JINKI 140 約束は風任せで

「両兵ー、サビ落とし持ってきたよー」

「おう、サンキューな、立花」

 エルニィが段ボールいっぱいに抱えた工具類を差し出すと、両兵はバイクの修繕にかかる。

「にしても、手間だよねー。バイクってこんなのなんだ?」

「何だ、立花。乗ったことねぇのか?」

「じーちゃんは腰が悪かったからこういうのには乗らなかったんだよね。その割には人機のメカニックをしていたわけなんだけれど」

「じゃあ後で乗せてやる。楽しみに待ってな」

「ホント? うっわーい! やったー!」

 諸手を挙げて喜ぶエルニィに赤緒は僅かにじとっとした目線を向ける。

「……立花さん、ズルい……」

「ズルくないってば。ボクは修理を手伝ってるんだからそれくらいは当然の報酬でしょ?」

「でもぉ……日本じゃバイクに乗るのも免許が要るはずですけれど」

「免許ぉ? 数倍複雑な人機に乗ってんだ。それくらいは免除だろ」

 バイクを弄る手は止めずに両兵が応じるのを、エルニィも便乗していた。

「そうだってば。何さ、赤緒ってば今さら。それに、ボクと両兵がバイクに乗るの、そんなに気に入らない? 嫉妬してるの?」

 にまにまと締まりのない笑みで挑発してくるので、赤緒はむっとして言い返してしまう。

「しっ……しませんよ! そんな、嫉妬とか! ……ただ、バイクとか、危ないらしいんで気を付けてくださいね!」

 言いやって台所に取って帰してから、はぁと大きなため息をつく。

「……馬鹿だなぁ、私。何で素直に羨ましいって……。ううん、でもだからって……別に小河原さんと一緒に乗りたいとかじゃ……」

 ぶつくさと呟いていたのを五郎が目に留めてふふっと微笑む。

「赤緒さん。今日はお時間もありますし、小河原さんとツーリングデートでもいいですよ?」

「つっ、ツーリングデート? むっ、無理です、無理……! だって、そんな……デートとか……」

「おや、そのつもりで仰ってたんじゃなかったので?」

「そ、そういうつもりじゃないんですよぅ……。ただその……立花さんだけじゃズルいじゃないですかぁ……」

 唇を尖らせた自分に五郎はお吸い物の仕込みをしながら悪戯っぽく笑う。

「では他の方々が小河原さんとツーリングデートに行ってもいいと?」

「そっ、それはぁ……嫌ですけれど……」

「ほら、素直になったらいいじゃないですか。小河原さん、義理堅い御仁ですので、別に赤緒さんを邪険にする気は一ミリもないと思いますよ?」

「……むーっ……そう言われちゃうと、どうしようもないんですよねぇ……」

 両兵に悪意がないことなど分かり切っている。問題なのはそれを取り巻く自分たちなのだ。

 悪意と言うほどではないにせよ、よく思われたいには違いないのだから。

「……私、ちょっとお茶を差し出してきます。バイクのお手入れって大変そうですし」

「はい。頑張ってくださいね」

 五郎に背中を励まされ、赤緒はエルニィと両兵二人分のお茶を淹れて境内に再び向かうと、今度は南と両兵があれこれと喋っていた。

「何馬力? これ」

「あー、その辺よく聞いてなかったな。何でも、すげぇ馬力なんだと」

「へぇー、あんたもこういうの、興味あったのねぇ」

「興味っつーか、もったいねぇだろ。使える代物だ。まだ使うのに価値はある」

「そういうものかしらねぇ。おっ、赤緒さん、どうしたの?」

「……み、南さん? 立花さんは……」

「エルニィなら飽きちゃって。人機の格納庫のほうに行っちゃったわよ」

 南が格納庫のほうを指差して言いやる。勝手なものだと思っていると、ひょいと南が湯飲みを手に取っていた。

「にしても、バイクなんてカナイマじゃ有り触れたものだったけれどねぇ」

「ああ、こっちとあっちじゃ文化の違いってのか? オフロードメインの悪路ばっかだったからな。こんな舗装された道を走るのに適してる温室育ちのバイクなんざお目にかかれなかったもんだぜ」

