「……何で……どうしてなんですか! なずな先生!」
その問いかけに無言で応じるのは、こちらの生き写しのような人機であった。
《ナナツーライト》と異なるのは、まるで蝙蝠の耳のように発達したRフィールド発生装置を持つ、黒き人機。
『語る言葉は持たないですよねぇ。だってお互いに人機に乗っているんですしぃ』
掲げられたのはリバウンドの力場を誇る小太刀である。それを逆手に握り締めた相手と、《ナナツーライト》は対峙する。
「……出た。解析結果。あれはウリマンから奪われたって出ている、存在しないはずのナナツータイプ――《ナナツーシャドウ》だ」
下操主席のエルニィが苦虫を噛み潰したような面持ちで呟く。
そんな人機に何故乗っているのか。
そもそも、この邂逅は何故、こんなにも月が妖しく光る夜になったのか。
時は少し遡る――。
「――パトロール……ですか?」
問い返したさつきに南は首肯する。
「そっ。まぁ、首都防衛に関して言えば、もうだいぶ整っては来ているんだけれど上とは揉めているのが実情なのよ。《アサルトハシャ》の実地運用に関してとか、そもそも人機に乗れる人間が居るのかって話ね。……おっ、茶柱」
さつきが手渡された資料を上から読んでいる間にも、南とエルニィは嘆息を漏らす。
「実際、《バーゴイル》もそうだけれど、どこにどのタイミングで現れるのかって言うのは完全に博打でさ。キョムにはシャンデリアの光がある。あれでどこでも現れ放題。それに対して、ボクらは基本的には専守防衛。それって不平等じゃん、って話だよ」
「あの……っ、でも都民の皆さんもその……人機がうろつくと怖がるんじゃ……?」
その問題に突き当たると、南とエルニィは渋面を突き合わせる。
「まぁねー……。そこんところはこの国のお偉方と交渉中……。考えるだけで肩こりが酷いったら……」
「加えて国外には持ち出せず、都市部からアンヘルの操主一人を出すだけでも外交的な取り決めがあって難しい……。それがたとえ自衛隊の、まだよちよち歩きみたいなナナツーでもそう。難しいんだ、この辺、人機って機動兵器だから。南米みたいにキョムの活動が活発化したら、強行採決に持っていけるんだけれど……」
「それは最終手段ね。南米で見かけるって言う、《ポーンズ》だっけ? あんなのが出てくればこっちの作戦も変わってくるわ。だから、お試しで、って提案したの」
「それが……人機のパトロール……」
さつきは、でも、と疑問を二人にぶつける。
「あのー……どうして私なんですか?」
「モリビトは最初に派手に動き過ぎたのよ。《O・ジャオーガ》戦でね。あれ以来、モリビトは本当の切り札みたいになっちゃっておおっぴらには出しづらい」
「アイコンになるのはいいことなんだけれどねー。赤緒も広告塔になってくれればなおさらだし。でも、それだとキョムとの対決では逆効果。それにパトロールには、最初からある程度の機動力がある人機が望ましいんだ。そう考えると、この東京の街並みを利用できる、細身の《ナナツーライト》か、《ナナツーマイルド》が打ってつけ」
「た、立花さんのブロッケンでも……」
「ブロッケンは駄目だよ。トウジャタイプは……言ってなかったけれど他の国が量産に乗り出そうとしているんだ。下手にデータを上げられないし、読まれるのも旨味はない」
「かといって、誰も出さないと首都防衛って言う大義名分を落としかねない。いずれにしたって、この国じゃ動いてますアピールが必要なの。南米よりも戦場の感覚がないせいなのもあるわね。でも、間違いなく次のキョムのロストライフの標的はここなんだから、誰かしらは動く必要性があるわ」
「それが私と《ナナツーライト》……。あれ? でも今の話の感じじゃ、ルイさんでも……」
