JINKI 131 アイの歌を歌え

「さつきちゃん、ナイスファイトだったよ」

「ふ、ふわぁ……疲れちゃいました……。にしても……縁がなかったのでずっとドキドキしっ放しです。こういう場所って……」

 濁したさつきは狭いカラオケボックスを眺める。

 すし詰め状態のアンヘルメンバーがめいめいにカラオケの目録を手繰り寄せ、番号を打ち込んでいく。

「次、これね。私が歌うわ」

 すっと立ち上がったルイが入れたのは昭和歌謡であった。明らかに生まれる前のセレクトに赤緒は瞠目する。

「えっとあの……昔の曲、ですよね……?」

「ああ、ルイってばカナイマでよく聴いていた奴じゃないの。懐かしいわねー。これさー、現太さんも大好きだったから、私もよく練習したわー」

「南は人機操縦する時も鼻歌混じりだから。付き合わされて歌えるようになっちゃったのよ」

 そう言いつつも、ルイは抜群の歌唱力でこぶしを利かせて歌い始める。

 赤緒はいつ自分の番が回ってくるのかとひやひやしつつ、目録に目を滑らせていると、エルニィが頬杖をついて、ページを捲る。

「でもさー、これって意外な文化だよね。カラオケって、日本発祥なんでしょ? あっちじゃなかったなぁ」

「あっ、そうなんですね……。カラオケってどこ発祥とかあるんだ……」

「赤緒、よく来んの? 高校生だし、それなりに?」

「いえ、そのぉ……私、こういうの初めてで……」

 だからこそ先ほどからどうにも落ち着かないのであるが、ミラーボールが幾何学の色彩を振り撒きつつ、音楽に合わせて変容する。

 それはまるで、ルイの歌唱を心底から盛り上げているようにも見えて。

「……でも、ルイさん、上手いなぁ。初めてのはずですよね?」

「あー、カラオケ自体はそうだけれど、ルイってばあれで歌うの好きだから。絶対音感? だっけ? 一回聴いた音程は絶対に外さないし」

 思わぬ得意分野に赤緒が閉口していると、ルイはサビになるにつれて感情をきっちりと込めて歌い切ろうとする。

 その様子があまりにも普段のルイとは違うものだから、赤緒は目録のページに視線を落としつつ、そもそも何で、と事の始まりを脳内で紐解いていた。

「――カラオケに行きましょう」

 出し抜けに南がそんなことを言い出したものだから、赤緒はお茶を差し出しつつ、問い返す。

「えっと……何で?」

「町内の懸賞で当たっちゃったのよ、カラオケ無料券。せっかくだし、普段のみんなの英気を養うのには、こういう娯楽も必要だと思ってね。……幸いにしてキョムは襲ってこないし、少しばかりは羽目を外したって罰は当たらないはずよ」

「はぁ……でも、どうするんです? そのぉ……カラオケって」

 尋ねると南は意外とでも言うように目を見開いてぐんと顔を近づけさせる。

「えっ、赤緒さん、カラオケ行ったことないの? 高校生なのに?」

「そ、それとこれとは別じゃ……。そ、そもそも! 高校生でも寄り道は駄目ですよぅ……補導されちゃう」

「そんなにかしこまらなくったっていいと思うけれどねぇ。日本の女子高生はみんなカラオケ大好きなんだと思っていたわ。あっ、さつきちゃん。さつきちゃんはカラオケ行ったことある?」

 さつきは目をぱちくりさせた後に、ああ、と手をポンと打つ。

「カラオケ……旅館に居た頃に何度か、お客さんですけれど付き合わされたこともありましたから、初めてではないです。でも……私は行ったことないですね。都内にたくさんカラオケボックスがあるのは知っていますけれど……」

