JINKI 133 妖雲を討て

 未だに信じ難い作戦概要と、そして現状の《モリビト2号》の装備に辟易する。

 モリビトには余剰装甲が各部に装備されており、全体的には丸みを帯びたシルエットで、普段の《モリビト2号》の形状とはまるで異なる。

 リバウンドの盾は廃され、両腕にRフィールド発生装置のための籠手を埋め込まれたモリビトに関し、赤緒はコンソールの武装名をそらんじる。

「……《モリビト2号局地F型装備》……こんなものがあるなんて……」

『でも、今回の敵にはもってこいだ。何せ、敵の接近速度は依然として変わらず。高空迎撃がまるで通用しないって思うとへこむよ』

 遥かな空から遠雷のような音響が漏れ聞こえてくる。

 もうすぐ、夕立が降り出しそうであった。

 それもただの夕立ではない。

 全てを絶望に染め上げる悪夢の夕立が――。

「――緊急事態だ!」

 居間に飛び込んできたエルニィに赤緒は昼食の支度を終えたばかりだったので小首を傾げる。

「えっと……ご飯なら大丈夫ですけれど……」

「何言ってんのさ! 赤緒! そういうんじゃなくって……」

 わなわなと指先を震わせるエルニィの態度に困惑していると、後ろからやって来た南が補足説明する。

「ここからは私が説明するわ。エルニィ、あんたは状況報告と、それとリアルタイム映像の受信、頼むわよ」

「……分かってるよ。ルイー、テレビ借りるね」

 ゲームに興じていたルイに対し、エルニィはテレビの受信アンテナを弄る。自前の筐体と接続し、テレビのブラウン管に映し出したのは暗雲の垂れ込めたどこかの街であった。

「……これは?」

「某国のどっかの街のリアルタイム映像。多分そろそろ……来る」

 何が、と言う主語を結ぶ前に、黒々とした雨が降り出し始めていた。

 映像の中の豪雨に打たれた街がたちどころに灰色の硝煙を上げて崩壊していく。ビルが焼け落ちていく映像に赤緒は絶句していた。

「……これ、は……」

「見ての通り。ただの雨空の風景じゃない。これは――キョムの新型だ」

「新型? でもどこにも……人機の姿なんて……」

 見た限り新型人機はどこにも居ない。だと言うのに、黒い雨の降りしきる映像の街は一分もしない間に融解し、そこいらで爆炎の手が上がる。

「この雨空そのものが、多分だけれどキョムの新型人機。敵は、空から来る」

「空から……?」

 しかし雨が降りしきるだけの映像に敵の姿を捉えることは叶わず、終いには映像自体が途切れてしまっていた。

「ああっ! もう! ……こっちが勘付かれたって言うよりかは、定点カメラが壊されたかぁ……。どっちにしたって、敵の位置情報! 南、来てるんだよね?」

 振り返ったエルニィに南は無線機から漏れ聞こえてくる位置情報を聞いてから、そのスイッチを切る。

「……嫌な報せよ、エルニィ。敵の位置取りと動きから、相手はこの日本の、東京を真っ直ぐに目指していると思われるわ」

「やっぱし……! ってことは、キョムの手先ってのは確定だね」

「あの……どういう……」

 まごついていると、エルニィはすぐさまメルJとさつきを呼びつけていた。

 居間に集まったアンヘルメンバーを見渡し、エルニィは嘆息をつく。

「……キョムの新型人機が発見されたみたい。それも今回はこっちの砲撃も多分届かない……高空の人機だ」

 口火を切ったエルニィにメルJは挙手する。

「私が迎撃すればいいのではないのか? 《バーゴイルミラージュ》で……」

「そうもいかない……って言うのも、この敵人機、まだ不明な点のほうが多いんだ。まず説明すると……」

 エルニィはホワイトボードに楕円を描き、その中心軸に何かの数式を書き連ねていく。

「……キョムの人機と目されるのは、こういう、雲に擬態していると思われる……思われるって言うのは、この人機、まだ正体が全然ハッキリしないからって言うのがあって」