 ポンポンと両兵はバイクのエンジン部を叩く。南は興味深そうに覗き込んで、あっ、と声を出す。

「ここんところ。もっとチューンすれば速度出るんじゃない? このままじゃ、エンストしちゃうわよ? 使ってないバイクならなおさらね」

「おう、マジでか。じゃあここんところを立花……は、飽きて居ねぇし……。あいつ、工具だけ置いていきやがって。……あいつを最初にはもう乗せん」

 そうなって来て、では自分が、とうまく乗っかろうとして南に遮られていた。

「じゃあ私を乗せてよ。日本のバイク、乗ってみたかったのよねぇ」

「おう。じゃあお前が後ろに乗るか? 誰かしら乗せねぇとこいつも野郎を乗せた程度じゃ浮かばれないだろうしな」

 ぱくぱくと、赤緒が言葉を差し挟む隙を失っていると、南が湯飲みを覗いて声にする。

「おっ、茶柱。赤緒さん、お茶請けあったわよね?」

「あ……はい……。ありましたけれど……」

「……何でそんなにがっくり来てるの?」

「いえ、そのー……何でも……」

 台所に再び取って返した赤緒は涙声で五郎を呼びかける。

「五郎さーん!」

「うわっ! どうしたんですか、赤緒さん……。お茶をお二方に持っていったんじゃ?」

「……立花さんはとっくに飽きちゃってたんですぅ……。それで、今度は南さんが……」

「後ろに乗る約束を?」

 こくり、と首肯すると、五郎はうーむと唇を押し上げて思案する。

「困りましたね……。南さんとなると……」

「……別に、私は乗りたいとは一言も言っていませんけれど……」

 いじけた声に五郎は笑みを振り向ける。

「ひとまず、お茶請けを持っていくのはどうです? もしかしたら話の流れ次第では変わるかもしれませんし……」

「えー……、そんなにうまくいくんですかねぇ……」

「やってみるもんですよ。ひとまずお茶請けはこの間、南さんが買ってきたベーグルを……おや? 何やら手紙が挟まっていますね」

「手紙……?」

「南さん宛てのようですが……ちょっと確認してきてもらえます? 英語なので咄嗟には読めないので」

「あ、はい……」

 便箋を手に赤緒が二人の下へと戻っていくと、観客が増えており、ルイとさつきがバイク弄りをする両兵を眺めていた。

「南さーん。この間のお茶請けのベーグル、お手紙が入っていたようで」

「手紙……? 何かしら……」

 手渡したところで、あっ、と間の抜けた声が響く。

「しまったぁ……! これ、早急に返事書かないといけない奴! 油断したぁー! この高官、確かアンヘルに影響力あるのよ! ……どうりで何にも言ってこないなー、と思っていたら! ちょっと電話借りるわね、赤緒さん! 今からじゃ郵便間に合わないし!」

 室内へと向けて駆けて行った南が、直後には堪能な英語で誰かと国際電話を交わしているようであった。

「……偉い人、だったのかな……」

 いつもよりも南の態度が軟化しているので、ともすれば影響力があると言っていたのはあながち嘘ではないのかもしれない。

「これで、私かさつきの二人に絞られたわね」

 ルイの言葉に赤緒が、へっ、と素っ頓狂な声を出すと、彼女の鋭い視線が飛ぶ。

 ――余計なことを言うな、と言う眼差しに赤緒が無言になっていると、さつきは両兵の手つきを見ながら感嘆する。

「へぇー、バイクってこうなってるんだー……。私、乗ったことないから分かんないかも」

「おう、じゃあさつき、乗ってみるか? 風を感じるっつーのかな。案外人機とはまた違った楽しみがあるかもしれねぇぜ」

「本当? じゃあお兄ちゃんの背中に……」

 と、そこでさつきが言葉を切ったのはルイが凄味を利かせたオーラで睨んでいたからだろう。

「さつき、ちょっと……」

 ルイに呼び寄せられ、さつきは少し遠くに行って説教を受けているようである。

「あれ? さつき……。ンだよ、アンヘルは飽き性が多くって困るよな。柊、悪ぃけれど、工具箱にちょうどいい重さのレンチが足りん。多分、立花の手持ちの工具箱に入ってンだろ。ちょっと取って来てもらえるか」

