「あいつにデリカシーなんて求めちゃ駄目だってば、青葉! デリカシーのデの字も知らないわよ?」
「……ですよねぇ。本当に、両兵ってば……」
「随分とおかんむりじゃない、お姫さまは。何かあったの?」
「……コックピットの点検くらい、自分たちでできたほうがいいと思って……。でも、両兵は休んで遊び回ることしか考えてないんですよ」
「あー、整備班任せだかんねー、あいつ。でもまぁ、分かんなくもないけれど。山野さんたちを信用してんのよ。だからギリギリまで休めるってもんじゃないの? 操主の本分は古代人機との戦いなんだし」
「……やっぱり、南さんも同じ意見なんですか……」
「ん? 何か変なこと言った?」
「……いえ、その……でも! 少しでも操主もそういうの……できたほうが!」
「動かないの。ハサミさばきがぶれちゃう」
制されて青葉はしゅんと肩を落としてしまう。
「でもあんたの意見も分かんなくもないわ。自分の人機なんですもの。そりゃ自分で整備できたほうがいいに決まってるし、操主にも必要な知識なのかもね。……ただまぁ、ここには幸いなことに整備を生業にしている人たちも居るんだし、お互いに委ねられるところは委ねていきましょ。だって今も青葉はこうして、私に散髪させてくれてるじゃない。それって信用して、預けてくれてるってことでしょ?」
「……そ、それはそうですけれど……」
「じゃあ人機も同じ。信頼関係があるのなら、お互いに譲れるところは譲って、それでも譲れないところだけ、何があっても譲らない覚悟を持てばいいのよ」
「な、何があっても、ですか?」
「そう! 槍が降ろうが、何が降ろうが、ね。そういうのって大事よ? 私らは、二人だけの回収部隊だから、整備から何から何でもござれだけれど、そうじゃないんなら、さ。相手を信用するのも一つの信頼関係の形だし」
「信頼関係の、形、ですか?」
「そう。モリビトに関しちゃ、整備班はどれだけ私ら操主が言ったって限界なくらい、人機を見てくれているんだからねー。余計なことは言えないわ」
「そんなこと言って、南、この間のナナツーのメンテナンスにケチつけていたくせに」
「あー、こら、ルイってば! せっかくいい話に纏まろうとしていたのにぃー!」
言い返すのが可笑しく、少しだけ青葉は笑えて来てしまう。
そんな肩を南はぽんと叩いていた。
「……少しは身軽になった?」
「あ、はい……。何だか不思議……。髪の毛切ってもらっているだけなのに……」
「それが散髪の力ってもんなのよ。髪の毛と一緒に余計なむしゃくしゃなんかを切っちゃえば、少なくとも昨日よりも身軽で、そんでもって、綺麗になれる。そういう、魔力みたいなのがあるから、女の子は理容室に行くのかもね」
青葉は少しだけぼんやりし始めていた。
何だかとても眠くって、うつらうつらとしてしまう。
「……眠たくなってきちゃった……」
「いいのよ、青葉。散髪が終わるまでは眠っていても。あんた、そうじゃなくってもちょっと頑張り過ぎなんだから。髪の毛を切ってあげている間くらいは、他の何があっても、守ってあげるんだから」
その言葉に甘えて、青葉は少しだけ意識を埋没させていた。
何だか不可思議な感覚である。
――誰かにこうやって眠りの手綱を任せたことなんて、そういえばしばらくなかったな。
祖母が死んでからは余計に。
広いばかりの家を持て余す一方で、眠りは浅かったかもしれない。
でも、今この瞬間は。
信じられる。南に、何もかもを預けられる。
そんな感覚のまま、夢の舟を漕いでいた。
ハッと目を覚ました時には、いくらか髪の毛を切ってもらった後である。
「ホラ! 青葉っ! ちょっとだけさっぱりしたでしょ?」
鏡を向けられていた。前髪と襟足、それに後ろもちょっとだけ切ってもらった形となる。
「あっ、本当に……南さん、切れたんですね……」
「何よぅ、ウソだと思ってたの?」
「……半分くらい」
「このぅ! 口が減らないんだから」
お互いにじゃれ合っていると、ルイが憮然として自分に代わって椅子に座り込む。
「……南、私も切って。ちょっと伸びてきたでしょ?」
「……この子ってば。大丈夫よー。あんたの髪は、私がきっちりと見てあげるんだからねー」
「……南、うっさい」
青葉は黒髪を風になびかせる。異国の風、もう一つの故郷の優しい息吹を感じる。
「……誰かに委ねる……預ける、か」
考えたこともなかったかもしれない。
今まで、自分頼みばっかりで。誰かの力を信じて、誰かに部分的にせよ、何かを信頼するなんて。
「……でも、川本さんたちはずっと、そうして来たんだ。……両兵も」
そこまで考えて、青葉は南とルイに向かい合う。
「あの……ちょっとだけ、謝ってきます」
「……別に、間違いじゃないのよ? あんたの考え方自体は」
「いえっ、でもその……。髪の毛ちょっと分、身軽になれましたから。だから今の私なら、素直に謝れると思うんです」
その言葉を満足げに聞き届けた南は、ルイの髪を梳く。
「……うん。じゃあ行ってらっしゃい、青葉。でも、一個だけ、お姉さんと約束。別に両に言われたって、言い返しちゃえばいいから。あいつ馬鹿だし、デリカシーも知らないし。……でも、あ、これは言わないでも」