 トントン、とペンでホワイトボードを叩くエルニィに南が腕を組んで言葉の穂を継ぐ。

「要は、敵人機の正体そのものは未知な部分が多いままでありながら、相手からは攻撃し放題って言う、一方的なゲームなのよ、現状」

「そ、そんなのっておかしいんじゃないですか! ……だってその、シバさんは八将陣を探せって……」

「敵の長の言葉なんて真に受けないほうがいいのかもね。……どっちにしたって、この人機が東京に向かってくるのは確定事項なんだ。今のところ人機と呼ぶのかさえも不明だけれど、分かっているのが一個。この人機はプレッシャー兵器を使う」

 楕円からエルニィはいくつもの斜線を下方に向かって走らせる。

「……さっきの、雨の景色?」

「あれは雨じゃない。なかなか見ないから実感が湧かないだろうけれど、リバウンドプレッシャーを拡散させて放射している。……立派な戦略兵器だよ」

「でも、そんな……。それじゃ、タイムリミット前にシバさんは約束を破ったってことですか……?」

 シバの性格上、そうだとは思えない、否、思いたくないだけなのかもしれないが、赤緒には何か別の思惑が動いているように感じられていた。

 しかしエルニィはこちらの思考などどこ吹く風で鼻を鳴らす。

「……どうだか。案外キョムも手段を選ばないっていう点じゃ危ない連中だし、八将陣だけの思考回路で回っているわけじゃないのかもね。どの道、この雲に擬態した敵人機を迎撃、そして破壊するのには、メルJの機体じゃ駄目だ。近づく前に撃ち落とされてしまう」

「そんなヘマはしないつもりだがな」

 そう不遜そうに言いつつも、今はエルニィの話をきっちり聞いているのが窺えた。

 今度はルイが挙手する。

「じゃあ、どうするって言うの。フライトユニット装備の人機で攻めるのにしたって、高空戦闘用の人機が無駄なんじゃ打てる手は限られてくる」

「そ、そうですよ……。どうしたって、敵のプレッシャー兵器の下じゃ……一方的になっちゃう」

「うん、その不安は分かる。そこで! だ。ボクが推し進めていたプランの一つを発動させようって思ってるんだ。これは赤緒、それに両兵にしかできないミッションだよ」

「……オレと柊?」

 いつからその場に居たのか、全員が両兵の存在に驚愕する。

「……いつから居たんですか」

「最初のほうからだが。てめぇら、揃いも揃って深刻そうなツラしてっから気づかなかったんだろ。にしたって、立花。話聞いた限りじゃ結構ヤバめの敵には違いねぇ。モリビトで迎撃するにしたって、プレッシャー兵器の……文字通り雨の中でどうやって倒す? 接近する前に墜とされるのがオチに見えるが」

 ふふん、とエルニィは自慢気に胸を反らしてフロッピーディスクを取り出す。

「ボクがゲームばっかりしているとは思わないでよね。ここに、《モリビト2号》の強化プランが入ってる。もしもの時のために自衛隊に準備させた余剰パーツはあるし、それを装備して、《モリビト2号》はこのアンノウン機を撃退してもらう。失敗は許されないよ。何せ、この東京の市民全員の命がかかってるんだからね」

 思わぬ重圧に赤緒が唾を飲み下す隣で、両兵は問い返していた。

「御託はいい。それで勝てンだろうな? 立花」

「勝てない勝負をボクが吹っかけると思う? まぁ、それでも、作戦成功の如何は赤緒にかかっていると言っても、過言じゃないけれどね」

「……私?」

 思いも寄らぬ言葉に赤緒が自分を指差すと、エルニィが首肯する。

「うん。敵の滞空迎撃システムがどれくらいなのかは、自衛隊や、第三国の戦闘機が試算する。その間に《モリビト2号》はボクの用意した《局地F型装備》を装着。プレッシャー兵装の雨の中を突き破って、敵人機に対し、一点突破を試みる。それには赤緒の超能力モドキが必須になってくるんだ」

