JINKI 122 思い出はポケットサイズで

 調子を取り戻すように青葉は声に張りを滲ませていた。

「あ、あの……! 私、まだ何かお手伝いできるのならお手伝いしますので! モリビトの洗浄とかもやります! だからその……要らないとか言わないでください……」

 やや尻すぼみになった声に川本を含めた整備班が声を振りかけていた。

「……大丈夫だから。みんな青葉さんにここに居て欲しいんだ。それに、さっきから青葉さんの力にみんな驚いているよ。操主として戦えるだけじゃなくって僕らも助けてくれるなんて、これ以上ないとも」

「そうそう! 青葉さんは自信を持っていいよ。……それに比べて両兵は……」

 文句を漏らした古屋谷に川本は諌める。

「……両兵だって疲れてるんだ。大掃除までは強制できないし、さぁ! とっとと終わらせてしまおう。今日中に終わらないと親方から叱責が飛ぶよ」

 川本がぱんぱんと手を叩いて先ほどまでの陰鬱な空気を吹き飛ばす。

 青葉は何をすればいいのか、と川本に目線で問うていた。

「あの……私……」

「モリビトの整備は僕らの仕事だから。青葉さんはもう充分に働いてくれたよ。だから後は任せて欲しい」

「……その! やっぱりご迷惑……」

「そんなことないよ。青葉さんが居てくれるから、みんなこれだけ明るいんだし。大掃除って何だかんだで忙しいばっかりなんだ、例年は。それぞれの持ち場とか、それに古代人機の侵攻にも気をつけながら、合間にやる慌ただしい時間なんだけれど、青葉さんのお陰で何とかなってる。古代人機が来ても、モリビトに乗って青葉さんが戦ってくれるってね! だから僕らは安心して、いつもより穏やかな気持ちで大掃除ができる。それもまた、ありがたいんだ」

 川本の言葉の節々にはこれまでの苦労が滲んでいた。

 古代人機がいつ攻めてくるか分からない前線だ。気を抜く暇なんてなかったのだろう。

 その戦いの真っただ中で、自分の存在が少しでも安心材料になれたのならば、これ以上の救いはない。

「……よかった。その……私、まだよく分かんなくって……」

「青葉さん?」

「……ずっとおばあちゃんと一緒だったし、他に話してくれるクラスメイトもいなかったから。だから皆さんとの心の距離がその……間違ってるんじゃないかってたまに思っちゃったりもして。何だか馬鹿みたいですよね、私……。静花さんにびくびくして……それで皆さんのお邪魔までして……」