「ルイとのツーマンセルも考えたんだけれど、棄却されちゃった。《ナナツーマイルド》は過剰装備なんだってさ」
「メッサーシュレイヴの扱いがねー、どうにも難しいのよ。話を通すのに。リバウンドフィールド兵装って誤魔化せるところはあるんだけれど、まさに武器だからね、あれは」
確かに《ナナツーマイルド》の武器は剣。分かりやすい武装の誇示になってしまうのかもしれない。
「えっと……じゃあそのぉ……言いづらいところではあるんですけれど、私の《ナナツーライト》はその、あんまし強そうじゃないから……?」
「……ま、言葉を選ばないのならそうなんだけれどさ」
「誤解しないでね、さつきちゃん。何も《ナナツーライト》が戦力外とかそういう話じゃないの。ただ……イメージの問題なのよ、これは完全に」
そう言われてしまえば、断る理由も見当たらない。
「……あの、じゃあその、受けます。この、パトロールの仕事……」
「本当? いやぁ、助かるわ。《アサルトハシャ》で代用も考えていたんだけれどね。あれはもし《バーゴイル》とかが出てきたらほとんど使い物になんないから」
「電気で動く混合血塊炉の人機はまだ実用段階には遠いからねー。やっぱり出力不足になっちゃう」
「あの……でもできれば、戦いは……」
「あ、もちろんそうよ? 戦闘はできるだけ避ける方針で。それだけは取り付けたわ」
「まぁ、《ナナツーライト》なら防戦しながらでも時間稼ぎはできる」
うんうん、とエルニィと南は頷き合う中で、さつきは一番気になることを尋ねていた。
「あのぉ……私だけ、なんですかね、乗るのって……」
「あ、それは大丈夫。エルニィが乗ってくれるわよ、下操主に」
「うん、安心してよ、さつき」
その返答にさつきは僅かにがっかりしてしまう。
「そ、そうですかぁ……お兄ちゃんじゃないんだ……」
「あっ、さつきってば、何だかんだでしたたかだねー。そういうところ込みで請け負ったんだ?」
エルニィが茶化してくるのでさつきは大慌てで訂正する。
「ち、違いますよ……! 私はその……一緒に乗るのなら、おにい……小河原さんがいいなぁ、って思っただけで……」
「まぁまぁ。両兵には及ばないかもだけれど、ボクも立派な操主だし。足手まといにはならないつもりだけれど?」
「そ、それは……そうかもですけれど……」
実際、少し期待もしていた。
両兵との夜の散歩にもなるのなら、パトロールも悪くないかも、と。
「まぁ、エルニィが下操主についてくれるんなら言うこともないし、《ナナツーライト》は今夜からでも――」
そう言いかけた南を制するように、インターフォンが鳴る。
「んー、誰だろ。さつき、出て来てよ」
「わ、私が、ですか?」
「だって赤緒も居ないし、五郎さんもでしょ」
「は、はぁ……何か何でも私のような……」
不満をこぼしつつ、玄関口を出たところで、さつきは当の来客がどこにも見当たらないことに気づく。
「あれー……? いたずら……?」
「……こ、ここですぅー……」
足元にしがみついてきたその影にさつきは思わずわっと声を上げてしまう。
その悲鳴に反応して南とエルニィも出て来ていた。
「なになにー、どうしたのさ」
「さつきちゃん、どなただったの?」
「そ、それがこの……何て言うんでしょう……救急車……?」
「それとも警察?」
エルニィが呻っていると三つ編みの人影がぼそりと呟く。
「な、何か食べ物を……恵んでくださいぃー……」
ばたん、と倒れ伏した相手に、ともかく、とさつきは肩を貸す。
「なんか……行き倒れっぽいです! ご飯の用意しますので、立花さんと南さんはこの方を見ていてください!」
さつきは大慌てで台所に入り、割烹着の帯を締め直していた。