「私の……力が……」

「頼むよー。案外、こういう時に要るんだからね、その力」

 こちらを指差して意地悪く笑うエルニィに両兵が言葉を返す。

「……で、だ。立花。そのF型装備とやらの説明をしてもらおうか。それに、他の人機じゃ駄目だって言う根拠もな。空を飛ぶ《バーゴイルミラージュ》が真っ先に駄目だって想定したのには理由があンだろ?」

 問いかけた言葉にエルニィはホワイトボードの楕円の周辺に何やら数式を書いていく。全くの不明な数式であったが、その傍にバツ印を一つ描いて、ペン先で突いていた。

「これを《バーゴイルミラージュ》だとする。で、この人機……まぁ、名前が分かんないけれどでも、暗雲に擬態するなんて言うとんでもない人機だ、そいつの周辺なんだけれど、あれだけの規模のプレッシャー兵器を可能にするだけの出力、恐らくは血塊炉は一個や二個じゃない」

「……直列血塊炉、いや、それ以上か」

「分かんないけれど、莫大な血塊炉出力を持っているのは間違いない。そんな人機を相手にすると、想定される問題として発生するのが、敵を覆うリバウンドフィールド。Rフィールドに対して、実体弾は無力などころか跳ね返されちゃう。だから無暗に仕掛ければ撃墜されるって言ってるの」

「……つまり、接近戦も危険、か」

 どこか得心した様子のメルJに、何故、と当惑する赤緒へと、エルニィはゆっくりと説明を重ねる。

「……高出力のRフィールド装甲を持っている人機だよ? 近づくだけでもビリビリ! ……いや、ビリビリで済んだらまだマシな方。接近するだけで焼かれるかもしれない。そういう懸念だってある」

 まさかそこまで危険な敵だとは思うまい。

 息を呑んだ赤緒へと、エルニィはでもと言葉を継ぐ。

「決して勝てない敵じゃないとは思う。だって、そうじゃないとある意味……フェアじゃない」

「フェアじゃ、ない……? でもさっき、八将陣の考えじゃないかもって……」

「そりゃそうだけれどさ。戦力の割き方としては下策過ぎだよ。街一つ焼けるレベルの巨大人機を投入しておいて、それでゲームは完全に無効? それは相手の、キョムの考え方としてはもう特攻だ。負けを認めたみたいなもんだよ」

 赴くところが不明な赤緒へと、両兵は口走る。

「……キョムのやり口にしちゃ、後先考えなさ過ぎだな。別勢力って線もあるが、それにしたってこれはデカい貸しだ。どっかでこの敵でさえも押し返せなくっちゃ意味がねぇって言われてるみたいだな」

「多分、その考え方で正解。キョムからしてみれば、これもある意味じゃ作戦の一部なんだろうね。新型機ができたから試すって言う。……どうしたって煮え切らないのは、この新型機がとかく不明だってことなんだけれど……」

 陰鬱なため息をついたエルニィに、一度考え方の袋小路から抜け出すことも必要か、と赤緒は席を立っていた。

「あの……一度お茶を持ってきますね。今のままじゃ、ちょっと……」

 悪い癖だとは思いつつも、台所に取って帰した赤緒は嘆息を漏らしていた。

「……でも、そんな重大な兵器、シバさんが許すわけが――」

「――ああ。今回に関してはこちらも腹立たしいところだ」

 赤緒は悲鳴を上げかけて、寸前でそれを封殺する。

 台所から居間に続く廊下でこちらを見据えるシバに、赤緒は言葉を返していた。

「……それは、どういう……」

「聞こえなかったか? 私としても腹立たしいんだよ。ああいうのはやる場所を考えろと言ってはいるのだが、八将陣の本意ではない、とは思って欲しいものだな」

「……あれはキョムの人機なんじゃ……」

「――《パルジャニヤ・アシュラ》。我が方の戦略人機の一つだ。だが、少しばかり困った運用方法でな。搭載しているのはメインの血塊炉二基に、サブの血塊炉七基、計九基の血塊炉を持つ、超大型人機なのだが、あんな巨大な人機を動かすのには操主も足らん。その上、キリビトを遥かに凌駕する大型機。一人や二人の優秀な血続操主を犠牲にするのには、いささか……品位がない」

