JINKI 135 あなたのくれた祝福の日に

 ヘブンズに居た頃も。今、こうしてトーキョーアンヘルを率いている時も。

 だけれども、何故なのだか。どうしてなのだか分からないのに、涙が止まらない時がある。

 争って勝ち得た地位ではなく、それこそ順繰りに得られた代物なのに、今ここに居る現実に押し潰されそうな時が決まってあるのだ。

 そういう時に分かっているのか、エルニィは何も言わないし、両兵だってそれは同じ。

 ルイも、もう娘だなんだと言わなくとも、気持ちは通じあっているつもりであったが、抱え込んでいるものをいちいち解きほぐすのも心に分け入るような気がして、親子であっても顔が見られない時もある。

 所詮は他人――、そう言って自分とルイの関係を分かってくれていた人のことを思い出す。

 残酷だが間違いようのない事実。

 ルイはコール・ウィンドウの娘。

 自分は、じゃあ何なのだ。

 誰のために、何のために立っていればいいのだろう。

 絆を、わざわざ確かめなければいけないのかなんて、キャラじゃないはずなのに。

 誰にも涙を見せたくなくって、顔を洗っていると、不意に声を投げられていた。

「あれ、南さん。珍しいですね、こんな朝早くに……」

「あ、さつきちゃん? まぁねー。たまには早起きも悪くないわ」

 そう言って笑って誤魔化す。

 さつきは自分の違和感に気づいていないらしく、微笑んで尋ねていた。

「今日の晩御飯、どうします? まだ朝ですけれど、私、学校があるので」

「そうねー、煮魚なんてどう? ここ最近、あんまり食べていなかったし」

「あっ、それいいですね。赤緒さんと五郎さんに提案してきます」

 離れていくさつきの背中を見送ってから、南はふぅと嘆息をつく。

「危ない……って別に危ないことなんてないはずじゃない、私。そんなに弱みを見せるのが嫌なの……?」

 鏡に問いかけても答えは出ない。

 どんな顔をしていても、どんな笑顔で取り繕っても、拭えない孤独感。

 帰るべき場所が、自分にはないのではないか、と時折感じてしまう。

 それは記憶喪失の赤緒よりももっと辛くて、でも辛いとは誰にも面と向かっては言えなくて。

「……しっかりなさい、私。トーキョーアンヘルのリーダーでしょ」

 パチンと両手で頬を叩いて一喝し、部屋に戻ろうとしたところで、メルJと鉢合わせる。

「あら、メルJ、あんたも早いのね」

「むっ、黄坂南か。貴様にしては随分と早いな……」

「お互い様でしょ。朝ご飯の声がかかるまで寝てるじゃない」

「失敬な。私は射撃訓練のために朝は早めに起きているんだ。寝ぼけたままでは銃器のメンテナンスもできんからな。それに……」

「それに?」

 問い返すと、メルJは頬を掻く。

「……いや、何でもない。……言われてはいたが、本当に忘れているもんなんだな」

「……どういう意味?」

「知らん。今のは戯れだ。さて、銃のメンテナンスに入るか」

 階段を下りていくメルJの背中を見つめながら、南は自室に入ったところで、うーんと首をひねる。

「忘れ物? 何かあったかしら? ……思いつかない」

 思いつかないということは大したことではないのだろうと決めつけて、南は掛布団を被る。

 眠りに落ちるのにいつもならば時間はかからないはずであったが、何故なのだか今日だけはいやに目が冴えていた。

「……寝直しもできない。こりゃたまにある奴かな……」

 南米に居た頃も、どうしても眠れない時があったものだ。そういう時は寝た振りをして一夜を過ごしたり、ルイと共に天体観測を楽しんだりしたものだが、東京ではそうもいかない。