「まぁ、まだ中学生だからねー。そうだ! エルニィ、あんたも来なさいよー。筐体ばっかりいじってないで。暇でしょ?」

「むっ、失礼だなぁ、南ってば。これもアンヘルの業務に必要……うん? 何だっけ、カラオケって」

 首をひねったエルニィに南が説明する。

「音楽に合わせて歌うのよ。簡単でしょ?」

「あー、こっちの文化だっけ? まぁ、ボクの故郷は歌と踊りの国、リオデジャネイロだからね! 歌と踊りならお茶の子さいさいさ!」

「そうと決まったら出かける準備をしなさい。ルイも、ゲームばっかりやってないで」

 首裏をむんずと掴んだ南に、恨めし気な視線をルイが送る。

「……南、邪魔しないで。どうせ遊びでしょ」

「何よ。あんた、日がな一日ゲームしてるか人機に乗ってるかばっかりじゃないの。たまには日本の文化に慣れ親しみなさい」

「……面倒」

 そう言いつつも出かけ支度を始めるルイに、南が庭先のメルJへと声をかける。

「メルJー、あんたも来るでしょ?」

「……黄坂南。遊んでいる暇はないと思うが」

 標的に向かって射撃していたメルJが弾倉を込める所作に対し、南は腰に手を当てて憮然と言い返す。

「駄目よ、あんたも庭先で射撃訓練ばっかりしてないで、たまには遊びなさい」

「……必要か、それは」

「必要不必要のものじゃないでしょうに。遊びがないと窒息しちゃうわよ? いざという時に動けるためにも日々のストレスは発散しないと」

 分かるような分からないような論調であったが、メルJは一拍の間を置いた後に納得したらしい。

「……む、そういうものか」

「そういうものなの。赤緒さんも来るわよね?」

「えっ……そのぉ……私、カラオケとか行ったことないですし」

「行ったことないからみんなで行くんじゃないの。両ー、上に居るんでしょー」

 パンパンと南が手を叩くと両兵がにゅっと屋根の上から顔を出す。

「……ンだよ、黄坂。メシにはまだ早ぇだろ」

「ご飯じゃなくって、今回はみんなで遊びに行くの。あんたも来るでしょ?」

「遊びだぁ? ……オイ、そんなことしている場合かよ。キョムがいつ来るか分かンねぇってのに……」

「くどくどと男らしくないわねぇ。だからこそ、でしょ。脅威が来る前に、みんなの気持ちの靄とかを晴らしておくのは」

「……分かった風なそうでもないような言い種しやがって。何だ、全員参加の空気なのか?」

「そりゃ、もちろん! アンヘルメンバーは全員参加よ」

 両兵は何度か承服しかねて呻っていたが、やがて首肯していた。

「……ま、たまにゃいいのかもな。で? どこ行くんだ?」

「カラオケよ。あんたも聞いたことくらいはあるでしょ?」

「カラオケぇ? オイオイ、随分と浮ついた場所に行くんだな」

「懸賞で当たったの。行かないと損でしょ?」

 ぴらり、と南が無料券を掲げると両兵は後頭部を掻いてこちらに視線を寄越していた。

「……柊、お前も行くのか?」

「えっとぉ、その……全員参加なら仕方ないですし……」

「……んじゃ、行くとすっか。全員参加なら仕方ねぇよな」

 案外、容易く飲み込んだ両兵に赤緒は、でも、と不安を口にする。

「私、歌とか上手くないかも……」

 よくよく考えれば両兵が同行するということは歌声を聴かれてしまう可能性があるのだ。

 思うだけで頬が紅潮してくる。

 南はしかし何でもないように言ってのけた。

「そんなの、歌っていくうちに慣れていけばいいんだってば。最初から上手くやろうなんて考えなくっていいから。ホラ、人機よりも楽でしょ?」

 言い方次第だな、と思った赤緒であったが、全員参加の空気ならばここで自分だけ留守番をするのもどこか他人行儀が過ぎる。

「……じゃあその、一応付いて行きます……」

「うんうん、素直が一番ってね。あっ、自衛隊のみんなも来る?」

 南が柊神社に詰めている自衛隊員にまで話を通そうとする。

「大所帯になりそうだねー。まぁ、ボクはどっちでもいいけれど」

「あのー……立花さん、これってもしかしなくても面倒ごとなんでしょうか?」

「んー、どうだろ? ま、遊びに行くって話なんだし構えなくっていいんじゃないかなぁ」

 確かに、今回は遊びに行くだけだ。

 それも南の奢りのようなもので。ただ、赤緒はどこか不安を持て余していた。

「……カラオケなんて行ったことないのに……どうしよ……」

 ――エルニィが歌と踊りで華麗に舞う。

 天性のノリのよさが幸いして、エルニィの歌で南たちも盛り上がっていた。

「ヘイ! ヘイ!」

 楽器を片手にノリノリの南にどこか気後れしてしまう赤緒であったが、この調子では遠からず自分も歌うことになるだろう。

「あー、気分よかったぁ! いいね、日本のカラオケ文化も。えーっと……あれぇ? またさつき?」

「あっ、この歌なら歌えるので……って南さんが」

 じとっと湿っぽい視線がエルニィから注がれ、南が手を払う。

「いやぁねぇ、アイドルソングが似合う子には歌って欲しいじゃない」