 まさか品位と言う言葉がシバから出るとは思えず、赤緒は硬直していると、シバがすっと差し出したのはフロッピーディスクであった。

「それは……」

「《パルジャニヤ・アシュラ》の弱点を記してある。お前にはあれを破壊してもらいたい」

 想定外の提案に赤緒は目を見開く。シバは何てことはないように妖艶に微笑んで見せた。

「キョムも一枚岩ではなくってな。強硬派の造り出した品性の欠片もない人機だ。ロストライフ化を慌て過ぎた勢力の出端を挫くのに、《モリビト2号》は相応しい。弱点が分かれば、モリビトとお前の性能なら突破できる。赤緒、あれを破壊し、私に力を示してみせろ」

「……どういう、風の吹き回しで……」

「なに、困った欠陥品を壊してくれと言っているだけだ。これは依頼のようなものだよ、赤緒。当方で動くのには、あれはもう動き始めた駒だ。内部分裂を生みかねないからな。あまり急き過ぎるのはいつの時代もよくない。しかしアンヘルが破壊してくれるのなら、私たちは喜んで技術を差し出そうと言っている」

 赤緒はシバの余裕に対して、拳を固く握り締めていた。

「……でもあの映像……人が、たくさん死んだんですよね、シバさん」

「さぁな。私は関知していない」

 赤緒はアルファーを翳す。それを見ても、シバは余裕を崩すことはない。

「……ここで私を殺すか? 赤緒」

「負けない……キョムには、絶対に! だから、私はあの人機を倒しますっ!」

「そうか。いい返事が聞けてよかったよ」

 アルファーの風圧を引き起こす前に、シバの姿は掻き消える。

 幻だったのか、と赤緒は感じたが廊下に落ちたフロッピーディスクは本物であった。

「赤緒? 遅いから何やってんのさって……それ……」

 鉢合わせたエルニィに赤緒はゆっくりと頷き、そしてフロッピーディスクを差し出す。

「……絶対に、負けない。負けちゃ、駄目なんです……」

『――急造品だけれど、《モリビト2号局地F型装備》なら、あの積乱雲を超えられるはずだ。……まさか敵からもたらされた技術であと一歩のところを超えられるようになったってのは癪だけれどね』

 通信のエルニィの声に赤緒は遠雷の模様を睨んでいた。

 戦闘機が飛び回る空域で、暗雲が蠢き、発生した辻風が周辺の対空爆撃を呑み込んでいく。

「……あれが、敵……」

「気負うなよ、柊。バックアップには黄坂のガキとさつきがついてる。オレらは、あの中枢に飛び込むだけなんだが……前情報を知らされていてもヤベェのは分かる。さしずめ気象兵器ってワケか。あそこまでだとは思いも寄らねぇ。飛び込んだ瞬間にお陀仏ってのはねぇよな? 立花!」

『それはない……はずだと思いたいね。今のところ、局地装備と敵からのタレこみ情報頼みってのが不安要素ではあるけれど、でも……負けるわけにはいかない、そうでしょ、赤緒』

「……立花さん。はいっ! 私たちは、負けちゃいけないんです……っ!」

『その言葉を聞いて安心した。――ではこれより、大型気象戦略人機《パルジャニヤ・アシュラ》の殲滅に入る! 総員、位置情報は常にアクティブに、ね。少しの乱れだって許されないよ』