「――いやぁー、助かりましたぁー! まさか東京に来て早々、自分の家も分からないとは思わないものでぇー」
間延びした声で話す女性は特徴的な三つ編みの髪型で、何度かふーふーと息を吹いて冷ましてから、うどんをすする。
赤縁眼鏡がその度に曇って、くいっとブリッジを上げていた。
「……ところで、何でうどん?」
「お、大急ぎで何か作らなきゃって思ったもので……あの、お口に合いますか?」
「合いますよぉー。このうどん美味しいー」
どこか和んだ様子の女性にさつきは、よかったと安堵に胸をなで下ろしたのも束の間、エルニィが肘で小突く。
「……さつき、行き倒れとは言え、柊神社に知らない人間入れたのは……」
「あっ、ですよね……。すいません、急だったもので……」
「ふわぁ……っ! あれ、あれってニュースでやってた! ロボット!」
女性はいつの間にか食事を終え、格納庫を指差す。その瞳が好奇心で爛々と輝いていたので、制する声を出す前にさつきはうろたえてしまう。
「そ、それは……。立花さん……!」
「こ、こっち……? えーっと……あのロボットがここにあることは一応、機密事項で――」
「すっごいですぅー……。おっきいなー、何メートルあるんだろ」
こちらの声を聞く様子もなく、女性は格納庫の前で膝をついている《ナナツーウェイ》へと歩み寄っている。
パシャパシャと写真まで撮り出す始末なので、これはまずいとさつきは大慌てで駆け込んでいた。
「ま、待ってくださーい! それは秘密なんです!」
「えーっ、でもぉー、普通に外に出てるのでいいじゃないですかぁー」
「そ、それはその……」
答えに困っているとエルニィが助け舟を出す。
「これは極秘事項なんだ。一般人には開示してないし、写真なんてご法度」
ひょいとカメラを引っ手繰ったエルニィに女性はわなわなと指を震わせた後に、涙目になってしまう。
「わ、私のカメラぁ……」
「わー! わー! 泣かないでください! ……立花さん!」
「えっ、ボクぅ? ……知んないよ、そもそも行き倒れを助けたのはさつきでしょ!」
「だからって……! ……仕方ありません。カメラは返しましょう」
「ちぇー……さつきも甘いなぁ。ま、何だかボクも悪い気はしてたし。それで、そっち、何の用で東京に?」
「あっ、実は教育実習生でぇ……。明日からこの辺の中学校に赴任する予定なんですぅー」
ぺらりと書類を差し出す。
「ん? この中学校ってさつきの学校じゃない?」
「えっ! そうなんですかぁ! じゃあ生徒さんですねぇー」
何だか勝手に話が纏まってしまいそうでさつきはとりあえず、と話題を区切る。
「ひとまず……名乗っていませんでしたから。私は川本さつきです。こっちはエルニィ立花さん」
「よろしくお願いしますぅ! 私は、瑠璃垣なずな。なずなでいいですよっ!」
「……何だか元気な先生だなぁ。あっ、でも教育実習生って先生じゃないんだっけ?」
「先生見習いみたいなものですねぇ」
エルニィは何だかんだ言ってなずな相手に警戒心を持ってはいないようだが、カメラも返した手前、このまま見過ごすべきか、とさつきは思い悩む。
「……どうしよっかなぁ……。連れて来たの私だし……」
「妙ねぇ……」
こちらを先ほどから見据えていた南がふとこぼすのをさつきは問い返していた。
「何がですか? あの瑠璃垣さんって人……普通の人っぽいですよ? ……ちょっとおっちょこちょいなのかなぁとは思いますけれど」
「ううん、そういうんじゃなくって……。どっかで見たような気もするのよねぇ……あの人」
「えっ、南さんのお知り合い……ですか?」
「そんなはずはないんだけれどねぇ……どこだっけ?」
「き、聞かれてもぉ……。教育実習生って言っていましたよ?」