「青葉さん、そんなことは――」

「あの! 一旦戻ってきます! 自分の部屋の掃除もしないと……その、いけないでしょうし」

 少しだけ声を張って川本の優しさを遠ざける。そうでもしないと、このまま甘えてしまいそうであったからだ。

 川本も悟ったのか、深くは追及してこなかった。

「……そう、だね。行ってらっしゃい」

「はい!」

 声だけは元気を装いつつも、今にも崩れ落ちそうであった。

 ――結局自分は、まだ踏み出せていないのだ。

 操主として戦えはしても、誰かとの距離はまだまだ分からない。

 両兵のように無遠慮な相手なら少しはマシなのだが、それでもたまに我に帰ってしまう。

 これでいいのか、こんなのでいいのか、こんな様で――許されるのか。

「……本当ならおばあちゃんの部屋も、大掃除しなくっちゃ、いけなかったんだよね……」

 だが、そんなものに耐えられただろうか。

 誰も居ない、ただだだっ広いばかりの家で、たった一人で大掃除なんて。

 いや、きっと耐えられなかったに違いない。

 どこかで折れてしまっていただろう。

 ある意味では、この境遇に安心さえもしているのだ。

「……私って、ずるいな……」

 都合のいい時だけモリビトの操主で、都合の悪い時はまだ13歳なんて。

 言い訳がましいにもほどがある。

「……やっぱり、戻ろう。モリビトの操主として、できることがあるはずだもん」

 そう言って身を翻しかけたところで、鉢合わせしたのは両兵であった。

「……両兵? 部屋の掃除してるんじゃ……」

「ああ。ま、ちょっとばかしナーバスになっていたところだよ。これから掃除はする」

「……両兵が?」

 疑わしい目線を向けると両兵は唇をへの字に曲げる。

「……ンだよ。その、こいつに掃除なんてできるのか、ってツラは」

「……だって本当のことだもん」

「あー、クソッ。まぁいい。青葉、お前どうせ自分の部屋の掃除ったって、ほとんど何もねぇんだろ? オレの部屋の掃除、手伝ってくれよ」

「両兵の? ……何で私が」

「下操主だろうが」

「……それって今関係ある?」

「うっせぇな。どうせヒンシたちから邪魔だって追い出されて来たんだろ? とぼとぼ歩きやがって。危なっかしいったらねぇ」

「お、追い出されてないもん!」

「じゃあ何で宿舎に来てんだよ」

「それは……自分の部屋の掃除をしようと思って」

「お前のプラモ部屋か? あー、確かにお世辞にも綺麗とは言い難いが、さっきまでノリノリだったろうが。何かあったのかよ」

「それは……両兵に話したって、どうせ解決しないし……」

 そう、解決しない。そう思って俯いた自分に、両兵はむんずと頭を掴んでわしゃわしゃと撫でる。

 思わぬ行動に青葉は狼狽していた。

「り、両兵? 何するの?」

「ガキん頃から変わんねぇな、お前。いじける時のツラは、まんまだ。何かと言葉少なになって、それで察してちゃんかよ。……マジに変わんねぇ」

「そっ、それは両兵もじゃない! こうやって、ちょっとこっちが放っておいてほしい時に限って、乱暴な手段で無理やり……」

「放っておいて欲しいのかよ」

 ハッとすると、両兵はこちらから眼を離さずに問いかけていた。青葉はそれとなく視線を逸らす。

「……ずるいよ、両兵も」

「もって何だ。他にもずるいヤツが居たか?」

「……私」

「ワケわかんねぇ。ま、いいから来いって。どうせプラモ部屋は後でも掃除できらぁ」

 言われるままに両兵の部屋へと入る。

 そこいらにゴミが散乱しており、部屋着が干されていた。強烈な臭いに青葉は思わず鼻をつまむ。

「り、両兵! これ、いつの洗濯物?」

「あー、それか? 一週間前だったか二週間前だったか……」

「もう! そういうのは駄目だよ! 洗濯するから、身に覚えのない服は全部籠に入れて!」

「……ンだよ。やる気あんじゃねぇか」

「やる気とかじゃない! 両兵がだらしないからでしょ」

「へいへい。……っと、これ、何だ? おもちゃか?」

 両兵が手に取ったのは日本で放映されていたアニメのロボットのソフビ人形であった。

「あっ、それ……! 私の……」

「お前の?」

「覚えてないの? 両兵が私の取られたそれを取り返してくれたんじゃない」

「そうだったか? ……んで何でオレの部屋にあんだ?」

「……そのまま私、両兵に渡しちゃったんだ」

「……何だよ、それ。じゃあ返すぜ」

「でも、これ……まだ全然綺麗……」

「あー、どうせ段ボールの中で眠ってたんだろ? オヤジと一緒にここに来てからそうそう掃除なんてしてねぇからな」

「……それって、まだ聞いてなかった、よね? 両兵は私と遊んでいた頃に、突然居なくなっちゃって……」

「あー、そういやそうか? まぁ、オレからしてみりゃ、そもそも日本に居つくもんでもなかったはずなんだが……何でだったか? オレとオヤジが日本に居た理由って」

「……私も覚えてない。何で両兵は日本に居たの?」

「分かんねぇんだよな、そこんところ。ただ……大事な人がその頃には居たって言う漠然とした気持ちだけはあンだよ。その人が……」