「あっ、はい……。あのー、喉が乾いたりとかは」

「あー、それもあるわ。さっきの茶じゃ足りなかったし、何か持って来てくれ」

 両兵の言葉を受けて赤緒は軒先に打ち捨てられている工具箱を探っていると、次いで両兵に歩み寄っていったのはメルJである。

「……小河原、いいものを弄っているじゃないか」

「おっ、分かるか、ヴァネット」

「それなりには、な。バイクはいい。風を切る感覚がシュナイガーに似ている」

「さすが、空戦人機操るお前が言うと説得力が違うぜ。何なら乗ってみるか? 他の連中、飽きっぽくってよ。なかなかこいつが本調子になるまで待ってくンねぇんだ」

「……いいのか? なら、お言葉に甘えて……」

「……むーっ、ヴァネットさん、ズルい……」

 だがここで自分が分け入ってはせっかくの空気が台無しである。

 仕方なく、レンチを探し出してから、それを軒先に置いたまま、台所へと取って返す。

「……五郎さーん!」

「今度は何です、赤緒さん。何か進展でもありましたか?」

「いえ、そのぉー……。皆さん、なかなかにしたたかでその……」

「チャンスがない、と?」

 情けなく頷くと、五郎は山菜を切りながら考え込む。

「ですが……あまり時間をかけても仕方ないはずですよ? そろそろ誰を乗せるのかは決まるのでは?」

「……まぁ、もうお昼の三時過ぎですし、決めないと今日はお流れでしょうし……」

「それよりも、何か御用があって台所に戻って来たのでは?」

「あっ……小河原さん、喉が渇いたって……」

「ではそこの冷蔵庫に冷やしてあるラムネをどうぞ。赤緒さんも、飲んで行ったらいかかです?」

「じゃあそのー……とりあえず一本だけ……」

 二本のラムネを手にして境内に戻っていくと、そこにはメルJの姿はなかった。

「あれ……? ヴァネットさんは……?」

「シュナイガーが恋しいから、バイクはまた今度ってよ。代わりに別の人機で出るつもりじゃねぇのか? あいつ、何だかんだで人機は嫌いじゃねぇからな」

「あっ、小河原さん。鼻の上……」

 両兵が鼻の上をこすったせいで黒い機械油が飛んでいる。

 それをそっとハンカチでさすると、両兵はおう、と声にする。

「すまんな、柊。それ、持って来てくれたのか?」

「あ……はい。喉が渇いているならって五郎さんが……」

「気が利くな。とりま、もーらいっ、っと」

 喉を潤す両兵の隣で、赤緒はすっかり修繕されて見違えたバイクを見やる。

「……直ったんですね」

「まぁな。こいつもなかなか手こずらせるぜ。人機のメカいじりが幸いしてこの程度なら自分でってのもあったけれどよ。……でもまぁ、それ以上にあンのが、バイクってな。何か、懐かしいんだよ」

「懐かしい……ですか?」

「ああ、言ってなかったか? オヤジが結構昔に……一回だけバイク……いや、あれはスクーターだったか? そういうもんに乗せて、その後ろに乗ったことがあったんだ。ガキの頃の思い出さ。……何度もオヤジの背中は上操主から見てきたけれどよ、一番デカく見えたのは後にも先にもそのバイクの背中だけだったな。……思えばそれ以来かもしれん。バイクってもんから遠ざかっていたわけでもねぇンだが、風を切って、いや、風と一つになって野を走るってのは無縁になっちまってた。いい機会なのかもな。こいつと一緒に、名も無い一人として野を駆け回るってのも。……っつっても、日本じゃ南米で言うほどの野ってもんもねぇが」