 何よりも、立場があの頃とは違う。

「……大人になっちゃうってのは悲しいわね、本当に」

 感性は鈍くなっていく一方で、若さが単純に羨ましい。

 それでも、何とか眠ろうとして、扉越しに囁き声が聞こえてきていた。

「……本当に、バレてない? メルJ」

「しつこいな。……何にも覚えていない様子だったが」

「んー、そんなはずもないんだけれど、ま、今はそのほうがありがたいや」

「……何? エルニィもこんな時間に起きてるの? 今日は早起きが多いわねぇ……」

 そう呟いていると、赤緒の声が追従する。

「あっ、お二人とも……。大丈夫そうですか? 南さん」

「うん? まー、いつもの調子でしょ。にしても、忘れているとは思わなかったなぁ」

「……そういうのに無頓着なのが黄坂南なんだろう。黄坂ルイはどうしてる?」

「手はず通り。既に準備はしているはずだよ。でも……南、何時に起きるかな?」

「いつもの調子ならご飯時に言えば起きてくると思いますけれど……。でも、南さんも忘れているなんて思わなかったですねぇ」

「ねー。南ってばそういうのだけはうるさいはずなのに」

「……みんなして何のことを言っているのかしら?」

 かと言って聞こえていると出る気分でもなく、南はたぬき根入りを続けていたが、アンヘルメンバーが言っていたことが気にかかって眠れない。

「……駄目ね。ひとまず起きるかぁ……」

 欠伸を噛み殺しつつ、階下に降りたところで、パンパン、とクラッカーが連鎖する。

 思いも寄らぬ歓迎に面食らっていると、赤緒とエルニィの声が弾ける。

「南さん! お誕生日おめでとうございますっ!」

「今日で何歳? 28だっけ?」

 にまにまと面白がっているエルニィに、南は「誕生日、おめでとう!」の横断幕へと視線を移してからようやく、あっ、と手を打っていた。

「そっかぁ……私、誕生日だっけ……」

「あれ? 本当に忘れていたんですか?」

「いや、そもそも私の誕生日って……」

 口にしようとして、いや、そういう空気でもないな、と頭を振って笑顔を作っていた。

「……ごめん、完璧に飛んでたわ。みんな、用意してくれたの?」

「はいっ! ケーキもあるので、夕飯の時にでも!」

「それは楽しみね。じゃあ、今日は誕生日ってことで、パァーっと行かせてもらいましょっか!」

 明るい声を出すとようやく、いつもの自分だと思ってくれたのだろう。

 華やいでいくトーキョーアンヘルの面々の顔を眺めつつ、その中にルイの姿がないのに気づいていた。

「あれ? ルイは……?」

「ルイさんなら、ケーキを買いに行ってくれているはずなんですけれど……大丈夫かなぁ?」

「大丈夫だって、赤緒。さすがにルイもおつかいくらいはできるでしょ」

「……ですよね。心配し過ぎかな……」

 それぞれの言葉を聞きつつ、南は朝食に出された赤飯を目にして、そっかぁ、と呟く。

「……私、誕生日だっけ……」

「……南さん? どうかなさいました?」

「え、あ、ううん! 何でもないの。こうして祝ってくれるだけでありがたいって話なだけよ」

「そうだよー、南。もう二十代後半じゃん。あっという間に老け込んじゃうんだからね」

「何よぅ、エルニィ。あんただってまだ日本じゃ中学生かそこいらの年齢でしょ? まだまだお子ちゃまなのよ。もうちょっと色気を学びなさい、色気を」

「言うねー、南」

「まぁまぁ。ひとまず、朝ご飯にしましょう。赤飯はさつきちゃんが仕込んでくれたので、私も初めて食べる味なんですから」

「おっ、さつきの手料理ってことかー、じゃあ楽しみー!」

 早速、朝食にありつくエルニィを他所に、メルJは盛られた赤飯を凝視する。

「……どうしたんですか? ヴァネットさん。赤飯はお嫌いでしたか?」

 さつきの問いかけにメルJは尋ね返す。

「この赤いのは合成着色料なのか? 不自然だ……」

「違いますよぉ、これは小豆の色なんです」

「小豆……? 馴染みは薄いな……」

 赤緒とさつきが説明するのをどこか微笑ましく眺めていると、エルニィが声をかける。

「でもさー、南も南。まさか自分の誕生日まで忘れちゃってるなんて」

「……そりゃあ、あんた。年を取るのは嫌なものよ」

「まっ、だよねー。何でだか両兵も顔を見せないし。せっかくの赤飯なのに、全部食べちゃうけれどー?」

 エルニィが屋根の上の両兵を呼ぶが、今日に限って彼は応じないらしい。

 ――ああ、そうか。両は知っているから。

 何となく、今ここに両兵が居てくれないで安心している自分を発見し、それが嫌でわざと明るい声を出す。

「でも、本当、美味しいわ、さつきちゃん! こういう赤飯とか、久しぶりに食べた気がする!」

「そう、ですか? 旅館のレシピ、きっちり覚えておいてよかったです」

「本当そう! これなら無限に食べられちゃうね」

 赤飯をかけ込むエルニィに赤緒が注意を促す。

「あっ、立花さん。あんまり食べ過ぎちゃ駄目ですよっ。今日の主役は南さんなんですから」

「ぶーっ、赤緒のケチー。いくらでもあるんだからいいじゃんかー」

「駄目ですってば。あっ、南さん。よそいましょうか?」

「ああ、うん。ありがとう、赤緒さん」

 茶碗を渡している最中も盛り上がっているアンヘルメンバーに、どこか乗り切れていない自分に、南は声を張っていた。