 そこまで思い出しかけて、両兵は首をひねっていた。

 両兵自身も思い出せない過去なら自分はもっと思い出せないだろう。

「もう。両兵の過去でしょ?」

「いや、マジに分かんねぇんだ。このおもちゃだって……今の今まで存在さえも忘れていたし。日本に居た頃の思い出を、いつの間にか消しているのは……何でなんだろうな」

「しっかりしてよ、まったく。とりあえず、この辺りは臭いから処分するからね」

「あっ、待てよ青葉! それはまだ着れンだろ」

「駄目だってば! こんなのぼろきれじゃない!」

 穴が開いたタオルから漂う激臭に青葉は顔をしかめる。両兵は何でもないようにそれを引っ手繰っていた。

「まだ使えンだって。……ここじゃ、物が貴重なのは分かんだろ? 使える物はゴミきれになるまで使う主義なんだよ」

「何それ。じゃあゴミばっかりじゃない」

 そこいらに散乱している両兵の服飾を洗濯籠に入れていると、両兵は不意に尋ねていた。

「……なぁ、青葉。お前のばあちゃんの写真とか、残ってんのか?」

「おばあちゃんの? そりゃ……あるけれど」

「……静花さんのもか?」

「……何であの人のなんか……」

「いや、家族って……写真とか残すもんなのかって、ちょっと思ってな」

「だから! 静花さんは家族じゃ――両兵?」

 そこで青葉は言葉を切る。両兵は胡乱そうに問い返していた。

「何だよ。急に」

「だって……泣いているから」

「泣いて……? オレが? 何でだ?」

 確かに両兵の頬を伝う涙に青葉は当惑していた。今まで両兵が泣いたところなど見たこともなかったからだ。

「……何かあったの?」

「知らん。この涙の理由は不明だ。ただ……大掃除とか、そういうガラじゃ、オレはなかったからな」

 どうしてなのだろう。

 ――今の両兵を繋ぎ留めなくてはきっと、自分は一生後悔すると、この時に思えたのは。

「……両兵、写真撮ろう。ちょうど夕方だし、整備班のみんなも大掃除は終わっているだろうから」

「写真? ……何でまた」

「だって――私にとってここは大切な場所で、家族だから」

「家族……」

 その言葉の意味を、咀嚼するように呆けている両兵の手を、青葉は引く。

「おいおい! 急に写真とか言ったら連中、ビビんだろうが……」

「大丈夫だって! きっと記念って言えば分かってくれる」

「記念って……何記念だよ」

「そうだなぁ……。大掃除の記念で、今はいいんじゃないの?」

 どこか承服していない両兵を他所に、青葉は廊下を歩いてくる南とルイを視界に入れる。

「おっ、青葉じゃん。どうしたの? 両引っ釣れて」

「これから写真を撮るんです!」

「何でまた?」

「それはその……記念だから」

 要領を得ない言葉だったのかもしれないが、南はついて来てくれた。

「何かよく分かんないけれど面白そう! ねぇ、ルイ。あんたもそう思うでしょ?」

「……知らない。散々ただ働きしたんだもの。夕飯のプリンは私のものよ、南」

「あーっ! ずるい! 私もプリンは狙っていたのに!」

 喧騒が交わされる中で、青葉は格納庫へと飛び出す。

 急に戻ってきたせいだろう。

 瞠目している川本たちへと、青葉は言いやっていた。

「その! ……モリビトも綺麗になったし……写真を撮りましょう! その……大掃除記念に……」

 ここまで来て少しだけ頭が冷えたのか、何を唐突に馬鹿なことを、と言う思いが這い登って来るが、川本たちは快く了承していた。

「うん、いいんじゃないかな。だっていっつも傷ついているモリビトばっかりだし、こういうのもたまには、ね」

 カメラを三脚に乗せ、グレンや古屋谷が準備する。

「二十秒後にシャッター切るから。じゃあ、その……はい、チーズ、でいいのかな」

 合流した整備班を背にシャッターが切られる。

 夕映え時の格納庫とモリビトを映し出したカメラに向けて、青葉は微笑んでいた。

「……何だかな。乗せられた気分だぜ」

「でも、両兵が言い出したんでしょ? 写真がないと寂しいって」

「……オレは寂しいなんて口が裂けても言わねぇけれどな」

 それでもどこか、今の両兵の背中は満ち足りているような気がしたのは、きっと夕陽のせいだけではないはずであった。

「……きっと、来るのかな。今日のこの日を、笑い合える日が……」

「さぁな。ただ……一個あんがとな、青葉。こうでもしねぇとオレ、この場所で写真って、なかったかもしれねぇ」

「何それ。ガラじゃない、でしょ?」

「……だな。ガラじゃ、ねぇ」

 それでも両兵はどこか。一つの納得を得たような面持ちになっていた。

 きっと全てが終われば、その安息も長く続くに違いない。

 そんな平穏が来ることを願って――ただ今は、カメラに向けて。

 ほんの小さな、ささやかでポケットサイズ程度の思い出でも。

「はい、チーズ!」

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