 そう言って自嘲した両兵の横顔が少し望郷の色を帯びていたのはきっと、少しだけ暮れ始めた空の色だけのせいではないのだろう。

 話してくれたのは両兵だけの思い出のはずだ。

 両兵は自分の父親と言う存在に関しては、なかなか口が軽いわけではないが、話してくれている時には優しい眼をしている。

 その眼を見るのがどうしてなのだか自分は嫌いではない。

「……でも、こうしてまたバイクに乗れるんなら、今度は小河原さんがその背中になる番かもしれませんね」

「……だな。誰かを乗せて、誰よりもでっかい背中に、か……。何かそう都合よく気持ちが乗るとも思えねぇけれど」

「いえ、きっと、乗りますよ。だって、その思い出を大事にしているのは、小河原さんですもん」

 なら継承できるはずだ。その思い出の中の懐かしさを。誰かと一緒に。

「……柊、ちぃとツーリングに付き合ってもらえるか?」

「……私?」

 言い出したのは両兵だが、彼はどうにも煮え切らないような面持ちで後頭部を掻く。

「……何か、誰かを乗せたいって思えるのは大事に感じてな。駄目か?」

「い、いえっ……そのー……私でいいんなら……」

「じゃあ後ろに乗れ。ヘルメットはしとけよ。ホレ」

 両兵の投げたヘルメットをつけて、赤緒はバイクに跨る。

 両兵はハンドルを握り、アクセルをかけていた。

 微細な振動が生じ、バイクの息遣いを感じさせる。

 このバイクも人機と同じ――意志の有無は分からないが、誰かの思い出を抱くために息づいている。

 そう感じた直後には、両兵の声が弾けていた。

「柊! しっかり掴まってろ!」

「ふぇっ……? ひやぁ……っ!」

 大慌てで両兵の腰へと手を回して、その背中にしがみつくことだけを考えてバイクの疾駆に身を任せる。

 少しの間は目を瞑っていたので振動ばかりであったが、その鳴動にも慣れてきた頃、薄っすらと瞼を開く。

 ――その視界に飛び込んできた景色に、赤緒は瞠目していた。

「すごい……風を切ってる……」

 並み居る車両を追い越し、堤防を突っ切って両兵の駆る黒いバイクが道すがらに草野球チームの子供たちの帰り道の背中を追い越していく。

「あっ、両兵ー! 今日はデート?」

「まぁなー!」

 そう両兵が返したのを聞いて、赤緒は慌てて問い返す。

「えっ……? えっ……? 違い……ますよね?」

「ん? あー、あいつらの言ったのよく聞こえなかったんだわ。とりあえず返答しただけだが……何か間違ったことでも言ってたのか?」

「……うぅー、そうだとは言えない……」

 耳まで真っ赤になって赤緒はびゅんびゅんと風と一体化して走り抜けていくバイクの疾走感に飲み込まれていた。

「……すごい! こんなに速いなんて……!」

「……人機のほうが速ぇだろ。変なこと言うな、てめぇも」

「もうっ! そういう意味じゃないんですよー!」

 バイクのエンジンのいななきが大きいせいで自然と大声になってしまう。両兵も負けじと声を張っていた。

「じゃあどういう意味だってんだー! ファントム使える奴の台詞じゃねぇだろー!」

「だーから! そういうことじゃないんですってばー!」

 そうお互いに言い合ってから、何だか可笑しくなって笑い合う。

 何だかこの空間だけは特別なようで、赤緒は微笑みを湛えていた。

「……ちょっと馬鹿みたいですよね、私たちー!」

「バカってなんだよ! ……まぁ、てめぇがそうなのはそうだろうけれどなー!」

 そうだ、風になっている間だけは、自然と一つなのだ、と赤緒は直感していた。

 他の喧騒や、車の雑音はほとんど消え失せて、ただ渾然一体の疾風となった自分と両兵は、同じ時を共有している。

 何だか代えがたいことに思われて、赤緒はぎゅっと両兵の背中に回した手に力を込めていた。

 ドキドキしているのはきっと、バイクの速さのせいだけではないはずだ。

「……こうしてると、心臓の音まで聞こえちゃいそう」

「何だー? 小せぇ声じゃ分かんねぇぞー!」

 粗雑な両兵の声に、赤緒も同じような粗雑さで返す。

「いいんですよー! 今のは聞こえなくってもー!」

「……そうかよ」

 そのままいくつかの道路を貫いて、大通りに出ると、行き交う他の車のエンジン音や走行音で本当に声なんて聞こえなくなってしまう。

 だからこそ、赤緒は小さく呟いていた。

「……ずっと、こうしていたいなぁ……」

 返事はなかったがそれでいい。

 今は、それでいいはずだった。

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