JINKI 138 夢幻領域の向こうで

 足元に人間が居れば踏み潰してしまいかねないのが人機の本質だ。

 せめて、それだけはないように努めて……と、考えてた矢先、青葉は視界にはためく赤い旗を認める。

「……両兵! あれ……!」

「おう、こっちからも見えた。赤旗か。生存者なら――」

 通信域を探ろうとしているこちらに、青葉は次の瞬間、鋭敏化された敵意が集約されたのを知覚していた。

「……駄目っ! 来る!」

 何が、と言う主語を結ぶ前に、《モリビト2号》は姿勢を沈める。

 その頭上を行き過ぎていったのは、コンセントのような形状をした腕であった。

 推進剤が焚かれ、その腕が赤旗の座標へと舞い戻っていく。

「……おい! 青葉! 舌ぁ、噛むところだったろうが!」

「それどころじゃない……両兵! 何かが……来ていて……」

 明瞭に結ぶ言葉を持たないでいると、霧の向こうに佇む巨影が身じろぎする。

 単眼を有した肩幅の広い機動兵器は、確かに人機そのものだ。

「……あれは、何だ? 新型機か?」

『両! そっちのデカブツ、こっちでも確認したわ! それは軍部の開発していた試作人機よ。名前は……確か、《ゴルシル・ハドゥ》のはず……。でも形状が僅かに異なるわね。恐らく、まだ完成していないのよ。名を冠するなら、それは《プロト・ハドゥ》』

「《プロト・ハドゥ》……未完成の人機……?」

 青葉の言葉に応じるかのように、巨大な影たる《プロト・ハドゥ》は片腕を突き出し、次の瞬間にはそれを肘の付け根から放射していた。

 咄嗟の飛び道具相手に、反応が僅かに遅れた両兵に代わり、青葉は下操主席で、《モリビト2号》の機動を受け持つ。

「危ない……っ!」

 機体を横滑りさせて回避するが、放たれた腕パーツは直角に折れ曲がり、《モリビト2号》を追尾する。

「……野郎、目でも付いてんのか! しつこく追いかけてきやがる。青葉! ブーストで逃げ切るぞ! 本体を叩く!」

「うん……っ! でも、相手も人機……なんだよね……」

 浮かべた懸念に両兵は言いやってみせる。

「……大方、軍部のシナリオなんだろうな。ここでモリビトとぶつけてみて機体性能を精査するって言う。なら、乗ってやるまでもねぇ! このポイントを無傷で逃げる! ……確かに背中向けるのは癪だが、それ以上にまともに戦ってやるまでもねぇ!」

 両兵の言う通り。今のモリビトの装備で《プロト・ハドゥ》と打ち合えば、どちらかが撃墜されるのは明らかだ。

 なら、勝負に持ち込むこと自体が下策。

 青葉は《モリビト2号》にファントムの準備をさせようとして、さらに追いかけてくる《プロト・ハドゥ》の腕を大写しにしていた。

「……思った以上に速ぇ! 青葉、ファントムだ! このポイントを捨てる!」

「でも……私たちが逃げられても、南さんたちが……!」

 モリビトの機動性能なら《プロト・ハドゥ》の関知範囲からは逃げおおせるだろうが、まともな速力も出ない《ナナツーウェイ》ではこの追撃をかわせないだろう。

『……青葉。心配はしないで。私たちは百戦錬磨のヘブンズ! こんなの日常茶飯事なんだから!』

「で、でも……! 置いていけませんよ!」

《プロト・ハドゥ》は一旦腕を戻し、索敵に入っているようであった。

 赤い眼光の単眼に、青葉は逃げられないと感じる。

「クソがッ! せめて一発くらいはよ!」

 両兵は速射ライフルで《プロト・ハドゥ》を狙い澄ますが、濃霧の影響で照準器がまともに動作しなかった。

 その中で、こちらを的確に追いかけてくる《プロト・ハドゥ》の自律稼働兵器を放置して、自分たちだけ逃げていいわけがない。

「……両兵。せめて、相手の腕だけでも迎撃しよう。そうじゃないと、こんなの……!」

「青葉? だが勝ち筋はねぇんだ! 敵機はここを拠点にしている。大方、逃げる算段ももう付いてるはずだぜ。それに比して、こっちは格好の獲物には違いねぇはずだ。狩人に狩られるだけってのは……性に合わねぇ!」