 詰めたエルニィの声音に赤緒は着ぶくれしたような《モリビト2号》のフライトユニットを起動させる。

 甲板の上でマニピュレーターをついた形でクラウチングスタートの姿勢を取った《モリビト2号》へと、無数の伝令の声がかかる。

『《モリビト2号局地F型装備》、発進準備へ』

『リバウンド伝導率クリア、閾値以内です』

『フライトユニット、バーニア、全て発進位置へ。最終発進準備を、モリビトの操主二名へと譲渡します』

「了解。……まだ不安か、柊」

 いくつものインジケーターを発進位置に持ってきた両兵が振り向かずに尋ねる。

「……少し。でも、それ以上に……っ。私はあれを、倒さなくっちゃいけない、そのはずなんです!」

「……なら、答えは出てンな。《モリビト2号、局地F型》! 出るぞ――!」

 白波を砕く自衛隊の護衛艦の甲板より、《モリビト2号》が電磁力の力を得て加速し、すぐさま離陸する。

 瞬間的に風を掴んだ《モリビト2号》はフライトユニットを拡張させて翼を構築し、着ぶくれ状態の装甲の節々に垣間見えるRフィールド発生装置を稼働させていた。

 灰色の追加装甲版が薄く緑色に発光する。

「……Rフィールド、順次発動を確認。この状態のまま、敵陣に突っ込みます!」

「いや、待て……。やっぱり奴さん、一機じゃねぇか……!」

 そう忌々しげに口走った両兵に赤緒はその視界の中で巨大な積乱雲を維持すべく飛翔する黒カラスの人機を射程に入れる。

「相手をしている暇は――ない! 小河原さん!」

「応よ! 雑魚は引っ込んでろ!」

 フライトユニットに格納された自動小銃が鎌首をもたげ、《バーゴイル》を撃墜していく。

 赤緒は丹田に力を込めて、暗雲渦巻く戦域へと《モリビト2号》を飛び込ませていた。

 途端、機体がきりもみ、激しく揺さぶられる。

 全域より襲いかかったリバウンドの雷撃を、《局地F型装備》のフィールドの加護が弾き返していた

《モリビト2号》を淡い緑の光が押し包む。

「このまま……中枢に……ッ!」

 着ぶくれしたようなモリビトの積層装甲はリバウンドの嵐から身を護るため。

 しかし四方八方から襲いかかる稲光に、一つ、また一つと装甲が落ち窪み、システムがダウンしていく。

「野郎……ギリギリだ! 柊、出し惜しみするヒマぁ、ねぇッ!」

「分かってます! だから応えて……モリビト!」

 機体を仰け反らせ、循環パイプに負荷をかけて、赤緒は叫ぶ。

「ファントム!」

 瞬間、モリビトの躯体が暗雲の空域を飛び越え、その先へと至っていた。

 中心軸は周囲の積乱雲の激しさが嘘のように静まり返っている。

 そのゼロ地点――雷雲を操るのは骨ばった異形の人機であった。

 ちょうど羅針盤のように中心から骨格を伸長させ、刺々しい威容を醸し出す。

 ――狙うは一点。

 赤緒は右手が熱く疼くのを感じる。

 トレースシステム越しでもモリビトの指先に力が入り、敵影を捉えたのが窺えた。

 しかし、その瞬間、中央に位置していた肋骨じみた部位のアイサイトが蠢動し、《モリビト2号》を捕捉する。

「危ねぇッ!」

 そう言うが早いか、警戒本能が掻き消える前に、無数のプレッシャー兵器の漆黒の光条がモリビトへと襲いかかる。

 撃ち落とそうと言うのか、幾何学の軌道を描く《パルジャニヤ・アシュラ》の攻撃軸を、赤緒は奥歯を噛み締めて《モリビト2号》に急制動をかけさせる。

 肩部バーニアから火を噴かせて狙い澄ました光芒をかわした《モリビト2号》の眼窩は、中心の敵を見据えていた。

「……悪ぃな。首都上空まで行かせるわけにゃ、いかねぇんだよ!」

「はいっ! 狙い澄まします!」

 空を駆けて、《モリビト2号》が敵影に向けて加速する。

 それを《パルジャニヤ・アシュラ》の搭載する無数の血塊炉より放たれた光軸が阻止せんとして、リバウンドプレッシャーの網を張り巡らせていた。

