JINKI 127 散髪の分だけでも今は

「あいつにデリカシーなんて求めちゃ駄目だってば、青葉! デリカシーのデの字も知らないわよ?」

「……ですよねぇ。本当に、両兵ってば……」

「随分とおかんむりじゃない、お姫さまは。何かあったの?」

「……コックピットの点検くらい、自分たちでできたほうがいいと思って……。でも、両兵は休んで遊び回ることしか考えてないんですよ」

「あー、整備班任せだかんねー、あいつ。でもまぁ、分かんなくもないけれど。山野さんたちを信用してんのよ。だからギリギリまで休めるってもんじゃないの? 操主の本分は古代人機との戦いなんだし」

「……やっぱり、南さんも同じ意見なんですか……」

「ん? 何か変なこと言った?」

「……いえ、その……でも! 少しでも操主もそういうの……できたほうが!」

「動かないの。ハサミさばきがぶれちゃう」

 制されて青葉はしゅんと肩を落としてしまう。

「でもあんたの意見も分かんなくもないわ。自分の人機なんですもの。そりゃ自分で整備できたほうがいいに決まってるし、操主にも必要な知識なのかもね。……ただまぁ、ここには幸いなことに整備を生業にしている人たちも居るんだし、お互いに委ねられるところは委ねていきましょ。だって今も青葉はこうして、私に散髪させてくれてるじゃない。それって信用して、預けてくれてるってことでしょ?」

「……そ、それはそうですけれど……」

「じゃあ人機も同じ。信頼関係があるのなら、お互いに譲れるところは譲って、それでも譲れないところだけ、何があっても譲らない覚悟を持てばいいのよ」

「な、何があっても、ですか?」

「そう! 槍が降ろうが、何が降ろうが、ね。そういうのって大事よ? 私らは、二人だけの回収部隊だから、整備から何から何でもござれだけれど、そうじゃないんなら、さ。相手を信用するのも一つの信頼関係の形だし」

「信頼関係の、形、ですか?」

「そう。モリビトに関しちゃ、整備班はどれだけ私ら操主が言ったって限界なくらい、人機を見てくれているんだからねー。余計なことは言えないわ」

「そんなこと言って、南、この間のナナツーのメンテナンスにケチつけていたくせに」

「あー、こら、ルイってば! せっかくいい話に纏まろうとしていたのにぃー!」

 言い返すのが可笑しく、少しだけ青葉は笑えて来てしまう。

 そんな肩を南はぽんと叩いていた。

「……少しは身軽になった?」

「あ、はい……。何だか不思議……。髪の毛切ってもらっているだけなのに……」

「それが散髪の力ってもんなのよ。髪の毛と一緒に余計なむしゃくしゃなんかを切っちゃえば、少なくとも昨日よりも身軽で、そんでもって、綺麗になれる。そういう、魔力みたいなのがあるから、女の子は理容室に行くのかもね」

 青葉は少しだけぼんやりし始めていた。

 何だかとても眠くって、うつらうつらとしてしまう。

「……眠たくなってきちゃった……」

「いいのよ、青葉。散髪が終わるまでは眠っていても。あんた、そうじゃなくってもちょっと頑張り過ぎなんだから。髪の毛を切ってあげている間くらいは、他の何があっても、守ってあげるんだから」

 その言葉に甘えて、青葉は少しだけ意識を埋没させていた。

 何だか不可思議な感覚である。

 ――誰かにこうやって眠りの手綱を任せたことなんて、そういえばしばらくなかったな。

 祖母が死んでからは余計に。

 広いばかりの家を持て余す一方で、眠りは浅かったかもしれない。

 でも、今この瞬間は。

 信じられる。南に、何もかもを預けられる。

 そんな感覚のまま、夢の舟を漕いでいた。

 ハッと目を覚ました時には、いくらか髪の毛を切ってもらった後である。

「ホラ! 青葉っ! ちょっとだけさっぱりしたでしょ?」

 鏡を向けられていた。前髪と襟足、それに後ろもちょっとだけ切ってもらった形となる。

「あっ、本当に……南さん、切れたんですね……」

「何よぅ、ウソだと思ってたの?」

「……半分くらい」

「このぅ! 口が減らないんだから」

 お互いにじゃれ合っていると、ルイが憮然として自分に代わって椅子に座り込む。

「……南、私も切って。ちょっと伸びてきたでしょ?」

「……この子ってば。大丈夫よー。あんたの髪は、私がきっちりと見てあげるんだからねー」

「……南、うっさい」

 青葉は黒髪を風になびかせる。異国の風、もう一つの故郷の優しい息吹を感じる。

「……誰かに委ねる……預ける、か」

 考えたこともなかったかもしれない。

 今まで、自分頼みばっかりで。誰かの力を信じて、誰かに部分的にせよ、何かを信頼するなんて。

「……でも、川本さんたちはずっと、そうして来たんだ。……両兵も」

 そこまで考えて、青葉は南とルイに向かい合う。

「あの……ちょっとだけ、謝ってきます」

「……別に、間違いじゃないのよ? あんたの考え方自体は」

「いえっ、でもその……。髪の毛ちょっと分、身軽になれましたから。だから今の私なら、素直に謝れると思うんです」

 その言葉を満足げに聞き届けた南は、ルイの髪を梳く。

「……うん。じゃあ行ってらっしゃい、青葉。でも、一個だけ、お姉さんと約束。別に両に言われたって、言い返しちゃえばいいから。あいつ馬鹿だし、デリカシーも知らないし。……でも、あ、これは言わないでも」