 だが抵抗しようにも、敵の射程は明らかにこちらを勝っている。

 この時点で勝負に持ち込んだところで、泥仕合にもなりはしない。

「……せめて、この濃霧さえ何とかなれば……!」

 青葉の淡い願いも虚しく、敵が次なる攻撃の手はずを踏んだのが、気配で伝わってくる。

 今逃げるか、そうでなければ勝ち目のない勝負をするか――二つに一つだ。

『青葉! それに両も! 私たちは別ルートがあるから、逃げられる! あんたたちは気にせずに逃げなさい! そうじゃないと喰われるわよ!』

 南の警句にもしかし、青葉は早鐘ばかりを打つ脈動を感じていた。

 この状況で如何にして生き残れる? それがまるで浮かんでこない。

 接近したところで、一撃で倒せなければ意味がない。

「……逃げるしかないなんてそんなの……!」

 敵影がこちらへと照準を向けたのが濃霧越しでも分かる。

 青葉は下操主の操縦桿をぎゅっと握り締め、そして――《プロト・ハドゥ》へと《モリビト2号》を対峙させていた。

「……青葉! 何してンだ!」

「……両兵。私、逃げない、逃げたくない……。南さんを見捨てるのも嫌だし、それに……ここで逃げて、あの人機を放っておくのはもっと嫌! だから……!」

「アホか! これは罠なんだぞ! 哨戒機がどうのこうのもオレらを誘い出すための方便だ! ここでモリビトの実力を試金石にしようとしてやがる! そんなのを前に……!」

 ――分かっている。

 立ち向かうことも愚ならば、逃げることも愚。

 だが同じ愚かさなら、自分は立ち向かいたい。

 それがわがままでも、誰かを助けるのに繋がるのならば――。

「逃げない! 逃げるもんか――っ!」

《モリビト2号》が姿勢を沈め、《プロト・ハドゥ》と向かい合う。

 両兵は苛立たしげに後頭部を掻いて、ああっ、と呻いていた。

「……ったく! 馬鹿やるのが好きな奴が下操主だとこうなっちまう! ……だが、気持ち自体はオレも同じだ。あんなの相手に、ただ逃げるなんざ、オレたちらしくねぇ! せめて、片腕くらいは手土産にさせてもらうぜ、青葉!」

「うん! ファントム!」

 掻き消える勢いで加速したのと、《プロト・ハドゥ》の腕が射出されたのは同時。

 敵の自律腕が機体を掻っ切るまでのレイコンマ一秒未満の時間を縫い、《モリビト2号》は肉薄する。

 ブレードを引き抜き、濃霧の先に居る《プロト・ハドゥ》に飛びかかってから、霧に隠されていた敵機のもう一方の腕が銃身になっていることに気づく。

 火を噴いた弾道を掻い潜り、両兵は雄叫びを上げてブレードの剣筋を軋ませ、《プロト・ハドゥ》の銃身のほうの腕を叩き割っていた。

 だがまだ自律腕が残っている。

 ハッと戻ってくる敵の兵装相手に、青葉は終わりを予見していた。

 分かっている。この反応速度では絶対に、《モリビト2号》は無事では済まない。

 コックピットは射抜かれ、自分たちは死ぬだろう。

 その未来像が明瞭に形を結ぼうとした、その時である。

 ――遠く、長く、そして懐かしい、声がしたような気がした。

 その直後には《プロト・ハドゥ》は何かに組み付かれ、自律腕が速度を落とす。

 その何かはハッキリとは見えなかったが、青葉の眼には、《プロト・ハドゥ》を止めようと必死にその腕を伸ばしているのは、間違いなく――。

「ナナツー……?」

「青葉! 何か知らんが奴さん、反応が落ちやがった! 今なら獲れるぜ!」

「あ、うん……。速射ライフルを撃ちながら離脱挙動! 行ける……!」

 速射ライフルの銃撃が咲きつつ、火線を棚引かせながらモリビトが後退していく。

《プロト・ハドゥ》は霧の向こう側に居る「何か」にそのまま飲み込まれていったように映っていた。

 ポイントを抜けてから、両兵が息をつく。

「……生きた心地がしなかったぜ。後で軍部にゃ、デカい借りを作ったってことになるな」

「……ねぇ、両兵。あの人機、何だったんだろ……」

「人機ぃ? 《プロト・ハドゥ》のことか?」

「そうじゃなくって……。最後の最後に見えた、ナナツーみたいな……」

「そんなもん見えなかったが? 相手も試作人機だ。マシントラブルでもあったんじぇねぇの?」

 両兵には見えていなかったのだろうか。

 だが、自分は確かに、霧の使者である白いナナツータイプを目にしたのだ。

『両、青葉。こっちも安全域まで逃げ切れたわ。あんたたちが応戦してくれたお蔭よ』

「おう、この借りはデケェぞ、黄坂。食堂のメシ、ちょっといいもん奢ってくれよ」

『こっちだって金欠なんだからね。でもまぁ、生きて帰れたからいっかぁー』

「あの……南さん。あれ、見えましたよね? ナナツー……」

『うん? 何言ってんの、青葉。《プロト・ハドゥ》のシステムトラブルでしょ? 大方、自律稼働兵器なんて付けてるから、血塊炉がオーバーヒートでもしたんでしょうね』

 本当に、自分以外は誰も目に留めていなかったようであった。

 不可思議な感触を味わいながら、青葉はふと来た道を振り返る。

 夢幻に煙るテーブルダスト、ラ・グラン・サバナの地脈の向こうに、今も息づく何者か。

 それが今回は気紛れにも、自分たちの味方をしてくれた――そう思っていいのだろうか。

「……幻のナナツー、か。会えたんだ……」

 この世には、ヒトの叡智では決して辿り着けぬ領域が存在する。

 それが時折人界に干渉して、こうしてその時々に誰かの手助けをすることもある。

 だが、彼らは基本的に人間の味方でもなければ、ましてや敵でもないのだ。

 ただそこにあり続ける。

 それが、夢幻領域の向こう側で、永劫の時を生き続ける者の宿命なのだろう。

 ――だが夢幻の霧の彼方で、今もそのナナツーは砂礫の大地を踏み締めている。

 広がるその足跡に思いを馳せて――。

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