JINKI 141 両兵のお勉強

 嫌味をくれてやると、両兵もむっとして少しはやる気を出したらしい。だが、まずは鉛筆の持ち方からだ。

「それじゃクレヨンとかと同じ持ち方じゃない。……両兵、文字書けるの?」

「おいおい、何だ、そのバカにしたような眼差しは。字くれぇ書けらぁ」

 そう言って文字を書くには書くのだがミミズがのたうったような文字列である。

「……もう一回聞くね? ふざけてる?」

「ふざけてねぇって! ……大体、ふざけてたらてめぇの言い分なんざ聞かねぇだろ? つーことはふざけてねぇってこった」

「うーん……判断材料がちょっとおかしいけれど……それもそうか」

 妙なところで納得しつつ、青葉はそもそもの鉛筆の握り方を教え込む。両兵の大きな拳をゆっくりと解きほぐし、そのまま文字を書き連ねていく。

「……何か、すげぇ侮辱的な気分だぜ。操主として儘ならない奴に字を教えてもらってるつーのはよ」

「文句言わないの。両兵、文字書くの忘れてるんでしょ。だったら、習慣をつけないと」

「習慣? 何のだよ」

「文字を書いたり、勉強したりするって言う気持ち。それがないと、駄目になっちゃうよ」

 こちらの言葉に両兵は考え込むかのように間を挟む。

「……待て待て。勉強とかってのは別だ、別。お前らとは違うんだよ。今さら勉強なんざ、情けなくってできやしねぇ」

「勉強できないほうが情けないと思うけれどね」

「……ンだと、てめぇ……。おっ、でも思い出してきたぜ、文字を書くっつーのは。ほれ、立派な文字だろ?」

 両兵が掲げた文字列は先ほどよりかは少し見られたものだが、やはり人前に出る文字の綺麗さではない。

「駄目だって! もっと綺麗に書かないと! 心が籠ってないよ」

「うっせぇな、読めりゃあいいんだ、読めりゃあな。資料を漁って、文字を書ければ、ほれ、立派だろ?」

「……だいぶ妥協点だけれど……仕方ないよね、両兵だし」

「なに馬鹿にしてくれてんだ、てめぇ……。いいんだよ! 文字も勉強も必要になったらできるもんなんだ」

「……本当に? 両兵、そんなこと言って将来、すごい勉強しないといけなくなったらどうするの?」

「そン時ゃ、オレもそんな心配がねぇくらいにはなってるさ。まぁ思い出させてくれるような奴が居るかもだがな」

「ふーん……まぁ、私は別にいいんだけれどね。両兵がどれだけ勉強できないのか、ある意味じゃ知ってるようなものだし」

「あーっ! お前、その言い草! ったく! アホバカはちょっと自分が有利になるとこれだぜ!」

「いーっ、だ! 普段両兵に馬鹿にされてるぶん仕返ししただけだもん!」

 思いっ切り言い返してから、機嫌よく資料室を後にしようとしたところで、廊下でばったりとルイと現太にかち合う。

「あっ……私、コーヒー……」

「すっかり忘れて、いいご身分ね」

 ルイの論調に返す言葉もなくなっていると、現太が資料室を窺って声にしていた。

「お前が勉強に励むとは珍しいこともあるものだ。明日はスコールかな?」

「うっせぇよ、オヤジ。おい、見んな。オレの……」

 両兵は現太の目から覆うように自分の書いた文字を隠す。

 こういうところでまだ子供なのだな、と青葉は少し微笑ましくなっていると、ルイが肩に手を置いて耳打ちする。

「……この礼はまた今度」

「る、ルイってば……。あはは……」

 誤魔化そうと愛想笑いを浮かべるが、ルイの冷たい視線は笑っていない。

「……コーヒー淹れて来るね……はは……」

 青葉は、何だかんだで自分も不器用だな、と思い知るのであった。

「――お茶、手を付けてないんですか?」

 赤緒の声が背中にかかったのでようやく顔を上げた両兵は、おお、と湯飲みを掴む。

「忘れてたな。すまん、柊」

「別にいいですけれど……お勉強、どうです?」

「もうちょっとだな。立花は何だかんだでさすがは天才だぜ。効率のいい解き方とかを教えてくれてる」

「……お昼間は算数すら危うかったですもんねぇ……」

「おい、そこは言わない約束だろうが。……ったく……」

「あっ、小河原さん……」

 呼びかけた自分に両兵は不遜そうに返す。

「何だ? もっといい解き方の効率があるんなら教えてくれよ」

「そうじゃなくって。鉛筆を持つ手はグーじゃなくって、きっちり握らないと。文字がカクカクになっちゃいますよ?」