「……はい。分かってます」

 青葉は駆け出していた。

 まだ幸いにして整備格納庫のシャッターは空いている。

 入るなり、モリビトの整備についていた川本に青葉は頭を下げていた。

「その……っ、さっきはすいませんでした! ……私、出過ぎたこと言っちゃって……!」

「あ、青葉さん? こ、困るよ……僕が悪いことしたみたいに……」

「それでもっ! 髪の毛ちょっと分……身軽になれましたから! ……だから今しかないって思って……。誰かに、委ねること、預けることも強さなんだって知れたから……!」

「なんだ、騒がしいなぁ、オイ」

「……両兵」

 じっとこちらを睨んでくる両兵に、青葉は唇を噛んでから、言葉にしていた。

「……さっきはその……意地になってゴメン……」

「……いやに素直じゃねぇの」

「私、ちょっとだけ分かったの。こうしてみんなが、人機を好きで……モリビトを好きでいてくれる。そうして、万全にしてくれるから、私は操主なんだって! 気づけたから……だから……」

「だからって何しに来た?」

「だから……」

 返事に窮していると、両兵は根負けしたように後頭部を掻いていた。

「……わぁったよ。青葉、さっきはオレも悪かった。別にお前のやっていることも間違いじゃねぇ。人機に関しちゃ、ヒンシたちばっか任せってのもな。操主らしくねぇし……」

「……両兵……」

「ただな! 一個だけ、覚えとけ! ……こう言うのもなんだが、お前が頭一個分軽くなったって言うからだかんな! その分だけの帳消しだ、帳消し!」

「両兵ってば、素直じゃないなぁ、もう。青葉さんが綺麗になったから、見惚れてるんでしょ?」

「バカ言ってんな、ヒンシ! くだらねぇこと言ってねぇで、とっとと手ェ、動かしてろ!」

 怒鳴りつけて、両兵は立ち去ってしまう。そんな両兵の背中を眺めつつ、川本が声を潜めていた。

「……あれでも分かるみたいだね。青葉さん、髪の毛切った?」

「あっ、分かっちゃうんだ……」

「まぁ、毎日顔を合わせていればね。いくらデリカシーのデの字も知らない両兵でも、少しは思うところもあるんじゃないかなぁ」

 両兵が遠くで後頭部を掻く。

 恐らく、自分でもその感情が不明なのだろう。鏡を前にして、眉根を寄せるその面持ちが可笑しくなって、青葉は少しだけ微笑んだ。

「……川本さん。モリビトの整備、お願いできますか?」

「うん、任せてよ。操主がいつも完璧なパフォーマンスを発揮できるように、戦うのが僕ら整備班の役割だからね!」

 青葉は眼差しを合わせ、そして《モリビト2号》へと視線を向ける。

「……いつか、モリビトも、委ねられる誰かに、出会えれば、いいね」

「――委ねられる、誰かに……」

「そうそう。あの子もそう言っていたなぁ……っと、こんな感じで、どう?」

「あっ、きっちり切ってある……本当に切れたんですねぇ……」

「何よぅ、赤緒さんも疑っていたわけ?」

「あっ、いえ、そういうわけじゃ……」

「でもま、今なら一個くらいは何でもできそうじゃない? 髪の毛切った分だけ、女の子は身軽に、昨日よりも綺麗になれるんだから」

 肩を叩いた南に、赤緒はどこか背中を押された気がして、呆然とする。

「次はボクねー! 南お願ーい!」

「……次は私よ、自称天才」

 ルイとエルニィが席を巡って対立するのを眺めていると、不意に背中に感じていた気配に振り返っていた。

「あっ、小河原さん……」

「何だ、何だ。今日はえらく騒がしいじゃねぇの」

「いえ、その……南さんが……」

「あー、黄坂か。まぁーた、趣味の床屋かよ。飽きねぇな、よく。南米でもやっていたが」

「はい、その……切った分だけ身軽になれるって……」

「ん。よく分からんが、柊。サッパリしたな」

「あ、はい。……あれ、切ったことに気づいてくれたんですか?」

「……そんなに気づかんように見えるか?」

「いえ、でもその……お話では気付かれなかったって……」

「いつの話をしてんだか知らねぇけれど、いいんじゃねぇの。髪の毛切った分、何かと身軽になれンだろ? 女ってのはよ」

 勝手知ったるような言葉に赤緒はぼんやりしていたのも束の間、両兵を呼び止めていた。

「あの……っ、小河原さん! ……どう、ですか?」

 両兵がこちらを凝視するので、赤緒は自然と頬が紅潮したのを感じる。

「……んー、髪の毛がどうだとか、オレは詳しい話は知らんが、ま、相変わらずあれだな。重そうな髪型してんな、てめぇも」

「お、重そう……」

「おう。何で女ってのは長いのが好きかねぇ。重たそうったらありゃしねぇ」

「……むーっ、そんなこと……思ってたんですか……」

「柊、どうした? 頬っぺた膨らまして」

「し、知りませんっ! ……小河原さん、晩御飯ちょっと減らしちゃいますからっ!」

「お、おいおい! オレが何をしたってんだよ……」

「だから、そういうところですっ!」

 晴天の下で、言い返して赤緒はぷいっと視線を背けていた。

 髪の毛ちょっと身軽になった分だけ、今は両兵のデリカシーのなさに、少しだけ自由になれる――そんな気がした。

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