頂へと到達した瞬間、赤緒は吹き抜ける爽やかな風を感じていた。

 東京を一望できる山の頂で、赤緒は自身の栗色の長髪を撫でる柔らかい風圧に、そっと瞼を閉じていた。

「……本当に、いい風が吹いてる」

 登山など、ほとんど初めてであったが、それでも今日のこの日をよかったと思える――そういう光景であった。

「じゃーん! 三角点発見! ボク、一番!」

 三角点を踏んづけたエルニィに、南が続く。

「じゃあ、私は二番!」

「……南ってば、子供ね」

「何よぅ。あ、あんたには踏ませてやんなーい」

「……そう言われると無理やりでも踏みたくなってくるわ」

 南がおどけるとルイが三角点を踏んづけている足をどけようと様々な手を打って来る。

「ちょっ……駄目だって、ルイ! くすぐったいー」

「……三角点を譲りなさい、南」

「……なぁーに、やってんだ、あいつら」

 呆れ気味の両兵の声に、赤緒はくすっと笑えていた。

「……山登り、してよかったかもしれません」

「……だな。それはマジな話だ」

「……それに、いい時間でもありましたから」

 ――と、下山しようと、踵を返したところで、赤緒はつんのめってしまう。

「痛ったた……靴紐が切れちゃった……」

「何やってんだ、柊。しょーがねぇな。ほれ」

 リュックを前に回して両兵は背中を向ける。赤緒は戸惑った末に、その背へと乗っかっていた。

「よっと……。ったく、下山まで気ぃ抜くなよ。山登りは家帰るまでだからな」

「……はい、すいません……」

「……どうした? 歯切れ悪ぃぞ?」

「いえ、その……何だか……」

 そこから先をごにょごにょと言ったせいで、両兵は聞き取れなかったらしいが、それでも、と赤緒は背中越しの体温を感じる。

 ――きっと今日があってよかった。それだけは確かなはずだ。

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