「……はい。分かってます」
青葉は駆け出していた。
まだ幸いにして整備格納庫のシャッターは空いている。
入るなり、モリビトの整備についていた川本に青葉は頭を下げていた。
「その……っ、さっきはすいませんでした! ……私、出過ぎたこと言っちゃって……!」
「あ、青葉さん? こ、困るよ……僕が悪いことしたみたいに……」
「それでもっ! 髪の毛ちょっと分……身軽になれましたから! ……だから今しかないって思って……。誰かに、委ねること、預けることも強さなんだって知れたから……!」
「なんだ、騒がしいなぁ、オイ」
「……両兵」
じっとこちらを睨んでくる両兵に、青葉は唇を噛んでから、言葉にしていた。
「……さっきはその……意地になってゴメン……」
「……いやに素直じゃねぇの」
「私、ちょっとだけ分かったの。こうしてみんなが、人機を好きで……モリビトを好きでいてくれる。そうして、万全にしてくれるから、私は操主なんだって! 気づけたから……だから……」
「だからって何しに来た?」
「だから……」
返事に窮していると、両兵は根負けしたように後頭部を掻いていた。
「……わぁったよ。青葉、さっきはオレも悪かった。別にお前のやっていることも間違いじゃねぇ。人機に関しちゃ、ヒンシたちばっか任せってのもな。操主らしくねぇし……」
「……両兵……」
「ただな! 一個だけ、覚えとけ! ……こう言うのもなんだが、お前が頭一個分軽くなったって言うからだかんな! その分だけの帳消しだ、帳消し!」
「両兵ってば、素直じゃないなぁ、もう。青葉さんが綺麗になったから、見惚れてるんでしょ?」
「バカ言ってんな、ヒンシ! くだらねぇこと言ってねぇで、とっとと手ェ、動かしてろ!」
怒鳴りつけて、両兵は立ち去ってしまう。そんな両兵の背中を眺めつつ、川本が声を潜めていた。
「……あれでも分かるみたいだね。青葉さん、髪の毛切った?」
「あっ、分かっちゃうんだ……」
「まぁ、毎日顔を合わせていればね。いくらデリカシーのデの字も知らない両兵でも、少しは思うところもあるんじゃないかなぁ」
両兵が遠くで後頭部を掻く。
恐らく、自分でもその感情が不明なのだろう。鏡を前にして、眉根を寄せるその面持ちが可笑しくなって、青葉は少しだけ微笑んだ。
「……川本さん。モリビトの整備、お願いできますか?」
「うん、任せてよ。操主がいつも完璧なパフォーマンスを発揮できるように、戦うのが僕ら整備班の役割だからね!」
青葉は眼差しを合わせ、そして《モリビト2号》へと視線を向ける。
「……いつか、モリビトも、委ねられる誰かに、出会えれば、いいね」
「――委ねられる、誰かに……」
「そうそう。あの子もそう言っていたなぁ……っと、こんな感じで、どう?」
「あっ、きっちり切ってある……本当に切れたんですねぇ……」
「何よぅ、赤緒さんも疑っていたわけ?」
「あっ、いえ、そういうわけじゃ……」
「でもま、今なら一個くらいは何でもできそうじゃない? 髪の毛切った分だけ、女の子は身軽に、昨日よりも綺麗になれるんだから」
肩を叩いた南に、赤緒はどこか背中を押された気がして、呆然とする。
「次はボクねー! 南お願ーい!」
「……次は私よ、自称天才」
ルイとエルニィが席を巡って対立するのを眺めていると、不意に背中に感じていた気配に振り返っていた。
「あっ、小河原さん……」
「何だ、何だ。今日はえらく騒がしいじゃねぇの」
「いえ、その……南さんが……」
「あー、黄坂か。まぁーた、趣味の床屋かよ。飽きねぇな、よく。南米でもやっていたが」
「はい、その……切った分だけ身軽になれるって……」
「ん。よく分からんが、柊。サッパリしたな」
「あ、はい。……あれ、切ったことに気づいてくれたんですか?」
「……そんなに気づかんように見えるか?」
「いえ、でもその……お話では気付かれなかったって……」
「いつの話をしてんだか知らねぇけれど、いいんじゃねぇの。髪の毛切った分、何かと身軽になれンだろ? 女ってのはよ」
勝手知ったるような言葉に赤緒はぼんやりしていたのも束の間、両兵を呼び止めていた。
「あの……っ、小河原さん! ……どう、ですか?」
両兵がこちらを凝視するので、赤緒は自然と頬が紅潮したのを感じる。
「……んー、髪の毛がどうだとか、オレは詳しい話は知らんが、ま、相変わらずあれだな。重そうな髪型してんな、てめぇも」
「お、重そう……」
「おう。何で女ってのは長いのが好きかねぇ。重たそうったらありゃしねぇ」
「……むーっ、そんなこと……思ってたんですか……」
「柊、どうした? 頬っぺた膨らまして」
「し、知りませんっ! ……小河原さん、晩御飯ちょっと減らしちゃいますからっ!」
「お、おいおい! オレが何をしたってんだよ……」
「だから、そういうところですっ!」
晴天の下で、言い返して赤緒はぷいっと視線を背けていた。
髪の毛ちょっと身軽になった分だけ、今は両兵のデリカシーのなさに、少しだけ自由になれる――そんな気がした。