「だからって、南、他人の曲まで入れることないじゃん。……ってさつきも歌うんだ」

「えっ、だってせっかく入れてもらったのに歌わないのも悪いですし……」

 そう言いつつ先ほどまでよりも歌は格段に上手くなっている。

 ノリもよく、さつきにはもしかすると生まれ持ったそういう素質があるのかもしれなかった。

「……アイドルの素質かぁ……」

 呟いた赤緒にエルニィが肩を寄せる。

「なになにー、赤緒ってば嫉妬?」

「そ、そういうんじゃなくって……。そのぉー、私も歌わないと、駄目……ですよね?」

「まぁ、今のところはそうでもないんじゃない? メルJだって歌ってないし」

「むっ……失敬だな。私は次に曲を入れてある」

 ふふん、とどこか誇らしげなメルJにエルニィはこちらに視線を寄越す。

「……やっぱり歌わないと駄目かもねぇ。それにしたって、ああ、赤緒からしてみれば残念か。両兵、別室だもんね」

 あれだけ思慮の中にあった両兵は自衛隊員やヤオと共に別のカラオケルームであり、何だかそれも少しだけ肩透かしに思われて赤緒はしゅんとする。

「……べ、別に小河原さんがどうとかは……ないですけれど」

「いいんじゃないの? こういう場ってさ、上手いことが絶対条件じゃないじゃん」

「そ、それはそうですけれど……上手いに越したことはないじゃないですか」

「あー、赤緒ってばやる前に何でも決めつけちゃうタイプ? 分かんないよ、案外。もしかするとハマっちゃうかも」

「わ、私がカラオケにですかぁ……? ないない……」

 ないと、思いたいだけなのかもしれないが。

 さつきがアイドル歌唱を相変わらず少しだけ音程を外した調子で歌い上げ、南が分かった風にうんうんと頷いている。

「やっぱり、微妙に音痴ってのがいいわぁー。アイドルってのはこうじゃないと」

「次は私だな」

 立ち上がり、さつきからマイクを手に取ったメルJが歌うのは意外にもアップテンポのダンス曲で全員が想定外の眼差しを向けている。

「……あっ、ヴァネットさん、こういう明るいの歌うんだ……」

「あー、欧米のほうでヒットしたあのナンバーかぁ……。ある意味じゃ手堅いね」

 そう言いつつ、赤緒はタイムリミットが迫っているのを感じていた。

 目録を眺めつつ、いざ自分の番になるのでは、と思うと気が気ではない。

「あの……ちょっとお手洗いに……」

「んー、了解。ボクも次の曲入れちゃおうかなぁ」

 エルニィはそれなりに楽しんでいるようである。他のメンバーも同じくだ。

 赤緒はカラオケの廊下でどこか陰鬱なため息を漏らしていた。

「……私だけが乗れてないの、ノリが悪いとか思われちゃってるのかなぁ……」

 そもそも、日本の高校生でろくに遊びもせずにカラオケも初めてだと言うのは希少なのかもしれない。

「……でもマキちゃんも泉ちゃんもそういうタイプじゃないし……。私だけでカラオケに来るのも何だか変だし……。落ち着かないなぁ……」

 壁にもたれかかって重苦しいため息をついたとことで、同じようにため息が漏れ聞こえてきて赤緒は視線を向ける。

「お、小河原さん?」

「……おう、柊か。どうした、連中と楽しんでるんじゃねぇのかよ」

「いえ、そのぉ……私、向かないのかなぁ、って思いまして……。小河原さんは、何で?」

「ああ、すっかりヤオのジジイと自衛隊の連中で盛り上がっちまっていてな。ちぃとばかし外の空気を吸いたくなったところだ」

「……でも、今ため息……」

「それはそっちもだろ。どうした? 楽しくねぇのかよ」

 問われてしまえば返事に窮するも、赤緒は少しずつ自分の感情を詳らかにしていく。

「……どう、なんでしょうね。そりゃ、楽しい……ですよ? みんなとこうして、遊びに来られるのは。だってちょっと前まで立花さんとヴァネットさんも敵同士だったですし、さつきちゃんもあんなには打ち解けてはくれませんでしたし、ルイさんだって……。だから、楽しいって言うのが正解なんでしょうね……」

「その割にゃ、浮かねぇ顔してんぜ。……別に心の底から楽しめとか、そんなご大層なもんでもねぇだろ。自分の楽しめるところだけ楽しんどけ。娯楽ってそういうもんだろ?」

「……じゃあ、小河原さんは何でため息なんです?」

「オレか? オレは……何なんだろうな。まぁお前と似たようなもんなのかもしれん。楽しめるようで、今を万全に楽しむためにゃ、抱えているもんがデカ過ぎンだよ……色々とな。そっちに考えが行っちまってよくねぇ。……ああそうだ、よくねぇはずなんだ、これは」

「……小河原さん? その……無理はしなくても……」

「その言葉、そっくりそのまま返すぜ。柊、無理してまで、楽しもうってのもまた違うんじゃねぇのか?」

「わ、私はぁ……」

 そこで言葉を区切って、大仰にため息をついてしまう。

「ホレ、またため息だろ?」

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