「あっ、やっぱちょっと今日は早めに朝ご飯は切り上げないと。目を通さなくっちゃいけない書類がまだあるの」

「そう、ですか……。でもまだまだ赤飯はありますので、ご心配なく」

 笑顔で赤緒に応対してから、居間を後にして、ため息を一つ。

「……素直に言えないのは、やっぱり辛いところよね……。今日は……そっか。私、誕生日だったんだ……」

 六月の後半に差し掛かったカレンダーの日付を見やり、ふとこぼす。

「……思い出しちゃうわね。青葉の……南米の日々のことを」

「――青葉君、今日は誕生日なんだって?」

 唐突に現太にそう尋ねられて青葉はノートから顔を上げる。

「あっ、そういえばそうだっけ……」

「なに、心ばかりのお祝いをしようと思ってね。アンヘルでも誕生日と言うのは大事にしているんだ。整備班、操主分け隔てなく、誕生日だけは祝い合うことにしている」

「……何、あんた誕生日なの」

 こちらに目線を振り向けたルイに、青葉はうん、と頷く。

「忘れっちゃってたけれど、そう……」

「ふぅん、おめでとうとでも言えばいいのかしら」

「祝ってくれるの?」

「誕生日くらいはね。いくらモリビトの操主の座をかけているとは言っても、かわいそうじゃないの」

 何だかそう言われるとルイにも一端の操主候補としてしっかり意識されているようでこそばゆい。

「ただし、浮かれるかは別。馬鹿騒ぎするのは好きじゃないのよ」

「だが、去年の誕生日パーティではみんな祝っていたじゃないか。ルイ君も確か10月だったね?」

「ルイって10月生まれなんだ……」

「……何? 生まれた年月で偉いわけじゃないでしょ?」

 むっとしたルイに言い返す術もなく、青葉が委縮していると現太が取り成す。

「まぁまぁ。ひとまず、今日の夕食は盛大に祝おう。ああ、だが……南君は呼べないかな……」

 困惑した表情を浮かべる現太に青葉は問い返す。

「何でですか? 南さん、何かご用時でも?」

「いや、そういうわけではなく……。これは私の口から言うべきなのか……」

「南には誕生日に関しちゃ、思うところがあるのよ」

「思うところ……それって何か嫌な思い出とかが……?」

「……愚問ね。そういうのを私の口から言わせるの?」

 確かにそう言われてしまえば、直接南の口から聞くのがいいように思われたが、現太はそれを渋っているようであった。

「……誰しも嫌な思い出の一つや二つはあるものさ。ひとまず今日の授業はここまで。後は宿題にしようか」

 お開きになった授業から部屋に戻る途中で、両兵が整備班といがみ合っているのを発見する。

「ヒンシ! もうちょいペダルの軽量化頼むぜ、マジに! あれじゃ反応遅れちまう!」

「無茶言わないでよ、両兵! あれ以上軽くしたらモリビトが下手に跳ねてしまって反応どころじゃ……! あっ、青葉さん」

 こちらに気づいた川本に両兵がふんと憮然と応対する。

「何だ、青葉か。お前からも言ってやれ。ファントムの練習のためか知らんが、ペダルを重たくされちゃ普段の速度に関わってくる。上操主はそうでなくっても下よかやるこたぁ多いんだ。下と同じに考えられたら堪ったもんじゃねぇ」

「それは……! ……両兵。今日って何の日か知ってる……?」

「あン? 今日ぉ……? 1月の4日だろ? 年明けて4日目」

「そういうことじゃなくって……! 誰かの特別な日だとかは……」

「あ、青葉さんの誕生日だったね。きっちり夕飯は豪華にしてあるから」

 川本の言葉に対し、もじもじする自分に両兵はとことん呆れ返ったようである。

「……何だ、そんなことかよ。モリビトの古代人機防衛成績に関わってくることに比べりゃ、大したことじゃねぇし」

「両兵! 言い方! 女の子の誕生日なんだから!」

「あー、うっせぇなぁ。おめでとうとでも言っときゃいいのか? ま、誰かの誕生日ってのはいいメシが食えっから、それだけは感謝だな」

 相変わらずデリカシーの欠片もないが、両兵ならば何か知っているかもしれないと青葉は問いかける。

「両兵。南さんって、誕生日が嫌いなの?」

 その言葉に両兵だけではない、川本も身を強張らせていた。

 何かまずいことを言っただろうか、と窺っている間にも両兵がずいっと顔を近づけさせる。

「……それ、誰から聞いた?」

「あ、先生から……。でも、理由までは教えてくれなくって……」

「オヤジか……。まぁ、黄坂は……ちとワケありなんだよ」

「ワケありって……?」

「本物の誕生日がねぇんだ」

 言葉にされた意味が分からずに硬直していると、川本が補足する。

「正確には、定まった誕生日が分からない、だけれどね。一応、書類上の誕生日は9月の18日なんだけれど、それって正式なものじゃないらしいんだ。どうにも当時の軍部とのごたごたがあって……。南さんはヘブンズで隊長をしているけれど、その前は前任者の隊長が居て、その人の下で働いていたんだ。でも、ヘブンズって言うのも急造でさ。元々は身寄りのない……孤児みたいな人たちを引き取っていたらしい。そういうスタンスだった、って言うのが、本当のところかな」

 まさかそこまで重い過去だとは思わず、青葉は反射的に謝っていた。

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