 そう言うなり赤緒は両兵の堅い拳を解きほぐしていこうとして、ハッと気づく。

 どこか放心したようにこちらを見つめる両兵に赤緒は遅れてぼっと赤面していた。

「す、すいません……っ! 私、余計なことしちゃって……!」

「いや……まぁ……似たようなこと、してくれンだな、お前ら」

「似たようなこと?」

「いや、こっちの話。……にしても、勉強とかすんのはマジに久しぶりだぜ。カナイマじゃ、結局あれっきりだったか? ……似合わねぇことしてんな、って思ってんだろ、てめぇらも」

「いえ、それはそのぅ……。いいんじゃないですかね、たまには似合わないことをしてみるのも」

「まぁ気晴らしにはならぁな。にしたって七面倒くせぇな、この三角関数って奴。よくこんなの解く気になるもんだぜ、学生ってのは」

「あっ……でも私、まだそこんところ、習ってなくって……」

「なに? じゃあ学生の常識じゃねぇのかよ……。立花の奴、ホラ吹きやがったな」

 エルニィがどう説明したかは別にして、赤緒はそこいらに散乱している教科書を捲って片づけに入っていた。

「でも、小河原さん、勉強とかするんですね。英語とか読めたりするんですか?」

「ああ? ……こんなもん、勉強するまでもねぇだろ。にしたって、日本の教育が遅れてるってのはマジみてぇだな。そらで読めるぜ、こんな単語ばっかの英語。……つーか、英語ですらねぇ。向こうじゃ幼稚園児のレベルさ」

「それは……何となく分かりますけれど……」

 赤緒は英語の教科書を改めて読んでみるが、習ってない単語ばっかりなのでまともに読める気はしない。

 それを軽く読めてしまうと言える辺り、両兵は自分たちとは違う勉強法でこれまで生きてきたのだろう。

 慮るわけではないが、小学校中退と言うのはどこからどこまで本当なのか、と疑っていた。

「……何だ、その疑いの眼差しは」

「いえっ、別に……! ……でも、何で三角関数? 他にもありますよね、勉強って。それに急にそこに行かなくってもいいんじゃ……」

 今さらの疑問に両兵は何でもないように応じてみせる。

「必要だから勉強すンだよ。他にねぇだろ?」

 そう言って問題と向き合う両兵に、赤緒は少しだけ毒気を抜かれた気分であった。

「……まぁ、そうですけれど、そこが何で? なんですけれど……」

「――いよっし! ここのステージ突破できたぜ! 立花! てめぇの教えがよかったお陰だな!」

 翌日、ゲームセンターでシューティングゲームの筐体を前にしてガッツポーズを取る両兵にエルニィと自分は呆れ返っていた。

「まさかゲームのための勉強だったなんて……」

「三角関数はシューティングの敵によく使われてるからねー。両兵の野生の勘でもどうにもなんないから、ボクを頼ったんでしょ?」

「おう、よく分かったな、立花」

 そのまま両兵は次のステージへと進んでいく。その背中が意気揚々としていたので、赤緒は声を潜めていた。

「……あの、立花さんは知ってて?」

「ううん。三角関数が要るとは言っていたけれどゲームだとは最初からは教えられなかったよ?」

「……じゃあそのぉー……よく分からずに教えていたんですか?」

「うん。まぁ勉強したいって両兵が言い出した時には、こりゃあもう天地が終わるのかなとは思ったけれど。いやはや、両兵らしい理由で助かったね」

「立花! ここんところの弾幕だよ、ここんとこ! 超えられなかった壁だ、アツくもなるぜ……!」

 自機を動かして敵の弾道を回避していく両兵のスティックさばきをエルニィが、おーっと感心する。

「教えた甲斐があったね。もう完璧じゃん」

「おう、立花。次からもよろしくな。……それと柊」

「えっ、私、ですか……?」

 呼び止められて赤緒はまごついていると、両兵は振り向かずに声にする。

「すまんな。また勉強する時には茶とか……あとはペンの握り方とか多分忘れてっから。そこんとこ頼むわ」

「……も、もうっ! ゲームのためのお勉強は駄目ですっ! 柊神社では禁止っ!」

 自分の言葉に動揺して両兵の自機が爆散する。

「だーっ! 余計なこと言うなって! 死んじまったろうが。立花、連コインだ、連コイン。勝つまでやるぜ」

「……何だかなぁ、もう。でも……お勉強してくれるなら、それでもいっか……」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です