 それはまさしく、黒い雨の結界。

 だが、その悪夢を打ち砕くのが、モリビトの使命――。

「だから、負けない、負けたくない……っ! 負けられないから、私は! ビート――ッ!」

 右手に宿した人機殺しの輝きをしかし、《パルジャニヤ・アシュラ》のメイン血塊炉を擁する部位から真っ直ぐに放たれた光線が阻害する。

 右手を打ち砕かれたかに思われたが、今の《モリビト2号》の右腕を保護しているのは、リバウンド兵装の鎧であった。

 敵から放たれた黒いリバウンドの敵意をモリビトは握り締める。

 その指先から迸った暗色の殺意が翻り、《モリビト2号》は確約された必殺の一撃を、リバウンドの加護を得て掌を押し広げる。

 紡ぎ出した技の名前を、赤緒は叫んでいた。

「――プレッシャーブレイク!」

 電磁を纏い付かせたリバウンドプレッシャーの光球が「ビートブレイク」の性能を帯びてそのまま、《パルジャニヤ・アシュラ》の中枢へと突き刺さる。赤緒の眼には血塊炉の青白い光がそのまま爆ぜたように映っていた。

 次の瞬間、維持していた積乱雲が爆発的な加速度で渦巻き、制御を失った暗色の雲が直後には霧散していた。

 その視野に入るのは、突き抜けるような――。

「……青空。これが、モリビトの、力」

《パルジャニヤ・アシュラ》の本体が崩れ落ちていく。

 しかし諦め切ってはいないのか、中央で蠢く眼球がこちらを睨み、最後の一撃を照射しようとして、それはさらなる上書きの雷鳴に掻き消されていた。

 高出力のリバウンドの鉄槌を叩きのめした巨大な機影が、積乱雲の向こう側へと消えていく。

「……《キリビトコア》。シバさん……」

 そう口にした直後には、赤緒の意識はぱたんと途絶えていた。

「――いやぁ、酷いもんだね。せっかく用意していた《局地F型装備》は一回こっきりのワンオフじゃないんだけれど」

 軒先で筐体を弄るエルニィにそう言い含められて赤緒は困惑する。

 少しだけ怪我をしていたが、ほとんど軽傷だ。絆創膏を巻いた指先で頬を掻く。

「し、しょうがないじゃないですかぁ……。だってあの時には、ああするしかなかったんだし……」

「全部壊しておいてよく言うよ、まったく……。でもま、勝てたからいっかぁー……」

《局地F型装備》は高空から海面に着水した衝撃で破損、その損害は計り知れないらしい。

 エルニィの横に座り込み、お茶を差し出す。

「ん……あんがと。いやぁ、お茶が美味しいね」

 今回の一件はどうやら某国が噛んでいたらしく、南は責任の所在を問いただすべく、今も黒電話に吼えていた。

「だから! そっちで調査してって言っているでしょうが! そうじゃなくっても請求書とか、報告書とかとんでもないんだから! あんたらが泥を被る気がないって言っても、一蓮托生だかんね!」

「……南さん、荒れてますね……」

「そう? いつも通りじゃない?」

 エルニィはパーツ弄りに余念がない。

 赤緒は柊神社の軒先から望める、遥かな青空を仰いでいた。

「……あの時、青空が、見えたんです」

「うん? それって、敵人機を倒した時の話?」

 頷いて、赤緒は日差しに手でひさしを作る。

「モリビトが応えてくれて……だから今も、空が見えてるんですね。こんなにも突き抜ける、青空が……」

 赤緒は立ち上がる。エルニィが尋ねていた。

「どこ行くの?」

「とってもいい天気なので、洗濯日和かなって思いまして」

 その言葉に、エルニィは笑う。

「違いないね。洗濯物には打ってつけの空だ」

 ――今日も空は晴れているから、明日も多分、頑張れる。

 悲しみの黒い雨は、きっと降らない、降らせない。

「だから、心に雨が降らないなら、どんな時だって私は戦える……」

 今は素直に、勝てた喜びとそして目映いまでの晴天を仰いで――。

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