「教育実習生? ……うーん、そんな人の顔に見覚えがあるはずないんだけれどなぁ……」
腕を組んで疑問符を片づけ切れていない南に比して、エルニィはなずな相手に格納庫を見せて回っている。
「あっ、立花さん! 駄目ですってば! 機密事項じゃ……」
「えー、でもこの人、完全に人畜無害っぽいし、見学だけでもさせれば? ご飯まで作ってあげたんだからさ」
「お願いしますぅ、さつきさん!」
「さ、さつきさん……?」
「あれ? おかしかったですか? 川本さん、のほうが……?」
「いえ、そういう問題じゃなく……! 瑠璃垣さんは……」
「なずな、でいいですよぉ? あっ、でも教育実習生なので、先生ってつけてくれると嬉しいかもですぅ!」
「……なずな先生は」
「はいっ! 何でしょう!」
「……調子狂っちゃうなぁ……。えっと、明日から私の学校に赴任されるんですよね? だったらその、明日になったら私が教えますんで、今日は家に帰られたほうがいいんじゃ? だって、家が分からないんですよね?」
「あっ、それならさっきポッケに入れておいた地図が見つかりましたのでぇ! 多分、大丈夫だと思いますぅ!」
笑顔で応じるものだからこっちも怒りづらくなってしまう。
さつきは、でも、とエルニィに視線を寄越す。彼女も心得ているようでウインクしていた。
「とにかく、今日は帰りなって。興味があったらいつでも来ていいからさ」
「そうですかぁ……? じゃあ帰りますねー。さつきさん、エルニィさん、ご飯ありがとうございましたぁー!」
手を振るなずなを見送ってから、あれ、と違和感に気づく。
「……でも、東京が始めてなのに、大きな荷物一つ持ってなかったような……」
それも自分しか感じていない奇妙な点なのか、とエルニィに問い返そうとして彼女はうーんと呻っていた。
「どうしました? 気分でも……」
「いや、何だか……あの人、どっかで見たことない? さすがに本人の前じゃ言えなかったけれどさ」
「えっ……同じこと言ってますよ、立花さん。南さんと……?」
「えっ、そう? じゃあどっかで顔見知りだったのかなぁ……? んー、でも思い出せない。思い出せないってことはどうでもいい人なのかもね」
そう言って片づけようとするエルニィにさつきは僅かな違和感を払拭できずに、石段のほうを眺めていた。
もう、なずなの姿はなかった。
「――いい? 武装はハンドガンだけ。これも都民を怖がらせないための措置なんだからね」
下操主席より確認したエルニィにさつきはぼんやりしていたものだから、叱責が飛ぶ。
「さつき!」
「ふわぁっ? ……あ、えーっと……何でしたっけ?」
「……もう、しっかりしてよ。パトロールとは言え、キョムが出てくれば戦闘なんだから」
「は、はい……。ちょっとぼんやりしちゃって……」
「気になってるの? お昼の先生モドキのこと」
「……まぁ、そうなんですけれど……」
「気にしたってしょうがないじゃん。明日っから顔を合わせるのはさつきなんだから。じゃあ確認オーケー。《ナナツーライト》、出るよ!」
その号令で《ナナツーライト》を滑空させる。
エルニィの技術で飛翔能力を得た《ナナツーライト》であったが、長距離飛行はまだ実装されていない。
せいぜい、跳躍レベルの推進剤のみ。
「……すごい。こんな風に東京を観るの、初めてだから……」
煌びやかな夜景が目に飛び込んでくる。これが東京の人の営み、人々の形。
「さつきは甘いなぁ……。そんなんじゃ、シャンデリアからの光が来れば撃墜されちゃうよ?」
「そんなこと――」
言いかけた刹那に、熱源警告が耳朶を打つ。
上空から闇の雲間を裂いて光の柱が降り立っていた。
その光よりずずっと引き出されていくのは三機編成の《バーゴイル》である。